200本安打とは、1シーズン中にアベレージヒッターの中で、数少ない巧打者しか打てない記録である。
概要
日本プロ野球界において、1シーズンの中で200本安打の達成回数は7回、達成選手は6人しかいない。(セリーグ3人・パリーグ3人)
左右で比べてみると、左打者が3人、右打者が2人、左右両打席が1人。
日本プロ野球界において、唯一2度の200本安打を達成したのは2005年(202本)、2010年(209本)の青木宣親しかいない。
最初にシーズン200本安打を達成したのは1994年のイチロー(210本)と、長いプロ野球史上の中では結構歴史が浅い。なお、このNPB初のシーズン200本安打達成によって最多安打のタイトルが制定された。ちなみに、イチローが達成した時の試合数は130試合だった。その後はシーズン200本安打を達成する打者は中々現れなかったが、1994年以降は徐々にシーズンの試合数が増えていったためか、2005年に青木が達成して以降から達成者が増え始めている。
NPB初の200本安打達成者であるイチローは、メジャーリーグでも200本安打を達成し続け、2010年に10年連続200本安打という記録を達成している。10回の200本安打はピート・ローズに続いて2人目であるが、こちらは連続年数での達成ではないため、10年連続というイチローの記録は史上初の記録である。その内、2001年の242安打はMLBシーズン記録では10位かつMLB新人最多、2004年の262本はMLBシーズン記録1位である。
田中秀太が通算15年で200本安打、川藤幸三が通算19年で211本安打と考えるとすると、いかに凄いかが分かる。
シーズン200本安打の難易度
現在NPBでは年間143試合制、MLBでは年間162試合制となっているが、単純にシーズン全試合に出場して1試合1安打打ったとしても200本には届かないところから、その難しさを伺う事が出来る。
出場できる試合が多い程、達成が容易となる事は間違いないが、その為にはシーズン中の疲労に耐えうるだけの体力が必要であり、尚且つ怪我をしないための体調管理も必要とされる。
打力においても打席数が多く回る1~3番の上位打線を任せられる能力が欠かせない。その上打順の後ろを打つ打者にも打力が求められる。これは安打数が増えると高打率になる、ゆえに勝負を避けられて次の打者で勝負、といったような事を避けるためである。打者のタイプとしても四球を多く選ぶタイプより、ストライクゾーンの来たどんな球を打ち返すような打ち気な打者の方が安打を積み重ねやすい。
また、一定以上の脚力、守備力も必要とされる。これは試合中、代走や守備固めを出されると必然的に打席に立つ機会が減るためである。NPBでは守備の負担が大きい内野手のシーズン200本安打の達成は2010年の西岡のみである。
安打を多く打てる技術のみならず、走攻守全てを兼ね備え、尚且つ怪我、疲労に強い体を持った打者のみが達成できる記録なのである。
MLBではNPBと比べて年間の試合が20試合ほど多いため、シーズンで200本以上の安打を記録する打者は多いものの、NPBより過密な日程で試合をこなす上に試合のための移動時間、距離も比較にならないくらい多い。そのためより多くの体力が必要となり、達成が困難であるのには変わりない。シーズン200本安打を達成する打者はその年その年では数えるほどしかおらず、達成者がいない年があった事も珍しくない。
NPB200本安打達成者
名前 | 球団 | 達成年数 | 試合数 | 安打数 | 打席 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
イチロー | オリックス | 1994年 | 130 | 210 | 左 | NPB史上初の200本安打 |
青木宣親 | ヤクルト | 2005年 | 146 | 202 | 左 | セリーグ史上初の200本安打 |
2010年 | 144 | 209 | NPB史上初の2度目の200本安打 | |||
アレックス・ラミレス | 2007年 | 144 | 204 | 右 | 右打者初の200本安打 | |
マット・マートン | 阪神 | 2010年 | 144 | 214 | 右 | セ・リーグ記録 |
西岡剛 | ロッテ | 206 | 両 | 両打席打者初の200本安打 | ||
秋山翔吾 | 西武 | 2015年 | 143 | 216 | 左 | NPB、パ・リーグ記録 |
関連動画
イチローの1994年当時の200本安打とラミレスの200本安打の動画はない。
関連項目
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