加賀(戦艦)(アズールレーン)
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ななしのよっしん
2019/01/20(日) 12:27:07 ID: GrquabruK+
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>本当にそのまま聞いたというか読んだことを書いただけだ
自分で咀嚼できてない言葉を用いて自説補強に使うのは止めなさい。粗になるだけ
「大和型が設計思想的にはバカでかい重巡洋艦とでも言うべき艦だ」
推察するに、単に重巡の船体設計が生かされている事を大げさに言ったに過ぎない
牧野氏も船体設計が最上型に似ている旨を指摘してるね
具体的に生かされてる点だと、防御図面を見ると大和は甲板装甲の両端(舷側)が下部に向かって傾斜してるが
これは天城型―つまり大正年間の戦艦設計では一切見られなかった特徴で、これは最上型辺りから始まったもの
と、設計が生かされてるのは確かなのだが、船体ではなく戦闘艦艇として見た場合別物としか言えない
(軽装甲軽量化した砲塔を多数搭載し被害分散、そして重雷装と言う設計は戦艦とは全く馴染まない)
少なくとも「(巡戦は)重巡・戦艦に吸収され」の繋ぎに使える文章ではないな。 -
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ななしのよっしん
2019/01/21(月) 06:11:56 ID: Qor40qBQhK
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ななしのよっしん
2019/01/21(月) 06:14:41 ID: Qor40qBQhK
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ななしのよっしん
2019/01/22(火) 18:44:34 ID: 0zZF8hOxai
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>>30
>実態として戦艦(というカテゴリ)に起こっていることは「高速化」だよな
戦艦カテゴリの性能面の変化は高速化だが、性質面の変化は主力が主力だけしちゃ居られなくなった点
最初に言ったが従来は「偵察役(巡戦)がせかせか前線を動き、どっしり主力(戦艦)が構えて決戦を挑む」
言ってしまえば主役が前座も兼ねなきゃならなくなったんだ。悲哀の意味も分かってこないか?
>結局の所並ばれ統合されたことを悲しむべきと見るかどうかなわけよね
思うに、ユトランド沖海戦における海軍戦略上の戦訓の話をした方が良いのかな?
あの海戦で分かった事は「双方が望まない限り戦争の勝敗を決めるような決戦は起こり得ない」
これによって主力艦がどっしり構えるスタイルが否定されたんだよ。
恐らく君は「巡洋戦艦の地位が上がり戦艦に並んだ」と思うから「悲哀」に疑問が生じるんだろう。
逆なんだよ、地位の話で言えば「巡洋戦艦の所まで戦艦が下がった」んだ。 -
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ななしのよっしん
2019/01/22(火) 23:21:37 ID: hNnN037WdJ
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ななしのよっしん
2019/01/23(水) 09:35:02 ID: 0zZF8hOxai
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>>35
端的に肝を抑えていらっしゃる。戦艦の戦略性が低下したのだからまさにそう言う事ですね
WW1以前の戦艦は、大きく強く沢山あればその時点で制海権は貰ったようなモン、
マハンで言う所のシーパワーの象徴。今で言えばまさに核であり一杯持ってれば勝ち確な存在だった
ところがWW1で分かった事は、双方が決戦を望まないと決戦が起きず、
的確に使わないと価値が激減する事実。有利なら追い、不利なら逃げないと勝利は得られないことが分かった。
戦艦が高速化、つまり戦術機動性を求めだした事自体が戦艦の戦略兵器としての地位の凋落を表している。
戦艦が有利なら追い、不利なら逃げる存在となった。当たり前では?と思うかもしれないが
それは戦略兵器たる戦艦の思想ではなく、戦術兵器である巡洋戦艦の思想
つまり戦艦は、加賀的に言えば巡洋戦艦如きと同程度の価値になった。
戦艦が輝ける主力であった時代の黄昏。やっぱり悲哀だね -
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ななしのよっしん
2019/05/03(金) 21:40:09 ID: d0+EWg1Cvg
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ななしのよっしん
2019/05/04(土) 23:48:47 ID: 5dKj8c9XM/
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これが加賀ちゃんですか
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ななしのよっしん
2019/05/05(日) 08:34:08 ID: +KlbPpvAVu
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40
ななしのよっしん
2020/02/08(土) 03:24:49 ID: Qor40qBQhK
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一年越しに返信しようとしていろいろ考えたり調べ直したりしてみたが、そもそも地位って概念のすり合わせが不十分なことに気付いた。
格とか、人間で言う身分とか、象徴的価値とか、そんなイメージでいいんかな。
それと主力艦について戦術兵器化というのはちょっと厳しいように思う。
http://www.kaize nww1.com /830bloc kade.htm l 
ここで引用されてるんだが、
>「戦艦は海戦の攻撃力の中核であるべきだという期待と、戦艦は海軍力(海上覇権を維持する力)の中心であるはずだという幻想が疑われることなく作用し続けた」
ゆえにWW1後も建艦競争が続いた、という話がある。
実態としての戦力はそのページにあるように、日露戦争頃から水雷兵器の発達で相対的に低下していたようだ。
どちらかというと、戦力としての実効性は低下し、しかし象徴的地位は高止まりしていたのが戦間期の主力艦じゃないかな。
まぁこの場合の主力艦って戦艦・巡戦まとめての話になるんだけど。
で、肝心な話、「戦略兵器から戦術兵器への転落」「戦艦の地位は巡洋戦艦と同程度まで下落した」という評価が正しいとして。
その悲哀をアズレン世界の戦艦加賀に当てはめてみれば、赤城に対して「なんで戦艦たる私が巡戦如きと同じ仕事をしなきゃいかんのだ」「巡戦如きに性能で上回られるとは」という感情が下地にある、ということだよな。
そこんとこが天城への尊敬っていう点と噛み合わないと思うのよ。だって天城は「巡戦如き」だから。
ここんとこってどう考えてる? -
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センカンスキー(´・ω・`)
2020/11/11(水) 21:10:40 ID: ZMJmAO/zyU
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単純に軍縮条約期間中、戦艦が長らく造れなかった間は重巡洋艦が準主力艦として艦艇設計技術の最先端だったので、
八八艦隊計画艦と大和型の間には、ミッシングリンクとして金剛代艦だけでなくて重巡洋艦が開発ツリーに挟まっているというだけの話だぞ。
大和型の断面図自体、最上型との類時点が指摘出来るし、水中弾防御の為の100~80にテーパー成型された部分は巡洋艦のように強度部材を兼ねてたりもする。
ただ、日重巡は船体や弾火薬庫は装甲が充実しているが、砲塔ははなから捨てて魚雷を持って駆逐艦ともろともに水雷突撃するという尖りまくった仕様なので、最上を単純に拡大したら大和型になるなんてアホな話ではない。
あくまで巡洋艦で培った要素が投入されているという話。
巡戦に関しては、これ完全に用法的には超大型の巡洋艦なんだぞ。
偵察兼雑魚狩り、追撃、死体蹴り用。でかいぶん戦艦より高い癖に、戦艦には一方的に打ち負ける。
独巡戦が割と有力な装甲があるのは、極単純に戦艦用で手一杯で砲の製造がおいつかないので、それを補う為に割とマトモな装甲を持たされているかたち。ただし用途は英巡戦と同じ。
ユトランド沖の戦訓から、巡戦と戦艦は実質高速戦艦に統合されたのは指摘の通りだ。この時期は書類上戦艦、巡戦の区別があるだけで実質同じものとしか言えない。
アドミラル級や天城は長門と同等以上の防御力があるんだからな -
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