政治的な側面を持つが一貫して愛の尊さを訴えかける歌詞と、現在でも変化を続けるサウンドにより世界中にファンを持つ。
メンバー
- ポール・デイヴィッド・ヒューソン KBE(ボノ):リードボーカル、ギター
- デイヴィッド・ヒューウェル・エヴァンス(ジ・エッジ):ギター、コーラス、ピアノ
- アダム・チャールズ・クレイトン(アダム・クレイトン):ベース
- ローレンス・ジョゼフ・マレン・ジュニア(ラリー・マレン・ジュニア):ドラムス、コーラス。最年少だがU2のリーダー。
概要
1976年、高校の掲示板にラリーがバンドメンバー募集の貼り紙を出す。これを知ったボノ、アダム、ジ・エッジとその兄ディック(後に脱退。その後バンド名がU2に決まる為、彼はU2のメンバーとしては数えない)が集まり、5人でバンド活動を始める。1980年にアイランド・レコードと契約を結びメジャーデビューを果たす。現在もレコードレーベルはアイランドである。
デビュー時から「血の日曜日事件」を題材とした『Sunday Bloody Sunday』を発表してIRAの暗殺対象者リストに入ったり、ボブ・ゲルドフが発起したバンド・エイドに参加、1984年と2004年の『Do They Know It's Christmas?』に関わったりと平和活動が多いバンドとして有名。
これは北アイルランドの解放を英国に求めることや、カトリックとプロテスタントの対立に基づき起きている紛争や暴動をメンバーたちが身をもって知っていることと、ボノの出生(カトリックの父とプロテスタントの母の間に生まれる)が大きな影響を与えている。
現在では平和を歌う面ばかりが有名であるが、シンセポップ期が存在していたこともある。その頃は官能・退廃・ユーモアに彩られ、PVも過激な前衛的表現を多用するようになる。それまでのファンが離れて行ったこともあるが、冷戦下の鬱屈を皮肉るやり方に賛同も多かった。
またライブステージも凝ったデザインを施すようになる。顕著なのが1992年からの「ZOO TV TOUR」と1997年からの「POPMART TOUR」で、ド派手なセットに大量のモニタを設置し現代社会の拡大主義とメディアを痛烈に皮肉った。
30年以上バンド活動をしているが、メンバー仲は良好でロックバンドにありがちな「音楽性の違い」による脱退は一切ない。昔からアルバム製作が終了したら、メンバー全員とその家族で一緒にバカンスに行くほどである。その為「奇跡のバンド」とも呼ばれる。
その理由は彼らが同じ高校の同級生であることと、誰か一人で仕事をしようともそのギャラは必ず全員に平等に配分するというやり方を徹底しているからだと言われる。
ディスコグラフィー
表記は 原題(邦題:本国発売年) とする。
- Boy(ボーイ:1980年)
- October(アイリッシュ・オクトーバー:1981年)
- War(WAR(闘):1983年)
- The Unforgettable Fire (焔:1984年)
- The Joshua Tree (ヨシュア・トゥリー:1987年)
- Rattle and Hum (魂の叫び:1988年)
- Achtung Baby (アクトン・ベイビー:1991年)
- Zooropa (ZOOROPA:1993年)
- Pop (ポップ:1997年)
- All That You Can't Leave Behind (オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド:2000年)
- How to Dismantle an Atomic Bomb (原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム:2004年)
※元々の邦題は「ハウ・トゥ~」のみだったが、「良く意味が分からない」という理由から後に前半部分が付くようになった。その後フォール・アウト・ボーイらのアルバムに邦題が付くようになり、80年代を彷彿とさせる展開へと導くきっかけとなる。 - No Line on the Horizon (ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン:2009年)
ベストアルバムに収録されている曲
- Window In The Skies(ウィンドウ・イン・ザ・スカイズ:U218 Singlesに収録)
- The Saints Are Coming(セインツ・アー・カミング:U218 Singlesに収録。グリーンデイとのコラボレーション曲で、ハリケーン・カトリーナのチャリティー曲である。PVにはU2とグリーンデイが共に演奏する姿と、イラク帰りの米軍が被災者救援を行っている実際の映像が使われている)
関連動画
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関連項目
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