概要
ノースアメリカン社製のレシプロ双発機。爆撃機型の他にも輸送機型や偵察機型などもある。
主に第二次世界大戦で使用されたが、優れた性能から戦後も長らく各国で使用された。
愛称はミッチェル(Mitchell)。これはアメリカ陸軍航空隊の創設者のひとり、ウィリアム・ミッチェル将軍にちなむ。現在まで、アメリカ軍において唯一個人名が愛称になっている航空機である。
1938年。これまでの戦訓から、防御力の優れた中型爆撃機を必要とされて出された要求書に従い、ノースアメリカン社が以前より自社資金で開発していたNB-40を元に作られた。
そうして作られた本機は固定機銃4門、防御機銃7門の計11門という同クラスの中でも飛びぬけた重武装である。ちなみに全てあの重いことで有名なブローニングM2(の航空機搭載型AN/M2)である。
さらに防弾装備も充実している。各人員の周りには防弾版が取り付けられ、搭乗員は防弾ベストを着用した。燃料タンクも防漏式である。
他にも、前輪式でラクラク地上走行、左右銃座を前後にずらした干渉対策など、細かい気配りの出来た設計である。
これだけ重い装備でも搭載量は約3.000lbときっちり確保。
欲張ったこの性能を実現させた動力はライトR-2600。大体1.750馬力ほどを2基搭載。
そしてアメリカ製らしい優れた耐久力により抜群の汎用性。ロシアの凍てつく大地から常夏のニューギニアまで、爆撃、攻撃、偵察、輸送、哨戒とあらゆる場所、任務で使用された。戦後は世界中に売り飛ばされ、最後まで使用されたインドネシア軍の機体が退役したのは1979年の事であった。総生産数はなんと9.816機。1万超えて無くて少なく感じるが、十分多い。一部の米軍機の生産数が異常なだけです。
現存する機体も多く、飛行可能なものも多い。各地の航空ショーでその雄姿を見ることができるだろう。
エピソード
ドゥーリットル空襲
B-25について語る上で外せない出来事。空母から陸上機を発進させ東京を空爆、そのまま大陸へ抜けるという片道切符の無茶作戦。何故陸上機を使う必要があったのかというと
1.日本本土近くに飛行場がない為重爆撃機を使っても届かない。
2.ソ連の飛行場は日ソ不可侵条約を理由にソ連が使わせてくれない。
3.艦載機を収容している暇はない為大陸まで飛ぶ必要があったが、それでは航続距離が足りない
4.貴重な空母を日本本土に近づけて危険に晒す訳にはいかない。
「だったら航続距離の長い陸上中型爆撃機を空母に載せればいいんじゃね?」
結果は大成功。ただし全てのB-25が不時着し、一部はソ連に拘束されたりしている。成果は大々的に宣伝されたが、しばらく作戦内容は秘匿された。そして記者会見で記者に、「爆撃機はどこから発進したのか?」と聞かれたルーズベルト大統領が、小説「失われた地平線」に登場する架空の地名「シャングリラ」と答えた。が、一部ではこれが通じず、「空母シャングリラから発進した」と誤って報じられた。その結果↓
空母での発着艦試験
1944年11月、エセックス級12番艦「シャングリラ」にて、B-25Hの海軍・海兵隊型PBJ-1Hを使用した発着艦試験が行われた。機体は軽量化、着艦フックの装備等の改造をされ、見事発艦、着艦に成功した。しかし実戦での空母運用は無かった。
アメリカ軍の優れたジョークセンスが最大限発揮された出来事だろう。
エンパイア・ステート・ビルへの衝突
1945年7月28日、空港に着陸しようとしていたB-25が衝突する事故が発生。乗員3名を含む死者14名を出したが、幸いにも着陸間際で燃料が少なかったためそれほど大事には至らなかった。
海鷹への接触
終戦直前の1945年8月9日、B-25の編隊が別府湾に隠されていた航空母艦海鷹へ攻撃を加えた。そのうちの1機が超低空で飛びすぎたせいで甲板上の支柱に接触し、そのまま海へ墜落。乗員6名が全員死亡している。8月14日、一部の遺体が漂着しているのを地元住民に発見された。
ちなみに海鷹の船体は既に放棄されており、しかも座礁していたので海鷹が能動的に攻撃した訳ではない。
主な型
NB-40
原型機。操縦席は直列、主翼は高翼配置と形状が大きく異なる。エンジンはP&W R1830。
B-25、B-25A
初期生産型。機首、腹部、胴体左右にM1919を1門ずつ、尾部にM2を1門装備。
B-25の特徴の一つに、中翼ガル翼という珍しい翼形があるが、最初に生産された9機はガル翼ではなかった。しかし安定性が非常に悪いことが判明したため、外側の主翼の上反角を無くした。そうすると安定性は向上した。
A型は燃料タンクを防漏式にした改良型。
B-25B
背中と腹部にM2の連装銃座を追加したもの。腹部の銃座は遠隔操作式で、格納できる。
ドゥーリットル空襲に使用されたのはこの型。
B-25G、H
腹部銃座の廃止、尾部銃座を防弾化し、寝そべる形から座る形に変更、上部銃座の位置を胴体後部から操縦席の後ろに変更し、左右に単装銃座を新設する等の改良が施された。
H型はG型の機首の爆撃手を廃しM2 4門と75m砲を搭載、さらに操縦席下にM2を左右2門ずつ計4門、機首の物も合わせると計8門搭載した型。75mm砲は機関砲ではなく、装填手が手動で装填する。
対艦攻撃用に1.000機ほどが作られ使用されたが、機銃と違って撃ちながらの照準修正が出来ないし、撃った反動で照準がぶれるし、近づけばただでさえ少ない射撃弾数が減るし、発射ガスが機内に充満して煙いし、だったら機銃だけでいいよねと、非常に評判は悪かった。
後にこの75mm砲を改良した物がM24軽戦車の主砲となった。
B-25J
決定版。H型の機首を従来通りの爆撃手席に戻した型。最も多く生産された。
PBJ-1
B-25の海軍・海兵隊仕様だが、殆どが海兵隊で使用された。1の後に陸軍型と同じアルファベットが入る。
哨戒任務等に使用された。右翼端や、腹部銃座を撤去してそこにレーダーを搭載していた。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 0
- 0pt