M1カービンはアメリカのウィンチェスター社が開発した小型の自動小銃である。アメリカ軍が第二次世界大戦において配備・運用しており、戦後も警察予備隊(後の自衛隊)に貸与されて主力小銃となった。
種類・派生として「M2カービン」「M3カービン」などがある。
概要
スペック | |
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全長 | 900mm ~ 904mm |
重量 | 2.4kg ~ 2.6kg |
銃身長 | 458mm ~ 460mm |
機構 | ガスピストン方式 (ショートストローク) |
口径・弾薬 | .30カービン弾 (7.62 x 33mm) |
有効射程 | 270m ~ 300m |
使用弾薬は.30カービン弾で、着脱式の箱型弾倉に15発装填可能だった。重量は弾を装填しない状態で2.4kg、全長はおよそ900mmで、M1ガーランドやスプリングフィールドM1903と比較して1kg以上軽く、かつ200mmほど短いため取り回しが非常に楽であった。
派生・バリエーションとして、ピストルグリップ+折りたたみ式ストックを備えた空挺部隊向けの「M1A1カービン」(製造数およそ15万丁)や、セミ/フルオート切り替え式で30発箱形弾倉を備える「M2カービン」、夜間用の暗視装置を搭載した「M3カービン」などがある。
M1カービンは軽量で取り回しやすく、長い銃身で命中精度も良かったので、当初予定していた戦車兵や通信兵以外にも歩兵部隊の下士官や空挺部隊、レンジャー、さらには同盟国の兵士などにも与えられ、非常に好評を得た。
これを鹵獲したドイツ兵、日本兵にも好評であったといわれる。特に小柄な日本兵には小銃としてはコンパクトで射撃の反動も小さいM1カービンは最適で、反動の強烈な30-06弾を使うM1ガーランドよりも好評だったという話もある。
一方で不満が無いわけではなく、火力不足がたびたび指摘されている。「冬用の厚手コートを貫通できない」なんて噂すらあるが、使用する.30カービン弾は1940年代で最強の拳銃弾である.357マグナムと比較して1.5倍の運動エネルギーを持つくらい強力なので、戦場で発砲するも命中しなかったのを命中したと勘違いし、撃ったのに倒れなかったと兵士が思いこんだのが噂の出所だと考えられている。
最終的にM1カービンは派生型も含めると650万丁ほどが生産され、これはなんとM1ガーランド(約625万丁)より多い。
開発経緯
1930年代、アメリカ陸軍上層部は歩兵・砲兵・戦車・補給の各部隊からM1ガーランドに対する不満を綴ったレポートを受け取ることとなる。
最前線でドンパチする普通の歩兵にとってはM1ガーランドは良い銃であったが、それ以外の特別な役割のある兵士(例:砲や機関銃の操作要員、通信兵、戦車兵、工兵、司令部のスタッフetc)にとって、M1ガーランドは重くて扱いづらく、肩にかけていても作業をしているとアチコチにひっかけたりヘルメットにぶつけたりとストレスのたまる要因にしかならなかったのである。日本軍でこんな意見を口にしたら「甘ったれるな!」と上官に殴打されそう。
一方で、小型で取り回しの良い短機関銃や拳銃なら良いかというとそういうわけでもなく、両者とも拳銃弾を使用するためどうしても有効射程が短く、さらに短機関銃は重たいままだし、拳銃は火力が低くて万全に扱うには訓練が必要と、どっちもどっちな評価であった。
M1カービンの開発
そこで1938年にアメリカ軍は強力な自衛用の火器として、銃器メーカー各社に小銃と短機関銃の中間に位置する、軽量で火力もそれなりにある自動小銃の開発を依頼する。これに対してウィンチェスター社ではアメリカ陸軍のスタッドラー少佐の助言を元に、自社のライフルをダウンサイジングした自動小銃の開発を開始した。
この銃の開発は、銃器の設計技師として有名なジョン・ブローニングの異母弟で、自身も同じく技師であるジョナサン・エドモンド・ブローニングが行った。彼が1939年に志半ばで死去すると、自動小銃のショートストロークピストンのデザインをしていたデイビッド・マーシャル・ウィリアムスが後を引き継いだ。[1]
ウィリアムスはウィンチェスター社のライフルをダウンサイジングするという幻想を捨て、M1ガーランドと同じボルト閉鎖機構と自分の得意なショートストロークピストンを組み込むなど、ブローニングの設計に大幅な改良を加えて軽量の自動小銃を完成させた。この自動小銃は1941年に行われたアメリカ陸軍のトライアルに提出されて良好な結果を残し、M1カービンとして採用が決定された。
その後
第二次世界大戦後においても、アメリカ軍ではM16が採用される1960年代までM1カービンの運用は続けられた。しかし民間ではM1カービン(のコピー)の製造・販売が続いており、使い勝手の良さから、開発から半世紀以上が過ぎた現在でも人気を保っている。
戦後の日本の警察予備隊(後の自衛隊)にも貸与[2]され、保安隊、自衛隊と組織の名前が変わる中でM1カービンは変わらずに実戦部隊や訓練用に使用が続けられた。さすがに89式小銃の採用後は完全に退役したようである。
その他、軍事用としては西側についたアジア諸国に提供されており、朝鮮戦争やベトナム戦争では鹵獲品を北朝鮮軍やベトコンが使用している。
その他
- たまにM2カービンはアサルトライフルなのか?論争が起きる。M2カービンはM1カービンの改良型でセミ/フル切り替え式の小銃である。拳銃とライフルの中間の弾薬を使用し、フルオートも可能なのでアサルトライフルだろうと主張する人もいれば、コンセプト的にはPDWじゃないか?と言う人もいる。
- 日本では豊和工業が自衛隊向けにM1カービンをライセンス生産していた。また同社はM1カービンを日本の銃刀法に適合するように改良を加えたM300(通称ホーワ・カービン)を民間向けに販売していたこともある。しかし、事件に使われたり、M1カービン部品の不正使用がたびたび摘発された結果、M300も90年代には製造を停止している。
- 玩具としてはマルシンやタナカからエアガン(ガスガン)やモデルガンとして発売されている他、無可動実銃を手にすることは不可能ではない。
- フィクションにおいては第二次世界大戦時のアメリカ軍が登場する作品にたびたび出演しており、プライベート・ライアンやCoD:WaWなどでその姿を見ることが出来る。
バリエーション
M1A1カービン | M1カービンの派生型。ピストルグリップ+折りたたみ式ストックを備えた空挺部隊向け。 |
M2カービン | M1カービンの改良型。フルオートでの発射が可能でセミ・フルの切り替えも可能。 |
M3カービン | M1カービンのさらなる派生型(正確にはM2カービンの派生型)。暗視装置を搭載したことで夜間にも対応。でもバッテリーなども取り付けた結果、重くなってしまったため、少数の生産で終わった(3000丁)。 |
M300 | 戦後の豊和工業にて生産されていたM1カービンのライセンス生産品。ホーワ・カービンの名前で知られる。 |
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関連項目
脚注
- *ちなみにこのデイビッド・マーシャル・ウィリアムス、保安官を殺したとして第一級殺人(計画的殺人)で逮捕され、司法取引で第二級殺人に減刑されて20年から30年の懲役刑を言い渡されて刑務所に収監。その中で自動小銃の機構に関して研究を行い、その後は家族や彼を逮捕した保安官らの減刑運動により減刑されて1931年に釈放された。
- *日本国憲法第9条との絡みなどにより、高度な政治的判断で「与える」のではなく「貸す」になったらしい。その後は返さなくて良いよ~と供与に変更されたようである。
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