121 ななしのよっしん
2014/05/21(水) 15:31:57 ID: WP5+h0hAbN
ID: H4nMYo5uegは例によって菅沼太君かな?
👍
高評価
0
👎
低評価
0
122 ななしのよっしん
2014/06/10(火) 05:12:30 ID: dkXTA1N+9g
なんか変なのが沸いてるな、動画コメ同様NG共有機能つけられんものか・・・。

話は于禁より少し逸れるが、三国志以前の、さらにはの時代よりも前の春秋戦国時代于禁遇の似た人物がいたんだよね。
名前は商鞅(本名は孫鞅。商という場所を任されたことからこの名で呼ばれた)。于禁は武官なのに対して商鞅は文官という違いはあれどやっぱり法を重んじた厳格な臣であり、彼の政策は間違いなく下を取れる強にした。
けれど彼の末は于禁同様悲惨なものだった。商鞅の厳しい法に縛られ悲鳴を上げる人達が商鞅を敵視し、殺してしまう。

自他に厳しくもよりもの為に働いた功臣が悲惨な末を辿る様はやりきれない気持ちになるな・・・。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
123 ななしのよっしん
2014/06/25(水) 19:42:36 ID: q8P6fIgzfV
>>122
他人からの批判を恐れるな!自信を以てやるべきことをやれ!っていうスタンスは、張繍戦での于禁も通じるところがあるね
>商鞅
👍
高評価
0
👎
低評価
0
124 ななしのよっしん
2014/08/09(土) 19:58:58 ID: wpFeHX8n98
もしかしたら単純に兵が嫌いだったってのもあるんじゃないかな?
君を巾党に殺されてるんだから巾の残党の兵を嫌悪しててもおかしくはないよね。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
125 ななしのよっしん
2014/08/14(木) 16:20:05 ID: q8P6fIgzfV
曹操州の兵に対して寛容だったというのは武帝紀や于禁伝に書いてあるしね。賊上がりで略奪も容認されてるような兵隊を嫌悪する武将がいたというのは、十分に考えられるな。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
126 ななしのよっしん
2014/09/26(金) 00:02:37 ID: +qHknVghmr
決戦2でオカマだった印がいまだに強く残ってる
👍
高評価
0
👎
低評価
0
127 ななしのよっしん
2014/10/04(土) 07:24:36 ID: SXmDni509N
三国志じゃ出番が少ない上にいいトコまるでナッシング
一の戦闘シーン(?)が子の一行虐殺という・・・
身に着けているが作中一二を争う奢っぷりなのも小物化させる
👍
高評価
0
👎
低評価
0
128 ななしのよっしん
2014/10/06(月) 11:30:52 ID: T5+9S7rfGK
>>112
ん?いまなんでもするって…
は置いといて、やっぱり

・降後に名誉挽回の機会がなかった
曹丕にいじられた

この辺が于禁にとっての不幸だよなぁ。
の将という汚名をかぶってでも3万の兵の命を救ったのは立だよ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
129 ななしのよっしん
2014/10/06(月) 20:58:46 ID: q8P6fIgzfV
3万の兵を全滅の憂きから救ったのは事実だが、一方で(と言うか後漢)は遷都寸前までのピンチになってしまったのもまた事実なんだよね
まぁこれは于禁が降しようと玉砕全滅しようと変わらないことだけど…
ともかくそんな状況に追い込まれたところから、徐晃曹仁が起死回生の反撃に転じてが救われた一方で、降して生き恥した(孫権はそんなこと思わなかったろうけど、虞翻より于禁本人が恥じただろう)于禁曹丕はじめの人々がどう見たか、だよね
が滅んだ後の世のからしたら于禁は悲劇の人だけど、当時のの人々からしたら…。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
130 ななしのよっしん
2014/10/18(土) 10:28:17 ID: T9OSm8vjQz
しかも自体もその後苦難に追いやられた訳で、そこら辺の責任全て押し付けられた感がある。
曹丕個人の話にされてるけど、正直全体が曹丕の行為に賛同したんじゃないか?
👍
高評価
0
👎
低評価
0
131 ななしのよっしん
2014/11/09(日) 09:45:10 ID: zr+kp3PgBB
リアルコンスコン(戦死した訳じゃいけど)
👍
高評価
0
👎
低評価
1
132 ななしのよっしん
2014/11/28(金) 03:58:12 ID: s5iLMdBDur
>>130
もしかすると当時のでは、
于禁命乞いしながら降って話を皆が本気で信じていたのかも知れませんね。
した際の前後の事情はそのせいで消し飛んだ、みたいな?
👍
高評価
0
👎
低評価
0
133 ななしのよっしん
2014/11/28(金) 10:57:50 ID: uLiliABZCC
たとえ本気で兵の命を助ける意図だったとしても
遅くとも帰後に自決するのが于禁"らしさ"
そうしなかったなら晩節を汚したと言って後々まで蔑まれるのは当然

ちなみに龐徳は降ろうとする部下を殺した
👍
高評価
0
👎
低評価
0
134 ななしのよっしん
2014/12/03(水) 23:37:09 ID: kePMsc3nmd
らしさといってもあくまでイメージで実際はわからんからなあ
そんなこと言ったら全部そうなんだろうけどさ、自決する気もなくなったとか色々あったのかもしれん
個人的に好きな武将だから無双今後に期待したい
👍
高評価
0
👎
低評価
0
135 ななしのよっしん
2014/12/04(木) 22:05:30 ID: AllywVIb4C
将の中にもやむを得ず他勢から降ってきた人間が多くいる
だから于禁が降った後に自したらそういう者たちを謗る事になる

・・・于禁の悲惨な最期を考えると自していた方がよかったようにも思うけどな
👍
高評価
0
👎
低評価
0
136 ななしのよっしん
2014/12/31(水) 12:13:56 ID: tXWRc9Gwi6
無双于禁、降じゃなく浅井長政ビックリの裏切りで背後から襲撃してくんのな…。
さすがにどうかと思った
👍
高評価
0
👎
低評価
0
137 ななしのよっしん
2015/01/08(木) 00:49:03 ID: hzVEfmLihA
于禁関羽って関羽曹操の下にいた時に顔見知りになってたりするのかな?
一度は曹操に下りながらも劉備の下に戻れた関羽が説得したからこそ
于禁も恥をんで降したのでは・・・と妄想してみる。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
138 ななしのよっしん
2015/03/03(火) 00:46:44 ID: AxK69x7D3U
現代人が勘違いしちゃうのはやむを得ないのだが、現代の「捕虜」の概念は身代戦争の時代を経てきた西欧系統の概念であって、当時の中国では意味が異なる。

同じ捕虜であっても、戦闘中に意に反して虜獲された場合と、自分の意思で投降した場合は全く別の扱い。前者は単に失敗に過ぎないが、後者は捕虜というよりは裏切り、寝返りに近いものされる。

于禁は降したのであって、戦闘中に意に反して捕らえられたわけではない。これは理屈で言うなら明確な裏切り行為であって、曹操が非難したのも曹丕にひっどい諡号を与えられたのも当然っちゃ当然。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
139 ななしのよっしん
2015/03/16(月) 23:51:08 ID: Ve9NZXiFws
何をしたかとどう思われたかは一致しないからなー。
理屈として妥当なことが好ましく思われるとは限らないし、その逆もまた然り。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
140 ななしのよっしん
2015/03/27(金) 19:34:53 ID: pUsS1LRjhQ
>>138
近代ヨーロッパでも時期や地域によっては捕虜になることが不名誉と考えられた例があった気がする
(具体例は忘れた)
日本でも日露戦争当時と第二次大戦当時では投降についての考え方が違っていたとか

死生観の違いもあるし、このあたりは難しいな
現代的な価値観で評価することがかならずしも悪いとは思わないけど
👍
高評価
0
👎
低評価
0
141 ななしのよっしん
2015/04/05(日) 00:17:14 ID: jlOqw3Q+Cc
三国志のあの時代で降なんて頻繁に起きたわけだがなあ…張コウソウの例があるだろう
ついでに言えば関羽を見捨てたあの孟達が戦わずして曹丕に降した時は憤死などさせなかった
そもそもホウ徳は元降将だからこそもう後がなく命を捨てたわけで、于禁までもがそれに従う謂れはない
どころか七軍=七将に加え数万人も預かった于禁がむざむざ大全滅させて敗死なんて将としてありえない
その上に関羽の攻撃が加わったわけだから降は妥当と考えられる
曹操関羽と昵懇だったわけで、それに降するということが曹操も恥と思うわけがない

これはつまり「墓に行ったら絵を見て憤死」という話が方便の一種であると考えられる
219年前後といえば曹丕曹植お家騒動に加え諷が乱を起こして多くの高官が粛清された時期、おそらく于禁もこれに絡んで処刑リストに上がったと考えるのが妥当
だが于禁高官な上に関羽征討から帰還するまで手が出せなかった
関羽の死後送り戻されたことで気兼ねなく暗殺できるようになったので墓に行って来いと言って途中で殺してしまったんだろう
曹操の墓は曹丕が建てたものなので名前を書かないのも当然だな
👍
高評価
0
👎
低評価
0
142 ななしのよっしん
2015/04/08(水) 08:12:11 ID: tXWRc9Gwi6
于禁はどうするのが一番よかったかと問われれば、本心から裏切ってと戦うのが一番よかった
それをしなかったから于禁なわけではあるけどね
曹操だったら」帰ってきた彼を寛大に迎えただろうから、そのイメージが強すぎたのかもしらん
👍
高評価
0
👎
低評価
0
143 ななしのよっしん
2015/04/13(月) 18:31:46 ID: AxK69x7D3U
>141
張コウ琮も孟達黄権も、裏切ったor投降した先の先ので厚遇されたんだから、これは当たり前。

于禁の場合は最終的に投降した先のでなくて、元の営であるに戻っちゃってるんだから彼らとは全然意味が異なる。この場合としては「忠が足りなかった」としなければ当然他の臣下に示しがつかない。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
144 ななしのよっしん
2015/04/15(水) 16:59:15 ID: hzVEfmLihA
曹操の軍って単なる一軍閥じゃなくて、皇帝の軍隊を率いてる官軍な訳じゃん?
劉備皇帝引いてる賊軍な訳で、そこに降しちゃったら非難は免れんと思うわ。
どんな厳しい状況でも、巾族に官軍が降しちゃったら、やっぱり責めれれるだろうし。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
145 ななしのよっしん
2015/04/15(水) 21:00:52 ID: uLiliABZCC
賊がおりますか
賊の討伐はこの中王・左将軍劉備めにお任せあれ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
146 ななしのよっしん
2015/04/18(土) 10:55:46 ID: 7E8Vlt14D4
しかしまあ運がなさすぎたなぁ
洪水とか自然災害相手じゃどうしようもないし

戦う前から戦えなくなったやるせなさは半端なかったろうな
全員自決を命じて自分も死ぬか 全員玉砕覚悟で突撃
ぐらいしかなかったろう ただどちらも既に将兵がボロボロ投降してたそうだからムリだったろうな
そうなると後はもう将兵残して自分だけ自決だが・・・命が惜しかったのか将兵を残して自分だけ死ぬ=責任放棄と思ったのか
👍
高評価
0
👎
低評価
0
147 ななしのよっしん
2015/04/22(水) 17:34:13 ID: bh5VlBSSZv
自然災害に巻き込まれたのもそうだが、あの頃は関羽ノリにノって、逆に曹操後漢)が稀に見る大ピンチになったってのもデカいだろうね
あの未曾有のピンチを招いたのがお前か…みたいな冷ややかな曹丕だけでなく内にあったのだと思う
干宝の姜維評じゃないが、まさに「死ぬのは簡単、死に方を選ぶのが難しい」だね、この人の人生
👍
高評価
0
👎
低評価
0
148 ななしのよっしん
2015/09/12(土) 11:56:38 ID: N32z9VaGUb
多分何十年に一度の暴だったんだろう、樊の戦いの時点では荊州北部を10年支配してたのに対策できなかったということは
荊州占領した将が疫病で次々に亡くなってるので、
もしかすると攻めで衰弱した于禁軍の捕虜たちが感染して菌を拘留先に持ち込んでしまい荊州に疫病の大流行を招いたのかも
👍
高評価
0
👎
低評価
0
149 ななしのよっしん
2015/11/01(日) 00:41:03 ID: lmUiT+MBfC
晩節汚し仲間孫権には厚遇されたってのが類友感あるよなw
👍
高評価
0
👎
低評価
0
150 ななしのよっしん
2016/02/19(金) 00:24:05 ID: tXWRc9Gwi6
もちろん于禁が厚遇されたらそれは普通じゃないが、曹操はのちの司馬昭がそうであったようにその普通じゃないことをやって勢を伸ばした
者に寛容なのもとには降者が殺到するからな

もちろんそれは曹操にせよ司馬昭にせよ臣たる者のやりかたで皇帝たる者がやれるわきゃいんだが、その差をその場にいなかった于禁が察するのは厳しいだろう
👍
高評価
0
👎
低評価
0

急上昇ワード改