XB-70とは、アメリカで試作された戦略爆撃機である。愛称は"ヴァルキリー"。
概要
B-70計画[1]
1954年、カーチス・ルメイは国防総省に超音速爆撃機の提案を行った。ソ連との核戦争に使用するもので、核爆弾を搭載して高度2万mで敵地に侵入し、迎撃戦闘機をかわしながら投弾し、マッハ3で離脱する。この提案に対しボーイングとノース・アメリカンが試案を提出したものの、両案とも総重量500tに達する巨人機となっており、ルメイはこれを拒否した。B-70の予算は削減されたが空軍の巻き返しにより復活。しかし当初1962年から250機を配備するという計画は13機に減らされ、すぐに3機まで落ち込んだ。
1961年にスタートしたケネディ政権で国防長官に任命されたロバート・マクナマラはB-70を受け入れなかった。いかにマッハ3で敵地領空を通過しようとも、進歩し続ける地対空ミサイルをかわせるとは限らない。同時期に実用化されたICBMを配備する方が費用対効果が高く、パイロットを失う可能性もないと判断していた。もちろんルメイは戦略爆撃団を手放すつもりは無く、戦略爆撃団の価値を訴えたが、ケネディとマクナマラはICBMへのシフトを決断、ICBMミニットマンとポラリス(原潜から発射する弾道ミサイル)に予算を配分した。翌年暗殺されたケネディの後を継いだジョンソンは予算の引き締めを行い、1964年3月、B-70は最終的に2機の研究用試作機XB-70の予算だけが残った。
機体
出来上がってみれば、マッハ3.0以上を出せる流麗な爆撃機として誕生した。当時は核爆弾爆発時の熱反射のため機体塗装を白にする(というが、単にデザイン上の都合のような気もするが)ので余計に大きな鳥を思わせるデザインとなった。とはいえ特筆すべきはその姿と速度で、マッハ3.0は出せたものの長距離・高速飛行のためにアチコチに無理がある設計で、予定通りのコースをなぞる飛行しかできない(わずかでも余計な動きをすると即、墜落する)。
デモンストレーション撮影時の事故で1機が失われ、残り一機はNASAに移管され超音速旅客機の研究に使われたが、マッハ2で飛んでも衝撃波が地上まで届いてしまう、燃費が極悪などの理由で結局博物館送りとなってしまった。
とはいえそのデザインは数々の作品に取り上げられ、マクロスの「VF-1」にバルキリーとして名前が使われたり、「Zガンダム」でも登場した。「エースコンバット」シリーズでもたびたび登場するほか、小説でも登場した。
圧縮揚力[2]
1956年、当時の全米航空諮問委員会(NASAの前身)が空気力学の新理論を発表した。アルフレッド・エッガースとクラレンス・サイヴァートスンによるこの理論では、超音速機が衝撃波を主翼の下に取り込むように設計されれば、無駄になるはずのエネルギーを揚力へ転換できることを示していた。この理論は注目されていなかったが、一旦提案を拒否されたノース・アメリカンが要求を満たす別の方法を探しているうちにこの理論に行き当たり、より現実的な設計案に繫げることができた。
1957年12月にノース・アメリカンはB-70の開発者に選ばれた。
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関連項目
脚注
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