FW190とは、ドイツで第2次世界大戦中に開発・運用されていた戦闘機である。
概要
Bf109を補完する目的で開発され、設計段階からの頑丈さで必要に応じて爆撃・雷撃もこなせる多用途性を発揮した戦闘機。生産数はBf109に及ばなかったが2万機以上が生産された。
愛称は『ヴュルガー』(ドイツ語でモズ)。
開発
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツが欧州で暴威を震えたのは機甲部隊をはじめとする陸軍とUボートに代表される海軍だがその活動に作用していたのは空軍のエアカバーが大きかった。
その顔ともいえるのがBf109戦闘機だったがエンジンの製造や主脚構造に問題が指摘され、ドイツ空軍はBf109を補完する単発戦闘機の開発を開戦前の1938年に決定した。
その開発を請け負ったのが当時ルフトハンザ航空向けに4発高性能旅客機Fw200の開発で世間を沸かせていたフォッケウルフ社であり、主任技師は騎兵として従軍経験を持ち、パイロットのライセンスを持つクルト・タンクであった。
機体構造
タンク技師は開発に当たってBf109を『競走馬』に例え、新型機は『軍馬』であることを目指した。
前述の通りBf109は構造やエンジン生産に問題があることを述べたが元になったのはエアレース機として開発されたBf108であり、レースだけでなく軽輸送機としても使われるほどの隠れた名機だったが軍用機ではなかったため、最前線で使うには繊細な構造だったのである。タンク技師は前述の従軍経験と自身の技術を組み合わせ最前線での整備・運用のし易さ、将来の拡張性、そして自社規模をを考慮した生産性の高さを考慮した実用性の高い設計を心掛けた。
まず、エンジンはBf109の液冷エンジンに対して空冷エンジンを使用した。空冷エンジンは構造上、直径が大きく、7000m以上の高々度では出力が低下したがある程度の被弾でも稼働する利点があった。
但し配備後は性能向上の為冷却装置を追加した型や液冷エンジンに換装した型も投入されている。
整備面では機体の主だった部分を複数のユニットに分けることで修理・破損箇所の交換をし易くすると共に生産性の向上も両立した。また機体強度・主脚の強度も高く設定してあり防弾措置と併せて生残性を高めていた。
武装は当初主翼に7.92㎜機銃×2+20㎜機関砲4門だったが後に7.92㎜機銃を13㎜機銃に、20㎜機関砲を30㎜機関砲へ強化する改修が行われた。また、1943年から機銃の削減や速力低下と引き換えに爆弾架を増設して2t近い航空爆弾もしくはロケット弾、航空魚雷を搭載できる型も運用された。
変わり種として双発爆撃機JU88を飛行爆弾化して誘導を単発戦闘機が合体して行う『ミステル(宿り木)』の誘導機任務を担当したこともある。
運用
1941年から実戦配備が始められたFw190は対英戦線に投入され能力を発揮して一時的にドーバー海峡の制空権を確保する成果を挙げている。だが翌1942年6月にイギリス側に誤着陸したFw190が鹵獲されイギリスは直ちに徹底的な調査を行いスピットファイア戦闘機の改良に反映させている。
東部戦線では空対空戦闘以上に地上攻撃の需要が高く、大部分が戦闘爆撃機仕様が多くを占めていた。
しかし爆弾を外せば普通に空対空戦闘に従事できるため爆撃任務の搭乗員がエースパイロットになった事も少なくなかった。
本土防空戦では昼夜問わず戦い続けた。これは昼間はともかく夜間ではドイツ側のレーダー網が1943年にはチャフや妨害電波で無力化されたことで従来のサーチライトに加え空襲による火災を利用して敵爆撃機を見つけて攻撃する『ヴィルデ・ザウ(イノシシ)』戦術を用いたためである。
昼間では密集して弾幕を張る爆撃機隊に対し機関砲や装甲板を増強して近接戦闘し易くする改造を施したうえで、ロケット弾を用いて隊を崩す戦術や時には機体を接触=体当たりして撃墜する戦術まで用いて立ち向かった。
次第にドイツの敗色が濃厚になるにつれ熟練パイロットと燃料が不足すると他の機体と同様、Fw190の活躍の場は減っていったが敗戦までFw190は戦い続けた。
関連作品
動画
静画
関連コミュニティ・チャンネル
関連項目
- 4
- 0pt