62式機関銃とは後に住友金属工業に合併された、日特金属工業の開発した、戦後初の汎用機関銃である。因みに日特金属工業とは、戦前戦中は陸軍航空機の機関砲の開発製造に多く携わった、日本特殊鋼の後進でもある。
小銃は豊和工業へ、機関銃は日特金属工業へと開発メーカーを分散。失敗した時のリスクを減少させることを防衛庁、自衛隊は意図しており、それは間違っていなかったのだが…
概要
本機関銃は部品の規格化が戦中に比して非常に進んでおり、10挺の部品を分解して混合。再度組み立てても問題なく稼働する。取り外しが容易な構造の銃身。同世代の7.62mm機関銃と比較して軽量など、少なからぬ長所を有しており、少なくともそのコンセプト自体は間違っていなかった。
戦後の最初の西側標準弾である7.62mmNATO弾に対応した、最初の国産機関銃という意味でも、その存在意義は大きいだろう(米軍供与のM1919機関銃はWW2世代の30-06弾を用いている)。
しかし銃の耐久性に大きく関わる銃身を、同世代の自動小銃である64式よりも薄く軽く作ったことなどが、本機関銃に大きな影を落としてしまった。調子よく稼働している際の性能は悪くなく、命中精度も良好と言われたが、とにかく部品脱落や故障が頻発し、戦闘職種部隊から「無い方がマシ」「M1919を返してくれ」と不満が多発。
そして本邦の国産装備で往々にありがちな「改修が必要というなら、何故そんな欠陥装備を調達したのか」という、大蔵省の壁を乗り越えることが出来ず、採用から40年以上にわたって抜本的な改修が行われずに運用された。全般的な設計に日本特殊鋼が開発、旧軍からさえダメ出しを受けた超軽機関銃の影響が大きいことも祟ったという。
現在は5.56mm機関銃MINIMIのライセンス品に後継を譲り、調達も相当前に終了。ほぼ更新は完了している。勿論これは自衛隊装備全般に言えることだが、現役時代に実戦に使われずに済んで良かった装備の最たるものである。
74式車載7.62ミリ機関銃[1]
62式7.62ミリ機関銃の各部を頑丈に作り直したもので、自衛隊の現有戦車の主砲脇などに搭載し、対地制圧射撃に使われる(敵歩兵が潜んでいそうな場所にむやみやたらと主砲弾を打ち込むわけにはいかない。弾丸の値段、残弾量を気にせずに随意に「探り射ち」ができる副火器があることで、敵歩兵も戦車に忍び寄ることができなくなる)。
ただし、74式戦車いらいの歴代国産戦車乗りが口を揃えて「欠陥品です」と太鼓判を押してくれている(もちろんオフレコで)。射撃中に突然射撃が止まる故障が多く、しかも故障を簡単に排除できない。何分経っても同軸機関銃が発砲しないとなれば、たちまち敵歩兵につけこまれてしまうだろう。
※陸上自衛隊の車載機銃は、74式以前は、米軍の「ブローニングM1919」7.62ミリ重機関銃を使用していた。よく「無故障」と称され、たまに故障が起きてもボルトハンドルについた紐を強く引っ張ればそれだけで故障はすぐに排除され、すぐに連射を再開できた。ただ、朝鮮戦争を境に米陸軍と海兵隊の主力火器用弾薬は「.30-06」から「.308」に切り替わったため、有事の弾薬補給を米国に依存している自衛隊はこれを使い続けることはできなくなった。
74式を製造していた住友重機械工業は、じつに1974年(当時は日特金属工業)の最初の納入ロットから延々と品質・性能に関する検査データを改ざんして要求性能に満たない兵器を納入していたことが2013年に発覚し、指名停止処分も受けている。
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62式機関銃そのものを扱った書籍ではないが、同機関銃開発への懸念が詳細に記されている。
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関連項目
脚注
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