概要
第二次世界大戦の前半における米軍の主力中戦車であり、イギリス・オーストラリア・ソ連等に供与され灼熱の北アフリカや太平洋のジャングル、ロシアの凍土といった世界各地で枢軸軍の侵攻を迎え撃った戦車である。背の高い車体とそのてっぺんの37ミリ砲搭載砲塔、車体前面におもいっきりオフセットされて搭載された限定旋回式の75ミリ砲というスタイルは非常に印象深い。というかキモい。でも最近この武骨さがちょっとキモかわいい気もする。
開発経緯
1939年に勃発した第二次世界大戦をうけ、アメリカでも大軍備拡張計画がスタート。その中のひとつに中戦車の大量生産計画があったのだが、欧州で猛威を振るっていたドイツ機甲師団の主力戦車は当時アメリカで製造経験があった戦車の主砲口径をしのぐ50ミリ砲、そして75ミリ砲を装備していたため、生産すべき戦車は75ミリ砲を搭載するよう決定された。
しかし、当時のアメリカにおいて75ミリ砲搭載の砲塔は製造経験がなく、いきなりの大量生産には大きな不安があった。そのため既存の戦車設計・製造技術の限界を踏まえた折衷案として、37ミリ砲搭載の砲塔と75ミリ砲搭載の砲郭を備えたM3中戦車が開発されたのである。なお、それ以外の要素であるエンジンや足回り等は小改良を経て後継となったM4中戦車にほぼまるごと受け継がれている。
また多砲塔戦車と勘違いされやすいが多砲塔戦車とは設計思想が違う別物であり本車両のように単一砲塔以外に車体にも砲を装備した車両は多砲塔戦車には含まない。
戦史
1941年より生産が開始されたM3中戦車は米軍だけでなく、フランス戦で多くの重装備を失った英国にも供与されている。正確にいうと英国は自国ポンコツ戦車を米国に量産させたがってたのだが、そんな無駄なことができるかと米国に拒否され、米軍の戦車を英国軍仕様に再設計して生産し英国軍で使用するという構図に落ち着いた。この戦車を英国軍では「グラント」(南北戦争時の北軍の将軍)と命名したのである。そして英国軍がドイツ軍に戦車を壊されまくったもんだからそれも間に合わなくなり、もう米軍仕様のままでいいから持ってこーいってな状況になったことで、もうひとつのM3中戦車の愛称「リー」(南北戦争時の南軍の将軍)が生まれることとなった。榴弾が撃てず非装甲目標への対応力不足という問題を共通して抱え、さらに車種毎に機動力や防御力や信頼性に重大な問題を抱えるというガラクタ揃いの英国戦車よりははるかに高い評価を受けている。またその車台は装甲兵員輸送車や自走砲のベースとしても愛用され、英国軍を支える地味だけど重要な役割を果たしたのである。
ソ連に供与されたM3中戦車は、主力戦車のT-34が人間工学無視の中の人イジメとしか思われない設計をしてたことから使いやすさや信頼性では高い評価を受けている。その一方で防御力の不足が指摘されており、「7人兄弟の棺桶」というありがたくない渾名までつけられてしまっている。供与戦車の後継となったM4中戦車の高評価に埋もれてしまった感は拭えない。
欧州戦線でM4が主力となり現役を退いてからも、太平洋戦線ではもうしばらく現役が続いた。M3軽戦車にすら手こずっている日本軍にとってM3中戦車は大きな脅威であり、激しい死闘を繰り広げることとなった。M4中戦車の配備にともなって淘汰が進められた欧州戦線と異なり、太平洋戦線では末期までM3中戦車がM4中戦車と並んで戦場に投入されている。
アメリカでの生産は1942年いっぱいで終了。約6000両ちょいの生産数であった。
バリエーション
- M3
- 一番最初の型。2個1組の転輪を「垂直渦巻スプリング・サスペンション(VVSS)」と呼ばれるもので支持したものを3組という足回りを持つ。以後これは本クラスのアメリカ戦車でよくみられる構造となる。
- 武装は車体前面右側に75mmM2戦車砲1門(携行弾数50発)、砲塔に37mmM5戦車砲1門(携行弾数178発)、7.62mmM1919A4機銃を砲塔上面のキューポラに1挺、砲塔同軸に1挺と主砲下部に1挺の合計3挺(携行弾数9200発)、装甲は最大51mm、最高速度は39km/hである。後期生産分より75mm砲は29口径から38口径に改められた「M3戦車砲」に、37mm砲は装填装置などに改良を加えた「M6戦車砲」となった。
- 主砲の75mm砲はある程度の貫徹力を持っていたが、専ら榴弾による陣地や軟目標への攻撃を主とした。これは対戦車戦闘と榴弾による近接支援を車両ごとに戦車を分担していた当時のイギリス軍にとって、これらを同時に行えるものとして歓迎された。しかし全高は3mを超す全高は良好な視界を得られる反面で被発見率も高め、88mm高射砲を相手にしたときは75mm砲の有効射程に到達する前に撃破されてしまうことも多かった。
- イギリス軍向けに生産された「グラント」は、全高を抑えるために砲塔が高さを抑えた鋳造製となり無線機搭載のため後部に張り出しが設けられた。また、砲塔上の機銃付きのキューポラが廃されて単純なハッチとなった。
- 乗員の内訳は、車長、37mm砲手、37mm砲装填手、75mm砲手、75mm砲装填手、操縦手、副操縦手兼通信手である。場合によっては副操縦士が省略されて操縦手が通信手を兼ねて6人になることもあったが、それでも多砲塔戦車並みに多い乗員は指揮が大変であった。
- 1941年4月から1942年12月かけて4924両が生産された。
- M3A1
- 車体をそれまでのリベット工法から鋳造に改めたもの。
- 1942年2月から同年8月にかけて300両が生産されたが、実戦投入はされずすべてアメリカ国内で訓練用として使用された。
- M3A2
- 工数の削減と軽量化を狙い、車体をリベット工法から溶接方法に改めたもの。
- 1942年1月から同年3月にかけて12両が試験的に生産された。
- M3A3
- M3A2のエンジンを強化したもの。最高速度が48km/hに向上した。
- 1942年3月から同年12月にかけて322両が生産された。イギリスにも「グラントMk.VII」として49両がレンドリースされたが実戦参加はしていない。
- M3A4
- M3A3とは別のエンジンを搭載したもの。エンジンの構造上車体が延長された。最高速度は40km/hである。
- 1942年6月から同年8月にかけて109両が生産されたが、M3A1と同様に実戦参加せず訓練用に回された。
- M3A5
- M3A3を再びリベット工法に戻したもの。これは溶接技術が未熟であったことからM3A3に先立って生産された。
- 1942年1月から同年12月にかけて591両が生産された。イギリスにも「グラントMk.XI」として185両がレンドリースされ実戦参加した。
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タミヤから発売されている「リー」のキット。シリーズ番号39の古参キットだが、2011年9月に「70年代の傑作キット」として再生産が行われ、その後も追加生産がされた。
部品点数が抑えられ、簡単な組み立てでその大きな車体を気楽に再現できる。さらに可動部分も多いため完成後も実車同様の様々なアクションが楽しめる。同社製IV号戦車とのサイズ比較も面白い。
定価は2,000円(税別。2014年11月の再販時の公式価格)。この手ごろな価格も魅力の1つである。ただし2016年4月現在は品切れのため少々プレミアが付いており、Amazonマーケットプレイスでの新品の最安値は4,800円+送料。
タミヤから発売されている「グラント」のキット。こちらもシリーズ番号41の古参キットで、リーと同じく何度か再生産されている。
砲塔とマーキング以外は特に変更点はないので、リーと同じように気軽に組み立てができる。
定価は2,200円(税別。2015年5月の再販時の公式価格)。こちらは2016年4月現在もAmazonに在庫があり定価より値引きされた価格で購入できる。
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