Special Air Service(特殊空挺部隊)とは、イギリス陸軍の特殊部隊である。略称はSAS。
単に第22SAS連隊(the Regiment)をさすことも多い。
また、英連邦諸国(オーストラリアなど)にも「SAS」の名を冠する特殊部隊が存在する。
概要
世界最高水準の特殊部隊の一つであり、現代特殊部隊の源流の一つとも言える。
「Air」の語を名にもつが、れっきとした陸軍の部隊であって航空部隊でも空軍の部隊でもない。
「Who dares wins」(危険をおかす者こそが勝利する)がモットー。
ただ、本当のモットーは「チェックとテスト、チェックとテスト」らしい(元隊員A.マクナブの証言による)。
司令部はヘレフォードにある。郊外のヘレフォード空軍基地を訓練・養成所として運用していたが、1999年の閉鎖後はクレデンヒルに移転している。
またヘレフォード教会の時計塔には殉職した隊員の名とともに、ジェームズ・エルロイ・フレッカーの詩『サマルカンドへの黄金の旅』の一節が刻まれている。
われら巡礼者は
あの雪に縁取られた 地の果ての青き山を越え
荒れ狂う海、輝く海をも越えて
かなた遠くへ至らんWe are the Pilgrims, master; we shall go
Always a little further; it may be
Beyond that last blue mountain barred with snow
Across that angry or that glimmering sea
元隊員による書籍や映像など露出も多く、特殊部隊の中ではメディアの知名度が高い。
フィクションでは特殊部隊の代表格として登場することもしばしばであり、テレビドラマ「S.A.S. 英国特殊部隊」ではSASそのものが題材になった。また、ゲームに登場することも多い。
歴史
1941年7月、第二次世界大戦さなかの北アフリカにおいてデイビッド・スターリング少佐により「特殊空挺旅団L分遣隊("L" Detachment, Special Air Service Brigade)」という名称で創設された。
「旅団」という、いかにも大多数の人数で構成されているような表現だが、これは敵を攪乱させる目的ゆえの名称で、実際には少人数によって構成されていた。1940年6月以後、イギリス軍は特殊任務遂行の為にコマンド部隊(ブリティッシュ・コマンドス)を多数編成しており、この部隊もその系列に属している。
対ドイツ軍の補給線・飛行場などの破壊任務などで活躍。戦争終結に伴って一度解体されるが、植民地独立戦争の激化に伴って再編成された。
以降、第二次世界大戦後の英国の主要な戦争に投入され、戦果を挙げている。
1969年以降、北アイルランド紛争に投入され、ゲリラ戦・対テロ戦の戦闘経験を元とした戦術が開発される契機となった。
また1972年に発生した「ミュンヘンオリンピック事件(黒い九月事件)」によって、世界中で対テロ作戦部隊の重要性が認識されるようになる。これに伴いSASは友好国との訓練協力や人材派遣の傍ら、優秀な人材のスカウトや各国の特殊部隊との共同訓練を展開した。
1977年に発生した「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」ではドイツの特殊部隊、GSG-9の突入作戦をサポート。作戦立案および技術協力を行い、結果として人質に犠牲を出すことなく犯人グループの鎮圧を完遂した。
1980年、ロンドン・プリンセスゲートのイラン大使館をテロリストが占拠、人質を取って立てこもる「駐英イラン大使館占拠事件」が発生。この時SASは既知の情報を元に大使館の原寸モデルを作り、有効な作戦の検討を開始した。
事件発生から6日目、要求が通らない事に業を煮やした犯人グループが人質を射殺。スコットランドヤードから要請を受けたSASは「ニムロッド作戦」を決行。僅か11分で大使館を制圧して人質26名を保護する事に成功する。犯人5名は現場で射殺され、逃亡した1名も後日逮捕された。この「ニムロッド作戦」は特殊部隊による人質救出作戦のモデルとして知られる事となる。
この時の黒ずくめの装備にガスマスク、MP5を装備したSASの姿は印象的であり、現在でもSASといえばこのイメージを思い浮かべる人も多い。
SASが登場する作品
関連動画
タグ検索のときは「SAS 特殊部隊 」とするとよい。 →「SAS 特殊部隊」でタグ検索
関連商品
関連リンク
関連項目
- 2
- 0pt