AC/DCとは、1973年に結成されたオーストラリアのHR/HMバンドである。
地元オーストラリアでは愛着を込めて「アッカ・ダッカ Acca Dacca」と呼ばれている。
メンバー
- アンガス・ヤング(Angus Young/Guitar)・・・バンド創設から在籍しているAC/DCで1番の人気者。
ブレザー、半ズボン、ハイソックスにランドセルを背負ったスクールボーイファッションが特徴。
また、その特徴から動画のタグには「短パン」というタグがしばしばつけられる。
ライヴではステージを駆けずり回ったり仰向けになってぐるぐる回ったりするが、
ギタープレイはまったくと言っていいほど狂わない。身長は157cmと結構小さい。
同バンドのマルコム・ヤングは実兄。使用機材はギブソンのSG - ブライアン・ジョンソン(Brian Jonson/Vocal)・・・2代目ヴォーリストであるボン・スコットが1980年に
急死したため、アルバムBack In Blackから急遽加入した目深にかぶったハンチング帽がトレードマークの3代目リードシンガー。加入当時は驚異的な高音で金切り声を張り上げるようなスタイルだったが、
近年では高音でしゃがれ声を懸命に張り上げるスタイルになり、デビュー時よりもより渋いスタイルになっている。
体などの衰えから引退説が出ているが本人は否定している。 - マルコム・ヤング(Malcolm Young/Guitar)・・・バンドのリーダーで、リードギターを務めるアンガス・ヤングは実の弟。彼はアンガスとは対照的ででほとんど目立たないが、その力強いリフとバッキングはアンガスと絶妙にマッチしている。デビュー当初からグレッチのギターを使用している。彼も160cm代前半と背は低いが喧嘩が強いらしい。
2014年4月から活動を休止し、10月に認知症を患っている事を公表しバンドから脱退した。
後任はスティーヴィー・ヤングが務めることが発表された。 - スティーヴィー・ヤング(Stevie Young/Guitar)・・・マルコム・アンガスの兄アレックスの実子。
2015年から叔父マルコムに代わり加入。1988年のアメリカツアーの際にも代役を務めた事がある。 - クリフ・ウィリアムズ(Cliff Williams/Bass)・・・初代ベーシストのマーク・エヴァンスが解雇されたため、
1977年加入し、1978年、アルバムPower Ageでデビュー。マルコムとアンガスのギターでベース音は
あまり聞こえないものの、彼がいるのといないのとではまったく違う。安定した基本的なベースラインを刻みながら
マルコムとともにバッキング・ヴォーカルを務めている。 - フィル・ラッド(Phil Rudd/Drums)・・・1975年加入したが、1980年にヴォーカリストであるボン・スコットが急死。この出来事が彼に大きなショックを与た。しばらくは残っていたがアルコール依存症やドラッグによるパラノイアの
症状が悪化。メンバーとの亀裂が大きくなり1983年に脱退。しかし1994年に再び復帰した。
しかし2014年11月、薬物所持及びまさかの殺人依頼の罪で逮捕されてしまい、バンドから解雇された。
本人はバンドのメンバーだと主張しているが、現在バンドには元メンバーのクリス・スレイドを再加入している。 - クリス・スレイド(Chris Slade/Drums) ・・・ザ・ファームやエイジアの正式メンバーとして活動していた他、
ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアやユーライア・ヒープとも共演しているベテランドラマー。
AC/DCにはサイモン・ライトの後任として1989年から1993年まで在籍していた。
フィル・ラッドの解雇に伴い、22年ぶりにバンドに復帰した。 - ボン・スコット("Bon" Scott)・・・AC/DCを世界的成功に導いた2代目ヴォーカリスト。ライヴパフォーマンスには
定評があり、パワフルなハスキーボイスを武器にAC/DCを大きく飛躍させた。しかし順調に歩んでいた矢先、
1980年に深酒し、友人の車で休んでいたところ、嘔吐物をのどに詰まらせて急死した。33歳の若さだった。
彼の遺灰はオーストラリアのフリーマントルに埋葬されている。初代ヴォーカルと言う人も少なくないが、
創設当初はデイヴ・エヴァンスがヴォーカリストだったため、一応2代目ヴォーカリストである。
概要
AC/DCのバンド名の由来は電化製品の裏に書かれていた「AC/DC」により、アンガスとマルコムの姉が大音量で演奏していた彼らを掃除機の喧しさに例えて名付けたものともいわれる。ちなみにアンガスのスクールボーイファッションは姉のアドバイスによるものである。
AC/DCは本来「交直両用」の意味だが、両刀使いを表す隠語でもあるため、デビュー当時は勘違いをしたゲイバーからの出演依頼が殺到した。これについてマルコムは「俺たち5人を、女形と思いたいのなら、それで構わないぜ」とコメントしている
デビュー当初からタテノリの骨太ハードロックを追求し続け、路線は変えずに進歩し続けている。ハードロックには珍しくミドルテンポの曲が多く、そのスタイルは世界中で高く評価されている。1980年に出したアルバム、Back In Blackは4300万枚以上売り上げ、マイケル・ジャクソンのスリラーに次いで世界で2番目に売れたアルバムとして有名。
2006年、2代目ヴォーカリストである、ボン・スコットの墓碑銘版が盗まれるという事件が起きた。
ライブ上のヤング兄弟はテレパシーがあるかのように意思疎通が取れているとうわさされている。そんな彼らの生まれ育った家は現在売春宿になっている。
88年の10thアルバムのツアー時、リズムギタリストのマルコム・ヤングは帯同しなかった。公式には息子の病気という理由だったが、実際は本人のアルコール依存症が原因であり、彼のいない分は甥っ子のスティーヴィーが参加したものの顔が似ていたためほとんど気づかれなかった。
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関連項目
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