Eちゃんとは、
である。ここでは1.について記載する。
概要
YouTuberカツドンが、 カツドンチャンネルを開設する以前に運営していたブログ『カツドンの絵日記』に登場する人物。
2013年7月29日に投稿された「小学1年生の女の子に超癒された… 昔のトラウマが癒えていく…」でその存在が明かされた。
カツドンが中学3年生だった西暦2000年ごろ、小学1年生だった女児の通称で、カツドンはEちゃんに対して「やってはいけない事」をしてしてしまい、深く傷つけ、“加害者としてのトラウマ”を負ったとのこと。
2016年12月上記のブログのウェブアーカイブがファンチに発掘され、カツドンは弁明に追われることとなった。
- Q.Eちゃんに対してしたことを詳しく話せないのもインナーチャイルドなのか?
A.だとおもいます。過去のブログのことを掘っくり返されている状態なので詳しく答える責任は無いです。昔のことは反省して、リセットして、新しく気持ちを入れ替えています。 - Q.Eちゃんに対してしたことは犯罪ではない?
A.調べてみないと分からない。 - Q.性的な何かをしたのか?
A.伏せさせていただきたい。 - Q.罪を償いませんか。
A.心の中の集合意識に向かって何度も何度も謝ります。霊的な話になるんですが通じると思います。 - Q.余罪あるんですか?
A.あります。
といったやりとりが行われた。
ツイキャスの後日、事件について説明する動画をアップロードしており、動画では以下のことが述べられた。
- 小さい女の子が大好きで、デレーとしてしまう。
- 幼女を誘拐[1]するような人間ではない。
- 「やってはいけない事」をしたのは事実。
- 主犯は同級生のH君[2]で自分は誘われて流れで参加しただけ。
- 自殺するくらいなら開き直る。
- 自分は根底に正義の心を持った正しい人間。
2023年1月末に行なったYouTubeLiveでは、スパチャやAmazonギフトなどでカツドンに総額60万[3]貢いでいたメンヘラ系女装男子インディゴ民・お花猫が、「Eちゃん事件の真相を教えないと自殺する」と迫ったが、それでも最近修得した都合の悪いことが起きたら咳[4]で煙に巻こうとする技を駆使し「話せる時が来たら話す」と答えるにとどまった。この後、お花猫はリスカし、Twitter上でカツドンに画像を送りつけている。
結局カツドンはEちゃんに何をしたのか
カツドン自身が口を閉ざしているため詳細は分からない。
視聴者の間ではせいぜい身体を触ったくらいだろうという意見から、親に暴言を吐きまくりテレビを始めとした家具を破壊し、それを恥ずかしげもなく日記として公開していた時期のカツドンが内容を伏せるなんてやはりとんでもないことをしたんだろうという意見まで様々。
Eちゃんのことが明るみになって以降、カツドンは「幼女強姦魔」や「コミックLO体現者」呼ばわりされるようになってしまった。
カツドンが何かするたび、動画のコメントやタグではEちゃんと絡めた物騒な単語が頻出するなど、今現在も頻繁にEちゃんのことが擦られている。
近年は職場[5]の既婚で孫までいる60代の先輩を好きになるなど、ストライクゾーンの広さを披露している。
「自分を受け入れてくれるようなマスク越しの優しい眼差しにやられた。」「不倫になるから実らせるつもりはない。学生のような未熟な恋心をただ受諾してもらいたいだけ。」とのこと。
しかし、これは自分はもうロリコンではないというアンチへのアピール、いわばEちゃん事件の隠れ蓑としての嘘なのではという考察もなされている。
風当たりが強くなったことに焦りを覚えたのか、2023年2月13日に投稿した『Eちゃんの件に関して話させていただきます』というタイトルの動画内では「言葉の暴力によって泣かせてしまった」「身体的な接触はない」と釈明した。
また、誕生日配信では「被害者としてのトラウマより加害者としてのトラウマのほうがキツイ」と自論を展開した。
当該ブログからの抜粋
(本日2つ目の日記です。) (長文になっちゃったけど、読んでみてね (^3^) -☆ )
さっき夕方5時頃、いつもおなじみの近所の小学1年の女の子のTちゃんと遊んだ。
MYプランター農園で野菜を色々収穫しながら。Tちゃんは野菜栽培に興味津々だ。 トマト、ナス、ピーマン、シシトウ、ニンジン、小カブ、、、土から引っこ抜いたりハサミでチョキン!って切る収穫作業をTちゃんに自分でやらせてあげて、ビニール袋に入れてオミヤゲとして持たせてあげた。(子供ってのは自分でやるのが好きなんだよね(^_^) )
このピーマンを、Tちゃんは我慢できなくてその場で解体してかじり始めた(笑) 「中どうなってるのかなぁ?(→開けていい?)」 って言いながらね。なんとも愛らしい子だなぁと思う。 今日はTちゃんのお兄ちゃんの小学4年の TKくん とも結構仲良く話すことが出来て嬉しかった。TKくんにもシシトウとかをプレゼントした ♪ 私はTKくんが苦手だったんだけど、最近はTちゃんを媒介にして少しずつ仲良くなれてきた感じ。よかった。
今日 Tちゃんと遊んでお話しして、なんかすごい癒された…。とても嬉しかった。 あとで自室に戻ってからフトンにうつ伏してワーン!って泣いてしまいたい気持ちになった。 「こんなダメなオレでも好きになってくれるなんて…(泣)」 っていう想いが私の心の奥にあるんだと思う。 この自己否定感の正体は一体…。
・ ・ ・ ・ そういえば私は中学3年生の頃(今から13年前)に、放課後 近くの児童センターに男友達でゾロゾロと寄り道してて遊んでて、、、私はそこで小学1年の女の子を深く傷つけてしまったことがあった…。(詳しい内容については伏せることにします…) ( 児童センター = 放課後の小学生たちが遊んでいる施設 )
私が傷つけてしまったその小1の女の子 "Eちゃん" は、中学3年の私のことをとても慕ってくれていた。 (Eちゃんだけではなく、他の小1の子供たちもみんな私に懐いてくれた。私は子供たちと一緒に楽しく遊んでいた。みんな私のことを名前呼び捨てで呼んで慕ってくれた。 …私以外の中3男子たちは子供と遊ばずにサッカーをしていた。 私は元々 子供が大好きなんだと思う。)
・・・ ある日 私は「やってはいけない事」をEちゃんに対してしてしまい、Eちゃんを深く傷つけ、、、私は自分のしたことがとても怖くなって、それ以後 センターに行かなくなってしまった…。
私のことを大好きでいてくれたチビッコのみんなと会うことは もう無かった…。
このことで私は自分のことを激しく責める様になったのかもしれない。その後10年間以上もずっと。 「オレはなんて最悪なんだ…。あんなにオレのことを好きでいてくれたEちゃんのことを傷つけて、恐怖心を植え付ける様なことをしてしまった…。オレは最悪だ…。」 って、深層心理でずっと自分を責め続けてきたんだと思う。
それによって、その後の様々な人間関係において慢性的に「オレは相手から嫌われている」という思い込みを私は抱く様になったのかも。(この出来事だけが原因ではないと思うけど)
・・・ という経緯があって、私はここ最近までずっと子供と接するのが怖かった。 「オレは最悪な人間だから絶対嫌われてる…」っていう自己否定感があるので、ビクビクして上手く話しかけられないんだ。傷つくのが怖くて。 でも1年前くらいから少しずつ近所のTちゃんととても仲良くなることが出来てきた私は今現在とても嬉しくて感動で、「こんなオレでも好きになってもらえるんだ…。そうか…もう自分を責め続けなくていいんだ…。」 と自分を激しく否定する事をやめるようになってこれたと思う。 これは『インナーチャイルドの癒し』そのものだよね。ありのままの自分を許すこと…。
確かに13年前私がしてしまった事はいけない事であり、二度としない様に心掛ける必要があると思う。しかし一方で、もういいんだ、自分を責めなくて。自分を許していいんだ。 今までずっと自分を責めて苦しんできたから、もういいんだよ、苦しまなくて。
・・・ 13年前に私が深く傷つけてしまった小学1年の女の子のEちゃんは今ごろ19歳だ。もう立派な大人になってるだろう。 もしかしたらあの時の心の傷を今現在も深層心理で引きずっているかもしれない…。人と接することに恐怖心を抱いているかもしれない…。 申し訳ない…と私は感じる。
いつか私はEちゃんに謝りたいと思ってる。この人生の中で再会する事はたぶん無いと思うけど、こう、何と言うか死んだあとで天国とかで再会して謝りたいなぁと思う。 和解したい。
まあでも、地球上にいる今この瞬間においても心の中で「本当にすまなかった…」と念じれば相手の深層心理にキチンと届くらしいから、謝ろう。何度も何度も心の中で。 既に私はEちゃんに対して心の中で何度も謝っている。今現在のEちゃんの深層心理に届いてくれてれば嬉しい。
……そしてこの謝罪は私にとっても有意義なもので、「ごめんなさい…ごめんなさい…」 とフトンの中で言いながら私は泣いている。 『涙を流している時 = インナーチャイルドが癒されている瞬間』であると私は思う。とても気持ちいいんだ。 Eちゃんに対して「ごめんなさい…」という言葉を発しながら同時に自分のことも許しているんだと思う。 自分を許して、相手を許して、全てを許して…。
・・・ 人間ってたぶん例外なく誰でも、意識的にしろ無意識的にしろ自分のことを責めているんだと思うから、こうやって過去の過ちに対して「ごめんなさい…ごめんなさい…」って一人でフトンの中で泣きながら謝って、それによって自分のことを許していくのがすごく大切なんだと思う。それはインナーチャイルドの癒しだ。 許していこう。自分のことも、相手のことも。
今現在、ニートである私の生活の中に『近所の小学1年生の女の子のTちゃんがオレのことを好きで懐いてくれている』という出来事があることは何だか意味深なメッセージの様な気もする。
神さまが 「もういいんだぞ。『自分なんか最悪な人間だから人から好かれる資格なんて無いんだ』なんて思わなくて良いんだ。もう充分苦しんだじゃないか。これからは自分を許して愛していきなさい。」 っていうメッセージとして私とTちゃんを出逢わせてくれたのかなぁ(^_^)
私のことを好きでいてくれるTちゃんの存在に対して「ありがとう…ありがとう…」ってつぶやいて私は泣いている。
・・・ 私とTちゃんは相性が合うんだと思う。過去世で親友とかだったのかもなぁ。 まあ一緒にいるとちょっとだけムカッとしたりもするけど(野菜に対して乱暴に触ってきたり…(汗) )、、、でもやっぱりすごく大好きだ。なんて愛しいんだろうって思う。 これからも、まあ基本姿勢として”つかず離れず”を保ちながら、出来るだけもっと仲良くなっていきたい。 ※ Tちゃんに対する私の態度は、自分で言うのも何だけどよく出来てると思う。大人としての態度。 子供って言うのは「聞いて聞いて!」っていう承認欲求が強いから、私はTちゃんの話すことに丁寧に反応して頷いている。「へぇ~そうなんだ!すごいねぇ!」 という感じに。いっぱい話を聴いてあげて、解ってあげる。 過度に子供扱いしないで友達の様な感じで、でも優しくTちゃんの気持ちを理解してあげて、、、けっこう「ステキなお兄さん」を演じれてるんじゃないかな。(まあ実際は、私もワーンワーン!って泣いてる様な寂しい人間なんだけどね(^_^;;) )
でもTちゃんと接する時には私は頑張って”おとな”になってる。苦ではないんだ。 これも”修行”のような気がする。『相手の想いをキチンと受け止めてあげる』という修行ね。とても大切なこと。
・・・ Tちゃんのお兄ちゃんの小4のTKくんと私は相性が悪いと思う。向こうもそう感じているだろう。 でもだからと言ってTKくんとは話さないというつもりは無い。TKくんとの関係も私にとっては大事だ。
Tちゃんも、TKくんも、同等に私にとっては大切な存在なんだと思う。 Tちゃんは私のことをすっごく癒してくれる。ホントに大好きな存在。(傷つけられたりもするけど)
TKくんは私に試練を与えてくれる。彼と話すのは緊張する。彼と上手くやっていくことは私にとって修行そのものだ。
2人とも、同等に大切なんだと思う。 この出会いはとても貴重なものなんだなぁと感じる様になってきた。
今現在の私が抱えている心の問題を、2人はまざまざと突きつけてくれる。 その度その度 私はキチンと自分と向き合って、とても大きくて辛い問題だけれど少しずつ乗り越えていきたいと思っている。
関連動画
関連静画
関連リンク
関連項目
脚注
- *それまで特に指摘されていたわけでもないのになぜか「誘拐」というワードにこだわる。
- *それまでブログに一切登場していない人物。そもそもブログのアーカイブを見ればわかるようにカツドンは「他の同級生はサッカーをしていた」と記している。
- *親の金だとされている。
- *「悲しみの感情で肺がやられてしまう」とのこと。
- *本人曰く「ダイソーではない」とのこと。
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 10
- 0pt