YOSHIKIとは、日本のミュージシャン。ロックバンドX(X JAPAN)のドラマー、ピアニスト、作詞家、作曲家、プロデューサー、リーダーである。2010年1月31日(アメリカ現地時間)より、グラミー賞の投票権を持つボーティングメンバーでもある。酒とラーメンとお菓子が大好きで、数々の逸話を残している。
概要
1965年11月20日生まれ、千葉県館山市出身。本名は林佳樹。
来歴
4歳の頃にピアノを始め、9歳の頃に初めて買ったレコードはベートーヴェンとシューベルトの楽曲が収録されたLP(楽団は不明)。
小学5年生までクラシック少年であったが、同時期にKISSの武道館公演を母親と観に行き、その前後に誕生日プレゼントとしてドラムを買ってもらう。
ドラムを始めると同時に学校の友人を強引に誘ってNOISEを結成する。その中の一人がToshIであり、当時はギターを担当していた。
中学に入る頃にはLED ZEPPELIN、DEEP PURPLE、BLACK SABBATH、RAINBOW、IRON MAIDEN、LOUDNESS等のコピーを演奏。
バンド活動と同時期にサッカー部とブラスバンド部に入るも中学3年の頃にグレてしまった為に退部する。
高校2年の頃に「X」を結成。
結成当時の主な活動場は学園祭であり、 この頃には「I'LL KILL YOU」は既に作られていた。また、「紅」と「X」は現在と楽曲構成は違うものの、原型が出来上がっていた。(学園祭やライブハウスにて録音されたテープを聴くと、イントロやギターソロなどの部分でよくわかる)
高校卒業に伴い、音大に進むか悩んだ結果、ロックで飯を食う事を決意。
激しいメンバーチェンジと過激なパフォーマンスにより出入り禁止のライブハウスが増え続く中、1986年に「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にゲイリーヨシキとして出演。
良くも悪くもXの知名度は上がったものの、これにより頭の硬いメタラーから反発を買った。
バンドの知名度も上がり、1989年、CBSソニーと契約しメジャーデビューした。
楽器
- クリスタル・ピアノ、Kawai(河合楽器製作所) CR-40A
1991年から使用。
本来木製である外枠や鍵盤蓋、大屋根など、外から見えるパーツの大部分が透明アクリル樹脂で出来ている。その為、音が幾分フラットになってしまうが、用途や設置場所次第ではほとんど影響は少ない。
現在市販されているのはKawaiと、ドイツ・シンメル社のみ。 - クリスタル・ドラム、TAMA(星野楽器) アートスターⅡ・カスタム・アクリル・キット
メジャーデビュー以降のステージで使用する為、TAMAに特注したもの。
こちらもシェルに透明アクリル樹脂を多用。但し、強く叩かないと鳴らないという欠点がある。
1990年と96年の2回、限定販売されている。
YOSHIKI伝説
以下、Wikipediaに書いたら削除されそうな伝説とも言えるエピソードを列挙する。
カレーが辛かった事件
1991年8月の東京ドーム公演に向けてのリハーサルにて、好物のカレー屋のカレーが食べたいという事で
マネージャーに「そこのカレー屋さんのカレーを用意してくれ」と、頼んだまでは良かったものの、次の日そのカレーを一口食べた瞬間、血の気が引き、ぶっ倒れる程の辛さに激怒したYOSHIKIは机をひっくり返し、リハーサルをやらずに帰ってしまった。なお、その場にいたToshIもそのカレーを食したそうで、一口食べた瞬間汗が止まらなかったとか。
因みに、同日には巨人が敗北した為機材搬入が間に合った事をスタッフがうっかり口走った為、(大の巨人ファンとして知られる)PATAの逆鱗に触れ激怒したと言う散々な1日であった。
シャワーが熱かった事件
名カメラマンである篠山紀信による写真撮影にで、撮影前はシャワーに入る主義であるYOSHIKIが予定通り
シャワーを浴びる事になったまでは良かったが、そのシャワーから熱湯しか出ず、どれだけ頑張って調整しても熱湯しか出なかった為帰った。
布袋寅泰との確執
1994年に奈良の東大寺で行われたイベント「AONIYOSHI」にてX JAPANをはじめ、布袋寅泰(withマイケル・ケイメン)、ロジャー・テイラー(QUEEN)、BON JOVI等が出演。
このイベントでYOSHIKIは遅刻したのにも関らず、悪びれた様子も無く謝罪すらしなかった為に布袋が激怒。布袋はその場で「Xってなんなんだよ!」と発言した事でYOSHIKIが激怒し、一触即発な雰囲気になったものの、YOSHIKIは布袋のボディガードに押さえ込まれ、YOSHIKIの代わりに布袋を尊敬していたhideが謝罪することになった。
しかし、YOSHIKIの怒りは収まらず、布袋の宿泊先であるホテルに酔っ払った状態で乗り込み、「布袋はどこだ!なにが布袋だよ!」と怒鳴りだし暴れた。結局hideが再び謝罪する事で事態は収拾した。
余談であるがYOSHIKIは氷室京介とは仲が良く、再結成後のXの海外公演で氷室がYOSHIKIの楽屋に遊びに来たと言うエピソードがある。
元気が出るテレビ
1986年、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で「ヘヴィメタル界最高の男」がいると言う触れ込みでゲイリーヨシキの名で出演。
YOSHIKIによれば「頭立ててたり派手な格好をしていたから、「変な奴がいる」という事で話が舞い込んできた」という事で出演依頼が来たとの事で、当時は何も考えていなかったのであっさり承諾してしまう。
プロモーションの一環と言う意識は無かったそうで、周囲のバンドがあまりにも真面目にやっていたので反発精神が生まれてしまい「思いっきり色物みたいなのもありなんじゃないかな?」と思い、「これなら(お茶の間の)お母さんでも意味が分かるかな」などど考えてはいたと回想している。
反発精神
上記にある様に、周囲のバンドが真面目だった事や、一部の評論家に「髪を黒くしてちゃんとした格好をしろ!」と言われた事で「更にムチャクチャにしてやる!」と決意したは良いが、これによりToshI以外のメンバーが次々と脱退。
YOSHIKIによればインディーズ時代、まるで評論家に褒められるのが目的のように、一生懸命真面目に音楽をやる事が正しいと言う学校のような雰囲気が反発精神を高める原因になったとの事。
特に「BURRN!」誌には物凄く叩かれていた事は当時を知るヘヴィメタルファンの間でも有名なエピソードである。
天皇陛下御即位10年奉祝曲「anniversary」
1999年11月22日皇居前広場において、国民主催による「天皇陛下御即位10年をお祝いする国民祭典」が雨の中挙行された。各界の著名人が多数参加し、国民とともに天皇皇后両陛下を祝った。
式典では、天皇陛下御即位10年奉祝曲「anniversary」が御前演奏された。
作曲はYOSHIKIが担当し、式典では川本統の指揮のもとオーケストラとともにピアノ伴奏をおこなった。美しい音色と時にYOSHIKIならではの激しい音色が流れるように調和し、激動の平成10年間を表現。
YOSHIKIのもとに正式な作曲の依頼が舞い込んできたのは、式典の1ヶ月前。短い期間で作曲・編曲・練習をこなした。当初は20分余りの曲を想定していたが、天皇皇后両陛下が立った状態のまま奉祝曲をお聞きになると聞いて、7分にまで編曲し直し式典を迎えた。
後に平沼赳夫氏に「失敗したら切腹しなければならないと思っていた」と語るなど、この演奏への決意は並々ならぬものであったとされる。
翌年、2000年4月26日、YOSHIKIは母親とともに「春の園遊会」に招待され、出席した。
2005年日本国際博覧会 「愛地球博」公式イメージソング「I'll Be your love」
2002年には、愛知万博の公式イメージソング「I'll Be your love」の作曲を、日本国際博覧会協会からの依頼で行った。2005年の愛知万博開会式においては、参加各国、国際機関の紹介がなされる中、ステージでオーケストラ演奏の指揮を務めた。
当時は小泉政権であり、X'JAPANのファンを自称する小泉首相も会場でYOSHIKIの指揮を見ていた。
その他
- インディーズ時代は居酒屋で暴れる事で有名であり、一部の居酒屋では「YOSHIKI立ち入り禁止」の店も出てきており関係ないメタルバンドがライブ後の打ち上げで居酒屋に行くたびに「その中にYOSHIKIという方はいませんよね?」とチェックされた事もあったとか。
- 上記の居酒屋で暴れたりするのが原因で、インディーズ時代の収入は殆どが破壊した居酒屋の弁償金で消えている。
これが慢性的に続き過ぎたが為にToshIの不満が爆発し、「もうこういうのはやめようよ!」と怒られてしまったとの事である。 - 上記の「元気が出るテレビ」の早朝ヘビメタと言うメタルを爆音で演奏して寝ているタレントを強制的に起こす企画では「たけし軍団」と乱闘騒ぎになった事あり、特にYOSHIKIはそのまんま東(現 東国原英夫元宮崎県知事)と乱闘していた事は当時のファンの間では名勝負(迷勝負?)として語り継がれている。
- かの北村晴男弁護士と喧嘩になりそうになった事がある。原因はYOSHIKIと同じくらい酒癖の悪い北村がYOSHIKIに絡んできて「お前これで叩いてみろ!」と割り箸を差し出してきたのが原因。後日北村は謝罪したとの事。
CDリリース
【X(X JAPAN)】
シングル
1989. 9月1日 ─ 紅
1989. 12月1日 ─ ENDLESS RAIN
1990. 4月21日 ─ WEEK END
1991. 9月11日 ─ Silent Jealousy
1991. 10月25日 ─ Standing Sex
1991. 12月1日 ─ Say Anything
1993. 11月10日 ─ Tears
1994. 7月10日 ─ Rusty Nail
1995. 8月1日 ─ Longing~跡切れたmelody~
1995. 12月11日 ─ Longing~切望の夜~
1996. 2月26日 ─ DAHLIA
1996. 7月8日 ─ Forever Love
1996. 8月26日 ─ CRUCIFY MY LOVE
1996. 11月18日 ─ SCARS
1997. 12月19日 ─ Forever Love(Last Mix)
1998. 3月18日 ─ THE LAST SONG
2008. 1月23日 ─ I.V.(※ iTunesにて全世界配信)
2011. 6月8日 ─ Scarlet Love Song -BUDDHA MIX-(※ iTunesにて全世界配信)
2011. 6月28日 ─ JADE(※ iTunesにて全世界配信)
オリジナルアルバム
1988. 4月14日 ─ Vanishing Vision
1989. 4月21日 ─ BLUE BLOOD
1991. 7月1日 ─ Jealousy
1993. 8月25日 ─ ART OF LIFE
1996. 11月4日 ─ DAHLIA
シングル
1992. 1月18日 ─ 背徳の瞳~Eyes of Venus~ / V2
1993. 11月3日 ─ AMETHYST / 今を抱きしめて / YOSHIKI
1993. 11月3日 ─ 今を抱きしめて / NOA
1994. 6月1日 ─ FOREIGN SAND / YOSHIKI & ROGER TAYLOR
1997. 8月6日 ─ moment / 西城秀樹
1998. 6月3日 ─ Begin / 北野井子
1998. 10月28日 ─ 薔薇と緑 / 北野井子
2000. 11月8日 ─ 深紅の花 / 工藤静香
2002. 11月27日 ─ seize the light / globe
2003. 10月29日 ─ I'LL BE YOUR LOVE / DAHLIA
2004. 12月15日 ─ Scorpio / TRAX
2005. 4月20日 ─ Rhapsody/ TRAX
アルバム
1990. 5月25日 ─ Shake Hand / L.O.X.
1993. 4月21日 ─ YOSHIKI Presents Eternal Melody / YOSHIKI
2005. 3月23日 ─ ETERNAL MELODY II / YOSHIKI
2013. 9月25日 ― YOSHIKI CLASSICAL
デジタルダウンロード
2005. 9月22日 ─ SEX & RELISION(Test Mix)
2007. 10月3日 ─ Blue Butterfly
2009. 4月29日 ─ ROSA~Movie Mix~
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関連コミュニティ
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関連項目
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