UNDER ARMOURとは、アメリカに拠点を置くスポーツ用品メーカーである。
概要
特徴
1996年に現CEOであるケビン・プランクがアメリカのボルチモアで創業。メーカー名の通り、スポーツウェアを専門的に開発しているスポーツ用品メーカーで、イニシャルを取って通称「UA」と呼ばれている。メーカーロゴもその「UA」をピクトグラム風に表現したロゴとなっており、スポーツウェアのワンポイントデザインとしても人気が高い。
そもそもメーカー名の「UNDER ARMOUR」の名前には由来があり、ユニフォームの下(=UNDER)に着るアスリートウェア(=鎧(ARMOUR))という意味から来ている。
文字通りUNDER ARMOURでは、スポーツウェアの中でもコンプレッションウェアと呼ばれる身体密着タイプのタイトで伸縮自在なウェアに力を入れており、これがランニングアスリートやボールスポーツアスリートから強い支持を得ている。
また、2006年からフットウェアにも参入。主にランニングスポーツなどで高い支持を得ている。
歴史
元アメリカンフットボール選手が生み出したブランド
UNDER ARMOURの創業は1990年代にまでさかのぼる。当時まだメリーランド大学の大学生であったUNDER ARMOURのCEOであるケビン・プランクは、部活動としてアメリカンフットボールをやっていた。
ケビンはショルダーパッド下に着ているコットンシャツが汗で重くなり、ベタベタとまとわりついて不快に感じることをいつも気にかけていた。
「アスリートが持てる能力を最大限に発揮できるような、もっと高機能なウェアを開発したい」。
(公式サイト ブランドヒストリーより)
そして1996年、祖母の地下室で試作された一枚のシャツとともに「UNDER ARMOUR」ブランドが誕生したのであった。
口コミで人気に火が付いたUNDER ARMOUR
ケビンは、NFLやMLB、NCAAのメジャーカレッジにいる友人が数多くいた。そこでケビンは、試作したTシャツを試用してもらい、アドバイスをもらいながら試行錯誤を重ねていった。
そして最終的に辿り着いたウェアは、当時ではまだ珍しいタイトで身体に密着するタイプのウェアであった。それを着たアスリート達は、他のアスリートから奇異の眼差しで見られていた。しかしそれは練習後に驚嘆の眼差しへと変わる。
練習後にケビンのウェアを着た人と着ていない人を比較すると、着ていない人は汗びっしょりだったのに対し、着た人は涼しい顔をしている。この明らかな優位性は多くのアスリートを惹きつけ、「UNDER ARMOUR」の存在が知られるようになった。
そして今や「UNDER ARMOUR」は、全米のみならず世界で活躍する総合スポーツ用品ブランドに成長したのであった。
日本でのブランド展開
この会社の代表取締役を務める安田秀一氏も元アメリカンフットボール選手であった。1998年に安田はNFL下部組織のNFLヨーロッパのプロコーチとして招聘される機会に恵まれ、安田はこれを引き受けて渡米、1ヶ月の練習指導ののちにリーグ戦が行われるヨーロッパにも3ヶ月滞在した。
リーグ戦開始1週間前、安田はケビンが展開していた「UNDER ARMOUR」のシャツを運命的な出会いを果たす。スマートかつ動きやすそうなそのウェアは日本でもNFLでも見たことがありませんでした。
「何だ、これ・・・スゲー格好いい」
安田はこのウェアに一目惚れ。すぐさま安田はチームの用具担当マネージャーに頼み込み、1枚用意してもらい、早速試着してみた。そのときに用意してもらったシャツが現在のMCM3418にあたる0039フルTシャツであった。
袖を通した瞬間、安田は興奮した。肌触りがとにかく最高で、生地の薄さ、伸縮性の高さと相まって動きやすく、正に「戦うためのギア」であることを感じた。さらに安田は次第に「日本の選手たち、後輩たちにもUNDER ARMOURを着てもらいたい!」という思いに駆られるのであった。そして安田はシャツを用意してくれた用具担当マネージャーにUNDER ARMUOR社の連絡先を聞き出した。
NFLヨーロッパのリーグ戦終了後、安田はすぐさま渡米しUNDER ARMOUR社があるメリーランド州ボルチモアへ向かった。そしてUNDER ARMOUR社を訪問し、CEOのケビン氏と出会った。当時安田は28歳、ケビン氏は25歳であった。ともに元アメリカンフットボール選手であり、年も近いこと、両者若くして社長を務めていたことなど共通点が多かったことから次第に意気投合。出会った直後から昔から親友のように互いを信頼し合う仲となりました。
安田はUNDER ARMOURの熱い思いと日本で展開したい話を持ち掛け、ケビン氏もこれを快く了承したのであった。また、この出会いによってUNDER ARMOURはさらに洗練された品質と機能へと進化するきっかけとなっていった。
日本では品質に対しては世界と比べてひと際厳しく、安田はこれに合わせるために一切の妥協を許さなかった。ケビン氏も安田の熱意に応えるために誠意をもって対応し、UNDER ARMOURのウェア品質改良に尽力。結果として品質面が著しく改善され、UNDER ARMOURのブランド力も一層強めることに成功したのであった。
今ではウェア以外にもフットウェアなども手掛け、大手スポーツ用品メーカーの一角として名をはせている。
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