オジー・オズボーン(OZZY OSBOURNE 本名ジョン・マイケル・オズボーン)とは、ヘヴィメタル界のゴッドファーザーである。
概要
1948年12月3日生まれ。
1970年2月13日の金曜日にBLACK SABBATHのボーカリストとしてデビュー。
1979年にBLACK SABBATHを解雇され、翌年『BLIZZARD OF OZZ』でソロデビュー。
ランディ・ローズ、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルドと言った無名のギタリストを発掘し、彼らをギターヒーローへと導く。
若かりし頃は生きた鳩をや蝙蝠を食べると言う奇怪なパフォーマンスを繰り広げ、不気味な演出を魅せるだけでなくユーモラスな言動でヘヴィメタル界のカリスマとして君臨している。
ライブのオープニングにカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ(おお、運命の女神よ(合唱))」を使用することが多い。
※例外として「NO MORE TEARS」ツアーではBLACK SABBATHからソロ活動までの楽曲を繋げた物を流している。
1997年にBLACK SABBATHがオリジナルメンバーで再結成、1999年に一度解散するも、その後も再結成と活動休止を繰り返しているが、2013年にはアイオミ、ギーザーと33年ぶりのアルバム「13」をリリースし現在も活動中。
歴史
※「BLACK SABBATH」の項目も参照
1948年12月3日、イギリスのバーミンガムで生まれる。
1970年代にBLACK SABBATHのシンガーとして活躍するも75年ごろから関係が悪化し、79年に解雇される。
BLACK SABBATH時代に一度結婚して子供が生まれているがその後離婚。
脱退後、ソロ活動を開始し元クワイエット・ライオットのランディ・ローズ(G)、元RAINBOWのボブ・デイズリー(B)、元ユーライア・ヒープのリー・カースレイク(Ds)を獲得。
アルバム『BLIZZARD OF OZZ』(邦題:ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説~)でデビュー。
どこかドロドロしつつもキャッチーな「Crazy Train」やクラシカルかつ哀愁漂う「Mr. Crowley」、BLACK SABBATHのメンバーに別れを告げた「Goodbye to Romance」等が収録されており、この作品で無名だったランディ・ローズを
一躍ギターヒーローへの座へと押し上げた。
1981年には2ndアルバム『DIARY OF A MADMAN』をリリース。
この作品のレコーディング直後にリズム隊をルディ・サーゾ(B)、トミー・アルドリッジ(Ds)に交代させた為に後述の
印税問題が発生する原因となった。
この作品でもランディの才能を開花させたアルバムとなっているが、1982年3月19日、ランディは飛行機事故により帰らぬ人となった。
ランディを亡くしたオジーは悲しみのあまり、伊藤政則が「インタビューにならなかった」と振り返るほど精神状態が安定しておらず、BLACK SABBATHを解雇になった原因の一つでもあるドラッグと酒に手を出すようになる。
2週間後には元GILLANのバーニー・トーメを迎えてなんとかツアーを再開し、4月にギタリストにブラッド・ギルスを迎えて5月には初来日公演を行った。11月には全編サバスの曲で固めた異色のライブアルバム「Speak Of Devil」をリリースしている。この公演を以てランディの盟友のルディー・サーゾは再結成クワイエット・ライオットの為に脱退している。
同年、マネージャーでもあったシャロン・アーデンと再婚。後にエイミー、ケリー、ジャックの3人を授かる。
1983年、ブラッドが自身のバンドであるNIGHT RANGERに戻り、オジーはブラッドの後任に元ラフ・カットのジェイク・E・リーを獲得。同年『BARK AT THE MOON』(邦題:月に吠える)をリリース。
1986年にはジェイク加入第2弾『THE ULTIMATE SIN』(邦題:罪と罰)をリリースする。
後年オジーはこのアルバム製作に関してプロデューサーと噛み合わなかったと語っており、「罪と罰」に収録された楽曲はライブでも「Shot in the Dark」 (邦題:暗闇にドッキリ!)くらいしか演奏されず、ベストアルバムにも収録されない、2002年発売のデジタルリマスター盤でも省かれると言う扱いを受けている。
(2012年のコンサートでは初日のみThe Ultimate Sinが、レギュラーでKILLER OF THE GIANTSが
演奏されるなど最近はやや改善傾向にある)
1987年にジェイクが脱退。1年以上のオーディションを経て無名のギタリストであるザック・ワイルドを獲得。
今でこそプロレスラーのような屈強なルックスのザックだが、オジーバンド加入当時のザックはランディを彷彿させる細身の美少年であり、バンド加入第一弾のライブ会場が刑務所だったとの事で流石に怖かったと述懐している。
また同時にブラック・サバスのオリジナルメンバーであったギーザー・バトラーも加入した為、今までのLAメタル路線から急激にヘヴィメタル路線へと音楽性を変えたお陰でLAメタルの衰退から逃れると共にスラッシュ、グランジと
いった新世代の登場により「ヘヴィ・メタルの始祖」としてキャリアを延命させる事に成功する。
1988年にはザック加入第1弾アルバム『No Rest for the Wicked』をリリース。
1989年にはモスクワで行われた「モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル」に出演。
丁度この頃から『BLIZZARD OF OZZ』収録の「Suicide Solution」を聴いて自殺した少年の親から訴えられたり、ティッパー・ゴア率いる「父母音楽情報源センター(Parents Music Resource Center、略称PMRC)」 からの不当な弾圧を受けるようになり、精神的にも苦しめられる事になる。
そのような事もあり、精神的に疲労が溜まったオジーは1991年に発売されたアルバム『NO MORE TEARS』を発売、ツアー終了後にライブ活動の引退を宣言。1993年にはオジーの引退を機に一時的にオリジナルメンバーによるBLACK SABBATHが再結成された。
1995年にアルバム『OZZMOSIS』を発表、ライブ活動引退も撤回、復活宣言をした。
レコーディングに参加したザックはツアーに参加せず、代わりに元リジー・ボーデンのギタリストでランディ・ローズの教え子だったジョー・ホームズが加入。ベースには後にMETALLICAに加入するロバート・トゥルージロ、ドラムには現JOURNEYのディーン・カストロノヴォか参加したが、1998年の来日公演では1991年当時のメンバーであるザック・ワイルド、マイク・アイネズ(B)、ランディ・カスティロ(Ds)が参加。
その後はコンスタントに活動しており2001年には『DOWN TO EARTH』、2005年にはカヴァーアルバム『UNDER COVER』、2007年には『BLACK RAIN』をリリース。
長らくギタリストにはザックが起用されていたが、2009年頃からザックが病魔に冒された為離脱。後任にギリシャ人ギタリストで日本でも知名度のあったFIREWINDのガス・Gが選ばれ、2010年にアルバム『SCREAM』が発売された。
オズボーンズ
2002年にMTVで放送されたオズボーン一家のドキュメンタリー番組。
オジーを始め、妻でマネージャーのシャロン、次女のケリー、長男のジャックが出演。長女のエイミーは何故か出演していない。
とにかく放送禁止用語が頻繁に飛び交い何を言ってるのかさっぱりわからない(特に「Fuck」が多く一部の国では「ピー」と言う規制音が入る)、ヘヴィメタル界の帝王として君臨しているオジーがシャロンの尻に敷かれると言う情けない姿を曝け出した事で世界中で大ヒットした。
主題歌にはパット・ブーンによる「Crazy Train」のカヴァーが使われている。
エピソード
- 「CBS」主催のレセプションで生きた鳩を食い殺したり、ライブ会場でファンに投げ込まれた本物の生きた蝙蝠を食い殺したパフォーマンスを繰り広げたオジーであるが、蝙蝠を食べた時は大至急病院に搬送され毎日注射を打ちながらツアーを行っていたと言う(オジー曰く毎日ケツにまで射されたと述懐している)。
- 1982年、テキサス州・サンアントニオにあるアラモ砦での写真撮影で泥酔状態のまま現れ、そのまま遺跡に立小便をしてしまったが為にメキシコ側から出入り禁止を命じられる。
後年オジーはこの件に関してかなり後悔しており、「地元のファンに申し訳ない事をした」と述懐しており、90年代には解禁された事も報告、現在は無事にコンサートが開かれている。 - リッチー・ブラックモア程ではないが、オジーもかなりの悪戯好きらしく、過去にはツアーメンバーの住所や電話番号で大量のピザを注文する悪戯まで行っていた。
- ジェイク脱退後のオーディションにはザックだけでなく、元X-RAYの湯浅晋もオーディションを受けていた。
余談だが当時のオジーは当時のインタビューで「今度のギタリストは中国人かも知れないぜ!」 と答えていた事がある。勿論、湯浅は日本人である。 - 好きな日本食は「日本のカレー」だそうで、本場のインドのカレーは苦手であるとの事。
- 2002年発売されたデジタルリマスター盤では「BLIZZARD OF OZZ」「DIARY OF A MADMAN」の2枚のアルバムのリズム隊をオリジナル2人から当時のリズム隊のロバート・トゥルージロとマイク・ボーディンのテイクに差し替える、「THE ULTIMATE SIN」をわざと外す、「Tribute」以外のライブアルバムがリリースされないなど印税裁判に対する
対策やオジーの個人的感情を優先した為、ファンの間からは非常に不評であった。
因みにリズム隊差し替え問題については2011年にオリジナル・テイクを用いたデジタルリマスター盤をリリースして
問題は一応解決している。 - ゲイリー・ムーアとは友人関係(自宅が近所だったらしい)であり過去には1983年リリースの『VICTIMS OF THE FUTURE』収録の「Law of the Jungle」で参加する予定だったが、大人の事情で中止になっている。1989年のアルバム『AFTER THE WAR』収録の「Led Clones」で参加している。「Led Clones」は当時LED ZEPPELINの猿真似だと世界中で叩かれたKINGDOM COMを叩きまくった楽曲であり、イギリスのヘヴィメタル雑誌『KERRANG!』の編集部員がKINGDOM COMとゲイリーの 間に入って両者の関係を悪化させたりと今で言う対立厨のような役割をしてしまったが為に世界中のロックファンの間で大きな論争となった。
- ライブでの音の外れ方や歌詞の覚え間違え、忘れは日常茶飯事でライブアルバムではものの見事に
修正されている事が最近相次いで発見されたライブアルバム用の元テイクのブートで判明している。 - ランディ・ローズの死後、命日には必ず花を贈っている。
バンドメンバー
アルバム主要メンバー
アルバム名 | ギター | ベース | ドラム | キーボード |
BLIZZARD OF OZZ (1980) |
ランディ・ローズ | ボブ・デイズリー | リー・カースレイク | ドン・エイリー |
DIARY OF A MADMAN (1981) |
- | - | - | ジョニー・クック |
BARK AT THE MOON (1983) |
ジェイク・E・リー | - | トミー・アルドリッヂ | ドン・エイリー |
THE ULTIMATE SIN (1986) |
- | フィル・スーザン | ランディ・カスティロ | マイク・モーラン |
NO REST FOR THE WICKED (1988) |
ザック・ワイルド | ボブ・デイズリー | - | ジョン・シンクレア |
NO MORE TEARS (1991) |
- | マイク・アイネズ | - | - |
OZZMOSIS (1995) |
- | ギーザー・バトラー | ディーン・カストロノヴォ | リック・ウェイクマン |
DOWN TO EARTH (2001) |
- | ロバート・トゥルージロ | マイク・ボーディン | ティム・パーマー他 |
BLACK RAIN (2007) |
- | ブラスコ | - | ザック・ワイルド |
SCREAM (2010) |
ガス・G | - | トミー・クルフェトス | アダム・ウェイクマン |
ライブアルバム参加メンバー
アルバム名 | ギター | ベース | ドラム | キーボード |
SPEAK OF THE DEVIL (1982) |
ブラッド・ギルス | ルディ・サーゾ | トミー・アルドリッヂ | - |
TRIBUTE リリース(1987) 録音(1980~1981頃) |
ランディ・ローズ | - | - | ドン・エイリー |
JUST SAY OZZY (1990) |
ザック・ワイルド | ギーザー・バトラー | ランディ・カスティロ | ジョン・シンクレア |
LIVE&LOUD リリース(1993) 録音(1991~1992) |
ザック・ワイルド トニー・アイオミ |
マイク・アイネズ ギーザー・バトラー |
ランディ・カスティロ ビル・ワード |
ケヴィン・ジョーンズ |
LIVE AT BUDOKAN (2002) |
ザック・ワイルド | ロバート・トゥルージロ | マイク・ボーディン | ジョン・シンクレア |
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
- 2
- 0pt