1905年(明治38年)
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| 年 | 1893年 | 1904年 | 1905年 | 1906年 | 1917年 |
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巳 |
午 |
巳 |
1905年の事柄
日露戦争終結
9月5日、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介によってポーツマス条約が締結され約1年8ヶ月に渡った日露戦争が終結した。
日本の報道は条約締結前は戦勝ムード一色だったが、賠償金が取れなかったことから当日は日比谷公園で3万人の民衆が講和条約の反対を叫び、一部が暴徒化して日比谷焼き討ち事件が発生。軍隊も動員される騒ぎとなり約1000人が死傷した。
ロシアが賠償金の支払いを拒否した背景には日露それぞれの戦争継続能力の有無が関係している。日本は約180万人の将兵を動員し、死傷者数は約20万人。国家予算7年分に相当する20億円ほどの莫大な戦費を費やしており、実際はとても戦争を続けられる状態ではなかった。ロシアは動かせる艦艇はなくなったものの陸軍を使って戦争を継続することも出来たが、ロシア革命によって国内が混乱しており条約の締結に応じる形となった。
戦争継続能力がなかったこと、際どい勝利であったことは国民(およびロシア)には伏せられており、のちに政府や軍の隠蔽体質に影響を及ぼした。
なお政府は開戦と同時期に和平仲介の打診を始めており、早期の戦争終結を狙っていた。旅順要塞の陥落、日本海海戦でのバルチック艦隊壊滅などを機に条約の締結が進められた。
ポーツマス条約により日本は朝鮮半島での優越権、樺太(サハリン)島の南半分、満州の租借権などを獲得した。
日本海海戦
5月27日から28日にかけて、対馬東方沖でロシアのバルチック艦隊と日本の連合艦隊が交戦。この戦いでロシアは太平洋に配備していた艦隊を全て喪失し、日露講和条約の締結へと進んでいく。
この海戦でやりとりされた「敵艦見ゆとの警報に接し、聯合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」の電文や、東郷平八郎がZ旗を掲げ「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」の信号旗としたことが有名。
バルチック艦隊は極東に配備された太平洋艦隊の援軍としてヨーロッパ側から前年10月14日にロシアを出発し、地球を半周するほどの無理な航海をして疲弊していたことが敗北の一因とされる。そもそもバルチックの名が示す通り日本から遠く離れたバルト海を担当する艦隊であり、バルチック艦隊が日本に到着するには7ヶ月もの期間を要した。
バルチック艦隊は出港から6日後に北海のドッガーバンクでイギリスの漁船を日本海軍の船と誤認して攻撃する「ドッガーバンク事件」を起こし、各地に植民地を持っていたイギリス(日英同盟を既に結んでいた)から燃料や食料の補給を受けることができなくなった。またスエズ運河がイギリスとの関係悪化や船体がデカくて物理的に通れないなどの理由で大部分の艦隊が喜望峰を回る羽目になるなど悲惨な状態であった。
当時ロシアは太平洋艦隊に注力しておりバルチック艦隊から主力艦を引き抜いて配備していたため旧式の艦艇と新造艦しかなく、新造艦の新兵たちの練度も十分ではなかったとされる。
1月1日に旅順要塞が激戦の末に陥落し、陸からの攻撃で旅順に停泊していた太平洋艦隊が壊滅。援護にあたる太平洋艦隊がなくなり、もはやバルチック艦隊の役割は太平洋艦隊の埋め合わせくらいになってしまった。この段階でもバルチック艦隊はまだマダガスカルあたりでスエズ運河を通った艦隊の到着を待っている状態だった。
アインシュタインの奇跡の年
この年、アルベルト・アインシュタインが発表した特殊相対性理論、光量子仮説、ブラウン運動の理論などについての論文を立て続けに発表。原子・分子・エネルギー・時間・空間などの理解を革新し、量子力学など現代物理学の基礎を築いた。
当時のアインシュタインは26歳。当時はスイス特許局の職員だった。有名な舌出し写真が撮られたのはこの46年後、72歳の誕生パーティでの出来事だった。
1905年の出来事
| 1月 | 俳句雑誌「ホトトギス」1月号に小説「吾輩は猫である」(夏目漱石)連載開始 |
| 1月1日 | 旅順要塞が陥落 |
| 1月2日 | 三越が最先端の百貨店を目指す「デパートメントストア」宣言を表明 |
| 1月17日 | 大阪毎日新聞が初のニュース写真を掲載 |
| 1月22日 | ロシア帝国の首都・サンクトペテルブルクで労働者のデモに対し軍隊が銃撃、ロシア第一革命のきっかけになる(血の日曜日事件) ※ロシア帝国のユリウス暦では1月9日 |
| 1月23日 | 奈良県吉野郡小川村で捕らえられたニホンオオカミの剥製が、アメリカの動物採集家に8円50銭で販売される(記録に残る最後のニホンオオカミ。現在はロンドン自然史博物館が所蔵) |
| 1月26日 | 南アフリカのカリナン鉱山で3106カラットのダイヤモンド原石が発見される(史上最大のダイヤモンド原石「カリナン」) |
| 2月11日 | イギリスでモーターショーが開催され車がブームに |
| 森下南曜堂が仁丹を発売 | |
| 3月1日 | 奉天会戦。死傷者約7万人を出す日露戦争最後の大規模な会戦となった ~10日 |
| 3月9日 | ロシア軍総統クロパトキンが奉天からの撤退命令を出す |
| 3月10日 | 日本軍が奉天を制圧、翌年この日は陸軍記念日となる |
| 3月17日 | アインシュタインが光電効果を説明する論文を発表(のちにノーベル物理学賞を受賞) |
| 4月1日 | この日公布された法律により刑の執行猶予制度が導入される |
| 4月4日 | インド北部でMW7.8の地震が発生し約2万人が死亡(カングラ地震) |
| 4月12日 | 阪神電気鉄道の阪神本線が開業 |
| 4月15日 | 漫画家・北原楽天が中心となり有楽社が漫画雑誌「東京パック」を創刊、多色刷の大衆紙として人気に |
| 5月3日 | 歌集「あこがれ」(石川啄木)が出版される(石川啄木の処女作) |
| 5月9日 | 森永西洋菓子製造所(現・森永製菓)が商標としてエンゼルマークの使用を開始 |
| 5月11日 | アインシュタインがブラウン運動を説明する論文を発表 |
| 5月13日 | パリのムーラン・ルージュでマタ・ハリがダンサーとしてデビュー |
| 5月27日 | 日本海海戦。バルチック艦隊と日本海軍が交戦し、日本軍が勝利 ~28日 |
| 6月 | ドイツのシャウディンとホフマンが梅毒スピロヘータを発見 |
| 6月1日 | 塩の販売が専売制になる(塩業の基盤整備と日露戦争の戦費調達が目的) |
| 6月2日 | 芸予地震。170棟ほどの建物が全半壊し死者11名を出す。 |
| 6月27日 | ロシアの戦艦ポチョムキン号で水兵反乱事件が起こる ※ロシア帝国のユリウス暦では6月14日 |
| 6月30日 | アインシュタインが特殊相対性理論についての論文を発表(のちにこの日はアインシュタイン記念日となる) |
| 7月 | 日露戦争の203高地の激戦にちなむ庇髪「203高地まげ」が女性の髪型として流行 |
| 7月7日 | 樺太作戦が開始され、日本軍が樺太(サハリン)に侵攻 |
| 7月9日 | モンゴルでMW8.1の地震が発生、延長120kmの地裂断層が出現(ツェツェルレグ地震) |
| 7月12日 | 陸軍軍服服制(勅令第196号)で陸軍の軍服が黒色からカーキ色に変更される(翌年より本格的に採用。主戦場となる中国大陸の黄土色に合わせたもの) |
| 7月23日 | モンゴルでMW8.3の地震が発生、延長370kmの地裂断層が出現(ブルネイ地震) |
| 7月29日 | 日本の大韓帝国に対する支配権、アメリカのフィリピンに対する支配権を確認する桂・タフト協定が結ばれる |
| 7月31日 | 日本軍が樺太を占領 |
| 8月 | 日比谷公園音楽堂(初代)が開堂(現・日比谷公園小音楽堂) |
| 靖国神社の社殿周囲にガス灯が設置され、男女学生の密会が激減 | |
| 8月10日 | 日露講和会議が開始される |
| 9月2日 | 清政府が科挙を廃止する |
| 9月5日 | ポーツマス条約が締結され日露戦争が終結 |
| 日比谷焼き討ち事件が発生、6日に戒厳令が敷かれ翌日に収まったが約1000人の死傷者を出す | |
| 9月11日 | 日露戦争で活躍した戦艦三笠が火災で佐世保港内に沈没、死傷者約300人(翌年引き上げられ、現在も記念艦として横須賀で復元・保存されている) |
| 9月14日 | 奥羽本線(福島~秋田~青森間)が全通 |
| 9月27日 | アインシュタインが質量とエネルギーの等価性に関する論文(E=mc2の方程式で有名)を発表 |
| 10月 | 連載中の小説「吾輩は猫である」(夏目漱石)の上編が単行本になる(定価95銭)。中編は翌年11月、後編は翌々年の5月に刊行された。 |
| 1891年より工事が開始されていたシベリア鉄道が全線開通 | |
| 10月6日 | スイス中央銀行が設立される |
| 10月17日 | フランスの展覧会「サロン・ドートンヌ」を評論家のルイ・ヴォークセルが「野獣(フォーブ)の檻」と評し、フォービズム(野獣派)という絵画運動が誕生する |
| 10月19日 | 大阪瓦斯(現・大阪ガス)が開業 |
| 11月 | 日本旅行会(現・日本旅行)が創業 |
| 11月23日 | 漢城(現・ソウル特別市)に韓国統監府が置かれ、伊藤博文が初代統監になる |
| 12月24日 | 京浜電鉄(現・京浜急行電鉄)の川崎~神奈川間が開通し品川(現・北品川)~横浜間が全通 |
| 不明 | フロイトが論文「性理論のための三編」で「性感帯」という造語を初めて用いる |
| 和式帳簿の表紙を製造する黒田表紙店(現・コクヨ)が開業 | |
| 1637年創業の酒屋「笠置屋」(現・月桂冠)11代目の大倉恒吉が「月桂冠」を銘柄名に採用 |
架空の出来事
- 大正処女御伽噺
- 7月7日、白鳥ことりが誕生
- 7月17日、渥美綾が誕生
- 9月1日、志磨珠彦が誕生
- サクラ大戦
- 日露戦争の奉天会戦で京極慶吾が活躍し、のちに「戦神」と呼ばれる
7月28日、真宮寺さくらが誕生 - 11月13日、ロベリア・カルリーニが誕生
- クロノクルセイド
- 6月10日、サテラ・ハーベンハイトが誕生
- インディ・ジョーンズ
- 当時6歳のインディ・ジョーンズが犬を飼い始める
1905年生まれの著名人
| 1月8日 | カール・グスタフ・ヘンペル | 哲学者、「ヘンペルのカラス」のパラドックスで有名 |
| 1月11日 | マンフレッド・ベニントン・リー | 二人組の推理作家「エラリー・クイーン」の一人 |
| 1月14日 | 福田赳夫 | 政治家、第67代内閣総理大臣、福田康夫の父 |
| 1月16日 | 伊藤整 | 小説家、翻訳を担当した「チャタレイ夫人の恋人」がわいせつ文書として摘発され裁判になる(わいせつの意義が問われた有名な事件) |
| 1月21日 | クリスチャン・ディオール | ファッションデザイナー |
| 1月22日 | 椋鳩十 | 小説家、「大造じいさんとガン」 |
| 1月26日 | マリア・フォン・トラップ | 子供たちと合唱団を結成した人物で、自叙伝を基にした「トラップ一家物語」「サウンド・オブ・ミュージック」が有名 |
| 2月12日 | 巽聖歌 | 童謡作家、詩人、童謡「たきび」の作詞者 |
| 2月21日 | 木村義雄 | 棋士、初の永世名人 |
| 3月12日 | 志村喬 | 俳優 |
| 3月23日 | ジョン・ランドール | 物理学者、空洞マグネトロンの改良に業績を残す |
| 4月18日 | ジョージ・ヒッチングス | 薬理学者、化学療法の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞 |
| 5月24日 | ミハイル・ショーロホフ | 小説家、ノーベル文学賞受賞者、「静かなるドン」(※新田たつおのヤクザ漫画ではない) |
| 5月28日 | 阿部定 | 男性の局部を切り取った猟奇殺人・阿部定事件の犯人 |
| 6月21日 | ジャン=ポール・サルトル | 哲学者、「存在と無」、自分の意志でノーベル賞を辞退した初めての人物 |
| 9月10日 | 武内俊子 | 詩人、童謡「かもめの水兵さん」作詞者 |
| 9月30日 | ネヴィル・モット | 物理学者、ノーベル物理学賞受賞者、モット絶縁体などに業績を残す |
| 10月20日 | フレデリック・ダネイ | 二人組の推理小説家「エラリー・クイーン」の一人 |
| 11月3日 | 浪越徳治郎(ジェット浪越) | 指圧師、タレント、「指圧の心は母心」 |
| 12月13日 | 島田正吾 | 俳優、日本のテレビドラマ主演俳優の最高齢記録(88歳9ヶ月)保持者 |
| 12月17日 | シモ・ヘイヘ | 狙撃手、冬戦争で活躍し「白い死神」として恐れられる |
1905年に亡くなった著名人
| 1月14日 | エルンスト・アッベ | 物理学者、光工学者として多数の光学機器を開発 |
| 3月24日 | ジュール・ヴェルヌ | SF作家、「海底二万里」「八十日間世界一周」 |
| 6月18日 | ペール・テオドール・クレーベ | 化学者、ホルミウム、ツリウムの発見者 |
| 8月20日 | フランツ・ルーロー | 機械工学社、定幅図形「ルーローの三角形」に名を残す |
| 9月6日 | サミュエル・ビング | 美術商、浮世絵などの日本の美術品を西洋に広める |
関連動画
関連項目
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