Moto3単語

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モトスリー
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Moto3とは、MotoGPの軽排気量クラスである。

概要

4ストローク250cc単気筒の小さなエンジン

2011年までの軽排気量クラス125ccクラスと呼ばれ、2ストローク125cc単気筒エンジンを使っていた。2ストロークエンジン環境負荷が大きいので、2011年シーズンをもって125ccクラスが終了した。

2012年より4ストローク250cc単気筒エンジンを使うMoto3クラスが始まった。ちなみに、単気筒のことをシングルsingle)と呼ぶことがある。

4スト250cc単気筒というと一般にはオフロードバイクビッグスクーターに積まれるものだが、そこはレース専用エンジン故に、回転数は10000rpmをえて13500rpmにまで到達するので、かなりのパワーを誇る。

しかし、それでも上位クラスべれば非力なので、速いライダーであっても単独で抜け出ることができず、何台ものマシンが集団を作って走ることが多い。各ライダーは前のマシンスリップストリームを最大限に生かして走行するのが基本となる。レース展開によってはトップ争いが最終ラップの最終コーナーまでわからないこともしばしばある。先の読めないレースをドキドキしながら見たいならこのクラスはおすすめである。

ちなみに、Moto3クラスは競り合いのまま最終ラップに突入することが多いが、「優勝すなら最終ラップにさし掛かるときに3番手以内に入っていた方がいい。最終ラップにさし掛かるときに4番手以下だと優勝するのが難しい」とよく言われる。最終ラップは各ライダーを振り絞るので2台抜くのが精一杯、というわけである。

Moto3のエンジンは60ほどとされ、最高速度は245kmほどに達する。ちなみにMoto2クラス140最高速295km、最大排気量クラス250最高速350kmである(記事exit)。

ECU(エンジン電子制御する装置)は催者定のワンメイクで、イタリアデロルトexitが独占供給している。

細いタイヤ

タイヤMoto2同様、2023年までダンロップのワンメイクで、2024年からピレリワンメイクになっている。

最大排気量クラスべてタイヤが細く、接地面積も小さい。このため、濡れた路面でMoto3クラスの決勝が開催されたとき、走行するたびどんどん路面がいていくという現が起こりにくい。また、タイヤ自体の衝撃吸収性が少ないので、縁石(ゼブラゾーン)の段差に乗り上げることを抑制すべきとされるし、リアタイヤを浮かせたジャックナイフの状態でコーナーに進入することも抑制すべきとされる。

各チームの予算

ライダーを2人雇ってMoto3クラスに参戦するチームの全体予算は、年間100万~200万ユーロ程度である。

2016年まではメーカーから各チームライダー1人につき年間6台のエンジンが売却され、各チームは使い終わったエンジンFIMジュニアGPexitスペインなどで行われる若手向け選手権 旧称はCEV)Moto3クラス)などに参戦するチームへ売り飛ばしていた。

2017年からはメーカーからチームライダー1人につき年間6台のエンジンリース(貸与)されるようになり、各チームは使い終わったエンジンメーカーに返却するようになった。そして2017年から国際ロードレーシングチーム協会(IRTA)の援助が入るようになり、ライダー1人につき6万ユーロリースしてもらうがそのうち4万ユーロIRTAが負担し、各チームエンジンに関する年間負担額は2万ユーロになった。

ライダー1人につき、シャーシ代が年間8万5千ユーロ、転倒したときの部品代が年間8万ユーロレース以外のテストで使用するエンジンリース料が2万ユーロレースで使用するエンジンリース料のうちチームが負担する分が先述のように2万ユーロ

以上を合計すると、ライダー1人を走らせるためのマシンの費用は20万5千ユーロほどである。ただし、実際はもう少し高く、ライダー1人を走らせるためのマシンの費用は30万ユーロから40万ユーロになるという。

※この項の資料・・・記事1exit記事2exit記事3exit記事4exit記事5exit

コストを抑える工夫

4ストロークの軽排気量マシン2ストロークの軽排気量マシンよりも高コストで高額であり[1]レースをするチームにとって重荷となりやすい。このため、あの手この手でコストを抑える工夫をしている。

メーカーがMoto3クラスに参戦するためには、少なくとも6台のマシンを供給しなければならない(記事exit)。「2台だけマシンを作って、その2台に高コスト・高品質技術を投入する」ということができず、少なくとも6台のマシンを作れる程度の低コスト・低品質技術に抑えねばならない。

メーカーがシャーシを良するときはそのメーカー契約するチーム全員に同時供給せねばならない、という規制2016年9月から課せられている(記事exit)。

メーカーは、チームに供給するエンジンをいったん運営者に預け、運営者がくじ引きで各チームに分配することになっている。このため、メーカーが「このチームに特別な高コスト・高性エンジンを与えよう」と、えこひいきすることができない(記事exit日本のモータースポーツ団体MFJが和訳した2019FIM世界選手権ロードレースグランプリ技術規則の113~114ページexit)。

2020年コロナ禍が発生したので2021年から2023年までは開発費を抑えるためにマシンを新しくすることが禁止されていた。しかし2024年になってマシンを新しくすることが解禁され、KTMホンダが新車両を投入している(記事exit)。

マシンの均一化が進んでいるので、後追い走法やスリップストリームが必須となる

Moto3クラスは、タイヤと電子制御がワンメイクで、シャーシとエンジンは同じメーカー契約しているチームがどれも全く同じものを手にする、という体制になっている。つまり、マシンの均一化が非常に進んでいる。

このため、各ライダーマシンの性差に頼った走りをしても他を抜き去ることができない。予選で速く走って高いスタート順位を手にして決勝レースで優位に立つためには、後追い走法で先行ライダーブレーキングポイントを参考にしてみたり、スリップストリームを効かせてみたりする必要がある。

熾烈なメーカー間競争

KTMとホンダの争い

2017年は、KTMホンダ、マヒンドラプジョー(マヒンドラの別ブランドで中身は同じバイク)が参戦していた。ところが2017年末にマヒンドラプジョーが撤退し、2018年からKTMホンダの二大勢になった。

2024年現在KTMホンダの二大勢の体制が続いていて、KTMライダーが16人でホンダライダーが10人となっている。2024年シーズンハスヴァーナが2台、ガスガスが2台、CFモトが2台のマシンを供給すると発表されているが、これらはKTMと同じマシンとして扱われる。ちなみにハスヴァーナもガスガスCFモトKTM企業である。

最高峰クラスに勝るとも劣らないメーカー同士のしい開発競争が起こっている。そのため、マシンの単価がシリーズ開始当初よりかに高くなっており、新規参戦するチームの足枷になっている。

当初は、資の少ないプライベーターも参戦しやすいように、あまり極端な開発はせずにエンジン価格に制限を設けるなど、マシン価格を抑える方針であった。しかし、KTMマシン価格が上がることを承知の上で、特にエンジンについて糸目をつけない開発を行って正直に約束を守ったホンダを出し抜く形になった。KTMマシン全部を供給しているので、価格が高くなってもあくまで「シャーシ代」であり、「エンジンはこれまで通り低価格」と言いるというカラクリである。これに怒ったホンダは全開発したNSF250RWでリベンジしたという経緯があった。これについての詳細は、KTMワークスの記事の「Moto3クラスにおけるホンダとの抗争」の節を参照のこと。

KTMとホンダの成績

Moto3クラスにおいてKTMホンダの成績は拮抗している。初年度の2012年からの較表は次のようになる。

KTM ホンダ
2012年exit 1位 サンドロ・コルテ 3位 マーヴェリック・ヴィニャーレス
2013年exit 1位 マーヴェリック・ヴィニャーレス 7位 ジャック・ミラー
2014年exit 2位 ジャック・ミラー 1位 アレックス・マルケス
2015年exit 2位 ミゲール・オリヴェイラ 1位 ダニーケント
2016年exit 1位 ブラッド・ビンダー 2位 エネア・バスティアニーニ
2017年exit 8位 マルコス・ラミレス 1位 ジョアン・ミル
2018年exit 3位 マルコ・ベッツェッキ 1位 ホルヘ・マルティン
2019年exit 2位 アロン・カネット 1位 ロレンツォ・ダラポルタ
2020年exit 1位 アルベルトアレナス 2位 トニーアルボリーノ
2021年exit 1位 ペドロ・アコスタ 2位 デニス・フォッジャ
2022年exit 1位 イサン・ゲヴァラ 3位 デニス・フォッジャ
2023年exit 2位 佐々木 1位 ジャウメマシ

KTMのマシンとホンダのマシンの違い

KTMマシンRC250GPexit)とホンダマシンNSF250RWexit)は、見たに違いがある。

KTMマシンは、2本の排気管を左右の外に出している(画像1exit画像2exit)。このため、ライダー同士が接触したあと排気管が曲がってマシントラブルとなり、ピットインせざるを得なくなることがある[2]

ホンダマシンは、2本の排気管をまとめてテールカウル(後部の外装)の下に詰め込んでいる(画像1exit画像2exit)。

KTMマシンは鋼管トレリスフレームで、パイプを溶接して組み合わせたシャーシを使っている(画像exit)。KTMと関係の深いアジョ・モータースポーツパイプをKTM企業色であるオレンジ色に塗装し(画像exit)、VR46はパイプを黒色塗装している(画像exit)。

ホンダマシンアルミ・ツインスパフレームで、銀色アルミニウムでできたシャーシを使っている(画像exit)。

マシンの乗り心地も大きな違いがあるようで、アロン・カネットは「前輪の感触が大きく異なる」と述べている(記事exit)。また、KTMマシンは強いブレーキングが可この動画exitにおけるオレンジ色の軌跡になりやすく、ホンダマシンコーナーリング速度を高めることが可この動画exitにおける青色の軌跡になりやすいという。

年齢制限

規則の簡単な紹介

18歳誕生日を迎えるとMoto3クラスに出走できる。ただし、特例措置があり、レッドブルルーキーズカップexitFIMジュニアGPのMoto3クラスexitスペインなどで行われる若手向け選手権 旧称はCEV)でチャンピオンになっていて満17歳誕生日を迎えていればMoto3クラスに出走できる。

ある年において、シーズン当初からチームが持つ出場を利用してMoto3クラスに参戦することを初めて行うことができるのは、その年の1月1日に満25歳以下であるライダーだけである。

ある年において、シーズン当初からチームが持つ出場を利用してMoto3クラス継続参戦することを再び行うことができるのは、その年の1月1日に満28歳以下であるライダーだけである。

このようにベテランを排除する年齢制限があり、実際には10代後半~20代前半のライダーがほとんどである。若者登竜門クラスといえる。

本記事の末尾にて、年齢制限の規則を詳しく紹介している。

年齢制限の制度の短所

2012年に始まったMoto3クラスは、全員が若手である。かが好ましくない走りをしても、それを叱るベテランが存在しない。このため、年齢制限のない時代を知る有識者は、「年齢制限のない昔の方が、ライダーに対する教育作用が高かった」とることがある。

軽排気量クラス年齢制限が課せられていなかった時代というと、2000年代前半までである。そのころは、「自分の体格に合ったバイクレースをすべきだ。軽排気量クラスチャンピオンになっても中排気量クラスや最大排気量クラスに移ったりしないほうがいい」という考え方があり、チャンピオンがずっと軽排気量クラスに残り続けることが多かった。

そういう時代は、30代の体育教師みたいなオッサンと、10代の高校生のような若者が一緒に走っていた。そして、10代の若者ライダーがヤンチャな走りをすると、30代の体育教師ライダーがすっ飛んできて、十分に貫を示しながら厳しく教育していた。その一例は、ホルヘ・マルチネスヴァレンティーノ・ロッシに対する激怒事件である。

年齢制限がなかった時代を知る最後の世代

年齢制限がなかった時代の軽排気量クラスを走ったことがあるライダーのなかで、最も最後の世代は、1986年3月23日生まれのアンドレア・ドヴィツィオーゾ1987年5月4日生まれのホルヘ・ロレンソといったあたりである。彼らは2002年の軽排気量クラスフル参戦しており、この年には上田昇(この年に35歳)やルーチョ・チェッキネロ(この年に33歳)が参戦していた。

年齢制限がある時代の軽排気量クラスだけを知っているライダーで、最も最初の世代は、1990年7月16日生まれのヨハン・ザルコあたりである。ヨハンは若手向け選手権のレッドブルルーキーズカップの初代2007年王者で、2009年から軽排気量クラスフル参戦したが、2009年にはベテランライダーが全く存在しなくなっている。

ライダーの発言権が低く、チームの発言権が強くなった

年齢制限が導入されたので、Moto3クラスの各チームにおいて、ライダーの発言権が低く、チームの発言権が強くなった。

マシン作りでライダークルーチーフの意見が食い違ったとき、たいていはクルーチーフの意見が通る。さらに、レオパードレーシングのような名門チームならクルーチーフメカニックが好みのマシンを作り上げてライダーがそれに合わせることを強制される。いずれも「ライダーは若くて経験がないのだから黙ってチーム示に従え」という潮になる。

年齢制限が導入される前は30代の体育教師のような貫のあるライダーがいたこともあり、ライダーの発言権がそれなりに高く、マシン作りにおいてライダー導権を握ることができたという。

Moto3クラスに参戦するチーム

2024年シーズンにMoto3クラスへ参戦するチームを挙げていく。チームの並びは2023年チームラキング順で、チーム内におけるライダーの並びは2023年ライダーランキング順となっている。

リキモリ・ハスクバーナ・インタクトGPexit
チーム監督ピーター・エッテルexitで、2019年までMoto2クラスに出走していたフィリップ・エッテルexit父親

このチームの前々身は2015年から2018年までMotoGPのMoto3クラスに参戦したスドメタル・シェドルGPチーム(Sudmetall Schedl GP-Teamである。オーナーピーター・エッテルライダーフィリップ・エッテルという、エッテル子のために存在するようなチームだった。

さらに、このチームの前身が2019年に生まれた。イタリア人のマックス・ビアッジドイツ人のピーター・エッテルが組んでできたチームだった。しかし2022年になってマックス・ビアッジピーター・エッテルの抗争が生まれ、マックスが抗争に敗れ、2023年からピーターが単独でチーム揮するようになった。

ピーター2023年からインタクトGPというドイツチームと組み、インタクトGPのMoto3クラス部門としてチームを再編成した。

スポンサーリキモリexitドイツウルムに本社がある潤滑メーカーで、二硫化モリブデンを使った潤滑特許を持っているので「モリ」の名前を名乗っている)、ダイナヴォルトexit中国バッテリーメーカー)、ランドフリューゲルexitドイツ鶏肉企業。「」という意味の社名)。そして2023年からハスヴァーナというKTM下のスウェーデンオートバイメーカーメインスポンサーになった。ハスヴァーナについてはアジョ・モータースポーツの記事にも記述がある。ちなみにハスヴァーナは黄色が好きな企業で、ホイールなどがその色になる(画像exit)。
使用マシンKTMハスヴァーナという名前で登録しているが、KTMマシンである。
名前 出身地 身長・体重 誕生日
95 コリン・フェイヤーexit スタッポルストexit 177cm60kg 2005年2月19日
24 鈴木竜生exit 日本 千葉県千葉市exit 171cm61kg 1997年9月24日
レオパード・レーシングexit
メインスポンサーレオパードexitルクセンブルクエナジードリンク企業。ちなみに、レオパードとはヒョウ)を意味する言葉である。チームの拠点はルクセンブルクにある。

もともとこのチームの本体はキーファーレーシングexitドイツバート・クロイツナハexitに本拠があり、ステファン・キーファーexitが設立したチーム)だった。そこにルクセンブルク不動産王で大富豪フラヴィオ・ベッカexitという人物が現れ、キーファーレーシングから導権を奪っていった。

ラヴィオ・ベッカの一族はイタリア出身で、両の代にルクセンブルクへ移ってきた(記事exit)。また、フラヴィオ・ベッカはF91デュドランジュexitというルクセンブルクサッカークラブオーナーでもあり(記事exit)、サイクリングチームオーナーでもある。

監督は、ミオドラグ・コトゥルexitというF1で活躍していたフランス[3]と、マッシモ・ヴェルジーニexitというイタリア[4]である。また、クリスチャン・ルンドベルグexitという名物メカニックがいる。さらに、ジョアン・ミルを育てたことで知られるダニ・ヴァディーロexitライダーコーチとして所属している。

直線の速度が速いチームとして知られており、G+の解説者坂田和人さんが「やっぱりレオパードのマシンは直線で伸びますね~」とることが多い。どうやら電子制御の技術が優れているようである。「電子制御で何か不正をしているのではないか」と2020年9月VR46から告発されたことがあったが、レース運営がその訴えを却下した(記事1exit記事2exit)。

2015年2017年2019年においてMoto3チャンピオンを輩出している名門チームだが、Twitterでのノリは、いつもこんな感じである(ツィート1exitツィート2exitツィート3exit)。

が高いチームとしての印が強い。200万ユーロを払って首都ローマに近いこの場所exitにあるヴィテルサーキットを買収したり(記事exit)、グレッシーニレーシング株式を取得しようと提案して断られたりしている(記事exit)。このため最大排気量クラスに進出する噂がたびたび上がっている(記事exit)。しかし、技術者クリスチャン・ルンドベルグは「最大排気量クラスは荷が重い」と答えている(記事exit)。
が高く、マフラーなどの部品を独自に開発して使用している。また、洞施設を借りるのはお金が掛かるのだがそれでも借りて、マシンライダー洞に掛け、カウルやステップやハンドルブレーキレバーガードの位置を細かく決め、ライダーに「このハンドルに合わせて姿勢を決めて乗るように」と示してくる。

スポンサーANONIMOexit(アノーニモ。イタリア・フィレンツェの時計ブランド。先述のフラヴィオ・ベッカがになっている)、DOVITexitフランス警報システム企業)。
 
使用マシンホンダ
名前 出身地 身長・体重 誕生日
31 アドリアン・フェルナンデスexit スペイン マドリードexit 168cm56kg 2004年1月31日
36 アンヘル・ピケラスexit スペイン レケナexit 170cm59kg 2006年12月1日
レッドブル・KTM・アジョ
アキ・アジョ監督exitが率いる。本拠地はフィンランドアカーexitと、スペインバルセロナexit郊外。Moto3におけるKTMワークスといっていいほどKTM密な関係にあるチームであるKTMマシンワンメイクで行われるレッドブル・ルーキーズカップexit(若年齢向けの登竜門レース)の年間チャンピオンを優先的に雇用する傾向がある。
契約ライダーシャビ・ズルトゥザは2024年4月6日まで満17歳なのでそれまでMoto3クラスに出場できず、ヴィセンテ・ペレスが代役ライダーを務める。
 
使用マシンKTM
名前 出身地 身長・体重 誕生日
99 ホセ・アントニオ・ルエダexit スペイン セヴィーリャexit 165cm56kg 2005年10月29日
85 シャビ・ズルトゥザexit スペイン レガスピexit 2006年4月7日
21 ヴィセンテ・ペレスexit スペイン クリェラexit 179cm61kg 1997年10月21日
CFモト・アスパー・チームexit
スペインバレンシアに拠点を持つチームチームオーナーバレンシア出身で125ccクラスや80ccクラスで合計4度の世界チャンピオンいたホルヘ・マルチネスバレンシア出身で2011年にこのチームに所属して125ccクラスチャンピオンいたニコラス・テロルexitチーム監督である。ちなみに2022年までチーム監督を務めていたジーノ・ボルゾイexitは、MotoGPクラスのプラマックレーシング監督に引き抜かれた。

チーム名のアスパーというのはホルヘ・マルチネス称である。2017年に急逝したアンヘル・ニエトexit(13回の世界チャンピオンいたスペイン英雄MotoGPライダー。13という数字を不吉として嫌い、12+1というステッカーexitを好んでいた)に敬意を表し、2018年2019年チーム名をアンヘル・ニエト・チームめていた。2019年11月ホルヘ・マルチネスMotoGP殿堂入りしたのをきっかけに(記事exit)、2020年から再びチーム名をチームアスパーに戻した。

2011年までの125ccクラス時代はアプリリアマシンを使って数々のチャンピオンを輩出してきた。Moto3クラス時代が始まった2012年から2019年までずっと下位に沈んでいたが、2020年2022年ははライダーチャンピオン獲得の栄いた。

スポンサーは、オートソーラーexitスペインバレンシア太陽光発電企業)、ヴァルレサexitスペインの塗料メーカー)、ガヴィオタexitスペインアリカンテ州exitの建設業界向けメーカーブラインドなどの日光防止部品に強み。社名の由来はカモメスペイン語gaviotasexit)、ソルニオンexitスペイン保険企業)など。そして2024年からCFMotoexitというKTM下の中国オートバイメーカーメインスポンサーになった。

使用マシンKTMCFMotoという名前で登録しているが、KTMマシンである。

ライダーの1人のダヴィド・アロンソコロンビア籍ながらスペイン生まれスペイン育ちである。母親コロンビア籍なのでその籍を選んだという(記事exit)。2023年3月24日~26日の開幕戦の時点で16歳なのに出場が許可された。2021年レッドブルルーキーズカップチャンピオンを獲得しており、「2023年は移行期なのでルーキーズカップチャンピオンは満16歳以上なら出場できる」という移行期特有の規則が適用されたからである。
名前 出身地 身長・体重 誕生日
80 ダヴィド・アロンソexit マドリッド(スペイン)exit 162cm55kg 2006年4月25日
78 ジョエル・エステバンexit バルセロナexit 2005年8月7日
MTAチームexit
MTAというチームFMI(イタリアモーターサイクル連盟)の支援を受けて2013年に設立され、2014年から2016年までMoto3クラスに参戦していた。そのときのチーム名はチームイタリアTeam Italia)で、3年間を通じてマヒンドラマシンを使用していた。

2017年からアレッサンドロ・トヌッチexitチーム監督にした。トヌッチは元MotoGPライダーである(記事exit)。そしてCEV(スペインなどを舞台にする若手向け選手権)やCIVイタリア選手権)に参戦するようになった。2020年からアヴィンティアエスポンソラマ・レーシング。最大排気量クラスやMoto3クラスなどに参戦していた)と提携した。

2022年から再びMoto3クラスへの挑戦を始めた。チーム監督は引き続きアレサンドロ・トヌッチである[5]

2022年2023年スポンサーアンジェラスexitだった。女性バイクレーサー支援するために立ち上げられた企業であり、TwitterexitInstagramexitも開設している。アンジェラスはオーロラ・アンジェルッチexitCEOであり、企業名もオーロラアンジェルッチの名字が由来である。そのオーロラアンジェルッチは2023年チーム監督を務めた(記事exit)。
使用マシンKTM
名前 出身地 身長・体重 誕生日
82 ステファノ・ネパexit ジュリアノーヴァexit 167cm58kg 2001年11月21日
10 ニコラ・カラーロexit パドヴァexit 2002年5月21日
レッドブル・ガスガス・Tech3exit
フランスボルム=レ=ミモザexitに拠点を持つTech3のMoto3部門。チーム監督エルヴェ・ポンシャラルで、数々の日本人ライダー仕事をしてきた経歴を持つ。

2001年から2009年までのTech3は最大排気量クラスだけに参戦していたが、2010年から2019年までのTech3は最大排気量クラスMoto2クラスの複数クラスに参戦していた。2010年から2018年までMoto2クラスに「Tech3が自分で作ったオリジナルのシャーシ」で参戦し、2019年メインスポンサーオーストリアレッドブルを迎えて全にKTM営の一員になりつつMoto2クラスKTMのシャーシで参戦した。

2020年からMoto2クラス参戦をとりやめてMoto3クラスに参戦することになった。このチーム歴史は非常に長いが、軽量級に参戦するのは史上初めてのことだった。ちなみに、KTMから「Moto2クラスをやめてMoto3クラスに転向してくれないか」と打診されたときのエルヴェ・ポンシャラルはちょっとショックだったらしい(記事exit)。

フランスチームなのでフランス語チーム内で飛び交う(記事exit)。チーム名のフランス語読みは「テック・トワ」である(動画exit)。

スポンサーは先述のレッドブルである。そして2024年からはGASGAS(ガスガス)exitというKTM下のスペインオートバイメーカーメインスポンサーになった。ガスガス2019年からKTM下に入っている(記事exit)。ちなみにガスガス企業色はなので(画像exit)、その企業色を反映するため、2024年以降のTech3マシンカラーになっている(画像exit)。

使用マシンKTMガスガスという名前で登録しているが、KTMマシンである。
名前 出身地 身長・体重 誕生日
96 ダニエル・オルガドexit スペイン サン・ヴィセンテ・デル・ラスペイグexit 167cm58kg 2005年4月27日
12 ジェイコブ・ロールストンexit ウロンゴンexit 2005年2月4日
SIC58・スクアドラ・コルセexit
SICとはシッチ読みマルコ・シモンチェリexit称である。58はマルコシモンチェリの付けていた番号スクアドラsquadra)はチーム、コルセ(corse)は競走という意味のイタリア語チームの拠点はミサノサーキット周辺にある。

チームオーナーマルコパオロ・シモンチェリexitパオロさんは1949年頃生まれで(記事exit)、かつてアイスクリーム屋を経営していた(記事exit)。

スポンサーは、pascucciexitイタリア発祥の世界コーヒーチェーン店)、ONGETTAexitイタリアを得意とする繊維企業)など。カラーリングを基調としており、マルコシモンチェリが最後に乗っていたマシンを彷彿とさせる。
 
使用マシンホンダマルコシモンチェリが最後に乗っていたのがホンダである。
名前 出身地 身長・体重 誕生日
7 フィリッポ・ファリオリexit ベルガモexit 176cm62kg 2005年4月4日
58 ルカ・ルネッタexit ローマexit 2006年5月27日
MTヘルメッツ・MSiexit
スペイン首都マドリッドのこの場所exitにあるモータースポーツ向け専門学校MSiMotor & Sport Institute)が結成したチームMSi公式サイトexit公式Instagramexitを開設しているが、iを小文字にしたロゴを掲げている。

スポンサースペインヘルメット企業MTヘルメッツexit2022年の同社はペドロ・アコスタなどと契約している。また、TEAM MT- FOUNDATION77exitというチーム[6]2019年から支援している(記事exit)。また、山中マシンには中外テクノスexitという広島県の検企業スポンサーについている(画像exit)。

使用マシンKTM。 また、ライダーの1人の山中蕎麦屋の孫である。詳しくは本記事の過去ログを参照のこと。
名前 出身地 身長・体重 誕生日
48 イヴァン・オルトラexit スペイン カリカントexit 179cm58kg 2004年8月4日
6 山中琉聖exit 千葉県四街道市exit 172cm60kg 2001年11月6日
BOE・モータースポーツexit
このチーム2014年から2018年までの名前RBAレーシングという。リカルド・ロドリゴexitという人がいて、アルゼンチン出身でスペインに移住してきて、スペインRBAグループexitという出版社グループを設立して経済的に成功した。リカルド息子ガブリエル・ロドリゴexitで、ガブリエルMotoGPのMoto3クラスで走らせるためわざわざチームを作った。2019年からのガブリエルロドリゴはグレッシーニレーシングのMoto3クラス部門に移った。それに合わせてRBAはこのチームの経営から撤退した。

チーム設立の時にアレイシ・エスパルガロの協を得ている。アレイシはこのチームの関係者なので、このチームライダーが表台に乗るとパルクフェルメに駆けつける。

ホセ・ボエ(Jose Boe)exitという人も創設者の1人で、そのためBoeという名がチーム名についている。ホセ・ボエの正式な名前ホセアンヘル・グティレスJose Angel Gutierrezで、ボエ(Boe)称である。かつてはモトクロスの選手で、引退してからはフィジカルトレーナーになり、数々のMotoGPライダーを担当した。担当したライダーの中にガブリエルロドリゴとアレイシ・エスパルガロがいる。その縁でチーム創設に関わり、2021年現在チームオーナーになっている。ちなみにヘリコプター免許を持っていて、操縦することができるという(画像1exit画像2exit)。

かつてのスポンサースカルライダーexitスカルライダースペインバルセロナサングラスメーカーで、ホルヘ・ロレンソが大である(画像exit)。

ライダーの1人のダヴィド・ムニョスは、2023年3月24日~26日の開幕戦の時点で16歳だったが、「制度の円滑な移行のため2022年シーズン16歳以上の年齢で走った経験がある選手は特例として出場許可する」という規則を適用して出場が許可された。
使用マシンKTM
名前 出身地 身長・体重 誕生日
44 ダヴィド・ムニョスexit スペイン ブレネスexit 168cm53kg 2006年5月15日
66 ジョエル・ケルソexit ダーウィンexit 163cm59kg 2003年6月12日
リヴァコールド・スナイパーズ・チームexit
スナイパーズ・チーム英語snipers teamと書き、「複数の狙撃兵がいるチーム」という意味である。

チームオーナー監督を兼任しているのはミルコ・チェッキーニexit。チェッキーニはイタリア語cecchinoが同じで、「狙撃兵」という意味である。オーナー一族のイタリア語名字英語に転換して、チーム名にした。

ミルコ・チェッキーニの父親ジャンカルロ・チェッキーニexitである。ジャンカルロ1940年頃生まれの大物メカニックで(記事exit)、かつてMBAexitモルビデリexitというバイクメーカーが作ったレース専門企業)の重鎮だった。ダニエレ・ロマニョーリの記事にも名前が出てくるし、上田昇さんが現役だった頃に上田さんのチームメカニック長だった。2019年時点で79歳だというのにまだ現役を続けていて、2019年8月オーストリアGPで所属ライダーロマーノ・フェナティ優勝したときに表式に参加していた。とはいえ、さすがに2020年限りで引退したようである(記事exit)。

かつての監督ステファノ・ベドンexitで、スポンサーをかき集めることを担当していたが(記事exit)、2023年の時点でMoto2クラスファンティックの監督をしている。

スポンサーは、cortelazziexitチェコイタリア料理提供する企業)とリヴァコールドexitイタリアの冷凍庫メーカー)と、unicomstarkerexitイタリアの屋内タイル製造企業)と、MUGENexitイタリアのレーシングスーツ製造企業)と、KOPRONexitイタリアの物流企業)。

2018年以前はマリネリ・クチーネexitイタリア厨房・キッチンメーカー)もスポンサーだった。マリネリ・クチーネの創業者であるアンドレア・マリネリとその妻シモーナがスナイパーズレーシングに大きな援助をしていたが、アンドレアは2018年5月に46歳の若さで急逝してしまった(記事exit)。それでもチーム支援を続けていたが、後述のロマーノ・フェナティ問題をきっかけにして、2018年を限りにスポンサーをとりやめた。また、2019年2020年VNEexitカジノインターネットギャンブルに使われるソフトウェアを作る企業)もスポンサーで、体がピンク色だった。また、2022年Justspeedexitイタリアの通信企業)がスポンサーだった。

2018年9月サンマリノGPで、所属するロマーノ・フェナティが不適切行為をした(動画exit)。ロマーノは出場停止処分になったが、このチーム2019年に向けてロマーノ継続雇用することにした。このためチームはいくつかのスポンサーを失った(記事exit)。良くも悪くも、人情を重視するチームである。

2020年まで所属していたトニーアルボリーノは、レース後にタイヤを運んだり、ホイールを磨いたりする手伝いをしていた。そういうところからも、このチームの社を感じることができる。
 
使用マシンホンダ
名前 出身地 身長・体重 誕生日
18 マッテオ・ベルテーレexit イタリア モンセーリチェexit 173cm60kg 2004年2月18日
22 ダヴィド・アルマンサexit プエルトリャノexit 2006年1月22日
ホンダ・チームアジアexit
アジアライダーを受け入れるために作られたチーム2024年現在アジアタレントカップexitというアジアライダー育成選手権があり、スポンサー出光マシンホンダワンメイクである。アジアタレントカップを協賛する企業がそのままチームを作ってMotoGPに参戦している。チーム監督2009年250ccクラス世界チャンピオンを獲得した青山博一exit

Moto2クラスチーム名は「イデミツホンダチームアジア」で、Moto3クラスチーム名は「ホンダチームアジア」。Moto3クラスでは出光名前が外れている。

Moto2クラスマシン色で、Moto3クラスマシン銀色である(画像exit)。

2023年までスポンサーの1つにイタリア食品物流企業イタルトランスの名があった。

使用マシンホンダ
名前 出身地 身長・体重 誕生日
72 古里太陽exit 日本 鹿児島県鹿屋市exit 161cm56kg 2005年7月12日
5 タチャコーン・ブアスリexit サムットプラーカーンexit 2000年3月26日
CIP Green Powerexit
フランスアレスexitに拠点を持つ。オーナーフランス人で元・MotoGPライダーアラン・ブロネックexit。かつて富沢祥也が所属していたチームで、ライダーのレーシングスーツには彼の48番が付けられている。2017年日本GPにおいて、このチーム所属のマルコ・ベッツェッキexitが3位になったが、祥也の御両がパルクフェルメに祝福しに来ていた。

CIPCentre Internacional de Pilotajeの略で、「ライダーを育てる際的本部」といった意味になるだろう。2002年アラン・ブロネックが設立した会社で、アレス近郊のこのサーキットexitに拠点がある(記事exit)。

メインスポンサーイタリアこの場所exitにあるグリーンパワーexitという会社で、発電機やら溶接機械やらを作っている。ノア・デットウィラーマシンにはオーストリアで創業してマルタに本社を構えるオンラインギャンブル管理企業であるinterwettenexit名前がついている。
 
使用マシンKTM
名前 出身地 身長・体重 誕生日
54 リカルド・ロッシexit イタリア ジェノヴァexit 173cm60kg 2002年3月21日
55 ノア・デットウィラーexit バーゼルexit 175cm61kg 2005年4月26日
Mlav・レーシングチームexit
イギリスチームであり、元オートバイレーサーマイケル・ラヴァティexit運営し、テイラー・マッケンジーexit監督を務めている[7]チーム名のMlavマイケルラヴティMichael Laverty)の名前から採用されている。

マイケルラヴティは若手育成に熱心であり、マイケル・ラヴァティ・アカデミーexitを設立している。

このチーム2015年から2021年までラズラン・ラザリが管理してMoto3クラスに参戦していたセパンレーシングチームのMoto3クラス部門の人員を一部引き継いでいる(記事exit)。イギリスチームであるが、本拠地としてスペインバルセロナを選んだ(記事exit)。

2022年2023年スポンサーヴィジョントラックexitで、英国車載動画収集・分析の企業である。2024年スポンサーから外れてしまった。

所属ライダーは2人ともブリティッシュタレントカップの出身者である。ブリティッシュタレントカップ英国で行われる若手育成選手権で、ホンダマシンを使って行われる(記事exit)。
 
使用マシンホンダ
名前 出身地 身長・体重 誕生日
19 スコット・オグデンexit イギリス ドンカスターexit 175cm60kg 2003年10月16日
70 ジョシュア・ワトレーexit イギリス チャーツィーexit 171cm62kg 2005年9月2日

年齢制限の規則

Moto3クラスでは、ライダー最低年齢と最高年齢を定めている。

最低年齢その1 満18歳以上

ライダーが満18歳誕生日を迎えると、その日からMoto3クラスレースに出走できる。

ある年に5月1日)から5月3日(日)の3日間においてレースが開催されるとする。ちなみにMoto3クラスは、金曜日にFPとP1が行われ、土曜日P2と予選が行われ、日曜日に決勝が行われる。

5月1日)に満18歳誕生日を迎えるライダーは、その日のFPから参加することができ、予選や決勝に出場できる。

5月2日(土)に満18歳誕生日を迎えるライダーは、その日のP2から参加することができ、予選や決勝に出場できる。

5月3日(日)に満18歳誕生日を迎えるライダーは、土曜日の予選に参加していないので決勝に出場することができない。

最低年齢その2 若手向け選手権チャンピオンを獲得した満17歳以上

MotoGP運営するドルナは、若手向け選手権を開催して若手ライダーを育成している。

その若手向け選手権のうち、レッドブルルーキーズカップexitや、FIMジュニアGPのMoto3クラスexitスペインなどで行われる若手向け選手権 旧称はCEV)でチャンピオンを獲得したライダーで満17歳誕生日を迎えた者は、Moto3クラスレースに参戦できる。

このルールは、2015年ファビオ・クアルタラロをMoto3クラスに開幕戦から参加させるために導入された。このため「ファビオ・ルール」と呼ばれることがある。

最高年齢その1 新規契約ライダーやワイルドカードライダーは「その年の1月1日に満25歳以下」

Moto3クラスに限らずMotoGPすべてに言えることだが、レースに参加するライダーは3種類に分けられる[8]

チームが持つ出場を利用してシーズン当初からレースに出場するライダー契約ライダーという。

契約ライダーが負傷するなどして欠場するときに契約ライダーの代役となり、チームが持つ出場を利用してレースに出場するライダー代役ライダーという。

チームが持つ出場からではなく特別レースに出場することをワイルドカードライダーという。これについて詳しくはワイルドカード(MotoGP)の記事を参照のこと。

Moto3クラスにおいて、新規の契約ライダーや、ワイルドカードライダーに対しては、最高年齢の制度がある。

ある年の1月1日において満25歳であり1月2日12月31日の中のどれかの日が満26歳の誕生日であるライダーは、その年のMoto3クラスに新規の契約ライダーとして参戦したり、その年のMoto3クラスのどこかのレースワイルドカードライダーとして参戦したりすることができる。もちろん、代役ライダーになることもできる。

12月31日において満25歳であり、ある年の1月1日が満26歳の誕生日であるライダーは、その年のMoto3クラスに新規の契約ライダーとして参戦できず、その年のMoto3クラスのどこかのレースワイルドカードライダーとして参戦することができない。しかし、代役ライダーになることは可である。

意外なことに、代役ライダーに関しては年齢制限が緩い。

2020年1月1日に満27歳であり、それまで一度もMoto3クラス契約ライダーになったことがない者がいるとする。その者は、2020年契約ライダーとしてMoto3クラスに参戦できない。しかし、ごく簡単な抜けによってMoto3クラスに1年を通して参戦することができる。どこかのチームオーナー依頼して、そのチーム契約ライダーオーナーの権限によって開幕戦の初日に解雇してもらい、開幕戦の初日から代役ライダーになればいい。

最高年齢その2 2回目以降契約ライダーと代役ライダーは「その年の1月1日に満28歳以下」

契約ライダーになったシーズン過去に1つ以上あるライダーが、Moto3クラス契約ライダーとして参戦する場合にも、最高年齢の制度がある。

契約ライダーになったシーズン過去に1つ以上あるライダーの中で、ある年の1月1日において満28歳であり1月2日12月31日の中のどれかの日が満29歳の誕生日である者は、その年のMoto3クラス契約ライダーとして参戦できる。

契約ライダーになったシーズン過去に1つ以上あるライダーの中で、12月31日において満28歳であり、ある年の1月1日が満29歳の誕生日である者は、その年のMoto3クラス契約ライダーとして参戦できない。

同じように、代役ライダーにも最高年齢の制度がある。

ある年の1月1日において満28歳であり1月2日12月31日の中のどれかの日が満29歳の誕生日である者は、その年のMoto3クラスに代役ライダーとして参戦できる。

12月31日において満28歳であり、ある年の1月1日が満29歳の誕生日である者は、その年のMoto3クラスに代役ライダーとして参戦することができない。

少々ややこしいので、表にすると次のようになる。

新規契約ライダー ある年の1月1日に満25歳以下なら、その年に新規契約ライダーになれる
2回以降契約ライダー ある年の1月1日に満28歳以下なら、その年に2回以降契約ライダーになれる
ワイルドカードライダー ある年の1月1日に満25歳以下なら、その年にワイルドカードライダーになれる
代役ライダー ある年の1月1日に満28歳以下なら、その年に代役ライダーになれる

「Moto3クラスには28歳になると出場できない」とか「Moto3クラスには28歳までなら出場できる」と思われがちだが、ルール上では満29歳の選手もMoto3クラスレースに参戦できる。エフレン・ヴァスケスexit1986年9月2日生まれで2015年1月1日の時点で28歳121日だったので、2015年契約ライダーとして参戦できた。29歳46日で2015年10月18日オーストラリアGP決勝を走り、2位になっている。

シーズンとそのシーズンラストチャンスとなるライダー較した表は、次のようになる。

その年がラストチャンスとなるライダー ライダーの例
2023年 1994年1月2日1995年1月1日誕生日ライダー ジョン・マクフィーexit
2024年 1995年1月2日1996年1月1日誕生日ライダー
2025年 1996年1月2日1997年1月1日誕生日ライダー ロマーノ・フェナティexitニッコロ・アントネッリexitアンドレア・ミーニョexitガブリエル・ロドリゴexit
2026年 1997年1月2日1998年1月1日誕生日ライダー  鈴木竜生exit

Moto2クラスの年齢制限

Moto3の記事から少し逸脱するが、Moto2クラス年齢制限も簡単に紹介しておく。

Moto2クラス最低年齢は満18歳で、満18歳誕生日に出走可となる。

Moto2クラスは、「ある年の1月1日から12月31日までのどれかの日に満50歳の誕生日を迎える人はその年に契約ライダーワイルドカードライダー・代役ライダーになることができ、ある年の1月1日から12月31日までのどれかの日に満51歳の誕生日を迎える人はその年に契約ライダーワイルドカードライダー・代役ライダーになることができない」という最高年齢の規則を採用している。

ある年の1月1日に満50歳となるライダーは、その年に契約ライダーワイルドカードライダー・代役ライダーとして参戦できる。その年の5月4日レースがある場合、満50歳としてレースに参戦できる。

ある年の12月31日に満50歳となるライダーは、その年に契約ライダーワイルドカードライダー・代役ライダーとして参戦できる。その年の5月4日レースがある場合、満49歳としてレースに参戦できる。

ある年の1月1日に満51歳となるライダーは、その年に契約ライダーワイルドカードライダー・代役ライダーとして参戦できない。

ある年の12月31日に満51歳となるライダーは、その年に契約ライダーワイルドカードライダー・代役ライダーとして参戦できない。その年の5月4日レースがある場合、満50歳だというのにレースに参戦できない。

MotoGPクラスの年齢制限

Moto3の記事から少し逸脱するが、MotoGPクラス年齢制限も簡単に紹介しておく。

MotoGPクラス最低年齢は満18歳で、満18歳誕生日に出走可となる。

MotoGPクラスは、「ある年の1月1日から12月31日までのどれかの日に満50歳の誕生日を迎える人はその年に契約ライダーになることができ、ある年の1月1日から12月31日までのどれかの日に満51歳の誕生日を迎える人はその年に契約ライダーになれない」という規則で最高年齢を定めている。

つまり、驚くべきことにMotoGPクラスにおいては、ワイルドカードライダーや代役ライダーに関して最高年齢の制限がない。満52歳であってもワイルドカードライダーや代役ライダーとして参戦をすることが可である。

資料

これまでの『年齢制限の規則』の項は、2022FIM世界選手権グランプリ(motogp)規則日本語訳exitの12ページ同規則英語版exitの18ページを参考に記述した。

ルーキー

定義

「Moto3クラスルーキー」「Moto2クラスルーキー」「MotoGPクラスルーキー」という表現がある。

「Moto3クラスルーキー」を正確に定義すると、「1年の中で6戦以上のMoto3レースに出走した経験が一度もないライダーが、ある年において6戦以上のMoto3レースに出走したら、その年におけるMoto3ルーキーになる」というものである。

シーズン終盤のレギュラー参戦6回でルーキーになる

2019年以前にMoto3クラスをまったく走ったことがなく、2020年の終盤にMoto3クラスチームに所属してその出場から参戦することを6回繰り返したライダーは、2020年のMoto3クラスにおけるルーキーになる。

そのライダーは、2021年の開幕戦からMoto3クラスレギュラー参戦しつつ活躍しても、2021年ルーキーオブザイヤー[9]称号をもらえない。

資料

これまでの『ルーキー』の項は、2022FIM世界選手権グランプリ(motogp)規則日本語訳exitの12ページ同規則英語版exitの18ページを参考に記述した。

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *KTMステファン・ピエラCEOによると、4ストロークの軽排気量マシン2ストロークの軽排気量マシンの4倍のコストが掛かるという(記事exit
  2. *2020年ヨーロッパGPでゼッケン75のマシンアルベルトアレナス黄色いホイールのアロンソロペスに追突された(動画exit)。そのとき排気管が損傷したようで、排気管から煙が上がるようになった(動画exit)。結局、アルベルトアレナスピットインした(動画exit
  3. *ミオドラグ・コトゥルユーゴスラビア生まれで、7歳の時両とともにフランスパリに移り住んだ(記事exit)。プジョーに所属してジャン・トッドexitという名物監督の下で働き、ダカールラリール・マン24時間耐久レース優勝を経験した。1993年からジャン・トッドとともにF1スクーデリアフェラーリに所属し、1996年からミハエル・シューマッハと働いて、黄金時代を築いた。2009年の終わりまでフェラーリに所属し、2010年から2014年までロータスケータハム)というF1チームに所属した。2014年大富豪のフラヴィオ・ベッカに誘われ、オートバイの知識が全くない状態だったが承諾し、2015年からレオパードレーシング監督になっている(記事exit
  4. *マッシモ・ヴェルジーニは財務を得意分野とする人と報道されている(記事exit
  5. *ここまでの記述の資料はMTA公式サイトexitである。
  6. *スペインの若手ライダーアンドレアスペレスは、ゼッケン77番を付けて2018年6月10日CEVMoto3クラスレースに参戦し、事故を起こした(記事1exit記事2exit)。同ライダー名前を冠したFundacion Andreas Perez 77という基が設立され、その基TEAM MT- FOUNDATION77というチームを設立した。
  7. *テイラーマッケンジーニール・マッケンジーexit息子である。ニールマッケンジー1980年代終盤~1990年代初頭のMotoGP最大排気量クラスで何度も表台に入った実者であり、面がった日本ファンに「新沼謙治」と呼ばれる人である。
  8. *2022FIM世界選手権グランプリ(motogp)規則英語版exitの18ページに「as a contracted, Wild Card, or substitute/replacement rider」という表現がある。この表現から、ライダーには、契約ライダーcontracted rider)、②ワイルドカードライダーWild Card rider)、③代役ライダーsubstitute/replacement riderの3種類があることがわかる。
  9. *ルーキーオブザイヤーはRookie of the yearカタカナ表現したものである。英語圏には「ルーキーオブイヤー」と音読する人と「ルーキーオブイヤー」と音読する人がおり、どちらで表記しても正解である。ちなみにG+のアナウンサーは「ルーキーオブイヤー」の音読をしている。

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