クオリア
-
121
ななしのよっしん
2021/12/30(木) 09:31:48 ID: eniFyqJ7y6
-
👍0高評価👎0低評価
-
122
ななしのよっしん
2022/01/15(土) 18:11:42 ID: /U946hYVLP
-
👍3高評価👎0低評価
-
123
ななしのよっしん
2023/02/24(金) 21:02:52 ID: hLpVnFv4la
-
👍1高評価👎5低評価
-
124
ななしのよっしん
2023/09/25(月) 13:14:45 ID: nrUOZ84gyF
-
👍1高評価👎4低評価
-
125
ななしのよっしん
2023/09/25(月) 16:14:38 ID: YgBXN0kd9p
-
訳すと 経験質 もしくは感覚質
-
👍0高評価👎0低評価
-
126
ななしのよっしん
2023/09/25(月) 22:14:38 ID: 43yn6G2Vrv
-
>>124
その論法を使うと、テーマがクオリアでも神経細胞でも素粒子でも「□□学者の言う○○ってのは○○の1側面であって本質ではないと思うんだが……」が成立してしまい水かけ論になると思う
47 ななしのよっしん2021/06/23(水) 16:45:00 ID: J6ZDyzccKd
論点がクオリア、心、脳神経細胞でも、ウイルス、分子、素粒子でも
「○○の問題は科学では解決できない」→「解決できてきました、この論文が証拠です」
に対して
「そういった科学的見地だけからじゃ○○の問題は解決できませんよって言う反発」とか「素朴な疑問」とかは、何か実証を生んだりするんかね…
その理屈だと、科学が何かについてどんな実証をしても「そういった科学的見地だけ(略)」になると思うんだよなぁ
宗教的というかイデオロギー的というか -
👍4高評価👎0低評価
-
127
ななしのよっしん
2023/09/25(月) 22:21:14 ID: 0lxG0+ZI3M
-
👍0高評価👎0低評価
-
128
ななしのよっしん
2023/09/25(月) 22:36:12 ID: RVHIQvorQw
-
👍0高評価👎0低評価
-
129
ななしのよっしん
2023/09/25(月) 23:07:54 ID: izZJYeFCpk
-
>>124
「本質」や「本性」という言葉は一見正確性を追求しているようでいて、実は話を曖昧にしかねないところがある
定量的研究の場合は研究の範囲か精密度が発展すれば、またはその両方が発展すれば、以前よりも本質に迫った研究と言っておおむね問題ないはず
しかしそういう客観的な指標を使わない(または使えない)場合、誰が何をどう論じても「それは本質的ではない」「それじゃ本性に迫っていない」と反論できてしまう
これは神経科学者が論文で出したクオリア観測データ以外でも同じなようこと
例えば哲学では「世界は存在しない」「物質は存在しない」という説もあって、この説から見れば
社会科学者たちの言う世界や物理学者たちの言う物質などは「存在しない」とか、
「世界や物質の一側面であって本質ではない」ということになる -
👍3高評価👎0低評価
-
130
ななしのよっしん
2023/09/26(火) 00:49:28 ID: YgBXN0kd9p
-
👍0高評価👎0低評価