純すみ系ラーメンとは、1964年に札幌で創業したラーメン店、『純連(すみれ)』をルーツに持つ、『純連(じゅんれん)』『すみれ』から派生したラーメンの系統である。村中系ラーメンとも呼ばれる。
概要
昭和39年に、専業主婦であった村中明子が32歳のとき、生きがいを求めて札幌市豊平区中の島にあった自宅の敷地の一角で、ラーメン店「純連(すみれ)」をオープン。店名の由来は姓名判断師に聞き、若い人たちが沢山集まって来ることを願って命名された。
それまでの札幌ラーメンよりも超濃厚でスパイシー、こってりとして、スープが熱い独創的な味噌ラーメンを提供して、大行列を作る繁盛店となるが、村中が股関節の亜脱臼を患い昭和57年に閉店。
昭和58年、ラーメン店を諦められない村中は、1年のブランクを経て場所を移して再オープン。屋号を「純連(じゅんれん)」とした。呼名が変わったのは、以前の店の看板に書かれていた屋号のふりがなの文字が、風雨で消えてしまった為に、客が呼び名がわからず「じゅんれん」と呼んでいたことに由来する。せっかくお客さんがつけてくれた名だとのことで採用された。
新店舗はたちまち以前と変わらない人気店となるが、閉店してはひっそりと場所を変えて再オープンを繰り返す村中の店に、内部事情を知らない客たちはいつしか純連を「幻の店」「繁盛を嫌って客から逃げるラーメン店」だと噂するようになった。
昭和63年、長男の村中教愛が南区澄川に「純連(じゅんれん)」澄川店をオープンさせた。その2ヶ月後、中の島の店は村中明子の健康状態の悪化を理由により閉店。
開店からしばらくすると、村中明子の要請により寿司店を営んでいた村中家の三男、村中伸宣が店を手伝い、その後、平成元年に独立し、中の島に「純連(すみれ)」をオープン。
村中明子も健康状態を回復させ北区新琴似で二人の妹と共に「らーめんの駅」という店を開業させたが、現在は閉店している。
この「純連」、「すみれ」で修行した者たちにより、純すみ系のラーメンは広まっていった。
また村中のラーメンを切っ掛けとして札幌ラーメンは、より濃厚なスープに変化していったといわれる。比較として、味噌ラーメンの元祖と知られる「味の三平」と比べてみると分かるであろう。
純すみ系は中華鍋でタレを炒め焼く方法に秘密があるといわれ、厨房は店内から鍋を振る手元が見えないようにされている場合が多い。
中華鍋でタレと具材、スープを高熱で炒めて焼くことで、ラードの油膜が層となってスープを覆い熱さを逃さない工夫となっている。この村中が以前、短期間手伝ったことがあったという、ある中華料理店での賄いとして出された野菜炒めからヒントを得たという調理法により、豚骨の旨味が活きた塩味や焦げた醤油で黒みがかった色のスープの醤油味も個性的な風味となった。
味噌ダレには隠し味として、ニンニクなどのスパイスが使われているがその配合は不明。この味噌に様々な調合を加える手法も、純すみ系ラーメンの特徴である。
スープにはすりおろした生姜が加えられるが、チャーシューの上に乗せる店もある。
また特製のラードで炒められた香ばしいチャーハンも純連など直系の店はイチオシとしている。
主な純すみ系
- さっぽろ 純連
- すみれ
- 麺屋 彩味
- 味噌ラーメン専門 狼スープ
- 麺武 はちまき屋
- らーめん 空
- ピッコロ大将
- 麺屋 雪月花
- らー麺ふしみ
- らーめん おにやんま
- らあめん千寿
- 麺屋 楓
- 真武咲弥
- 大島
- 福龍
- さっぽろ羅偉伝
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関連項目
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