ムッソリーニ
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理性全壊
2011/05/03(火) 22:19:21 ID: S+Jg7ESaQX
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ななしのよっしん
2011/05/03(火) 22:28:33 ID: zkVtrknyvR
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3
漫喫P
2011/05/06(金) 14:27:47 ID: 0JiNVT2iO6
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>>1
わざわざお疲れ様です。ありがとうございます。
私もヒトラーがあってムッソリーニが無いのには不満がありました。
何と言っても「20世紀の生んだ思想」の代表的な思想を産み出した人物なんですからね。
(『18世紀は資本主義と自由主義を生み、19世紀は社会主義を生んだ。20世紀はファシズムの時代である。
新しく生まれた生命と躍動感に溢れた思想と、ホコリをかぶって後は老いさらばえるだけの思想、
新しい思想が古い思想に勝利をもたらすのは必然である』
このようにムッソリーニ自身が述べています)
と言っても、私はプレミアムじゃないので編集したくてもできなかったのですが。
ですから、わざわざ編集していただけた>>1さんに感謝申し上げます。
ムッソリーニを高く評価していた人物は、有名所でもかなり多かったですからね。
ヘンリー・フォード、ゴーリキー、パレート、ディズニー、ガンジー、エズラ・パウンド、ファン・ペロン
最終的には対立しましたが、あの世界的に有名な指揮者、トスカニーニもファシスト党員だったわけです
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ななしのよっしん
2011/05/06(金) 21:14:04 ID: m9gatGbfib
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理性全壊
2011/05/08(日) 04:31:56 ID: S+Jg7ESaQX
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>>3
>ムッソリーニを高く評価していた人物は、有名所でもかなり多かったですからね。
ムッソリーニがファシズムを提唱した時代に民主主義がどれだけ失望させられて
いたかってのがそこに名を連ねた著名人が物語ってる気がしてなりませんね。
>>4
>正直毛沢東のように功罪半ばするとは思うけど…
日本的な言い方すれば「勝てば官軍」なんですよ。
晩年射殺されて逆さ吊りなんて非業な目に会ったムッソリーニは、まあ政敵の暗殺
くらいの事はしたかもしれないが、一般国民を虐殺などは聞いた覚えも無いにも
かかわらず現代歴史では悪者扱いされ、自国民2000万~6500万を殺した毛沢東は
建国の英雄扱いですからね、人の評価なんてアテになりませんよw
ま、間違いなく第二次大戦に枢軸側に乗ってしまったのは大失敗だったかと。 -
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6
ななしのよっしん
2011/05/08(日) 09:18:57 ID: 0JiNVT2iO6
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>>5
>ムッソリーニがファシズムを提唱した時代に民主主義がどれだけ失望させられて
>いたかってのがそこに名を連ねた著名人が物語ってる気がしてなりませんね。
その通りです。
そもそも「民主主義は絶対的な善」なんて思ってるのは戦後の日本だけだと思いますよ。
ヨーロッパ政治思想史では、「絶対王政」や「全体主義」と同じくらい「民主主義」にも強い警戒心を持つのが普通ですから。
古代ギリシャの民主制の没落、もしくはナチスドイツの躍進を見れば、「民主主義の危うさ」は嫌でも分かりますしね。
例えば、アメリカの大統領選挙は民衆の直接選挙ではありません。
民衆は「選挙人」を選ぶのであって、選挙人が大統領を選ぶという間接民主制を採用していますね。
ウィキに書いてありましたが、100年くらい昔まで、アメリカは「上院議員」もまた選挙の対象外でした(建国から100年以上)
イギリスには「貴族院」が未だに存在し民衆の選挙など関係しないのは有名ですね。
このように、ヨーロッパの知恵としては、民主主義をも制限するという考えなんだと思います。 -
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7
ななしのよっしん
2011/05/11(水) 20:50:27 ID: TK+DBZ7tsF
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8
ななしのよっしん
2011/05/25(水) 01:22:00 ID: 0JiNVT2iO6
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ムッソリーニが影響を受けた人一覧
・ヴィニフレート・パレート(「パレートの法則」の発見者)
・ジョルジュ・ソレル(英単語「シンジケート」の語源、サンディカリズムの産みの親)
・アンリ・ベルグソン(エランヴィタール(躍動する意思)で有名な哲学者)
・フリードリヒ・ニーチェ(最近、日本でもベストセラーになったよね)
・ダンヌンツィオ(三島由紀夫が尊敬した愛国詩人)
・マッツィーニ(イタリア統一運動)
・マリネッティ(芸術家の集まり「未来派」の創始者)
・オズワルド・シュペングラー(「西洋の没落」の著者)
・ダンテ・アリギエーリ(「神曲」の著者)
・ヴィクトル・ユーゴー(「嗚呼無情」の著者)
・マキャベリ(君主論)
・ギボン(ローマ帝国衰亡史)
・エミール・ゾラ(私は弾劾する)
・ジョズエ・カルドゥッチ(イタリアを代表するノーベル文学賞詩人)
・バブーフ
・イマニュエル・カント
・ハーバート・スペンサー
・ジャン・ジャック・ルソー
・ジュゼッペ・ヴェルディ
・エドモンド・アミーチス(子供向け文学の名著「クオレ」の著者)
・チェーザレ・バッティスティ(「未回収のイタリア」回復運動の指導者)
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ななしのよっしん
2011/05/26(木) 19:54:46 ID: 0JiNVT2iO6
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10
ななしのよっしん
2011/06/02(木) 18:45:58 ID: wY0Do8piUj
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11
ななしのよっしん
2011/06/03(金) 21:42:17 ID: S+Jg7ESaQX
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12
ななしのよっしん
2011/06/04(土) 21:10:52 ID: 0JiNVT2iO6
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>>11はとても鋭い。
実際、ムッソリーニの伝記を読む限りでは、
ムッソリーニは「独裁者」になりたくてなったわけじゃなかったみたい。
ムッソリーニは1922年のローマ進軍によって独裁政権を築いたわけじゃなく、
社会党と共産党以外の政党から優れた専門家を集めた連立政権だったという点。
ムッソリーニの連立政権の持ちかけはとても面白いやり方だったみたい。
日本でも当時のイタリアでも「連立政権」と言えば、他政党の中の偉い人を引き抜くのが常。
でもムッソリーニは、「学者」や「専門家」など実務能力は高いが必ずしも党内の地位は決して高くはない人物ばかり大臣に引き抜いたらしい。
ある国民党の若手国会議員が、ムッソリーニから「次官を引き受けてもらいたい」と頼まれた。
彼は当時34歳の若者で、当然一人じゃ決められないので、
「党内の者と相談いたしましてお返事させていただきたく……」
と答えると、ムッソリーニ曰く。
『私があなたに入閣を求めるわけは、あなたが"あなた"だからです。
あなたの党派の為ではありません。』
結局、34歳で政務次官に任命されたこの若者は、のちにイタリア共和国大統領になった、ジョヴァンニ・グロンキだったりする。 -
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13
ななしのよっしん
2011/06/11(土) 15:53:00 ID: wY0Do8piUj
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14
ななしのよっしん
2011/06/11(土) 18:39:33 ID: TK+DBZ7tsF
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15
ななしのよっしん
2011/06/18(土) 17:50:28 ID: wY0Do8piUj
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ななしのよっしん
2011/06/18(土) 18:09:24 ID: vGZ/ziD5jI
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ななしのよっしん
2011/08/27(土) 12:29:24 ID: Jfo4AeUPjB
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18
ななしのよっしん
2011/10/13(木) 05:56:01 ID: fguptepfwL
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19
ななしのよっしん
2011/10/21(金) 15:49:52 ID: Jfo4AeUPjB
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20
ななしのよっしん
2011/10/22(土) 19:22:20 ID: S+Jg7ESaQX
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第二次大戦までのイタリアの植民地でもあり、つい先日、あっけない末路を迎えた
リビアのカダフィを題材にすると、カダフィ政権のリビアってのは国民の識字率は
アラブ・アフリカでもトップクラスだったり、産油国でなおかつ社会主義国家って事も
あって食糧や生活消費品の価格が先進国よりも安かったりと日本に住む私らより
うらやましく思える面もあるわけだが、それでも今回の件のように反乱が発生し、
カダフィはあえない最後を迎えたってのは、リビア国民は好きな事を、好きなように
自分の思い(想い)を語れる「自由」が無かった。これが全てだったようにも思えるわな。
そういう事を踏まえると、>>14のチャーチル発言のように好きな事を好きに発言できる
だけ民主主義は100点満点の政治システムじゃないけれど“まだマシ”なシステムだって
事だわな。
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21
ななしのよっしん
2011/10/23(日) 20:07:33 ID: 0JiNVT2iO6
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>>14のチャーチルの言葉を勘違いしている人が日本人には多いけど、
チャーチルは「民主主義は素晴らしい」って賛美してるワケじゃないからね?
全くの逆で、チャーチルは「民主主義は最低の政治制度」と非難しているの。
英語とは、言語や文法的に「結論」を最初に持ってくる言語だよ。
つまり「民主主義は最悪だ」がチャーチルの言いたい事なの。
そもそもワイマール憲法の「民主主義」条項をフル活用して権力を掌握し、
またザールやオーストリアを民衆投票で併合したヒトラーを見ていたチャーチルが、
「民主主義」体制を手放しで絶賛するわけもないわけで。
それにチャーチルは何度も選挙に落選しているし、
ロシア革命直後には「ソ連を倒せ」と主張し、第二次大戦前にはしつこく「ナチスドイツを倒せ」と主張していたのに、
イギリス国民は全くチャーチルの言葉に耳を貸さなかったばかりか「戦争屋」とあざ笑っていた。
そんな個人的な経験も持っているチャーチルが、「民主主義は最高だ」とか思うはずがないの。
日本人は意識的なのか無意識的なのか、必ず無視するけど。
チャーチルが言いたいのは、
「民主主義は最悪の政治制度だが、他の政治制度にもっと良いのが無いからやむを得ない」
という事だよ。
この「やむを得ない」というか、民主主義という制度に対する強い不信感を知らない人間には、チャーチルのその言葉を語ってもらいたくない。 -
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22
ななしのよっしん
2011/10/24(月) 06:57:10 ID: 0JiNVT2iO6
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23
ななしのよっしん
2011/10/27(木) 16:39:54 ID: Jfo4AeUPjB
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>>20
独裁国家の比較として貴方が挙げたリビアと別に北朝鮮を比較してみると、リビア国民は大抵の人が食うに困らないのに対し、北朝鮮国民は食うに困り脱北する人が続出するわけで、
カダフィはリビア国民の不満のガス抜きに失敗したのに対し、金王朝は北朝鮮国民が自由を要求する以前に、生命の危機に追いやることで反抗の牙を抜く統治手法を選択していると考える。
>>22
エマヌエーレ3世がローマから逃げ出した時点でウンベルト王太子に譲位していれば、確かに国民投票の結果は王制維持になったかもしれないね
フランコ独裁から王政復古に結びつけたスペインの様に、王室のちょっとした立ち回り次第で、君主制から共和制への移行もしくはその逆という事例は出来上がるんだろうなと想像
イタリア国民が、エマヌエーレ3世に責任があるか云々を論じる場合、国王が立憲君主の立場である『君臨すれど統治せず』を守っていたか否かで立場が分かれ、イタリア共産党ら左派勢力が責任ありと断じていたのかなと想像 -
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24
ななしのよっしん
2011/10/28(金) 03:21:15 ID: 0JiNVT2iO6
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25
ななしのよっしん
2011/10/28(金) 03:44:09 ID: 0JiNVT2iO6
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エマヌエーレ3世はなぁ、我らが昭和天皇と比べるとかなりしゃしゃり出まくっていたんだよなぁ。
パッと思いつく限りでも、
1、いわゆる「ローマ進軍」の時、ファクタ内閣の提出した戒厳令の要求を却下
(当時のファシスト党は、まだ国軍と戦えるだけの力は無かった)
2、ヒトラーのドイツがオーストリア・チェコを併合したのを見て「時代遅れの国、スイスを併合しよう」と提案
(ムッソリーニが拒否、代わりにエマヌエーレの領土欲を満たすためにアルバニアを攻めることに)
3、ドイツ軍の西部戦線での破竹の勢いを見て、ムッソリーニに参戦を督促
(今じゃなぜか「逆」になってるけど)
ムッソリーニが霞んで見えるほど、エマヌエーレは戦争好きだったのが事実。
第一、ムッソリーニって軍の指揮権は与えられていない。
統帥権はムッソリーニが失脚するまでエマヌエーレが握っていた。
「イタリア軍のヘタレっぷり」をムッソリーニのせいにする論者は間違ってる。
ヒトラーが作戦の細かい所まで口出ししていたドイツと違い、
ムッソリーニのイタリアは、国王の統帥権の下に本職の軍人たちが自由勝手に作戦を立てていた。
ムッソリーニは軍の作戦に「提案」くらいしか出来なかった。
(提案が無視されることもしばしば)
最近イタリアでは「ムッソリーニって実は独裁者じゃなかった」という話もチラホラ。
多少「強権的」だったに過ぎない、指導者じゃないかと。
ヒトラーとかスターリンとか金正日、毛沢東なんかに比べたら独裁してないからねぇ。 -
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26
ななしのよっしん
2011/10/28(金) 17:48:00 ID: Jfo4AeUPjB
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>>24
>「君主は愛されるより恐れられろ」と。
↑
国家の政体維持及び、国民各階層の分断統治という意味で、この言葉を実践しているのが金王朝です罠(ただし、エリート階層の平壌市民以外は国民総貧困)
カダフィに関しては、『衣食足りて礼節知る』とは違うけど、リビア国民を餓えさせる金王朝的な政策を取らず、かつ欧米流議会制民主主義へのアンチテーゼの立場を取りたかったのであれば、ロシア連邦、シンガポール的な議会政治を実現する必要はあったんじゃないかな?
国民を餓えさせないのは指導者として重要なテーマだが、最低限の生活が成り立つ国民が求めるものに対する認識及びガス抜きがカダフィ大佐は甘かったと思うし、隣国のチュニジアとエジプトの影響があったとは言え、彼の末路も『政治的敗者の自己責任かなぁ』と思う次第です。(ムッソリーニの末路もカダフィと同じかと思われ)
>>25
あなたの列挙したエマヌエーレ3世の行動は、『君臨すれど統治せず』の枠内には留まらず、国王親政に近いだろうし(専制君主制ではないが)、イタリア国王として国政に積極的に介入した数々の事例は、イタリア王室の在り方とは別にエマヌエーレ3世の『政治的責任』を発生させたと思うし、彼もその自覚はあったみたいだね。
昭和天皇はご自身の意に反する政府の政策決定にも『君臨すれど統治せず』の原則により、一部の例外を除き基本的には異論を唱えられなかったが、エマヌエーレ3世と同様の行動を昭和天皇が取られた場合は、史実よりも重い『政治的責任』が発生したと思う。
あなたの列挙した独裁者はスターリン以外いずれも国家元首だったし、アントネスク政権(ミハイ1世は象徴)や、国王不在の摂政ホルティに比べると、確かにムッソリーニは独裁者としての権力基盤は弱かっただろうね。(強権政治家としては十二分な権力だと思うが)
政府が国軍の統帥権に介入できないという意味で、イタリア王国と大日本帝国は憲法の制度設計に欠陥があったと思うが、ムッソリーニ自身はドイツの衛星国である『イタリア社会共和国』の国家元首に担ぎ出されたので、カダフィと同じく悲惨な結末も「政治家としての自己責任」かなと考えます。 -
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27
ななしのよっしん
2011/10/29(土) 21:16:42 ID: 0JiNVT2iO6
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>>26に大筋では同意なのだが、一つ看過できない発言があったので。
>政府が国軍の統帥権に介入できないという意味で、 イタリア王国と大日本帝国は憲法の制度設計に欠陥があったと思う
こういう論者は日本人に多いけど、これって人類の歴史の経験を何も解ってない人の発言だと思う。
戦前日本にも「シビリアンコントロール」という単語や概念はあった。
でも、国民のほとんど誰も支持しなかったんだよ。
当時の日本人なら誰でも知っている人物として「楠木正成」という人物がいた。
大楠公として有名だな。
太平記では鎌倉幕府を倒すのに活躍し、足利尊氏が後醍醐天皇に反乱した後も何度も足利尊氏を苦しめたとある。
でも足利尊氏は武士からの支持が厚く、九州で力を蓄えて50万と言われる兵を引き連れて再び京都に攻め上がってきた。
楠木正成は敵は大軍であるからと後醍醐天皇に京都から比叡山への避難を進言。
わざと足利尊氏軍を京都に入れて四方を塞ぎ、「兵糧攻め」にしようと提案した。
しかし楠木正成の提案は、戦を知らない公卿たちによって却下された。
楠木正成は50万の敵に正面から突っ込む羽目になり戦死した。
戦を知らない公卿が、黙って楠木正成の言う通りにしていたなら足利尊氏の勝利は無かったし、あわよくば一網打尽に出来たかも知れなかった。
こういう歴史があるから、シビリアンコントロールは人気がなかったんだよ。
今の民主党政権にも「防衛や安全保障などについて何も知らない」などと豪語するド素人防衛大臣がいるけど、
もし有事になった時、ド素人大臣が何をやれるってわけ?
「シビリアンコントロール(キリッ)」と自画自賛してるけど、素人が指揮してれば良いってもんじゃないでしょ。
楠木正成に限らず、素人のヒトラーの思いつきに引っかき回されたドイツや、
有能な将軍を更迭・粛清しては国が衰退するという歴史を持つ中国の歴史を見れば、
日本が統帥権を政府に与えなかったのは一理も二理もある理屈だよ。
何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」というだけで。 -
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28
ななしのよっしん
2011/10/30(日) 14:52:11 ID: Jfo4AeUPjB
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>>27
戦術は軍人のものと言う意味で楠木正成云々のエピソードは確かに説得力があるが、それは中世の話で近代国家として適切かどうかが論点で、それは日本、イタリア共に同じだと考えます。
明治期の日本は明治の元勲が政府、軍隊の双方に影響力があったから、大日本帝国の政府、軍部の連携は容易だったが、世代交代の後に昭和期となると、「軍部大臣現役武官制」「統帥権独立」を盾に昭和天皇の組閣大命及び、閣僚の人選に対する拒否権を行使したわけだが、
戦場における戦術はともかく、国政を政治の素人である軍人が影響力を行使できる制度設計としたのは、明治期はともかく、昭和期は機能不全を起こしていたと言わざるを得ないかと。
楠木正成は紛れもない武将だったが、昭和期の帝国軍人は官僚化していた違いにも留意する必要があると思うので、それはムッソリーニの政治的思惑にソッポを向いたイタリア軍統帥部も同じだし、東條英機が首相兼陸相だけでなく、参謀総長を兼任しないと統帥部の動きを政府がロクに把握できない状況は、国の制度設計である憲法の問題に行き着くかと思うのです。(それは、嶋田海相兼軍令部総長も同じかと)
あなたの下段のレスは、統合幕僚監部が自衛隊の戦術指揮、部隊運用に関して防衛相及び防衛次官に対して、軍事の専門家として強い意見を言えないと言いたいのかと思ってしまうが、果たしてそうだろうか?(現職の防衛相は専門教育を受けていないヒトラーよりもはるかに素人なのに、専門家の統合幕僚監部をやり込められるとの根拠がわかりませんね)
戦術は軍人のものだが、戦略を軍人が全て決定するのが適切な近代国家のあり方ですかね?(それは大日本帝国、イタリア王国とも同じ) -
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29
ななしのよっしん
2011/10/31(月) 19:02:34 ID: 0JiNVT2iO6
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三島由紀夫はこう言っています。
「本来シビリアンコントロールとは、軍政に於ける財政上のコントロールのみを言った。
日本のように人事権まで奪われて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用される事ではない」
三島が正しいかどうかは置いときますが、国防計画とは、数年~数十年単位で物事を捉え、考えるものです。
それが「与党が変わったから」というイミフな理由で軽々しく変更を要求されるのでは、まともな国防計画など立てられるわけもありません。
その意味で、軍政に政治家が絡んでくる事の方が問題があると思いますが?
アメリカだって、ブッシュ共和党政権の国防長官がオバマ民主党政権に留任されたように、
ケネディ民主党大統領が、前の共和党政権の置き土産であるカストロ暗殺計画を実行したように、
基本的に国防省関連、特に計画などには「手つかず」が普通です。
あなたの言っている問題は、統帥権の問題ではなく、組織による「秘密主義」の問題、「メンツ」などにこだわる性格上の問題だと思いますが?
例えば昭和天皇ですら、大平洋戦争開戦以来、正確な戦況報告を受けたのは、戦艦大和特攻、菊水作戦発動の頃だったそうですね。
よく言われる「大本営発表」は、別に「国民だけ」を騙していたのではなく、東條首相や昭和天皇ですら騙していたのが事実です。
これは統帥権の問題ではなく、薬害エイズや年金問題と同じ、「官僚の秘密主義」的な態度こそが原因ではないですか? -
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ななしのよっしん
2011/10/31(月) 19:17:44 ID: 0JiNVT2iO6
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>(現職の防衛相は専門教育を受けていないヒトラーよりもはるかに素人なのに、専門家の統合幕僚監部をやり込められるとの根拠がわかりませんね)
日本には「背広組」ってのがいますが聞いたことありませんか?
http://ja.wikipe dia.org/ wiki/%E9 %98%B2%E 8%A1%9B% E7%9C%81
ここでも書いてありますけど、実際に自衛隊勤務経験を持っている「制服組」には、発言権は無きに等しいわけでして。
「これぞシビリアンコントロール」とマスコミや政治家が思っている以上救いようがありません。
>戦略を軍人が全て決定するのが適切な近代国家のあり方ですかね?
あくまで三島の言う「財政上のコントロール」が聞いていさえすれば良かっただけの話ではないですかと?
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