II号戦車とは、ドイツが第二次世界大戦の前に開発・生産した軽戦車である。
概要
1934年、ドイツは再軍備に伴い戦車製造の技術習得および乗員の訓練のためにI号戦車を開発した。しかしこの車両はあくまで初歩的なものに過ぎず、小型かつ機関銃のみの装備では射撃演習などの本格的な訓練に対し力不足であることが明らかとなった。さらに予定されていた新型戦車の完成もまだ遠いという状況におかれていた。
そこでドイツ兵器局は、これらの問題を打開すべく「I号戦車よりも大型で、ある程度の実戦運用もできる車両」の開発を指示した。これには新型戦車の数がそろうまでの、いわゆる「つなぎ」としての名目も含まれていた。
当時はまだヴェルサイユ条約の影響を受けていたため、I号戦車と同様にその開発目的を隠蔽すべく「農業用トラクター100型(LaS100)」という秘匿名称を与えた。開発案はクルップ、ヘンシェル、MANから提示され、最終的にMANの開発案が採用された。
1935年末、10両のLaS100が完成。これは後の1938年10月に採用された際、Sd.Kfz.121の特殊車両番号とPanzerkampfwagen II Ausf.a1(II号戦車a1型)の制式名称が与えられている。その後a1型、a2型、a3型、b型そしてc型の増加試作を経て、最初の生産型であるA型の生産がスタートした。
本車もまた生産技術取得のため多くの会社の工場で生産され、増加試作型を担当していたMAN、ダイムラー・ベンツの他にヘンシェル、ヴェクマン、アルケット、FAMO、MIAGでも生産が行われた。
実戦
「まさかこれら訓練用戦車で大戦に突入するとは思ってもみなかった」
本車のコンセプトは「訓練用車両であるI号戦車の発展型で、『補助的に』戦闘も行える車両」というものであり、実戦運用はあくまで副次的なものとしていた。しかし時を置かずしてI号戦車と共に戦場へ赴くこととなった。
まずは評価テストを兼ねて1936年のスペイン内戦に投入された。この時配備されたのは15両と少数であったが、榴弾も使える強力な機関砲をはじめから装備していた本車は十分に威力を発揮した。
その後はポーランド戦、フランス戦、北アフリカ戦線、東部戦線などの様々な戦場でIII号戦車やIV号戦車が充足されるまで、事実上の「主力戦車」として常に最前線で戦った。他国の戦車と比べれば火力や防御面では心許なかったが、ドイツが編み出した機動戦術も相まって電撃戦の陸の主役の一つとなり得た。
また本車はその役目を終えた後も車台を利用した各種自走砲が開発され、派生型も含めればドイツ戦車の中で最も長く戦った車両となった。
バリエーション
- Panzerkampfwagen II Ausf.a1(II号戦車a1型)
- 一番最初の試作型および増加試作型。2個1組の転輪を3組という足回りを持ち、その外見はI号戦車をそのまま大きくしたような感じである。
- 武装は20mm高射機関砲30型(2cm FlaK 30)を車載用に改造した20mm戦車砲30型(2cm KwK 30)1門と、7.92mm MG34機銃1挺の同軸装備。
- 1935年10月より25両が生産された。
- Panzerkampfwagen II Ausf.a2(II号戦車a2型)
- a1型の改良型で、エンジンの冷却機構など細部を改修したもの。
- a1に続く形で15両が生産された。
- Panzerkampfwagen II Ausf.a3(II号戦車a3型)
- a2型の改良型で、前期型と後期型がある。前期型では燃料ポンプや点検ハッチの追加が行われ、後期型ではラジエーターの追加とサスペンションの強化が行われた。
- a2に続く形で両者を含め50両が生産された。
- Panzerkampfwagen II Ausf.b(II号戦車b型)
- a3型の改良型で、履帯幅の増加やサスペンションの更なる強化を行い機動性を向上させたもの。
- a3に続く形で25両が生産された。
- Panzerkampfwagen II Ausf.c(II号戦車c型)
- b型の改良型で、足回りを改設計したもの。
- 独立した転輪1個をそれぞれサスペンションで支持させるという、他のドイツ戦車にはあまり見られない独特の足回りとなり、これが生産型の標準仕様となった。これに伴い新型の履帯やサスペンションも開発され耐久性や生産性も上がった。
- 1937年2月から3月にかけて25両が生産された。なお本車は後の生産型と同様に実戦参加や改造がされた。
- Panzerkampfwagen II Ausf.A/B/C(II号戦車A~C型)
- 最初の生産型。新式の変速機を搭載したこと以外はc型とほぼ同じ仕様となっている。
- A型からC型までの相違点は視察口の部品関係ぐらいで形式間での大きな差異はない。
- A型が1937年7月より、B型が1937年12月より、C型が1938年6月よりそれぞれ生産が開始され、1940年3月までに3形式合わせておよそ1000両が生産された。
- Panzerkampfwagen II Ausf.D/E(II号戦車D/E型)
- 高速度性能のさらなる向上を狙った快速戦車。1938年よりドイツ兵器局の指示でダイムラー・ベンツにて開発が始まった。これには新たに「農業用トラクター138型(LaS138)」の秘匿名称が与えられた。
- 従来の生産型との最大の違いは足回りで、上部支持輪を持たない大型の4つの転輪で構成されている。これに伴いサスペンションと履帯も新タイプが用意された。さらにE型ではハーフトラックで使用されているようなゴムパッドを装着(湿式履帯)、粘着力の増強により踏破性能の強化を図っている。外見はソ連のBT戦車に似ている。
- 路上速度は55km/hと大幅に上がったものの路外では従来型以上に速度が低下してしまった。これはE型に関しても同様であった。ポーランド戦に参加したもののやはり評価は芳しくなく、フランス戦直前の1940年5月には部隊から引き上げられてしまった。これによりドイツ兵器局も当初予定していた軽機械化師団(快速師団)への配備を見送る結果となった。
- 1938年5月から1939年8月にかけて両形式合わせてMAN社のみでわずか43両が生産されるにとどまったが、のちに後述する火焔放射戦車や対戦車自走砲に改造された。
- Panzerkampfwagen II Ausf.F(II号戦車F型)
- A~C型の後継に当たる車両。本来ならばII号戦車の生産は終了しているはずだったが、なおもIII号戦車やIV号戦車の数が足りなかったために補充用として生産されるに至った。
- それまでのポーランド戦及びフランス戦での戦訓に伴い、従来の生産型からの改良点が多い。
- まず、装甲は15mmから最大35mmまで増圧された。装甲強化自体はA~C型の全てとc型の一部でも行われていたが、これらは従来の装甲に20mmの増加装甲をボルト止めするという応急処置的なものであり、本車では初めから1枚板で構成されていた。これによって防御力は向上し生産性も上がった。
- 次に、車長用キューポラが初期装備された。これまでE型までの形式では観音開き式のハッチで視察の際は車体から身を乗り出す必要があり、その際に負傷してしまうケースが多かった。そこで車内からでも視察できるようにキューポラを設置することで、安全性を確保しつつ広い視界を得ることができた(後にA~C型用にもフランス戦後の1940年10月にはキューポラを取り付けるための改修キットも配布された)。
- また、狙撃兵対策として車体前面の操縦手用バイザーの横にダミーのバイザー風カバーを設けた。
- 最後に、武装がFlaK 30改造のKwK 30からFlaK 38改造のKwK 38となり同時に新型徹甲弾も用意された。これにより火力は上がり軽装甲車両相手にはより優位に立ったが、イギリスのマチルダII、ソ連のT-34やKV-1といった重装甲車両に対しては苦戦を強いられた。
- なお本車には砲塔後部に雑具箱が取り付けられるようになったが、取り付けないままのものもあった。
- 1941年3月から1942年12月にかけてFAMO社のみで524両が生産された。
- Panzerkampfwagen II Ausf.G『VK.9.01』(II号戦車G型)
- 速度向上を目指した試作車両。その目的や武装、足回りに至るまでI号戦車C型と同様であり外見もよく似ている。ただし武装はKwK 38とする説もあり、最高速度も50km/hとなっている。
- 当初75両が発注されたが1941年4月から1942年2月にかけて生産されたのは12両のみで、その後の量産計画は中止となった。また余剰となった砲塔はトーチカとして流用された。なお本車は実戦配備されていない。
- Panzerkampfwagen II Ausf.H『VK.9.03』(II号戦車H型)
- こちらも速度向上を目指した試作車両。足回りはG型と同じでエンジンと変速機はそれぞれ新型が搭載され、速度は60km/hに上がった。
- 1942年4月より量産の計画があったが、実際の生産開始は同年9月までずれ込んだ。この時期には本車の戦車としての価値も失われていたため計画は取り止められ、生産型は完成せず試作車のみとなった。
- Panzerkampfwagen II Ausf.J『VK.16.01』(II号戦車J型)
- 装甲強化を目指した試作車両。I号戦車F型と同じコンセプトで作られたものである。ただし装備する機関銃は7.92mm MG42機銃となっている。
- まず増加試作型30両が発注され1940年12月より生産が開始される予定であったが、何らかの理由で遅延が生じ1942年4月から12月にかけて22両のみが完成した。続いて生産型も作られる予定であったがキャンセルされた。1943年に部隊配備され実戦試験を受けている。
- Panzerkampfwagen II Ausf.M『VK.13.01』(II号戦車M型)
- G型およびH型で得た経験を生かし改良が行われた試作車両。
- 武装はG型と同じだが、路上速度は65km/hとII号戦車の中でも最速を誇る。
- 1942年4月に試作車が完成し、同年8月には増加試作型4両も生産されたがそれ以上の生産はなかった。
- Panzerkampfwagen II Ausf.L『VK.13.03』(II号戦車L型)
- 通称「Luchs(ルクス、山猫の意)」。新たにSd.Kfz.123の特殊車両番号が与えられた。
- II号戦車の1種として分類されるが、他の試作型を含む従来型と比べて設計が大きく異なる。
- 武装はそれまでと同様ではあるが機関砲が中心線上に来るように移動されている。また、同軸機銃は装備しなくなったという説もある。また、新たに砲手が加えられ車長が指揮に専念できるようになった。
- 1939年4月より計画が開始され1942年8月に量産を開始する計画があったが、試作車の完成は1942年4月になってからであった。ドイツ兵器局は試験における優れた性能を見て1943年1月に800両を発注した。
- この時の内訳は機関砲型100両、そしてIII号戦車J型の後期型から装備されたものと同じ50mm戦車砲39型(5cm KwK 39)を搭載した戦車砲型を700両というものであった。しかし実際は1943年9月から1944年1月にかけて機関砲型が生産されたのち、コストと機動力に勝る新型の8輪重装甲車Sd.Kfz.234/2(通称「プーマ」)の生産の目処が立ったため戦車砲型は生産中止となった。ただ、試作車両としての色合いが強いグループであるG型以降の形式としては最も多く生産されたものであった。
スペック一覧
a1~F後期型
II号戦車 | a1/a2/a3型 | b型 | c型 | A/B/C型 | D/E型 | F前期型 | F後期型 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
全長 | 4.38m | 4.81m | 4.65m | 4.81m | |||
全幅 | 2.14m | 2.22m | 2.30m | 2.22m | |||
全高 | 1.95m | 1.99m | 2.06m | 2.15m | |||
重量 | 7.6t | 7.9t | 8.9t | 10.0t | 9.5t | ||
乗員 | 3名(車長、装填手、操縦手) | ||||||
最高速度 | 40km/h | 55km/h | 40km/h | ||||
航続距離 | 200km | ||||||
武装 | 2cm KwK30戦車砲×1 7.92mm MG34機銃×1 |
2cm KwK38戦車砲×1 7.92mm MG34機銃×1 |
|||||
携行弾数 | KwK30:180発 (10発入り弾倉×18) MG34:2250発 (75発入り弾倉×30) |
KwK38:180発 (10発入り弾倉×18) MG34:2250発 (75発入り弾倉×30) |
|||||
装甲圧 | 5~15mm | 5~30mm | 5~35mm |
G~L型
II号戦車 | G型 | H型 | J型 | M型 | L型 |
---|---|---|---|---|---|
全長 | 4.24m | 4.38m | 4.24m | 4.63m | |
全幅 | 2.38m | 2.64m | 2.38m | 2.48m | |
全高 | 2.05m | 2.21m | |||
重量 | 10.5t | 18.0t | 12.9t | 13.0t | |
乗員 | 3名(車長、装填手、操縦手) | 4名(車長、装填手、操縦手、無線手) | |||
最高速度 | 50km/h | 65km/h | 31km/h | 65km/h | 60km/h |
航続距離 | 200km | 250km | |||
武装 | 2cm KwK38戦車砲×1 7.92mm MG34機銃×1 |
||||
携行弾数 | KwK38:180発 (10発入り弾倉×18) MG34:2250発 (75発入り弾倉×30) |
KwK38:330発 (10発入り弾倉×33) MG34:2250発 (75発入り弾倉×30) |
|||
装甲圧 | 5~30mm | 25~80mm | 5~30mm | 10~30mm |
派生型
- VK.16.02"Leopard"(レオパルト軽戦車)
- 1941年に開発が始まった、強行偵察用の軽戦車。II号戦車の発展型だが車体は真新しくなっており、傾斜装甲を取り入れている。レオパルトとは豹(ひょう)のことで、パンターと同じ意味である。
- 武装はL型の戦車砲型と同じだが、計画は中止され砲塔はプーマに流用された。
- Panzerkampfwagen II Flamm(II号火炎放射戦車)
- D型及びE型の足回りを流用して製作したもので、本格的な火炎放射戦車としてはドイツ軍初であった。新たにSd.Kfz.122の特殊車両番号が与えられた。Flamingo(フラミンゴ)という通称があるが、これは発射される火焔が脚の長いフラミンゴを髣髴とさせることと、ドイツ語で火焔を意味するFlamm(フランム)との語呂合わせであると考えられる。
- 砲塔は7.92mm MG34機銃1挺のみを搭載した小型のものとなっているが、固定式であるため射界は狭い。火炎放射器は履帯上部にある戦闘室前面の張り出しに1つずつ装備し、それぞれ90度の方向へ放射が可能である。火炎放射用燃料は撤去した機関砲の本体や弾薬の分のスペースを利用して車内に格納した。
- 1942年1月から1942年3月にかけて43両が従来のD/E型からの改造、112両が新規生産され合計155両が生産された。しかし当時のソ連では火炎放射による陣地攻撃の機会は少なく、のちにより必要とされた対戦車兵器として改造されるようになる。予定されていた本車の増産分150両もすべて対戦車自走砲に割り当てられた。
- 15cm sIG 33 auf Fehrgestell Panzerkampfwagen II(150mm重歩兵砲33型搭載II号戦車車台)
- II号戦車をベースとした新型車台に15cm sIG 33を搭載したもの。通称「Bison II(ビゾン2)」。
- この新型車台はアルケットによっていくつかの試作を経て作られたものである。最初はC型の車体にI号戦車と同じ要領で車輪ごと乗せたものを1940年初頭に製作したが、試験をしたところ搭載位置が高すぎたために反動が大きく精度に欠けるため不採用となった。
- 次に車輪を外した状態で車内に格納したもので実験を行い、それを元に1940年6月に脚を残して搭載したものを試作した。これは必要に応じて砲をはずして車輪をつけて従来の牽引砲としても運用ができるように考慮したものだが、試験の結果操作性や弾薬格納能力が不足しているとしてこれも不採用となった。
- これらを解消すべく開発された車台は、従来のII号戦車車台より車体幅を320mm、車体後方を670mm延長し転輪を1つ増やしたものであった。砲も本体や駐退機など基本的な部分のみが残され、これが採用された。他の特徴としては近接防御用に7.92mm MG34機銃を搭載したことと、前作のI号自走重歩兵砲の反省を生かし車高を2m以下に抑えたことが挙げられる。
- ドイツ兵器局は1941年8月から9月にかけて12両を発注したが、専用車台となったため治具なども専用となって生産に手間取り全車の完成は同年12月までかかった。
- 全て北アフリカ戦線に送られ、貴重な重火力としてエル・アラメインの戦いで全車が損耗するまで各地で戦った。さらに損傷した本車から砲と防盾を取り外して、砲塔を失ったIII号戦車に強引に取り付けた現地改造車もある。
- Panzer Selbstfahrlafette 1 für 7.62 cm PaK36(r) auf Fahrgestell(76.2mm対戦車砲搭載装甲自走砲架1型)
- =II号対戦車自走砲(76.2mm対戦車砲36型搭載型)
- D型およびE型を元にした車台に、独ソ戦初期に大量に鹵獲した76.2mm F-22野砲に改良を加えた7.62cm PaK(r)を搭載したもの。「装甲自走砲架1型」とは牽引砲を車載用にするための固定砲架の1種で、II号戦車D型およびE型向けに作られたものである。
- 東部戦線においてT-34という思わぬ強敵に遭遇したドイツ軍は、それに対抗し得る兵器として7.5cm PaKの開発を急いだが、前線への配備には時間が必要であった。そこで注目されたのがソビエトから捕獲した76.2mm(3インチ)F-22野砲であった。その名の通り間接照準による攻撃を主体とする野砲だが、初速度に優れていた本砲は対戦車砲としても使用されていた。
- 当初は「7.62cm FK 296(r)」という名前でそのまま運用していたが、より使いやすくするために操作部や薬莢、照準器などに改良を加えたものを製作しこれを「76.2mm対戦車砲36型(7.62cm PaK 36(r))」と名付けた。さらに機動力を持たせT-34などの屈強な戦車に対抗すべく、既に価値が低下していたII号火炎放射戦車を改造して対戦車自走砲に仕立て上げた。
- 1942年初頭から1943年6月にかけて、火炎放射型の増産分150両の他に既に生産された火炎放射型51両を改造した合計201両が生産され、すべて東部戦線で戦った。
- この車両には最初Sd.Kfz.131の特殊車両番号が与えられたが、後にSd.Kfz.132に改められた。
- 7.5cm PaK 40/2 auf Fahrgestell Panzerkampfwagen II(75mm対戦車砲40/2型搭載II号戦車車台)
- =II号対戦車自走砲(75mm対戦車砲40型搭載型)
- c、A、B、C型の上部構造物を撤去し、7.5cm PaK 40の車載型である7.5cm PaK 40/2を搭載したもの。通称「Marder II(マルダー・ツヴォー、マルダーは貂(テン)の意)」。Sd.Kfz.131の特殊車両番号が与えられた。
- 戦車としての価値がなくなったII号戦車各形式の車台を利用した対戦車自走砲で、搭載砲は純国産である。急造の76.2mm対戦車砲搭載型とは違い十分な設計が練られた本車は、発見されにくい背低の車両となった。
- 1942年7月から1943年6月にかけて531両が生産され、76.2mm対戦車砲搭載型と共に前線のピンチヒッターとしての役割を果たした。さらに北アフリカ戦線にも派遣され、当時のイギリス軍戦車の火力を大幅に上回る兵器として活躍をした。
- なお、本車が完成した後7.62mm PaK 36(r)を搭載したものも「マルダーII」と呼ばれるようになったが、便宜的にこれを「マルダーIID」と呼ぶこともある。
- 10.5cm leFH 18/2 auf Fahrgestell Panzerkampfwagen II(105mm軽榴弾砲18/2型搭載II号戦車車台)
- F型の上部構造物を撤去し、10.5cm leFH 18の車載型である10.5cm leFH 18/2を搭載したもの。搭載に当たり車体は延長された。
- 通称「Wespe(ヴェスペ、スズメバチの意。ホルニッセと同じ)」。Sd.Kfz.124の特殊車両番号が与えられた。
- 電撃戦に対応しきれなかった牽引榴弾砲である10.5cm leFH 18を自走化する計画は、前線から次々と引き上げられていくII号戦車の数が増えるにしたがって進んでいった。当初はIV号戦車の車台を用いる計画もあったが、バランスやコストの面でII号戦車の方が優れていることが後に明らかとなり生産に至った。
- 1943年2月から1944年7月にかけておよそ670両が生産され、同時に砲を搭載しない弾薬運搬車がおよそ160両生産された。本車はより大型の自走砲であるフンメルが配備されるまでのつなぎという名目ではあったが、予想以上の戦果を挙げたため終戦まで活躍することとなった。
関連動画
ドイツ軍のデンマーク侵攻を描いたデンマークの戦争映画「エイプリル・ソルジャーズ ナチス・北欧大侵略」のワンシーン。5:33辺りに登場する。
対戦車装備が十分でない歩兵部隊にとっては、いかに軽装甲であっても脅威である事がよく分かる。
II号戦車L型「ルクス」のレプリカ実動動画。千鳥配置の足回りの挙動が興味深い。
模型紹介
価格は全て税抜である。
- タミヤ II号戦車F型(1/35スケール)
- タミヤから発売されているF型のキット。1971年6月15日初登場、シリーズ番号9という驚異の超古参キットで、現在定期的に生産されているキットの中で最も古いロングセラーモデルである。敬語を使わない堅い表現の解説文が当時を思わせる。
- 模型を取り扱う家電量販店でも入手が可能で、定価は1200円である。
- 戦車を構成する部品はわずか90足らずで、あっという間に組みあがる。当時から金型に変更はないので、工夫次第でより見栄えのいいモデルにすることもできる。戦車兵1体に加えアフリカ戦線の兵士も4体ついてくるのでストレート製作で生き生きとしたジオラマができる。
- とにかく安くて作りやすいので、タミヤのMMを作るならまずこれからスタートするといい。ただし説明文が当時のままであるゆえの注意点がある。本製品は「II号戦車F/G型」という名称だが実際は「F型の雑具箱あり/なし」の選択式であり本キットでG型は作れない。くれぐれもご注意を。
- タミヤ II号戦車A~C型(フランス戦線)(1/35スケール)
- F型から実に37年の時を経てタミヤから発売されたA~C型のキットで、シリーズ番号は292。
- 模型を取り扱う家電量販店でも入手が可能で、定価は3200円である。
- A/B/C型の各形式のわずかな違いをよく再現したキットで、部品数はリアル感を重視したキャタピラの連結組立式も相まって多くなっているが、その分ディテールも大幅に向上している。マーキングはフランス戦線のものが4種類用意されている。車長の人形1体つき。
- 同社のF型と比べ価格が3倍近く高いが、キットの精度を考慮すれば十分であろう。
- タミヤ II号戦車C型(ポーランド戦線)(1/35スケール)
- タミヤから発売されているC型のキットで、シリーズ番号は299。
- 模型を取り扱う家電量販店でも入手が可能で、定価は3400円である。
- 内容は先発のII号戦車A~C型とほぼ同様だが、本製品ではポーランド戦線3種類のマーキングと精巧な兵士の人形4体がついている。
- タミヤ 対戦車自走砲マルダーII(1/35スケール)
- タミヤから発売されているマルダーIIのキット。1975年初登場、シリーズ番号60の古参キットである。
- 模型専門店または通信販売で入手できる可能性があり、価格は1900円程度である。
- 車内構造がよくわかるオープントップ式の車体の魅力を当時からよく再現しているキットで、作りやすさも同時に実現しているのが特長である。マーキングはアフリカ戦線のものがチョイスされており、兵士の人形2体も付属。
- スポット生産品なので入手はやや難しいかもしれないが、2011年9月17日に「70年代の傑作キット」として再生産されたので発見のチャンスはある。
- タミヤ 自走榴弾砲ヴェスペ(1/35スケール)
- タミヤから発売されているヴェスペのキットで、シリーズ番号は200のキリ番。
- 模型を取り扱う家電量販店でも入手が可能で、定価は3000円である。
- マーダーII同様、オープントップ式ならではの内部の作り込みを徹底しつつ部品数を抑え、さらに完成後には実車同様のアクションも楽しめる1品。履帯は塗装と接着が可能なベルト式が使用されている。
- 東部戦線のマーキング3種と、兵士の人形2体つき。
- タミヤ 自走榴弾砲ヴェスペ”イタリア戦線”(1/35スケール)
- タミヤから発売されているヴェスペのキットで、シリーズ番号は358。
- 模型を取り扱う家電量販店でも入手が可能で、定価は3600円である。
- こちらは表題通り「イタリア戦線」をモチーフにしたキットとなっており、履帯は重量感抜群の部分連結式が採用されている。またアクセサリーパーツもさらに豊富に追加されている。
- マーキングは2種類、車長と砲手そして装填手2体の計4体(車両定員分)の人形つき。
- ホビーボス 偵察軽戦車 VK1602レオパルト(1/35スケール)
- ホビーボスから発売されているレオパルトのキットで、シリーズ番号は82460。
- 模型専門店または通信販売で入手できる可能性があり、価格は5000円程度である。
- 「ミニパンター」と言える本車のキットは、完成後にパンターと並べてその相似性を感じることが最大の楽しみだろう。
関連コミュニティ
関連項目
ナチス・ドイツ軍の軍用車両 | |
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装甲車 | Sd.Kfz.222 / Sd.Kfz.231 |
軽戦車 | I号戦車 / II号戦車 / 35(t)戦車 / 38(t)戦車 |
中戦車 | III号戦車 / IV号戦車 / パンター |
重戦車 | ティーガー / ポルシェティーガー |
超重戦車 | マウス / ラーテ |
駆逐戦車 | ヘッツアー / IV号駆逐戦車 / フェルディナント / ヤークトティーガー |
突撃砲 | III号突撃砲 / ブルムベア |
自走砲 | カール自走臼砲 |
半装軌車 | ケッテンクラート / Sd.Kfz.251 |
装輪車両 | キューベルワーゲン / シュビムワーゲン |
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