人権
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121
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 08:02:37 ID: aELUSE7LUr
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クワインについて存在論的コミットメントが適用できる範囲をどう理解しているのか、よく判断できないのでいろいろ保留。あんまり事前知識なくて理解できる範囲での指摘を。
2) 必然的な結論ではない。4) 当然ではない。というか大きな問題がある。
3) 命題P1 すべての個体xについて、xが人間であるならば、xは人権を持つ
P(X):Xが人権を持つ H(X):Xが人間である とするとP1⇔∀XP(H(X))。
¬(∀XP(H(X)))⇔∃X(¬P(H(X))) P1が偽であるならば人権を持たない人間Xが存在する。
ここで、人権を持たない人間Xをどうやって決定するか、その基準を持っていなければ、実証できない。
するとP1が真か偽かは、Xtが人権を有するかという基準を持つかによって変わってきて、この真理関数はP1と独立ではない。
・P1が真であればH(Xt)は常に人権を有するのでP1は真である。
・P1が偽であればH(Xt)は人権を有するとは限らない。その根拠は真理関数v(P(H(X))に依存する。
・P1が真でも偽でもある場合、H(Xt)は人権を有することも有さないこともありうる。有さない時P1は偽である。
・P1が真か偽か決定できない場合、H(Xt)は人権を有する。(有さなくては偽と決定可能)人権を有さないH(X)が存在する可能性は否定できないが実証はできない。
これら4つは別に真理関数vが存在しないとすると等価である。
「人権を有する個体が実証できない」(v(A)が真偽判定できない)というmpJgBHOakWの基準からP1の決定不能性を導かれる。しかしそれは人権とは何かが不明であればP1は不明であると言っているだけである。
以上から、「人権が存在する」かどうかを判定する基準(真理関数v)なしにP1の真偽は判定できず、「Aに人権が存在するかという判定基準v(P(A))」が別にないことにはこの証明過程にそもそも意味がない。
そのため、「人権とは何か、存在するか、事物に随伴するとしたらどのような性質か」が問題になる。
そして、ここまでの経過において、述語論理に変換して得られたものは結局なにもない。これは擬似的にではあるが自分自身を含む命題を内部に抱えていることによる。 -
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122
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 11:07:54 ID: mpJgBHOakW
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>>121
3について、こちらの理解していたP1の論理式への解釈がどうもおかしい。
>すべての個体xについて、xが人間であるならば、xは人権を持つ
は、∀x(Hx→Px)(xの変域はすべての個体の集合)を想定していた(「ならば」と明示していることから分かるように)。そもそも一階述語論理は∀xP(Hx)のような、命題を個体定項とするような論理式を許していないし、そのような変形は想定外だった。
その上で上記に代表的な個体定項αを代入してPα→Hα、同値変形して、¬Pα∨Hα、これを真理関数Vによって「V(¬Pα)またはV(Hα)」と解釈し、人間が存在すると仮定しているからV(¬Pα)=偽、だから全体が真であるためにここで問題になるのはV(Hα)が真であるかどうかだ。
しかしそれをどうやって説明するのか?という点が疑問だった。これは「
「人権を有する個体が実証できない」かどうかすら分からないという主張。だから実証できないと断言したわけではなかった。
要するに、「「人間である」ことから「人権を持つ」ことを導く」ということは、人間の存在を前提とするなら、「人権とは何か、存在するか、事物に随伴するとしたらどのような性質か」が問題になるが、それをどう説明するのか?という主張だった。
そしてなぜそれを問題にすれば「人間であること」から「人権を持つこと」を導くことができるといえるのか、を説明するために述語論理に翻訳する一歩手前の文にパラフレーズした。それ以外にそれを分析する方法を知らなかったというのもあるけど(因果関係ではないだろうし)。
もちろん結論としては「関連著書をきちんと読め」ってことで納得してる。
クワインについて、持ってる本によれば「「理論」という言葉は、物理学や数学の高度に発達した理論だけを指すのではなく、地理や歴史なども入れば、雨が振れば地面が濡れるといった常識的信念なども入るものとして、理解されねばならない」とある。
ここで問題になっている存在は人間と人権を持つもの。そして「理論の存在論的コミットメントはそれを一階述語論理の言語で書き直すことによって明らかになる」とある。 -
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123
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 11:38:08 ID: mpJgBHOakW
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124
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 12:23:13 ID: mpJgBHOakW
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「人権とは何か、存在するか、事物に随伴するとしたらどのような性質か」じゃなくて「人権を持つ個体は存在するか、個体が人権を持つということはどういうことか、それはどのような性質か」か。あくまで人権を人権そのものとしてではなく、個体の性質として考えていたから。
他にも訂正すべきところ、追加すべきところがあるけど、それだと長くなりすぎる。そこで簡潔に122で言いたかったことを要約するなら、
・P1の解釈は∀xP(Hx)ではなくて∀x(Hx→Px)を想定していた
・「人間であること」から「人権を持つこと」を導けるということは、人間という性質をもつ個体の存在を前提とするなら、その個体が「人権を持つ」とはどういうことかが明らかである必要がある。そのことを説明するために一階述語論理を用いた。
となる。 -
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125
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 16:12:10 ID: mpJgBHOakW
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検索していると、
「Quineの存在論的コミットメントの基準では非常に限定されており非存在対象や抽象的対象を全て排斥してしまう。その原因の1つは、Quine が 1階述語論理に依拠していることにある」
と問題点が指摘されていた。それで適用範囲を広げるためにそこでは存在論的コミットメントの再解釈を行う試みがなされていたわけだけど…抽象的存在と考えられる人権について語るためには相応しくないのか、するとどうやってその導出について語ればいいのか?←それについて語っている本嫁ってところか。
どうもまた無理解を重ねているようで恥ずかしくなってきた。抽象的存在と非存在対象、そして具体的存在をどう語ればいいのか分からないってのがかなり辛い。 -
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126
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 17:21:07 ID: aELUSE7LUr
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>「人権を有する個体が実証できない」かどうかすら分からないという主張。だから実証できないと断言したわけではなかった。
これはVの答えがTかFの二値原理じゃなくて三値原理を採用している。あるいはI1(実証できない)I2(実証できるかわからない)を導入した四値原理。この時点で排中律は成り立たなくなる。以上から古典論理を超えてしまっているのでこの形に直したことが不適切。
クワイン自身、存在論的コミットメントは数や物理的事実に対して使っているのであって、人文概念には使えない。そもそもその背景にある不可欠原理を人権は満たしていない。拡張するなら不可欠原理を別の原理に置き換える必要がある。
非自然的事物が事物に「随伴」するというとき、強く随伴するのか弱く随伴するのか分けて考えられる。この時も例外として強く随伴するときを除いて背理法は成り立たない。(クワイン自身もとったSVテーゼ)
とりあえず、古典論理の世界に無理やり導入した理由がほかに証明を知らなかったから、というのならなんで非古典原理(三値原理など)があるかも理解していなかったということかね。
「実証不能性」という時点で三値論理を必要とする(これによってラッセルのパラドックスは回避できる)ということを前提にして、三値原理を許容しない古典論理を導入する理由がそれしか知らないからなら繰り返すけどゲーデル位何を意味しているかは勉強してくれとしか言いようがない。
ここまでヒュームの時代から進歩一切なし。 -
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127
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 17:33:54 ID: aELUSE7LUr
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人権は命題を含む。
一階の述語論理はこれを述語としてしか扱わない。
ゆえに人権を述語とする基準が必要である。
→それは一階の述語論理では示せない。(無条件命題ではない)
こういう主張を意図していたと解釈する。
自分はこいつは一階の述語論理という言葉も使っていないし、H(P(X))についての真偽関数を調べられるんじゃないかと誤解しているとらえた。しかもそこに「実証不可能」なんていう真でも偽でもない真理関数の答えを出してきているからそれは三値原理じゃねーか、とかなり呆れながら返信した。
クワインについてもどうマイルドに罵倒しようかと悩んだんだが、>>125を書き込む前に調べておいてくれ・・・
一階の述語論理を立てた規則として、ラッセルは論理形式そのものに真偽判定可能だと唱えたけど、「実証可能かもわからない」と言った時点で二値原理から逸脱して三値あるいは多値原理採用している。
一般化問題・個別化問題・分節化問題・同一性問題・性質の随伴性問題を回避して建てられた論理的形式にわざわざ回避した問題をぶちこんで、矛盾します!とか無邪気に言われると、さすがにくるものがある。
実証不可能性を示して(実際はトートロジーに過ぎない)、結論が「人権とは何かを示さなくてはならない」だったら最初から(実証不可能性を排除した)古典論理の真似事を規則無視して適用する必要はないでしょう。
結構馬鹿らしくなってきた。ラッセルの90年の人生のうち40代の10年ちょっとだけ唱えたatomismだけしか唱えていないわけじゃないんで、罵倒はしないがこれはそれ以前とそれ以後の彼とはかなり違う。
固有名詞使って引用すると自分が知らない知識を知っているかのように相手に伝達してしまって相手に負荷かける(上にコミュニケーションが成立しない)ので、せめて当人の本読んでないなら固有名詞出さないでくれないかな。どう誤解して何を言いたいのか、何を意味しているのか理解できない状態であの反応が返ってくるなら返答はさすがにやめるわ。
恩を着せるわけじゃなく、そうとう意図を想像して斟酌しないと何を言いたいのかについて許す解釈が多すぎる。
もちろん、相手がその固有名詞知らなかったら会話が成立するわけがない。 -
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128
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 17:42:22 ID: mpJgBHOakW
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129
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 17:57:23 ID: mpJgBHOakW
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130
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 18:35:20 ID: mpJgBHOakW
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131
ななしのよっしん
2013/12/27(金) 19:04:28 ID: aELUSE7LUr
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とりあえず、ダメットもハッキングもヒースもクリプキもクワインも、ラッセルもフレーゲもデヴィッド・ヒュームに触れていない人間はいない。
ヒュームが同一性はどうやって担保されるのか、属性が備わるとはどういう事なのか、個体はどうやって一般化されるのか、一般はどうやって個体化されるのか、因果はどう定義されるのか、というような問題を考えている。(もちろんデカルトもホッブズもだれであっても別個に考えているのだけど)
名前を挙げた思想家それぞれが上の問題に解釈を与えていて、彼らの前提や定義・原理はヒュームの考えた問題をなるべく回避するように作られている。(回避できない瞬間に批判が飛んでくるから)
そういう原理や定義は簡単に拡張できるものではないし、わずかな拡張がすべてをぶち壊すことになるのが基礎論の世界。たとえばクワインの訳者でもある杖下隆英によればヒュームは「何をすればいいのか」については間違いだらけ・厳密でなかったり問題はいろいろあるとぼろくそに言いながら、「何をしてはいけないか」の参考にはものすごく厳密で数理哲学にも影響を与えているとしている。
(お前はタイトル「ヒューム」という本書いているんじゃないのかと心配になるくらい)
こういう論争の歴史を踏まえたうえで人権が存在しない、存立しない、実在しないという判断をすることを目指すならヒュームをちゃんと読むのはいいことだと思う、と考えた。
続けて論理哲学まじめに読むなら誰でもいいから一人の思想家一から読み通すような基礎がないと、「変えちゃいけない部分」と「変えられるかもしれない部分」を持てない。
まぁ言われなくても分かっているんだろうけどさ。 -
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132
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 16:34:02 ID: mpJgBHOakW
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前言撤回してもう少し。こちらの主張を誤解がないように説明する方法を思いついたからそれを書いておく(例を交える)。
まず太郎が次のような論証を行ったとする。「人間であるならば人権を持つのであって、それ以外の理由によるのではない(現代的な自然権としての人権)。太郎は人間である。だから太郎は人権を持つ」
これは典型的な前件肯定式であると考えられるため、この論証はさきの解釈を援用、太郎をaとすると、∀x(Hx→Px),HaからPaが論理的に帰結するという主張だと考えられる(変数xの変域はすべての個体の集合Iであり、a∈I。)。この意味においてこの論証を一階述語論理で解釈してもよいと思われる。ちなみにこの解釈は∀xH(Px)とはなっていない。
これは論証として妥当な形式でありそれに文句はない。でもこちらとしては論証の内容である前提のすべてが真であるとは思われない。そこで次のような質問を行う。
「太郎が人間であること(Ha)が真であることは認める(V(Ha)=真)。しかし人間であるならば人権を持つ(∀x(Hx→Px))が真であるとすることについては、俺にはよく分からず納得がいかない。そこでその前提が真である根拠を示して欲しい(この段階で”俺は”それが真であることも偽であることも知らない)」
この質問(あるいは疑問の表明)は3値論理の導入ではなく、また普遍的な人権概念の存在の否定でもなく、また矛盾の指摘でもない。ここの誤解だけは解いておきたい。
そしてその質問(疑問の表明)への回答として、国同士で宣言がなされたからとか憲法があるからといった回答が返って来た、という認識。そしてその後込み入った話になって、その根拠について書いている人の本をきちんと読めばいいという結論になったと認識。
もちろん学者や学生だけじゃなく、俺含む一般の人がその根拠をどう考えているのかにも興味があるんだけどね。そういう感じ。 -
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133
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 18:30:33 ID: aELUSE7LUr
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すまんが例示が既に間違っている。
一階の述語論理では同一性の定義ができない。一般化も個別化の定義もできない。だから「この論証を一階述語論理で解釈してもよいと思われる。」が間違い。
∀x∀y{(x=y)⇔∀P(Px⇔Py)}が成り立たないと同一性が示せない。
「人間であるならば人権を持つ」が一階の述語論理で示せると思う根拠はなんなのか、「人間であるならば動物である」ことも一階の述語論理では示せない。このためには動物についての真理関数を定義しなくてはならない。「人権を持つ」についても別種の真理関数が必要。
クワインが分析的命題を統合的命題と別扱いしようとしなかったのは、「物理法則が成り立たなければ命題自体が成り立たない」という言い方で、科学は科学によって証明される、とする立場をとった。概念は「ある概念が成り立たなければ命題自体が成り立たない」というのは存在せず、あるとすれば数概念のみ。
この数だけならフレーゲがとった方法と変わらない。
ある概念がある個物に該当する、ということを随伴する、という。ここではx=yのような形にならないため、強い随伴、弱い随伴、大局的な随伴、とクラス分けをせずに定義ができない。
人権を持つという真理関数と人権概念がある人間に随伴するかは別問題であり、真理関数の値は解釈によって変わるので、随伴をどう捉えるかによって真理関数の値は変わる。(「今日は雨だ」 の真理関数は解釈によって変わる。)
強い随伴であるなら存在しない、という主張に対し、「国家」や「法」という弱い随伴が示される。クワインのコミットメントを認めるなら「大局的な随伴」というものは認めてもいいはずだが。
君としては求めているものと違うものが返ってきた、という認識で困惑しているんだろうけど、周りからすれば「何を求めているのかがわからんのにわけのわからん理屈で反論してくる」という認識。一階の述語論理で人権を語れると思っているのが間違っているし、ほかにもいろいろ間違っているのに「なんでそんな回答するの?」みたいな反応されると、無視するか、一から説明するしかなくなる。
説明しているうちに自分で理解もしていない概念を(すぐに引っ込めるとは言え)出してくる。厳密な「人権とは何か」を相手に要求しながら「とは何か」について問題があることを多分未だに理解していない。腐る程問題を指摘してきたクワインを引用しているにもかかわらず。 -
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134
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 18:53:37 ID: mpJgBHOakW
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確かに理解できない部分も多い。なぜ同一性の話が出てきたのかも、真理関数についての詳しい話もよく分からない。「ある概念が成り立たなければ命題自体が成り立たない」ことなんて主張したつもりがない。
「人権を持つという真理関数と人権概念がある人間に随伴するかは別問題」についても、随伴の意味がよく分からないため理解できない。そもそも一階述語論理で人権を語るというよりも、一階述語論理で論証構造を分析して、そこから得た要素命題を元に人権を持つとはどういうことか?を問いている。
それはさておき、すると「誰かが人間であるならば人権を持つ。太郎は人間である。だから太郎は人権を持つ」という論証を行う人は、どういう形式の論証を行っていることになるのだろうか?
ちなみに俺の論理学の知識は戸田山さんの『論理学をつくる』からほとんど得ているから、それ以上のことはよく分からない。数学的論証の本は一応持ってるけど。何かいい本あったらいいんだけどな。 -
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135
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 18:57:19 ID: mpJgBHOakW
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136
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 19:27:41 ID: mpJgBHOakW
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137
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 20:19:43 ID: mpJgBHOakW
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138
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 20:40:47 ID: aELUSE7LUr
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「ある概念が成り立たなければ命題自体が成り立たない」
これはあなたのクワインの存在論的コミットメントの誤解についてなんだけど、これをどう誤解していたのか斟酌するのも難しい。ラッセルとポアンカレが「非述語定義の禁止」を唱えたのが「性質の同一性」の十分条件が存在しないことに直面したからだし。十分条件とは何かについて、「必然的に外延が同じになること」といえば「必然的(x→y)」が漠然とした頼りにならない概念であることを避け得ない。
>「誰かが人間であるならば人権を持つ。太郎は人間である。だから太郎は人権を持つ」という論証を行う人
>スペシャリストかなんかなのか…
日常言語という、厳密性を棚に上げた論証でしょう。前提の頼りにならないx→yを信じていれば成り立つ。信じていなければ否定すればいいでしょう。それでおわり。
いろんな必然性についての議論があるけれど、決定的なものがあればノーベル賞取れるよ。たぶんイグがつくけど。そういう意味で必然性(→)がない、というので満足するならそれでいいじゃないですか。
その中間で「漠然とあると思う」という意見や、「国家の成立」とか「信仰から平等でなくてはならない」とかそれぞれの(尊重すべき)意見を罵倒したいだけなら基本的には無視されるだけ、難しい言葉を使って大人を困らせようとするガキ以上の扱いは受けないと思うけど。>>137のレスも攻撃的だし。
日常言語で語りたいなら相手と同じ土俵に下りなきゃ意思疎通は成り立たない、クワインの言語で語りたいならその土俵まで上がらないといけない。後者を選ぶならせめて中途半端な引用はしないように。
日常言語と哲学言語の間を行き来するアナロジーは無意味。こういう言語の区別は英米系の特徴ではあって、質的な区別がないとするクワインの(特殊で限定的な)意見を拡大解釈されるとさも出来るかのようなアナロジーがまかり通るけれど、上のアナロジーはかなり本質的な(文字通り数的でなく質的な)ところで成立していない。 -
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139
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 21:29:07 ID: mpJgBHOakW
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>>137については皮肉めいていたけど、事実として他の人は理解できるが
俺の頭がおかしいから理解できないんだろうかと思うこともある。そっちもそっちで俺の理解の仕方がおかしいから俺を罵倒する目的で今も文章を書いてるのだろうし…
>日常言語という、厳密性を棚に上げた論証でしょう。前提の頼りにならないx→yを信じていれば成り立つ。信じていなければ否定すればいいでしょう。それでおわり。
否定までは俺はしないけど、そういう受け止め方でいいのかね…
そこでの論証は今まで一階述語論理で解釈できると思い込んでたから、それが無理なら「人間であるならば人権を持つ。太郎は人間である。だから太郎は人権を持つ」の論証構造すら俺には取り出せないな。
専門家と同じ土俵にまで登りつめるのは無理だろうけど、できる限りやってみよう。 -
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140
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 21:38:59 ID: aELUSE7LUr
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141
ななしのよっしん
2013/12/29(日) 22:27:41 ID: mpJgBHOakW
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書き方のまずさってのは、文体や、表現として不完全な誤解を与えかねない文章のことか。あまり自覚的でないから気をつけたいとは思う。文体は変わらんだろうけど。頭が良くなりたいものよのう。
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142
ななしのよっしん
2014/01/04(土) 01:47:41 ID: mpJgBHOakW
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>>133によれば「すべてのxについて、xが「人間であるならば」xは「動物である」」という表現は許されない。一方、野矢論理学の教科書には「すべてのxについて、xが犬ならばxは動物である」という表現の例がある。
俺が自然言語から人工言語(述語論理)へ翻訳することと、人工言語(述語論理)をモデルへと解釈することを、どちらも「解釈」という文字を使って表現してたのがまずかったのかもな。野矢論理学の記述が正しいなら、翻訳は許されるはずだろう。それともそこでの記述が間違っているのだろうか。
人間と犬、どちらも一般名辞。その意味で「すべてのPはQである=Every P is Q⇒∀x(Px→Qx)」という翻訳の形式に、「すべての「人間」は「人権をもつ(もの)」である」を当てはめることができるはずだ。これは文の形式さえわかればいいのであって、個別の術語記号への真理(付値)関数の定義が分からなくとも可能であるはず。
教科書を優先するなら「人間は人権を持つ。太郎は人間である。だから太郎は人権を持つ」から「∀x(Hx→Px),Ha│-Pa」という前件肯定式の論証形式を取り出しても問題ないはずだが…まじ謎。 -
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143
ななしのよっしん
2014/01/04(土) 08:50:48 ID: mpJgBHOakW
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144
ななしのよっしん
2014/01/16(木) 14:03:40 ID: mpJgBHOakW
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「人間は人権を持つ⇔すべてのxについて、xが人間ならばxは人権を持つ」を真として前提する人は、どういう理屈でそれを真としているのか。
上の文は条件文だと考えられる(そしておそらく双条件文)。「条件文が全体として真であるためには前提が十分条件でなければならない」。AならばBが真である時、AはBにとっての十分条件であるという。
それでは、「人間であること」が「人権を持つこと」の十分条件であるとする論拠は何なのか。そしてその論拠を説明する過程では必ず、後件である「人権を持つ」とはどういう条件なのかを説明する必要が出てくる。
これが問いたかったこと。こういう説明なら分かってくれる人もいるだろうか。
同じような文例として、「あるものがひとでなければ、そのものは公務員の選定や罷免の権利を持たない」という文が、条件文であるとするテキストもある。これが真であるのは論拠を日本国憲法に持つからだと説明できる。「人間は人権を持つ」もこれと同じように条件文として扱える、そう考えておこう。それを許さないとする説もあるということで。 -
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145
ななしのよっしん
2014/01/20(月) 11:42:45 ID: gERcI+OEzt
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146
ななしのよっしん
2014/01/22(水) 19:27:39 ID: aELUSE7LUr
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ウィトゲンシュタインの論理哲学論考まで戻る。
形式論理では三つの文、①事実について②事実によらず真か偽である文③概念や価値に関わる文に分かれる。彼は事実と事実の候補についてしか語れない、と言った。
②は無意味(sinnlos)であり、③はナンセンス(unsinnig)であると。この意味で言えば、③に属する人権を形式論理で扱うのはナンセンスである。
分析哲学者は何とかそれを拡張しようとした。
直観を根拠においたヒルベルトやポアンカレは説明力に欠けるとするカルナップは規約主義を唱える。これは分析的命題と論理的命題を分けること。論理的命題は②に基づいた命題を扱うことを可能にするが、形而上的問題は同じく扱われない。クワインはこの規約、非明示的定義というものが存在するかを疑問視した。明示されない条件は、規約を無視した言明と区別することが出来ない。
一方で行動を先にし、解釈が通じたことからさかのぼって非明示的定義が構成されると考えることにも限界があることが示される。無限遡及の問題で、最終的には「私たちの言語でAと定義されるもの」にたどり着かざるを得ない。
カルナップに対してクワインが提示したのは、非明示的定義を除去して与えられた命題は説得力を失う、というもの。人権を非明示的定義を除いてそこに含まれる概念のみで語ろうとすることは、単に概念の説明性を失わせるだけにとどまる。
クワインはわずかな刺激から科学理論を打ち立てる人間の可能性を強く認める人間であり、文脈や背景論理と彼が呼ぶものを捨象して形而上を矮小化する論法には強く反論する。
人権とは何かを語らねばならない、としながら自分は語ろうとしない。他人の背景論理を用いた「説明」には説明力が弱い、と攻撃し、「自分の頭がおかしいのかもね」などと冷笑する。
最初から書いているが、出発点から間違っている。
>「人間は人権を持つ」もこれと同じように条件文として扱える
なんでこのアイデアにこだわるのか知らないが、これは背景論理や規約という考えを捨象する、概念の説明力を失わせる操作にほかならず、ウィトゲンシュタインの「ナンセンス」をあえて侵して実りあるアイデアではない。 -
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147
ななしのよっしん
2014/01/22(水) 19:29:19 ID: aELUSE7LUr
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翻訳には意味論が必要。「人権を持つ」とする時に形式論理に翻訳すると究極的には「私の言語で人権を持つ」と判断される記号を作るしかない。
そしてそれは会話をしている受け手と話し手で違う意味を持つ記号である場合sinnlosではなくunsinnig、ハンプティダンプティと話す意味でのナンセンスでしかない。
形式論理の目的は通じる言葉にする(普遍性を持たせる)ことで、翻訳してこんなことが起きるなら形式論理の世界から追放してしまえ、というのが多くの言語哲学者が提唱したことだった。
いやいや、それでもルールがあるから通じるのだ、明示されない定義によって意味が確定するのだ、すべての文から意味を類推する意味論を持つのだ、少なくとも数はあることにしようというような拡張がされてきた。
どんな立場を取るにせよ、存在論的コミットメントは数と物理法則にしか「適用できない」ではなくて、「なんと数と物理にまで拡張し得た!」というレベルで拡張を試みている。
mpJgBHOakWは人権を、その概念の内部にあるものだけから普遍性を導くことができないから人権について説明をしなくてはいけないと要求する。なのに規約や背景論理は否定する。
そもそも概念から普遍性を引き出すことはできないのが形式論理に翻訳された文章であって、それが可能なのはトートロジー(ウィトゲンシュタインの②sinloss)でしかない。①であるかのように翻訳できたとしてもそれは③でしかない。
「人権を有る個体が持つかどうか」は事実の候補のレベルには存在しない。「ある個体が犬であるか」も③に属し、それは「犬」ということについての非明示定義を共有している時のみ①となる。(カルナップならこのunsinnigを有意義とみなすだろう)しかし人権を持つことについて意見の一致が見られていない時に③を①であるかのように扱うことは概念の価値の切り下げを行うことにほかならない。
クワインはカルナップの規約主義が概念でも該当するとするならば、「明示されない規約」によって概念を語るなら背景論理を無視することになり、概念の説明力を失わせることになり、明示されない規約の無効性を訴えた。mpJgBHOakWはわざわざ明示されない規約・背景論理を捨て去ることで人権を否定する意図でもあるかのようなアイデアに固執している。
人権を主張する人を攻撃することは(無意味だと思うが)出来たとして、そのあと何処へ行くつもりかね。 -
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ななしのよっしん
2014/01/23(木) 14:03:23 ID: mpJgBHOakW
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「人間は人権を持つ」を条件文として捉えることは(不可能ではないが重大な欠点を持つ)一つのアイデアであるが、他にもアイデアがあるってことか。しかしそのアイデアを採用することがまさか人権を否定することにつながるとまでは考えていなかったな。概念や価値をどう扱えばいいのかが俺が分からないことが問題なんだろう。
人権を主張する人を批判したりや疑問を呈したりする理由はある程度想像できる。人権濫用の抑止のため、人権の換骨奪胎のため、人権と相容れない価値観を普遍的原理とするため、アンチ西洋、極端な動物・植物・環境擁護のため、実在、反実在論上の立場のため、ペシミズムやシニシズムの実践のため、日和見主義とか。
主張したい人は主張すればいいと思うし別にいいんじゃないかな。 -
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149
ななしのよっしん
2014/01/25(土) 08:44:12 ID: aELUSE7LUr
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>>148
「普遍的人権を議論の対象にすること自体、人権を攻撃している」という主張とのニュアンスの違いは理解していただけたようでそれは嬉しいよ。
その上で、語ることに背景論理や非明示的定義が必要とされるものと認識した上で、人権は認められるべきなのか、認められるとしたら人間一般に(普遍的に)認められるべきなのか、その範囲はどうなるのかという思考をするべきだと思う。
>人権濫用の抑止のため、人権の換骨奪胎のため、人権と相容れない価値観を普遍的原理とするため、アンチ西洋、極端な動物・植物・環境擁護のため
これを「あなたが」本当に信じて「人権」一切が存在しないと考えるか。ロックやホッブズがなぜ少なくとも生存権、少なくとも財産権は認められるべきだと考え、あるいはルターが内心の自由は侵害されるべきでないと唱えたか。そしてそれが説得力を持ったのはなぜだったか、今でも説得力をもつのか。
持たないとしたらどの部分が、誰にとって合わないのか。法律はそういう議論を経て、憲法や国連憲章に記載されるようになった。
背景論理や非明示的定義を無視するならこういう話はできないし、事実当初の10個ぐらいのレスに対してほとんど無視をされていたように感じる。どのような限定された形でも、「認めるべき人権」が規定されたとき、普遍的でなく限定的とするなら、あなた自身が「ある個人にあるかわからない」と主張した同じ理由で「どの個人に否定されるべきかわからない」ことになる。
人権の具体的な内容は法律においてと同じように議論はあるかもしれないが、普遍的でない人権の存在は普遍的な人権よりも説得的だとは思えない。
こういう問題が生じるなら人権自体存在しないもの、権力によって与えられるものとする考えにだって論理はある。それをペシミズムやシニシズムと名付けるのはいいが、どうも反対理由に挙げられたのは人権自体でなく「背景論理」が主なような気がしてならない。
人権という概念のいい面の背景論理とこれまでになされてきた議論を考慮した上で、人間に普遍的人権が備わっているとする意見を、人権という概念の悪いイメージ(殆どは運用についての苦情に過ぎない)を持って攻撃することが「よく理解できる」と考えるのは構わない。
ただ、そういう議論をなかったことにして形式論理で示せないから相手が理解できないのは俺は頭が悪いのかみたいな相手の意見を理解することを放棄する言い方は止めてほしいと思う。 -
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ななしのよっしん
2014/01/25(土) 17:27:51 ID: mpJgBHOakW
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>>149
背景論理と非明示的定義を考慮した議論の仕方が分からないこと、そしてそのような議論を否定する仕方での議論しか手段として持ち合わせていないことが人権についての議論へ理解不足を生じさせた。そのことで不安になって自分を貶め、そして議論の放棄と受け取られかねない書き込みとなってしまった、ということだと思う。
こちらとしても議論の放棄と受け取られるのは困るし、今度からもっと前向きに分からないから教えてくれと、余計なことを一切言わず質問した方がいいんだろうな。以上でござい。
ちなみにヘーゲルの議論を形式化したら、絶対者:S,存在:a,無:bとすると、S=a=bとなるって話を思い出して、こういう話において形式化が捨象するものはでかいな、とは思った。 -
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