P.T.バーナムことフィニアス・テイラー・バーナム(Phineas Taylor Barnum、1810年7月5日 - 1891年4月7日)は、アメリカ合衆国の興行師、実業家である。
サーカスの興行を全米各地で行い、後に「地上最大のショウ(The Greatest Show on Earth)」と呼ばれる一大巡業を展開。ショービジネスにおいて一時代を築いた。
その辣腕ぶりから「おがくずを黄金の山に変える男」と評され、映画『グレイテスト・ショーマン』の元ネタとなった。
概要
1810年、コネチカット州に生まれる。
家は宿屋兼商店で、彼もその後を継ぐ形で商売に手をつけ始めた。12歳から雑貨店の事務員となり、新聞配達から聖書の訪問販売、果ては宝くじ販売から不動産投機まで、ありとあらゆる仕事を経験する。
1829年には週刊新聞『ザ・ヘラルド・オブ・フリーダム』を創刊。しかしフリーダムすぎたせいで名誉棄損で訴えられ、賠償金を支払わされた挙句2ヶ月も収監されてしまった。
その後はニューヨークに移住し、興行師としてのスタートを切る。最初に彼が雇ったのは黒人奴隷の女性ジョイス・ヘスで「160歳を超えるジョージ・ワシントンの乳母」という触れ込みだった。
バーナムが様々な宣伝を投げた事でこの興行は人気を博し、実際には80歳にもなっていない彼女が語る「ジョージぼっちゃま」の思い出話に、人々は夢中になった。2年後に彼女が死亡するまで、この巡業は人気だったという。
1841年には「バーナムのアメリカ博物館」をオープン。動物園、水族館、蝋人形、ジオラマ、剥製、演劇舞台や射撃場といった、ありとあらゆる娯楽をふんだんに詰め込んだ内容は大ウケし、1日で15000人が来場するという盛況ぶりだった。1841年から1865年にかけ、3800万人の観客が来訪したとされている。
しかし1865年に火災で焼失、再建するも1868年に再び焼失するという悲劇に見舞われている。
1842年に「親指トム将軍」として知られる小人、チャールズ・ストラットンと契約。これが大当たりし、バーナムは1844年から1年をかけてヨーロッパ巡業を行い、イギリスのヴィクトリア女王にも謁見する栄誉を得た。
その後スウェーデンの歌姫、ジェニー・リンドの全米ツアーを展開。それまで「オペラ」に馴染みのなかったアメリカに、「北の小夜鳴鳥」の歌を届けた。
その他にも華々しい興行で世間を熱狂させたバーナムは1855年に引退したが、債権の支払いの為に2年後に復帰する。
1871年、サーカス・動物園・フリークスの見世物などを総合した「地上最大のショウ」を設立。翌1872年には業界初の「興行列車」を企画し、全米中を興行して回った。
各地でショウは熱狂的に出迎えられ、1881年にはジェームズ・ベイリーが経営していたサーカスと合併。「バーナム・アンド・ベイリー・サーカス」とし、世界中を巡業して回る。特に呼び物だったのはロンドン動物園から買い取ったアフリカゾウの「ジャンボ」で、後に「大きい」を意味する言葉の代名詞ともなっている。
これらの業績もあり、バーナムは押しも押されぬ名士となり、市長や下院議員にも選出されるなど、大きく評価されることとなった。
その後1891年、80歳で死去。その生涯はアメリカン・ドリームの象徴として語られる事となる。
彼の死後、1907年にサーカスは興行師・リングリング兄弟に売却され、「リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス」となった。
古き良き伝統のサーカスとして継続したが、2015年にゾウのショーが動物虐待であると訴えられて中止に追い込まれ、経営が成り立たなくなったとして2017年の興行をもって解散している。
逸話
当時のフリークス(身体障害者)の扱いについては興行師によってさまざまだった。ひどい興行師になると静かに暮らしている彼らを無理矢理引きずり出して舞台に立たせ、地方巡業の途中で置き去りにして売上だけ持ち逃げしたという。
彼らを「見世物にする」という行為に対しての批判や非難は当時から存在したが、バーナムは彼らを「エンターテイナー」として扱い、正式に契約を結び、給与を出した。「親指トム将軍」ことチャールズ・ストラットンは「バーナムがいなければ、誰も私達を『人間である』とは認めてくれなかった」と言葉を残している。
バーナムにスカウトされてショウに参加したフリークスの写真やフライヤーは多数現存。わけても「シャム双生児」の語源となった結合双生児・チャン&エン・ブンカー兄弟は、後世でもよく知られている。
1869年にニューヨーク州カーディフで「発掘」された巨人の化石、通称「カーディフの巨人」にまつわる話が伝わっている。
元々これは発掘主を自称する連中がイタズラでこしらえた偽物だったが、人々がこぞって騒いだ為に有名になってしまった。そこで「カーディフの巨人」を借りて展示しようと、バーナムは発掘主に持ち掛ける。
ところが発掘主らはこの申し出を拒絶。巨人を金儲けの道具にしようと考え、値を吊り上げる為に一旦バーナムの申し出を断ったのだ。
そこでバーナムは2000ドルをかけて似たようなものをこしらえ、ロッキー山脈で発掘された「コロラドの巨人」として宣伝。大規模な興行を打ち、連日人が詰めかける騒ぎとなった。発掘主は巨人の話題を先に奪われ、慌てて後から興行を行ったが結果は散々だったという。
この時バーナムはインタビューに対し「世間は騙されたがるものさ」と涼しい顔で答えた。賠償を申し立てた発掘主による訴訟も鮮やかに切り返し、逆に「カーディフの巨人は偽物だった」と世間に暴露された。
こうして巨人を巡る騒動は終わったが、その後も「コロラドの巨人」は博物館の名物として人々に愛されたという。
慈善事業家でもあり、様々な博物館・美術館に寄付を行った。最も有名なのはマサチューセッツ州メドフォードのタフツ大学で、大学理事に就任されたバーナムは、現在の価値にして1億5000万円近くを寄付している。
同大学の博物館にはアフリカゾウ「ジャンボ」の剥製が展示されていたが、1974年の火事で焼失。剥製があった辺りの灰はピーナッツバターの瓶に収められて保管されており、現在でも幸運のお守りとして、大きな試合や試験の前に撫でて勝利を祈る習慣がある。また現在はジャンボの石膏像が中庭に置かれており、学生達に親しまれている。
「誰にでも当てはまる性格の記述を、さも自分のために診断された内容だと思い込んでしまう現象」を意味する「バーナム効果」の由来でもある。詳細は個別記事参照。
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