JBLとは、以下のことを表す。
概要
アメリカテキサス州出身。現在はギミックの関係から、ニューヨーク出身としている。
1969年11月29日生まれ、身長198cm 130kgの大型レスラー、すごく強い。
1992年に、プロレスラーとしてデビュー。ジョン・ホークの名前でGWFなどの団体で活動。
1996年、WWE(WWF)にジャスティン・ホーク・ブラッドショーとしてデビュー。
damnおじさん(ファルーク)とタッグを組むのは1998年ごろから。アコライツというタッグネームでWWFタッグチーム王者を2度獲得。このへんから、ブラッドショーというリングネームに変更。初期には、ジ・アンダーテイカーの率いる、身にストリー・オブ・ダークネスなどに参加するが、2000年には新ギミックとしてAPA(アコライツ警備保障)と名称を変更。葉巻を吸い、酒を飲み、ポーカーをする、金が入れば用心棒を引き受けるなどと、荒くれものギミックで様々なタレントと競演し、人気を博す。2001年にはdamnおじさんと3度目のWWEタッグ王座を獲得。
2002年、RAW・SMACKDOWN!と2リーグ制度によりファルークとのタッグを解消。JBLはRAWへ。当初はプッシュを受けるも、次代のエースであるブロックレスナーとのトラブルによりハードコア要員へ格下げ。18回ほど同王座を獲得しているが、どこでも決着を付けられる王者であったため、このような回数になっている。
負傷欠場後はファルーク所属のSMACKDOWN!へ移籍。再びタッグを組む。この頃、髪を黒髪セミロングから金髪へ戻す。
2004年、タッグを解消しシングル転向。ギミックチェンジで、ヒールターン。嫌味な証券アナリストギミックとなる。出身もニューヨークに変更。JBL(ジョン・ブラッドショー・レイフィールド)と名称変更。入場時のリムジンには、テキサス出身の名残である牛の角が付いている。ちなみに彼は、スタン・ハンセンを尊敬している。最初期のギミックは、彼そのままと言っても過言ではない姿であった。
エディ・ゲレロとの抗争を開始し、2004年のThe GREAT AMERICAN BASHでWWE王座を獲得。キャリアハイへと駆け上る。獲得後には、オーランド・ジョーダン、バシャム・ブラザーズとJBL'sキャビネットを結成。彼らの助けを借り、ずる賢く王座を守る。その後、勢いに乗っていたジョン・シナと抗争開始。凄まじい流血戦などを繰り広げる。2005年Wrestle Mania21でジョン・シナに敗れるまで長期間WWE王座を保持(敗北後、バシャムズは脱退、ジョーダンとも暫く活動を続けるもフェードアウト)。その辺の極悪ヒールの方が正々堂々戦うぞ、と思えるくらいズルい。この辺から自分を「レスリング・ゴッド(通称?レ神)」と名乗り始める。
その後、RAWから移籍してきたバティスタと世界ヘビー級王座を巡って抗争。王座獲得とはならず、その後はレイ・ミステリオとも抗争。この頃、MNMのジリアン・ホールを雇う。
2006年にはブギーマンと抗争を開始する。衝撃的?だったのはジリアンの耳辺りのできものをブギーマンが食べた、ミミズを敗北したレ神に食べさせるなど。中々絵面がグロかった。同年、Wrestela Mania22でクリス・ベノワを破りWWE US王座を獲得。その後は、世界ヘビー級王座を獲得したレイ・ミステリオと抗争。Judgment Day2006で世界ヘビー級王座を賭けて戦うも敗北。5月26日に新人ボビー・ラシュリーにUS王座を奪われる。そればかりか、ミステリオとのSMACK DOWN!追放を賭けたマッチでも敗北。ECW復活による解説者タズが移籍したことから、SMACK DOWNに解説者としての復帰を6月11日に宣言。
その後は、リングにレスラーとして上がる事は無く、事実上の引退。ヒール寄りの解説者として活動。
2007年アルマゲドンにて、クリス・ジェリコが実況席に突っ込んできたことに怒り、試合最終に乱入し、ジェリコに攻撃する。その後、ジェリコ打倒をかかげ、RAWに移籍、再び選手としてリングに上がる。イラクでの放送では、APAの頃とは思えないような、防護服を身に纏い登場。しかしきっちりとジェリコを仕留める。その後は王座戦線に絡んだり、スポット参戦中のファルークと再結成し、ホーンスワグルを救うなどといった活躍を見せる。2008年、リーマンショックをネタにしたストーリーでショーンマイケルズを「雇う」。そうしたストーリーを経て、2009年にはCMパンクからIC王者を獲得する。これにより、グランドスラムを達成。
同年にミステリオとの抗争から、IC王者を試合開始後たったの21秒で奪われる。そのまま、引退。あっけないストーリーであるが、背中古傷の悪化などでまともに動けない状態であったこと、投資業の多忙化による理由からの引退である。2006年にかつて抗争を繰り広げたエディ・ゲレロが死去しており、彼がいないならばと、引退試合ではミステリオを指名したと言われている。
その後、総合格闘技団体を設立したり自分の名前を関した栄養補給ドリンクを販売(何となくサイモンシステムを思い出す)。
その後、2011年にWrestle Mania27のゲストレフェリーにテキサスの英雄として紹介される。ストーンコールドスティーブオースチンを期待していた観客からブーイングで迎えられる。当然オチ付きで、その後登場したストーンコールドにスタナーをくらう。そういえば酒飲みマッチなんかも彼等は行っていた。
2012年RAW放送1000回記念でdamnおじさんとAPAを再結成。ヒース・スレーターにクローズライン・フロム・ヘルをお見舞いする(このときのヒースの受けは一見の価値あり)。また、damnおじさんがWWE・HOFに選出されたことからインダクターを務めた。最近はマイケル・コールらと組んで解説業をフルタイムで行ったり、登山したりしている。因みに、そのうちコールを引き連れて登山するとか。
必殺技
- クローズライン・フロム・ヘル
- スタンハンセンのウェスタン・ラリアットの模倣が基礎。アメリカ式クローズラインと組み合わせた技である。単純な打撃技であるが、非常にインパクトのある技で、リングに自らを振り、全体重をかけてぶち込むランニング式。
得意技
- パワーボム
- ミックチェンジ後はあまり使わない。ロングホーンの角を指で作ったり、タバコをふかすアピール後に繰り出す。
- ラスト・コール
- ブロック・バスター。証券取引の用語から引用されている。
- ビッグ・ブート
- 長身の選手らしく、豪快に。
- 「レスリ~ン、グァ!ガ~ッ」
- レ神のキメ台詞。大体、言い終わった後は満面の笑み。
獲得タイトル
WWE王座 WWE・US王座 WWE・IC王座 WWE・ハードコア王座 WWE・ヨーロピアン王座
GFWタッグ王座 MCWタッグ王座 OVW南部タッグ王座 NWA北米ヘビー級王座 キャッチレスリングタッグ王座
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 2
- 0pt