IXC型潜水艦「U-511」 / 呂号第五百潜水艦「呂500」
「ドイツ海軍所属、潜水艦U-511です。ユーとお呼びください。
少し遠出してきました。よろしくお願い致します」
U-511(ユーごいちいち)とは、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。モデルはドイツ第三帝国海軍に所属していたⅪC型潜水艦『U-511』。
ここの概要に馴染めたらいいなって・・・思います
2015年2月6日から開催されている2015年冬イベント『迎撃!トラック泊地強襲』にて先行実装された潜水艦娘。同イベントMAP第3海域『トラック泊地沖』の突破報酬である。現時点では建造や通常海域でのドロップによる入手が出来ない。 2013年12月24日に実装された伊401やまるゆ以来約1年1ヶ月ぶりの新潜水艦娘であり、海外艦娘としては初の潜水艦娘でもある。
外見上は色素の薄い肌とどこかけだるそうな目が特徴的な少女。銀髪を腰まで伸ばしており、後ろ髪は房のようにまとまっているのが目を引く。最も特徴的なのはその衣装であり、潜水艦娘でありながらも分厚いライフジャケットのような上着とミニスカートとタイツが一体となったボディースーツを身に着けているため、顔以外の露出は皆無である。艤装も他の潜水艦娘とは違って巨大で無骨な代物。島田フミカネ氏のツイッターによると、金具より下の部分は、陸上では脱ぐとの事。常にあのような艤装を身に付けている訳ではないようだ。このスーツはドイツの高い技術の賜物であり、たとえ中破以上のダメージを負っても、左腕部分と右足の先が裂ける程度で、他は全くの無傷という頑強さを誇る。エロ要素が少ない。あまりの技術の高さに、日本では修復および生産が出来ない。
腰には潜水艦の艦首を2つに割ったような艤装が備え付けられており、そこから魚雷を発射する。右手には10センチ機関砲が握られている。この10センチ機関砲には、敵潜水艦が散布した防潜「毛」を切り取る鋸が備え付けられている。史実でも潜水艦を絡め取る防潜「網」というものが存在し、潜水艦側も対抗策として鋸を艦首に装着していた。艦これ世界の敵潜水艦は、髪の長い潜水カ級やヨ級なので、敢えて防潜毛と表現した可能性がある。
見た目通り大人しい性格であり、人見知りもしているためかおどおどとした口調で話す。見た目も相まってどこか儚げな雰囲気を醸し出しており、頑張って日本に馴染もうと努力している彼女の姿に父性本能をくすぐられる提督は多いようだ。そして個性豊かな先輩たちと触れ合った彼女は…。
入手およびログイン時の台詞に「少し遠出してきた」と言う。史実(後述)に準じ、友軍勢力から派遣されてきたからだと思われるが、同時にそれは深海棲艦が占領する西方海域を一人で突破してきた事を意味する。儚い容姿ながら、意外と肝が据わっているのかもしれない。
潜水艦娘恒例の愛称は「ユー」。本来のドイツ語読みならば「ウー」が正しいのだが、それだと某兎とかぶっちゃうからね。仕方ないね。
ゲーム上の性能
ゲーム上の性能としては、まるゆと伊号潜水艦たちの中間のような能力となっており、御世辞にも一線級とまではいかないが運の値は高めであり、まるゆと違って改造後は装備枠も2つあるので、夜戦カットイン要員として十分な働きが期待される。なお、改造しても潜水空母にならない貴重な潜水艦娘でもある。
運営から『海外生まれ日本育ちの新潜水艦娘』と謳われた通り、最初はドイツ軍籍だが、Lv35で改造することで日本軍籍となり、名前の読みも史実通り「さつき1ごう」に変化する。僕を呼んだかい?
更に、Lv55で改造することによって『呂500』になり、見た目も性格もセリフも大幅に変化する。一度改造すると元に戻せないため、どちらを選ぶかは提督次第である。
ユーの史実が一番? Danke。わかった。もっと頑張るね
第二次世界大戦時に通商破壊作戦によって連合国軍を苦しめたドイツ海軍の潜水艦(通称:Uボート)。U-511はその中でIXC型と呼ばれるUボートの一隻である。
IXC型は長距離航行に重きを置いたタイプで、航続距離は従来のドイツ潜水艦を凌駕していた。
ドイチェヴェルケのハンブルグ造船所にて、第二次世界大戦真っ盛りの1941年2月21日に起工。進水は1941年9月22日。同年12月8日、竣工しドイツ海軍に籍を置いた。奇しくもこの日は、太平洋戦争開戦の日であった。IXC型は1941年から翌年にかけて54隻が建造されているが、工程の複雑さと建造費の高さが祟って、Uボートにしてはあまり量産されていない。ちなみにIXC型のIXはアイエックスではなく、ローマ数字の9である。
船体には秤のエンブレムが施されていた。
主要目は排水量1137トン、全長76メートル、最大幅6.75メートル、3886馬力(潜行中は1000馬力)、水上速力18ノット(潜行中は7ノット)、航続距離は12ノット時で11000海里(潜行時は59海里)、燃料搭載量は208トン、安全潜航深度は100メートル、乗員48名である。武装として10.5センチ単装砲を1基、20ミリ単装機銃2基、艦首に53.3センチ魚雷発射管4門、艦尾に同様のものを2門備えている。魚雷は22本まで搭載可能。
1942年5月、ペーネミュンデのロケット技術者が発案した、Uボートのロケット発射実験に参加。試験的に砲撃ロケット発射装置6基を装備し、バルト海にて実験が行われた。水深8メートルの地点から24発のロケットを発射し、約3.2キロ離れた陸地に着弾。実験は成功した。これが潜水艦による長距離攻撃の萌芽となり、引き続きドイツはこの技術を研究したが、陸軍と海軍の主導権争いにより頓挫。戦後に米ソがこの技術を引き継いで完成させる事になる。
1942年7月16日、キール軍港を出港し、カリブ海で第一次戦闘哨戒に従事。その間に第10潜水戦隊へと編入された。7月27日、ハイチ沖でTAW15船団を攻撃し、イギリスのタンカー「サン・ファビアン」とオランダのタンカー「ロッテルダム」を撃沈。アメリカのタンカー「エッソ・アルバ」に損傷を与えた。
10月24日、一度ロリアンに帰投。中部大西洋にて第二次戦闘哨戒中の11月28日に艦長が発病し、ロリアンへ戻った。
12月31日、艦長をフリッツ・シュネーヴィント中尉に交代。ロリアンを出港し第三次戦闘哨戒を実施。年が変わって1943年1月9日、カナリア諸島南方にて単独で航行するイギリス輸送船「ウィリアム・ウィルバーフォース」を撃沈。
1943年3月5日、U-511にある重要な任務が下される。それは、日本からドイツに派遣されていた野村直邦海軍中将を故国に送り届けるついでにU-511そのものを譲渡して、インド洋での通商破壊に役立てるという任務であった。
ドイツ海軍はインド洋で通商破壊をするため、日本占領下のペナン基地に艦艇を送り込んでいた。しかしそれだけでは無尽蔵に現れるイギリス商船やタンカーを撃滅する事が出来ず、ドイツは頭を抱えた。そこで日本の通商破壊を活発化させるべくUボート2隻を譲渡、それを基にUボートを量産して貰おうとヒトラーは考えた。去年訪独した伊30を見学したドイツ軍関係者があまりの性能の低さに驚愕しており、日本海軍の潜水艦を強化する狙いも含まれていたという。
元々、日本海軍がUボートを購入するはずだったが、ヒトラーの鶴の一声により無償譲渡が決定。ここに総統閣下肝いりの任務が決まった。海軍が強く反対したが結局はヒトラーに押し切られた。
5月10日午後1時、ドイツ軍楽隊が奏でる「君が代」と「ドイツの歌」と共に、U-511はロリアン軍港のUボートブンカーから出港した。港外に出ると同時に潜行を開始し、26歳の若手艦長であるフリッツ・シュネーヴィント大尉と熟練乗組員が操艦するU-511は、距離にして約3万キロに及ぶ日本への長い旅を始めた。
便乗者は野村中将と杉田保軍医少佐、ドイツ人技術者5人であった。
イギリス軍に押さえられているスエズ運河は到底突破できないので大西洋を南下し、南アフリカの喜望峰を大きく回ってインド洋から日本勢力下の東南アジアへ至る航路を選択。ちょうど伊8が訪独の際に使った航路の逆を行く具合であった。しかしその途中にはイギリス軍の勢力圏や哨戒網があり、旅路は危険かつ過酷なものだった。
U-511には日本人も便乗するためか白米が積み込まれていた。厨房担当のドイツ人乗組員は、便乗していた日本人に米の炊き方を教えてもらったという。
出港10日後にアゾレス諸島東方を南下、20日後には南アフリカ沖に到達する。そこはイギリスに与する敵国、南アフリカ連邦の勢力圏であり、当然のように敵の目が光っていた。一方、喜望峰付近は一年中天候が荒れている場所だったため、U-511は荒天に身を隠しながら敵の哨戒網を突破。6月下旬に南アフリカ連邦の勢力圏を脱し、東進。インド洋へ辿り着く。ここでU-511は通商破壊を行い、アメリカ商船2隻を撃沈している。
7月15日、東南アジアのペナン基地へ入港し、現地の日本軍と合流を果たした。便乗していた野村中将とドイツ軍技師数名をペナンで降ろすと、修理と整備の後、日本への道案内役奥田増蔵大佐他4名を乗せ同月24日に出港。北上して日本を目指した。
余談だがペナンで下船した野村中将は、7月16日にドイツ本国から鉄十字勲章を贈呈されている。
マラッカ海峡を抜けて日本を目指すU-511だったが29日に思いがけないハプニングに見舞われる。台湾の高雄からシンガポールに向かうヒ3船団と遭遇し、日本海軍の潜水艦とは全く違う見た目をしていたU-511を敵潜と判断した輸送船に発砲を受けたのである。あわや同士討ちが発生しそうになったものの、U-511乗組員の奥田大佐が懸命に手信号や味方識別信号を送ったため攻撃は中止された。
臨検しに来た海防艦<択捉>に事情を話し誤解を解いたU-511は船団と別れ、ついに敵中三ヶ月の航海を終えて8月6日、無事呉に入港。仮称「さつき1号」として日本海軍に引き渡され、1943年9月16日に日本海軍籍となり、呂号第五百潜水艦、ロ500となった。そして呉鎮守府へと編入された。シュネーヴィント大尉は東京で盛大な歓迎を受け、南雲中将たちから出迎えられた。呉に上陸したドイツ軍乗組員は現地にいた日本人潜水隊員と仲良くなり、友好の証としてハーケンクロイツの記章を貰ったという。
その後呂500はドイツの進んだ電気溶接技術や静粛性についての研究に供された。U-511とともにドイツから電気溶接の専門技師3名が派遣されており、彼らと協同で解析を進める予定だった。ところが精密機械を載せた後続の潜水艦がインド洋で撃沈されたため電気溶接のノウハウを十二分に伝える事が出来なかった。
呂500はUボートIXC型の図面を持ってきており、これを基にして潜戌型を量産する計画が出た。ところが調査の結果、部品の規格が全て異なる上、兵装や機関などが全てオーバーテクノロジーだったため、日本の技術では生産も量産も不可能と判断されてしまう(一応、電気溶接や無音航行対策の参考にはなった)。そして研究を進めるうちに、日本とドイツの潜水艦がどれだけ違っているのか徐々に明らかになっていく。
U-511は呂号潜水艦と同じ大きさであったが、日本なら70名の要員を配置するところを、ドイツは47名で済ませている。これはUボートの機械化が進んでいて、その結果日本より少ない人員で運用できるという事を意味していた。さらに日本潜水艦の環境は劣悪だったが、Uボートは快適だった。機械化が進んでいるため計器類を見るだけで機関の燃焼状態が分かった。そして機械化により人員削減を実現した事で居住性も向上し、日本潜水艦には無かったベッド付き下士官室が設けられていた。機械室後部にはシャワールームまであったという。
U-511の鋼板の堅さは日本潜水艦の約二倍あり、爆雷攻撃に対して高い防御力を持っていた。鋼板は硬度が高くなれば高くなるほど電気溶接の難度が上がるため、ドイツの技術力の高さが如実に窺えた。
日本の場合、出撃45分前に主機関の試運転や電池充電を行うのだが、Uボートはその必要が無かった。トドメに急速潜航実験では、潜行時間に日本潜水艦は約40秒要するところを、呂500は最短29秒で済ませた。
このように日独との間には絶望的な技術格差が存在していた。日本の拙い工業力では、ドイツの精巧な工業力に追いつく事が出来なかったのだ。ちくしょーめ!このため、日本がUボートを量産してくれる事を期待したヒトラーの考えは失敗してしまう。むろんドイツと日本とでは潜水艦に求めるものが異なり、逆に日本が優位に立つものもあったのだがそれはまた別のお話。
11月1日、研究を終えた呂500は呉を拠点に海軍潜水学校の練習艦となり、訓練部隊として活動。ドイツ人乗組員の手を離れた呂500は、駆潜艇を標的とした襲撃訓練を繰り返す。ある日の午後、広島市佐伯区に防空注意報が発令される。呂500の乗組員は一旦上陸して避難するも空襲は無かった。艦に帰るべく、乗組員が戻ってくると、そこには大入島に乗り上げた呂500の姿があった。当直の下士官が操作を誤り、後部クラッチを入れたまま試運転させた事が座礁に繋がってしまったという。脱出には相当苦労したらしく、艦内の重たい物を後部へ移し、全速力で後進しても動かす事が出来ず、夕方の満潮まで脱出できなかったとか。座礁の際に艦首前部を損傷したが無事に修理された。
練習艦に指定されながらも各種調査試験は続行された。1944年5月2日、第33潜水隊に編入されるも約2ヵ月後の7月1日に呉防備戦隊に編入。同年9月30日、就役したばかりの海防艦沖縄の相手として訓練。
本来日本海軍は呂500を元に伊二百型潜水艦を建造する予定だったが変更となり、その技術を活かした伊二百一型が建造された。
1945年5月5日、呉防備戦隊内で発足した第51戦隊に編入。この部隊は増え続ける米潜水艦の被害を抑えるため、海防艦の錬度を高める教育隊であった。呂500は高い性能を買われ、新造の海防艦の訓練相手を務める事になった。比較的安全とされた七尾港に拠点を移し、対潜訓練の支援に徹する。同僚に呂68がいた。
8月、呂500はソ連参戦に備え、舞鶴に停泊。伊121や呂68とともに樺太沖もしくはウラジオストク港沖へ出撃し、侵攻してくるソ連軍艦艇を迎撃する予定であったが先に終戦。欧州の同僚たちより3ヶ月遅く、終戦を迎えた。
高い性能を有していながら帝國海軍には扱いきれず、練習艦として内地に留まり続けた呂500。それが幸いしてか、終戦の時まで生き残る事が出来たのだった。終戦後、呂500は連合軍に引き渡された。
11月30日除籍。1946年4月30日、米軍の手によって若狭湾にて海没処分。
余談
- U-511が運んだ野村直邦海軍中将、この旅程の打ち合わせのためにベルリンと東京との間で薩摩弁で捲し立て暗号代わりにしたり(盗聴していた米軍にも二ヶ月バレなかった)、東條内閣の海軍大臣になった翌日に内閣が総辞職してしまったりとかなりユニークな経歴の持ち主だったりする。
- 呉軍港まで辿り着いたU-511を、記録映像として日本海軍が撮影している。13分ほどのモノクロ映像で、タイトルは「ようこそ 友好国から好意のUボート」。呂500となったU-511の操艦を教えるドイツ人乗組員や、ドイツ兵が宿泊した宮島のホテルや江田島の光景などが映されている。映像にはドイツ語のテロップも表示されていた。非常に貴重な資料らしく、大和ミュージアムの館長はこのような映像作品が残されていた事を驚いていた。また東京の国立国会図書館にはU-511乗組員の写真が残っている。
- 呉軍港にU-511を届けたドイツ人乗組員は教鞭を振るい、呂500の操艦を潜水学校の生徒に教えた。その後、ドイツ人乗組員たちは1943年10月にシンガポールへ移動。接収したイタリア艦など4隻に分乗し、通商破壊に勤しんだ。そのうち2隻が米軍に撃沈され、終戦まで生き残った乗組員は15名程度だった。
- 1945年5月にドイツが降伏。東南アジアに残されたUボート群を接収するべく帝國海軍は回航要員を派遣。接収されたU-181には呂500乗務経験者の下士官数名が充てられたという。
「ユーちゃん改めろーちゃんです。提督、よろしくお願いしまーす!」
2015年2月6日から開催されている2015年冬イベント『迎撃!トラック泊地強襲』、第3海域『トラック泊地沖』を突破することで入手できたU-511をLv55まで育て、2度目の改造することによって進化(?)するのが呂500。なお、一度改造すると元に戻すことはできないので注意。
概要、はっしーん!
総統閣下「信じて送り出したU-511が日本の変態趣味にドハマリして健康的な水着美少女になるなんて……」
個性豊かな先輩たちに囲まれ、日本に馴染みすぎてしまった結果、すっかり日焼けして健康的な姿にイメチェンしたU-511その人。暗色のボディースーツに身を包んでいた以前と異なり、提督指定のスクール水着に身を包み、伊401と似たセーラー服っぽい衣装を水着の上に着るようになった。また、艤装もなくなって身軽になっており、浮き輪と魚雷だけを所持している。なお、頭につけているのはサツキの花飾りである。
見た目だけでなく、以前の大人しく儚げな性格から打って変わって明るく人懐っこく社交的な性格になり、提督や他の潜水艦娘たち(特にはっちゃん)とも仲良しになった様子。時報では他の潜水艦娘たちだけでなく、ビスマルクたちドイツ勢とも絡んでおり、彼女たちとの交流が描かれた内容となっているので必聴である。
本人曰く、日本語がだいぶ上達したらしいが、それでもまだドイツ語が出てきたり、人の名前を呼ぶときはどこか舌足らずになるなど、完璧とは言えないようだ。口癖は「~ですって!」「~って!」。
総じて、U-511とは見た目も中身も全く異なるキャラクターとなっている。
ちなみに名称の変化に伴って、愛称も「ユー」から「ろー」に変わった。真の泳ぐLO爆誕の瞬間である。
ゲーム上の性能
ゲーム上の性能としては、U-511より総合的な性能が少しパワーアップしているものの、それでも伊号潜水艦たちには少々及ばない。一方で、元々高めだった運は更に上昇しているため、夜戦カットイン要員として十分に力を発揮できるポテンシャルを秘めている。また、潜水空母ではないため、入渠時間が短いというメリットも。
更に耐久7以下の時はカスダメを受けない(そして中破は耐久の1/2(切り捨て)以下)という仕様上、(未ケッコンであれば)装甲を抜かれない限り中大破することは無い。そして潜水艦ぶっちぎりの回避と伊-58に匹敵する幸運。
ぶっちゃけ単艦オリョクルに最適任である。
初期装備である『試製FaT仕様九五式酸素魚雷改』は「雷撃+14、命中+7、回避+2」という高性能な代物。特に、潜水艦が装備できる魚雷で命中と回避が上がる装備は貴重である。プリンツ・オイゲンが持ってくるレーダーといい、さすがドイツの科学力は世界一ィィィィ!といったところだろうか。
もちろん呂500の初期装備以外に今のところ入手手段はないので、きちんとロックをしてしっかり管理されたし。
新しい動画みたい・・・
U-511
関連静画って・・・すっごい!
U-511
呂500
関連立体・・・うん、Danke
伊号のみんなとのコミュニティ、楽しかったって! はい!
見たことある関連項目もいる・・・気のせいかな?
- U-511/呂500
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 艦娘
- 潜水艦娘
- ドイツ艦娘 (フミカネ艦隊)
- 茅野愛衣 / 茅野艦隊(同期実装のうち天城を除き葛城・鹿島・嵐を加える)
- 択捉(艦これ)
- Uボート
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- 信じて送り出したU-511が...
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- 「呂500」探索プロジェクト
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