Hiro師匠とは、株式会社セガ所属の頑固で好き嫌いが激しいゲーム音楽の作曲家である。
概要
1984年セガ入社。元々はプログラマーであったが(新人研修中「ガールズガーデン」を作成している)、高校時代にバンドをやっていたことから「バンドっぽい曲を頼む」という企画の鈴木裕氏のオーダーのもと「ハングオン」の作曲を担当し、以降AM2研の「体感ゲーム」シリーズを中心に数多くのゲームの曲を手がける。同時期セガのゲームミュージックバンド「S.S.T. BAND」にキーボードとして参加もしていた。(91年に光吉猛修氏と交代。交代の理由は「(業務中に)シエスタを取っていたから」とのこと。)
MDの「レンタヒーロー」の後からしばらくの間、サウンドドライバの開発等システム関係中心(作曲はほぼ行っておらず自曲のアレンジのみだったらしい)の業務に就いていたが、「2研に残ってシステムをやる」「他部署に移って曲をやる」の選択を迫られた際に後者を選びAM3研へ異動、「レンタヒーローNo.1」「CRACKIN'DJ」でめでたく作曲家復活となった。
初期はフュージョン、ラテンが多かった(「高校時代のバンド」がカシオペアと松岡直也のコピーバンドであったことが影響していると思われる)が、企画側のオーダーに応じてロック、クラシック、テクノ、ヒップホップと幅はどんどん広がっている。本人曰く「大嫌いだったジャンルだったけどしぶしぶやってみたら面白かった」というケースもあるそうだ。もっとも「大嫌いな企画側のオーダー」を納得させるための企画の苦労は並大抵ではないらしい。なお企画のオーダーを無視して暴走した好きなジャンルで押し切ったこともあり、例としては「オーダーはハードな曲、結果はアニソン調」となった「レンタヒーローのOP(君は人のためにレンタヒーローになれるか)」が有名。この曲は後日歌詞がつき光吉氏が歌唱、さらにレンタヒーローのリメイクの際影山ヒロノブ氏に歌ってもらうというオチがついた。なんという結果オーライ。
また、今でこそ当たり前となったサンプリング音源を(おそらく)一番最初にゲームの楽曲に使用した人物でもあり(ハングオンのドラム音。以降の体感ゲームでもベースやギターにも適用している。)、それまでになかった「ゲームらしくない曲」を持ち込んだことと合わせ、「ゲーム音楽=ピコピコ」からの脱却に多大な貢献をしていることも忘れてはならない。
現在はR&D1(旧AM1研系)所属、人事・プロデュース業も含めた本業の傍ら、セガ・サウンドユニット[H.]を率い光吉氏他のメンバーを振り回しながらと共にAOU他のイベント等でライブを行うなど精力的に活動している。
「師匠」の由来
きっかけは、88年に高木保浩氏(「ターボアウトラン」等担当)が開発の同じ分室に配属されたことで、指導者的立場になった際に「弟子っていうなら俺は師匠だろう」というところから始まったようだ。90年には光吉氏が配属、このときは高木氏が指導する立場となっていたので、Hiro師匠から見た場合、光吉氏は孫弟子にあたる。余談だが光吉氏のデビュー作「GPライダー」の音楽はこの師弟トリオの合作である。
しばらくは内部のみの呼び名であったが、サターンのSEGA AGES関連で雑誌インタビューに出た際に「Hiro師匠」と記載され、さらにその後「レンタヒーローNo.1」のHPにて光吉氏以外のスタッフも「師匠仕事してください」と日記やコラムに記述していたことから徐々にファンにも浸透していった。
現在ではすっかりあだ名と化し、上司も部下も外部の関係者も「師匠」と呼ぶそうだ。本名の読みが某特撮俳優(旧姓)だったり某探検家(現姓)だったりするために本名で呼ぶのに抵抗があるなんてことは決してない。多分。
ニコ動でも最近の活動のものの場合「師匠」「Hiro師匠」でコメントされることが多い。
関連動画
主な関連作品
関連商品
外部リンク
関連項目
- 3
- 0pt