AXとは、
概要
アメリカを初め世界中で、ビジネス向け16ビットパソコンとしてIBM-PC/ATおよびその互換機が席巻していたが、日本ではNECのPC-9801シリーズが国民機と言われるほどほぼ独占状態にあった。
これに対抗するため、1986年にアスキーとマイクロソフトが日本語表示、変換機能の追加ハードウェアを企画し、各パソコンメーカーに参加を提唱していた。
すでに両社は8ビットパソコンでMSXを企画し、一定のシェアを築くことに成功しており、このビジネス版として「AX」 を立ち上げることとなった。
1987年10月に、大手パソコンメーカーと共同でAX協議会を設立、本格的な販売に着手、1988年には参加メーカーから対応パソコンが販売開始された。
AX規格では漢字ROMを搭載した増設ボード(JEGAボード)を使うようになっていたが、これは10万円以上もする高額なものだった。後に登場するDOS/Vのように英語版PCにDOS/Vを読み込ませるだけという手軽さはなく、パソコンの価格も増設ボードのために割高になり、わざわざAXパソコンを使うメリットはなかった。[1]
また、日本IBMと東芝は参加せず、独自のハードウェアで日本語化していたが、これらとの互換性もなかった。
さらにはVGAに対応するDOS/Vが1990年に登場する。DOS/Vではハードウェアを搭載せず、ソフトウェアのみで日本語表示、変換機能を備えていた。すでに主流はi386などの32ビットCPUに移行しており、独自のハードウェアを使わずともCPUパワーで機能させることができたのである。さらにi486になるとPC-9801と大差ない表示、変換スピードに達し、AXの存在意義は失われることとなった。
また、1991年に日本で発売されたWindows 3.0でも日本語機能が搭載され、PC-9801との機種間の違いがなくなったことも、存在意義がなくなる大きな要因となった。
結局、AX参加メーカーはDOS/Vの標準化組織であるOADGに参加してDOS/V(AT互換機そのものの販売)へと転向することとなり、AXは自然消滅した。
また、AX協議会は株式会社としてオープンインタフェースへと変え、コンピュータシステム設計、販売(システムインテグレーター)事業へと転換するが、2011年に倒産した。
参画していたメーカー
関連リンク
関連項目
脚注
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