U-96とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が建造したUボートの1隻である。1940年9月14日竣工。通商破壊で27隻(18万1206トン)の連合軍船舶を撃沈する大戦果を挙げる。一線を退いた後は練習艦として後続を育てていたが、終戦前の1945年3月30日に空襲で撃沈された。名作『Uボート』の主役を務めた艦でもある。
概要
ドイツ海軍が建造したVIIC型Uボートの1隻で、トレードマークは笑うノコギリエイ。『Uボート』の原作者ロータル・ギュンター・ブーフハイムが実際に乗艦した艦であり、『Uボート』の主役がU-96になった要因となっている。
VIIC型はVIIB型の改良型で、ブロック工法、部品共通化、品質徹底管理により大量生産を実現。計626隻が量産された。船体を大型化して航続距離を増大しているが、機関はVIIB型と同一のため馬力は低下。全長66.5m、全幅6.2m、排水量769トン、速力17ノット(水上)/7.6ノット(水中)、燃料搭載量113.5トン、急速潜航時間30秒、乗員44名。武装は53.3cm魚雷発射管5門(艦首4門、艦尾1門)、45口径8.8cm単装砲1門、2cm単装機関砲1門。
艦歴
1938年5月30日、キールのゲルマニアヴェルフト造船所に発注され、601番船の仮称が与えられる。1939年9月16日に起工し、1940年8月1日に進水、そして同年9月14日に竣工。艦長としてハインリッヒ・レーマン・ヴィレンブロック大尉が着任した。竣工後、第7潜水隊群に編入され、11月30日までバルト海方面で慣熟訓練。
1回目 初陣で5隻を撃沈する
1940年12月4日、キールを出港して最初の戦闘航海に向かう。大ベルト海峡とカデガット海峡を北上し、ノルウェー南部から北海を横断。イギリス軍の哨戒網を突破してフェロー諸島を迂回し、狩り場の北大西洋へと進出した。12月11日、12隻からなるHX-92船団を発見して追跡を開始。この船団は数日前の嵐でバラバラになっており、護衛艦艇がいない格好の獲物だった。15時12分、アウターヘブリディーズ諸島セントキルダ島北西110海里で雷撃。船員が雷跡を報告すると同時に、英蒸気客船ロトルア(1万890トン)の右舷に命中。爆発により機関室の隔壁が粉砕され、大量の海水が流入。あっと言う間に1万トン級の船体は右へ15度傾いた。無線室も破壊されたため、被雷から10分で乗組員は船を放棄。ロトルアは船尾より沈んでいき、冷蔵肉、バター、羊毛といった積み荷1万803トンごと海底に沈んだ。U-96は記念すべき初戦果として大物を仕留めたのだった。海上には救命艇が浮かんでおり、尋問を行うべく15時40分に浮上するも、救援に駆けつけたカーディタから銃撃されて潜航した。U-96の狩りは続き、20時52分にオランダ蒸気商船トワ(5419トン)を雷撃。右舷中央部に魚雷が命中し、洋上に停止させた。しかし沈む気配が無かったので、22時2分に浮上。甲板砲16発を叩き込んで撃沈した。乗組員は3隻の救命艇に乗って脱出し、そのうちの1隻をU-96が拿捕して尋問を行った。翌12日午前1時56分、イギリス諸島北西にて雷撃。スウェーデンの自動車運送船ストゥーレホルム(4575トン)の船尾に命中させ、11分後に沈没。4隻の救命艇が下ろされたが、脱出に失敗したのか乗組員32名全員が死亡した。午前4時31分、セントギルダ島北西5海里でベルギーの蒸気商船マケドニア(5227トン)を撃沈。HX-92船団はU-96によって4隻を失った。
12月14日午前7時20分、ハリファックスからリヴァプールに向かっていた英旅客船ウェスタンプリンス(1万926トン)を発見して雷撃。2本とも魚雷が外れたが、粘り強く追跡を続け、午前8時55分に二度目の雷撃を敢行。今度は命中し、ウェスタンプリンスの速力が徐々に落ちてきた。ヴィレンブロック艦長は敵船の足が完全に止まるまで冷静に待ち、海中で魚雷を再装填。乗組員が脱出したのを見届け、午前10時21分に三度目の雷撃を実施。前部に命中したのち、1分以内に沈没。卑金属3384トンと食糧品1864トン等は海の藻屑となった。21時2分、ロッコール北西で英商船エンパイア・ラゾビルを襲撃するも、悪天候に阻まれて有効な攻撃位置につけず。やむなく浮上して甲板砲で停船させようとしたが、エンパイア・ラゾビルが武装しているのを見て攻撃を断念。敵船はスノースコールに紛れて逃げていった。
12月18日16時15分、OB-259船団から分離していた蘭貨物船ペンドレヒトの右舷前方に魚雷を命中させる。それから約1時間の追跡を行ったが、この時U-96に残された魚雷は1本しかなく、装填作業中に逃げられている。ちなみにペンドレヒトは修理のためアメリカに向かったが、道中でU-48に撃沈された。
12月29日、ドイツ占領下のロリアン軍港に入港。初陣で5隻を撃沈する大戦果を挙げた。
2回目 9隻撃沈の大戦果
1941年1月9日にロリアンを出撃し、二度目の戦闘航海に向かう。1月16日午前3時56分、ロッコール南東にて英蒸気客船オロペサ(1万4118トン)を雷撃。船尾に魚雷を命中させたが、1万トン級だけあって簡単には沈まなかった。午前5時3分と午前5時59分に魚雷を撃ち込み、午前6時16分にようやく撃沈。翌17日午前5時8分、水平線に煙を発見して追跡。敵の正体は英蒸気客船アルメダスター(1万4936トン)で、トリニダードからブエノスアイレスに向かっている途中だった。午前7時10分にロッコール北東35海里で雷撃を行うが回避されてしまい、逆に銃撃を受けて潜航を強いられる。35分後、1本の魚雷を命中させて航行不能に追いやる。その後、船尾と船体中央部に魚雷を撃ち込んだが、未だ沈没の気配を見せない。浮上して15発の焼夷弾を叩き込むも、小規模な火災しか発生しなかった挙句、間もなく鎮火された。午前9時55分、トドメの魚雷を放って撃沈。仕留める事には成功したが、魚雷をたくさん使ってしまった。
ちなみに乗員360名全員が行方不明になっている。
2月13日15時8分、アイスランドの南190海里でHX-106船団の英貨物船クレア(7987トン)を雷撃して左舷側に命中。クレアはすぐに炎上し、船体が真っ二つに折れる。更にU-96から甲板砲83発を喰らい、16時59分に後部が、17時31分に前部が沈没した。U-96は4隻の救命艇が脱出する様子を目撃したが、生存者はいなかった。同日19時50分、炎上漂流中の英貨物船アーサー・F・コーウィン(1万516トン)を発見。およそ3時間半前、U-103の雷撃で損傷して放置されていたものだった。2本の魚雷を放って永遠の眠りにつかせた。2月18日午前2時27分、アイスランド南方130海里で単独航行中の英蒸気商船ブラックオスプレイ(5589トン)を雷撃。たちまち炎に包まれた。ブラックオスプレイはHX-107船団からはぐれた船であり、周囲に他の商船はいなかった。乗組員の消火活動により炎は消し止められたが、午前3時25分にU-96から二度目の雷撃が行われ、左舷に直撃。遭難信号を発した後、乗組員は船を放棄して脱出した。12分後、ブラックオスプレイは沈没。既に遭難信号を打たれていたため、U-96は足早に海域を去った。
2月22日午後12時35分、船首が沈下した満身創痍の船と遭遇。相手は英商船スコッティシュ・スタンダード(6999トン)で、前日Fw200コンドルの爆撃を受けてOB-287船団から落伍した船であった。観察していると付近に敵駆逐艦が出現したため、潜航しなければならなくなった。15時49分、雷撃によりスコッティシュ・スタンダードを撃沈。間もなく敵駆逐艦がすっ飛んできて爆雷を投下してきたので、スコッティシュ・スタンダードの最期を確認できなかった。37発の爆雷が投下されたが、何とか逃げ切った。2月23日23時27分、アイスランド南西でOB-288船団から分散した英蒸気商船アングロ・ペルー(5457トン)を雷撃。船体は真っ二つに折れ、3分以内に沈没した。翌24日午前1時16分、レイキャビクの南265海里にて英商船リナリア(3385トン)を雷撃し、船尾から2501トンの石炭ごと沈没させた。続く午前2時20分、英商船シリキシュナ(5458トン)の左舷に魚雷を命中させる。この雷撃で魚雷を使い切ってしまったため、予備魚雷の装填が必要になり時間を要した。午前8時36分に二度目の雷撃を敢行し、船体中央に命中。船体を二つに折って撃沈した。
2月28日、サン・ナゼール港へ帰投。武功によりヴィレンブロック艦長は騎士十字章が授与された。
3回目 戦果を挙げるも、危険な一幕も
4月12日、サン・ナゼール港を出撃して3回目の戦闘航海に向かう。4月16日にOB-309船団と接触するが、英駆逐艦ロッキングハムの妨害で損傷させられる。4月28日19時25分、アイスランド南方でグラスゴーに向かっているHX-121船団を襲撃。3本の魚雷を発射し、ノルウェー貨物船カレドニア(9892トン)、英貨物船オイフィールド(8516トン)、英商船ポートハーディ(8897トン)をまとめて撃沈。大戦果を挙げた。護衛のフラワー級コルベットグラジオラスから対潜攻撃を受けたが、無傷で脱出に成功した。4月29日13時頃、飛来したロッキード・ハドソンに攻撃され、僅かに損傷を負う。5月7日正午過ぎにサンダーランド飛行艇に襲われ、2時間半に及ぶ追跡と32発の投弾を受ける。5月14日には敵機4機に追い回されるなど、受難が続く。
5月19日午前3時24分、アイルランド北西でHG-61船団の英蒸気船エンパイア・リッジ(2922トン)がU-96の前を横切った。早速2本の魚雷を放ち、敵船を真っ二つに折って撃沈した。3500トンの鉄鉱石は海の藻屑となり、竣工から僅か1ヶ月でエンパイア・リッジは沈んだ。5月22日、サン・ナゼール港へ帰港。
4~5回目 沈没する寸前まで追い詰められる
6月19日、サン・ナゼールを出撃して北大西洋に向かった。Fw200からアゾレス諸島北方約300海里で敵船団発見の報を受け、現場に急行するU-96。7月5日朝、濃霧に包まれた現場海域へ到着した。間もなく敵船団と遭遇し、午前8時29分に4本の魚雷を一斉発射。このうち2本が英軍隊輸送船アンセルムス(5954トン)に直撃して22分以内に沈没。4名の乗員と250名の軍人が死亡した。3隻のコルベットがU-96討伐に動き出したが、スターワートはソナー不調のため攻撃に参加できず。ペチュニアとラベンダーから計26発の爆雷が投下され、U-96は甚大な被害を受ける。絶体絶命の窮地に立たされるも、コルベットが生存者の救助に回ったためトドメを刺されずに済んだ。だが戦闘航海に耐えられなくなり、7月9日にサン・ナゼールへ戻った。
8月2日、サン・ナゼールを出港。8月5日にU-105とU-751からなるウルフパック「ハンマー」に加わったが、戦果は無かった。8月12日、グリーンランド近海へ進出。続いてウルフパック「グレーンラント」「クルフュルスト」「ゼーヴォルフ」に参加するが、こちらも戦果無し。9月12日にサン・ナゼールへ帰投。初めて手ぶらでの帰還となってしまった。
6回目 命運を分けた地中海突入
10月27日、サン・ナゼール出撃。ちなみに映画『Uボート』はこの出撃から描かれている。10月30日にU-133、U-552、U-567、U-571、U-577からなるウルフパック「シュトーストゥルップ」に参加。翌31日22時47分、満月に照らされたOS-10船団に向けて4本の魚雷を発射。蘭商船ベンネコム(5998トン)に命中し、燃料に引火して炎上。爆発の影響で全ての通信が使用不能となる。23時30分頃、ベンネコムは沈没した。その直後に敵駆逐艦ラルワースから砲撃を受け、急速潜航。更に27発の爆雷を投下されたが、幸い命中せず。翌日にはゴルレストンとバーベナに襲われたが、振り切っている。
11月上旬、大西洋で哨戒中のU-96に地中海進出の命が下る。これを受けてスペインのヴィゴ港へ向かい、11月27日に補給艦ベッセルから補給を受ける。地中海へ入るためにはジブラルタル海峡を突破しなければならないのだが、同時にイギリス軍の牙城でもあり、無数の哨戒機や哨戒艇が目を光らせていた。そんな危険な海域へ突入するU-96だったが、11月30日22時35分にソードフィッシュから2発の投弾を受ける。急速潜航でやり過ごし、12月1日に浮上したものの、艦内に深刻な被害が発生。こんな状況では到底突破できないとヴィレンブロック艦長は判断し、反転離脱を決意。12月6日、サン・ナゼールに入港した。12月31日、ヴィレンブロック艦長に柏葉付き騎士十字章が贈られた。
映画『Uボート』では史実と異なり、ラ・ロシェル港に帰還したところで連合軍機の空襲に遭い、沈没している。
7回目 太鼓連打
1941年12月8日、地球の裏側では同盟国の大日本帝國が真珠湾攻撃を行って大東亜戦争が勃発。アメリカが敵国として参戦した。カール・デーニッツ提督は早速東海岸での通商破壊を企図し、パウケンシュラーク作戦を発動。U-96も加わる事になった。
1942年1月31日、サン・ナゼールを出港。いつもの狩り場である大西洋を横断し、カナダ沖に進出した。参戦したばかりのアメリカは護衛への関心が無く、船舶も平時と同じように航海灯を点けたり、無防備に位置情報を伝達したりと隙だらけであった。2月19日23時29分、セーブル島南東で英自動車運送船エンパイア・シール(7965トン)を雷撃。船首を陥没させる事に成功したが沈没しなかったため、翌20日午前0時3分に2本目の魚雷を発射。船体後部に直撃し、急速に沈没していった。U-96がエンパイア・シールを仕留める所を目撃した米商船オスウェヤレイク(2398トン)は針路を変え、ジグザグ運動しながら逃走を図った。だがU-96からは逃げられず、午前4時53分に魚雷1本をぶち込まれて撃沈された。乗組員は3隻の救命艇で脱出したが、全員行方不明となった。2月22日午前2時44分、ノヴァスコシア沖でノルウェー商船トルンゲン(1948トン)を雷撃。U-96は浮上し、午前3時50分から午前4時20分まで甲板砲弾27発を撃ち込み、船尾より沈没させた。22時57分、ハリファックス南南東25海里にて英貨物船カルス(8888トン)を雷撃。船体は炎上して漂流し、数日後に船体が2つに裂かれて前部が沈没。残った後部はハリファックスに曳航されたが、全損の判定を受けた。
3月9日21時9分、セーブル島西方でノルウェー商船テイル(4265トン)の右舷側から雷撃。魚雷は船底を通過したが、左舷側で爆発した事で致命傷となり、9分以内に沈没した。脱出してきた3隻の救命艇を呼び止め、船を沈めた事への謝罪を行ったのちセーブル島の方角を教えて解放した。この戦果を以って帰路につく事になり、3月23日にサン・ナゼール帰投。この哨戒を最後に歴戦のヴィレンブロック艦長は退艦し、新艦長としてハンス=ユルゲン・ヘルリーゲル中尉が着任した。
パウケンシュラーク作戦は大成功を収め、ドイツの潜水艦乗りは「陽気な殺戮」「アメリカの狩猟シーズン」と呼んでいたとか。
8~10回目 最後の狩り
4月23日にサン・ナゼール出港。獲物を求めて遊弋したが、敵船を発見できず。U-460から補給を受け、7月1日に帰投。また手ぶらでの帰還になってしまった。
8月24日、サン・ナゼールを出港。9月9日、U-584が32隻からなるON-127船団を発見して通報。夜には接触を失ってしまうも、9月10日正午にU-96が再び船団を捕捉。16時31分に4本の魚雷を発射し、ベルギー商船エリザベート・ヴァンベルギー(4241トン)とノルウェー商船Sveve(6313トン)を撃沈、英商船F・J・ウルフ撃破の戦果を挙げた。9月11日午前11時50分、ポルトガル帆船デランイス(415トン)を発見。甲板砲3発で威嚇射撃をして停船を呼びかけたが、無視したのと中立国のマークが確認出来なかったため砲撃で撃沈。9月25日23時57分、アキルヘッド西方670海里にてRB-1船団を襲撃。2本の魚雷を発射し、英蒸気客船ニューヨーク(4989トン)の左舷に命中。撃沈には至らなかったものの、約1時間後にU-91から雷撃されて沈没した。10月5日、サン・ナゼールへ帰港。
12月16日、最後の戦闘航海に出発。1943年1月10日にウルフパック「ジャガー」に参加し、アイスランド南方で待ち伏せしたが、獲物に恵まれず。ドイツ本国への帰路につき、2月8日に東プロイセンの首都ケーニヒスベルクへ入港。U-96は一線を退いた。
その後
1943年3月16日から訓練艦となる。4月1日、メーメルを拠点とする第24潜水隊群に転属。増加の一途を辿る潜水艦乗りの卵たちに実習の場を提供した。1944年7月1日、東部戦線崩壊に伴って第22潜水群へ転属し、ゴーテンハーフェンに避難。
1945年2月15日に退役となり、艦歴に幕を下ろした。とはいえ戦況が戦況のため解体はされず、3月30日にヴィルヘルムスハーフェンでアメリカ軍の空襲を受けて撃沈された。総合戦果は27隻撃沈(18万1206トン)、4隻撃破(3万3043トン)、1隻放棄(8888トン)であった。
関連項目
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