M24チャーフィーとは、アメリカ軍が第二次世界大戦において開発・運用した軽戦車である。
チャーフィーは愛称で、アメリカ軍で機甲部隊の発展に尽力し、「機甲部隊の父」と呼ばれたアドナ・R・チャーフィー・ジュニア少将の名前を由来とする。
概要
それまでのアメリカ軍軽戦車とは異なり、機甲作戦における広範囲の任務に対応できる汎用な戦車として開発された。新型の40口径75mm砲と避弾経始を考慮した装甲を持ち、大戦期の軽戦車としてはかなり高性能である。そしてなによりカッコイイ。
第二次世界大戦では実戦配備の遅さから少数が実戦を経験するに留まった。朝鮮戦争にも参加するが、こちらではT-34-85に苦戦を強いられ、戦後開発のM41軽戦車に役目を譲ることとなる。日本の警察予備隊(後の自衛隊)にも重装備として供与され、自衛隊では1974年まで現役だった。
開発経緯
開発の原因は1942年の北アフリカにおけるドイツ軍とイギリス軍の戦いに遡る。この戦いにおいてイギリス軍はアメリカから借りたM3スチュアートを戦闘任務に投入したが、ドイツ軍にボコボコにされてしまった。M3スチュアートの37mm砲では対戦車でも対歩兵でも火力不足であり、防御力も十分でないことが露呈したのである。
この結果を受けて、アメリカ軍の新型軽戦車には「75mmクラスの主砲とより強固な装甲」が要求された。しかし、この要求を開発中だったT7軽戦車にねじこんだ結果、武装変更や装甲強化などの設計変更で重量が25トンに増大してしまう。最終的にT7軽戦車はM7中戦車として採用されるも、中途半端な性能だったため僅か7両が生産された時点で注文をキャンセルされてしまった。その後、M7中戦車のレイアウトとM5スチュアートの駆動系を組み合わせた新型のT24軽戦車が開発されることとなり、これがM24チャーフィーとなる。
M24チャーフィーはキャディラック社製自動変速機とトーションバー方式のサスペンションを搭載し、オフロードでの高い機動性と操縦性を得ている。装甲は最大で25.4mmとM3スチュアート、M5スチュアート(両方とも最大50mm)と比較しても薄いが、避弾経始を考慮した形状とすることで防御力を確保した。主砲にはM4シャーマンと同じ砲弾を使用可能で、よりコンパクトな40口径75mm砲M6を採用し、軽戦車としては破格の火力を確保している。
1943年後半に試作車両が完成。1944年3月には量産が開始され、大戦終結までに4000両以上が生産された。
実戦
1944年末からヨーロッパのアメリカ軍戦車部隊にM5スチュアートの代替として配備され始め、「バルジの戦い」にも参加している。戦車部隊にはおおむね好評で、オフロードでの機動性や信頼性、そして特に新型の75mm砲が好まれた。M24チャーフィーは積極的に敵戦車と戦うような運用はされなかったが、それでもドイツ軍戦車と戦わざるを得ない状況になった時、この75mm砲はとても頼りになったのである。と言うか、今までの軽戦車に積まれていた37mm砲が豆鉄砲すぎたと言うべきか。実際、ドイツ軍の4号戦車を撃破した例も存在する。
一方で、それまでのずんぐりむっくりなアメリカ軍戦車とは全く異なるスマートなシルエットだったため、鹵獲兵器でも無いのに味方の部隊から敵戦車だと誤認されて攻撃された事もある。「パンサー・パプス(仔豹)」なんてあだ名までつけられたり。
配備が遅かったこともあり(大戦中にM24チャーフィーを受け取れなかった戦車部隊もあるくらい)、第二次世界大戦中は少数が実戦を経験するにとどまった。その後、朝鮮戦争にも参加するが、T-34-85に苦戦。戦後開発された後継のM41軽戦車に後を譲った。
派生型
アメリカ軍は戦時中にM24の車体をベースに自走砲を開発する『ライト・コンバット・チーム』計画を実施して各種自走砲を開発した。これらは第2次世界大戦より朝鮮戦争で運用された後、同盟国へ提供されて運用される事が多かった。
- M19
40㎜連装機関砲をオープントップ式旋回砲塔に装備した自走対空砲。 - M37
M7ブリュースト自走砲の後継として開発された105㎜自走榴弾砲。外観もほぼ同様。 - M41
155㎜自走榴弾砲。但し砲をカバーする戦闘室を持たないため実態は自走砲架。 - NM16
ノルウェー軍で運用された駆逐戦車型。主砲をフランス製90㎜砲に換装。 - T22/T77
自走対空砲型。前者は75㎜高射砲を装備した自走砲架、後者は密閉砲塔に12.7㎜機関銃6丁を装備。双方とも試作に留まった。 - T19/T38
前者は105㎜無反動砲4門を装備した戦車駆逐車、後者は107㎜自走迫撃砲型。こちらも試作に留まった。
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関連項目
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