31 ななしのよっしん
2014/01/22(水) 01:39:30 ID: lLLRK3p+vV
甘寧揮下にいたことを考えると末期の人物の中で数少ない建以前の戦いを知る人物だったんだろうな。
「あの時は~」とか「昔は~」とかったりして煙たがられてたんだろうか。
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32 ななしのよっしん
2014/03/20(木) 05:06:06 ID: uVWrexWNU/
孫皓に対しては「が擁立してやったから、今のお前があるのだからな」みたいな態度だったのかもね。
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33 ななしのよっしん
2014/04/21(月) 21:00:42 ID: z0lYXf4Dz+
結局実行に移されなかった孫皓位の謀議にも参加してるしねぇ
良くも悪くも、叩き上げから権臣になった人物だから、それが態度に出ることはあったと思う
鄧艾魏延と違って自分の寿を全うできただけマシかも知れん
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34 ななしのよっしん
2014/08/30(土) 07:15:39 ID: EQcK5MST6K
孫晧は愚かな暴君のように言われるけどある程度は身の程わきまえてる
丁奉陸抗のような軍部の重鎮には生きてる間には手出しできない
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35 ななしのよっしん
2014/12/31(水) 16:02:10 ID: KhZtn1mEMo
文武両で意外と優秀なキャラ
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36 ななしのよっしん
2015/03/19(木) 17:57:47 ID: i96HWaXIPb
晩年のエピソードを読むと当時の若い連中から「老害」呼ばわりされていたのは想像に難くはないな。
とはいえ、彼が築いてきた実績を考えればもちろんも逆らうことは出来ない。
今も昔も変わらんね。
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37 ななしのよっしん
2015/04/26(日) 23:10:26 ID: iHvO+nQH0n
生年は不明ですけど、かれこれ50年近い戦歴の持ちですからねえ。
しかも伝説的な勝利である中の奇襲でに大勝してを救い、
さらには大将軍にまで上り詰めた、これじゃ人は逆らえないですよね。
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38 ななしのよっしん
2015/04/27(月) 11:39:22 ID: A2uwMZuCgw
実績があって逆らえないからこそ老害なのだ
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39 ななしのよっしん
2015/07/03(金) 01:06:30 ID: fFerzPFeBG
最後は大将軍にまで上がっているけど、
いつも数千人を率いて先に突撃する部隊長のイメージ
数万を率いる大軍の将帥というイメージが湧かない
大軍を率いた記述は、への救援時くらいか?
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40 ななしのよっしん
2015/09/08(火) 12:57:49 ID: iHvO+nQH0n
>>39
合肥を攻めた時に大軍率いてるはず。
ニセ手紙で敵将を免職に追い込んでる。
次に穀陽を攻めた時にも大軍を率いてるけど、
その住民が逃げちゃったので、そのまま引き返してる。
救援以外では大軍を率いた記述はこんな感じかな?
2番の穀陽攻めの時の事は、
丁奉死後に孫皓にわざわざ蒸し返されて
一族が臨に移住させられてる。
後年丁奉傲慢になった事のいせとされてるけど、
孫皓みたいな暴君いせとしては一族皆殺しとかじゃなくて、
較的軽い処置って感じだよねえ。
さすがにそれ程の罪でもなかったから、(そもそも丁奉の軍は
受けてないので、罪と言えるかも疑問だけど。)
このくらいの処置が限界だったのか。孫皓自重したのか。
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41 ななしのよっしん
2015/12/17(木) 22:48:56 ID: fFerzPFeBG
>>40
ありがとう。
自分は、暴君でありながら、苛さの陰に
弱さや卑屈さがちらちら見え隠れするのが
いかにも孫皓らしい、と感じるな。

弱いものを容赦なく虐げながら、
丁奉、陸凱、陸坑、と本当に強いものは
苦手で強く出れない。
だから、彼ら本人が死んだ後、報復的に
遺族に仕打ちをする。皇帝なのにメンタリティ三下
なんとも屈折した性格だと思う。
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42 ななしのよっしん
2016/06/17(金) 18:52:06 ID: hfSXXXBRBl
そうは言っても功臣の子孫が冷遇されるなんて周瑜のころからそうだし
丁奉にはじまったことでもないよ
「孫を中心とした族達の連立政権」というの組織体制故に
あるに名や権が集中してしまうと他の族達から顰蹙を買ってしまうし
丁奉の場合更にタイミングが最悪なことに隣で同じく4代にわたって大活躍して
破格の権を得た将軍の孫が位を継いだ(実質簒奪)もんだから
丁奉の一族が警されるのも仕方ない
皇帝孫皓じゃなくても大して一家運命は変わらなかったと思う
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43 ななしのよっしん
2016/07/04(月) 04:04:32 ID: iHvO+nQH0n
とは言え、ぶっちゃけ孫権晩年から孫皓時代までで、
その連合体質とやらはだいぶ善されてて
皇帝が増大してるように思えるけどなあ。
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44 ななしのよっしん
2016/07/16(土) 17:59:39 ID: RMsHJxR3lP
善なんか全然されてない。

孫峻時代から顕著だが、族同士が勢を競って重税をかけるから北への流民が大量発生してるし、中央の統制が緩いので呂が交州で独立しちゃうし、挙句の果てに孫皓の即位に至っては通常継承じゃなくて臣に擁立されて皇帝になる始末。

そして孫皓時代になると、交州戦役などで顕著だが、重臣クラスの命違反・無視が多発してるし、もう行きつくところまで行ってると言わざるを得ない。
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45 ななしのよっしん
2016/07/27(水) 14:46:57 ID: iHvO+nQH0n
>>44
いやー、それらの時代って悪政が発生した、とされてる時代なのに
そんな事を言われてもねえ?と。
の乱なんかすぐに、本人が暗殺されてるし、鎮圧自体も
軍が来てる状況なのに関わらず、
側が一年くらいで勝利してるし、
そもそも反乱がどうとか言うなら、
自体が曹操時代から反乱祭りだろう、と。
は君の理屈ならもうボロボロって事になるんじゃないかい。

そもそも君が言ってる孫峻などをはじめとして、の皇族が
政を統括する事が続き、結局皇帝孫休が皇族の権臣を粛清
政を統括したけど、しばらくして急死したので、
その息子が幼年では理だろうから、成人してて英明な君を、
という事で孫皓が即位したわけだし、
孫策の後で孫権が即位したのと基本的に理屈は変わらない。
そもそも交州戦役は普通勝利で終わってるし、命違反多発、
と呼べるほどの状況でもないと思うんだけど。
君の言い方で論じるなら、なんかとっくに世紀末だろ。
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46 ななしのよっしん
2016/07/30(土) 21:13:45 ID: RMsHJxR3lP
交州騒乱は1年なんてもんじゃなくて263年に独立、その後準備と外交工作期間を経て、全鎮圧(というかに取られてたから奪還というべきだが)できたのは271年で、8年間にわたる大動乱だよ。この規模の大反乱なんてでもでもないよ。
さらにいえば鎮圧できたから大したことじゃない、なんてのはありえない。起きるという時点で既にそれなりの原因があるということであり、この場合それはの伝統的な中央統制の低さに他ならない。

あと孫権は「孫策名で」次の君定されたのであって、権臣から擁立され皇帝になった孫皓とは全然意味が異なる。でいえば曹叡と曹奐ぐらい違う。そちらの状況で考えればその意味はわかるはず。

違反に関しては勖の例が顕著だが、「作戦の途中で君命を無視して独断で帰還し、しかも反対した同僚を勝手に殺している」んだから、これをナメられてるといわずに何というのか。

孫皓が強固な独裁制を敷いたのは間違いないが、それはこういった状態から剛腕で理やり独裁体制にもっていったからで、まあそのせいで各地でその反動として反乱や造反が続発することになったわけだけども。
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47 ななしのよっしん
2016/08/02(火) 16:45:55 ID: iHvO+nQH0n
>>46
実際に、君く最悪状態になってるですら
普通に鎮圧できちゃってるわけだしなあ。

>さらにいえば鎮圧できたから大したことじゃない、
>なんてのはありえない。
>起きるという時点で既にそれなりの原因があるということであり、
>この場合それはの伝統的な中央統制の低さに他ならない。
これってモロ曹操営及びに対するブーメランだよね。
曹操時代から、の時代に至るまで、何度中央転覆計画や
領内反乱がおきまくった事か、数えるのも馬鹿らしいと思うんだけど。

いや、幼君はダメだから、成人したまともな君に譲る、ってのは同じじゃないか。孫策の場合は、重傷を負ってからしばらく生きてて
孫権に譲る時間を持てたけど、孫休さんは急にしゃべれなくなって
そのまま死亡、だからそんな事できるわけもないし。
なんか結論ありきすぎないかい。

では曹爽皇帝ないがしろにしてるし、司馬一族が皇族を
軟禁しまくってるけどねえ。
さらには地方官達も独自に勢の扶植に努めてるしねえ。

孫休時代には結構政治的に安定してる状態だったし、
孫皓のは中央独裁体制にもってったも何も、病死した重臣の
遺族を迫しようとしたり、
そもそも同族の皇族を迫しまくってたり、
やたらと自身の血統を正統化しようとしたり、と
なんかやってる事が明らかに君の言ってる事と違うだろう。
中央独裁体制も何も、皇族を迫しまくってどうすんだよ。
結局、当時のでは皇族というか、孫一族の権威と権が高くて
地方族の連合体制、というのとは違ってる状態になってるだけだろうに。
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48 ななしのよっしん
2016/08/04(木) 14:12:15 ID: RMsHJxR3lP
丁奉の記事だからもう大概にしとくが、族の強さと孫の権の弱さについては認めるけども、がそれの逆だなんて一言もいってないよ。

歴史の流れで言うと後漢~西時代は後の貴族性への過渡期にあたり、土地を実効支配する族が強いのはも同じこと(はやや例外的だが)。「皇帝一族が最も強大な族である」というのと、「連合体制である」というのは別に矛盾してない。
そしてこの在地族の強さ自体は孫権のころから孫皓に至るまで、いやそれどころか東の時代まで変わってない。

そして中央集権化に対して、各地に封じられた皇族は(場合にもよるが)むしろ邪魔な存在。楚七の乱に至る経緯とそれからのの対策、またこの後の八王の乱を見てもわかるでしょう。迫も自身の正当化=権強化もそりゃするよ。
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49 ななしのよっしん
2016/08/18(木) 18:46:53 ID: iHvO+nQH0n
悪い、中々書き込みできなかった。
>>48
楚7の乱とか、の政策とかは、下や自分達の権威が
安定してきてから起こったものだと思うんだけど。
は当初は異姓王を次々に倒してその領土を一族に分け与え、
各地の王に封じて、それぞれの地域の差配と安定を任せた。
そして氏たらずば王たらず、というのを定にまでした。
でも、皇帝の地位や権が安定してくると、
そういった同姓王達の存在も中央集権には邪魔になってくる。
そして同姓王達の領土を削っていこうとしたら、反乱された、と。
このように、まだ皇帝の地位や権が安定してない状況では、
むしろ一族を優遇したり、差配を任せたりして、
助け合っていく、というのは基本的なパターンで、
それを必要としない程に皇帝や地位が安定すれば、
今度は一族の勢削減に、という感じで移行していく。
そう考えれば、孫皓のやってる事は、自身の権が少なくとも
配下からは脅かされない(実際に脅かされなかった)状態にまで
なってる事からの、一族の勢削減・迫行動へのシフト
であって、これは当時の皇帝の強さを示すと
思うんだけどなあ。実際に孫皓の様々な行いに、族達は
悲鳴をあげたけど、結局内部から打倒も掣肘も出来なかったわけで。
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50 ななしのよっしん
2016/08/23(火) 21:17:08 ID: hfSXXXBRBl
同族を迫しまくったというが・・・孫皓は反乱起こしたりライバルになりそうな同族の始末はしているけど
それ以上の20の王を封じて外戚の何氏一族を重用しているわけで
明らかに身内を優遇してる方だよ
がどうこうはだから何?構造が甘かったから実際司馬氏にひっくり返されたんじゃん?としか

態度が傲慢とか下らん讒言が皇帝に入って
しかも一族追放を咎めた話がい辺り
丁奉を内心疎ましく思ってた族は少なくなかったんじゃねーのかな
あいくが活躍したからと言って
子供の地位はその子自身が0から自分ので活躍して掴むべきってのは一つの正論なわけだし
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51 ななしのよっしん
2016/09/05(月) 09:41:46 ID: iHvO+nQH0n
悪い、また書き込み遅れました。
>>50
そんなに同族を優遇してるなら、君の言うような、皇帝は低い、
というのとは明らか矛盾した状況じゃないのかい?
君の好きな、初~楚7の乱までの流れでいうなら、
1.異姓王や勢の排斥や粛清
2.同姓王の取り立て確立
3.同姓王達の打倒
というシークエンスの中における2の段階に移行してる、
という事になるわけで、少なくとも1の段階よりも
孫氏の勢明らかに増大してるよね、という話になると
思うんだけど。

族達がそれをいっちゃあいけないような気もするんだけどねえ。
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52 ななしのよっしん
2017/01/26(木) 16:50:19 ID: cEbGs3UA4j
まさか呂蒙から麻痺矢号を奪う大出世とは…
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53 ななしのよっしん
2017/04/26(水) 23:58:07 ID: hfSXXXBRBl
>>51
散々ID: RMsHJxR3lPが書いてるけどそれで実際に、本当に、絶対的な権確立してたなら
族達(一人や二人じゃない)が直言したり命違反したり
王ではなく族が導の反乱が起きたりしないでしょう
確立していのを段階を踏まず理矢理確立するためにそうしたのではという>>46の話

というかそもそも皇帝導権だけじゃなくて
と他の族との名利権バランスも絡んでくる話では
以外のからしたら
皆で孫を支えて成り立っている政権で
同じ支える側・同じ立場のはずが自分より明らかに権があって上から命してくる
なんてのは気にくわないだろう
それが孫晧の重臣粛清に対して後から散々扱き下ろされているのにも関わらず
丁奉の遺族の強制移住に一切言及がいという行動に繋がってるのではというまあ、ただの推測
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54 ななしのよっしん
2017/08/06(日) 21:43:00 ID: iHvO+nQH0n
>>53
>族達(一人や二人じゃない)が直言したり命違反したり
これに関しては、とか反乱祭りだし、
直言に関しては、むしろそれをするのがよき名士、って感じで
やはり皇帝に対して様々な諫言をしている臣下は
にもたくさんいるわけですしねえ。
少なくとも、他のべて劣るような権だったとは
到底思えないように思うわけですしねえ。

その話をする場合には、丁が果たして丁奉亡き後に
その地位を引き継ぐ予定だったのか、というのも問題な気が。
なんだかんだと丁奉死亡後の丁に著名な人物はおらず、
丁奉生前から丁司馬一族がそうだったように、
各要職を抑えていたのか、というとそうでもないように
思われるわけですしねえ。
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55 ななしのよっしん
2017/08/06(日) 21:44:46 ID: iHvO+nQH0n
>>52
なんかのゲームの話ですかね?それ。無双ですかね?
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56 ななしのよっしん
2017/11/11(土) 00:56:42 ID: fs//Rhn0Oi
>>55
麻痺々は三国志大戦ってゲームの話ですね。最近4が出て、丁奉は3まで呂蒙が使っていた「麻痺矢の大号」って計略を使う武将として登場しました。

私は驕り高ぶるようになったってエピソード末期にはしい諫言する人だったからなんじゃないかと思ってます。こういう古強者の意見は孫皓やその周りのイエスマン達には障りだったでしょうから。
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57 ななしのよっしん
2017/12/29(金) 23:25:10 ID: iHvO+nQH0n
>>56
ほうほう。
情報提供ありがとうございます

なるほど、そういう考慮の仕方もありますね。

個人的には、
丁奉が「事務処理には優れてはいないが、」
的に評されているのが、どうなのかな、と思う次第ですかね。
王平は口述筆記で文章の作成を行い、
筋の通った書類を作成した、
とされておりますのに、
それより高位の大将軍位などにまでのぼり
それを死亡まで勤め上げた丁奉なのですから、
事務処理がそこまで悪いものではなかったように
思うのですけれどね。
優れてはいないけれど、普通くらいにはできた、とか
そういう感じなのでしょうかね、と思うのですが、
如何なものなのでしょうかね。
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58 ななしのよっしん
2019/05/14(火) 17:20:27 ID: +LKhzU/WpO
>>37

生年を推定するなら、年から逆算して190年前後
の頃に二十過ぎぐらいかね?
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59 pawa
2019/10/24(木) 00:59:57 ID: RGYrartUo/
三國無双7の丁奉花の慶次の岩兵衛に見えて仕方ない
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60 ななしのよっしん
2020/10/03(土) 09:04:55 ID: LBBjiTnAAZ
>>59
ワンピースのジョズにも似てる
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