31 ななしのよっしん
2012/05/24(木) 18:16:00 ID: cAde5MKNLH
>>27
まず当時の江東の人民は徐州出身者が多かった。というより昔から頻繁に行き来があった
そのため長江を挟んでいても対へのが強い。孫策陳登覇権を争ったのはこれが原因
もう一つ、孫権の時代は揚州からの移民も多かった。徐州難民が揚州を経由して南下したり、袁術の統治時代の難から逃れた揚州難民や、袁術滅亡後その残党も多数江南へ移住していた
で、これらの大規模な移民は、江南連合の上に乗っかり権が不安定な孫策孫権にとって重要な支持基盤だった
そのため、移民たちの意志は孫策孫権の判断にかなりのを及ぼしたと考えられている
もう一つ、移民たちは江南へ移住した後も北側への人脈を維持していたので、上手く使えば北への侵攻は容易だった
張昭魯粛たちも北からの移住者
の時、孫権が二方面作戦をとっても臣たちが高に批難しなかったのはそのような背景があったからと考えられる
またこの時は曹操の援軍が合肥に駆けつけると、孫権はすぐに軍を引いているので陽動が的だったのかもしれない
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32 ななしのよっしん
2012/08/07(火) 12:26:34 ID: ha6y/Da56G
>>27
なぜ周瑜と戦った曹操軍が傷だとわかる?
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33 ななしのよっしん
2012/09/22(土) 23:44:30 ID: hYbcyK18n5
>>32
すまんが、曹操は自軍に大ダメージ受ける手前で撤退したから、
そう表現したんじゃない?
少なくとも、致命的損は受けていなかったと思うよ。
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34 ななしのよっしん
2012/10/17(水) 22:32:44 ID: 9VDuzJ6/AB
>>33
さらに横済みませんが
自分はある意味致命的だったと思う
あの敗北で一番大きかったのは人的被害じゃなくて船舶などの機材面での被害ではないかと思う
実質的に南下作戦曹丕の代まで行われてない
進行ルート州が中心になってる
また江陵の戦いでも周瑜の方が軍の展開はいような気がするな
徐晃曹仁分断したり、夷陵の救援も最大限かつスムーズ

もしかしたら下二分の計の自信もこの辺にあるかも
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35 ななしのよっしん
2012/10/28(日) 21:44:03 ID: hYbcyK18n5
>>34
敵意なき横なら、もちろん大歓迎です。
なるほど、勉強になる。
ただは、火の玉黄蓋期に負けを悟った曹操が、
物資を自分の方でも焼き払って撤退した、と解釈していたんだ。
敵に奪われるよりはマシ、ってね。
さて、その江陵攻防戦の話なんだけど、
この戦いに関羽張飛が参加してたって話は本当なのかな?
ニコ三国志動画に、そんな話があった)
自分では、まだ正史で確認を取っていないんだ。
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36 ななしのよっしん
2012/10/29(月) 22:23:57 ID: 9VDuzJ6/AB
>>35
劉備は戦がうまくない(知恵がくないみたいな感じだったかも)。わしならばここに兵をせるのにな。のちに劉備はそこに兵を派遣したが間に合わなかった。みたいな記述があったと思うから計画的な撤退とは言えなさそう。計画的撤退ならルート想定と安全性の確保はするだろうし。

関羽張飛の参加
手元にないんでわからないっすね。
とりあえず周瑜劉備と女で腐らせて張飛関羽を引き抜こうとしたみたいな記述はあった気がするけど。ただ正史の方じゃなかった気がする(どっかの注釈だったと思う)。
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37 ななしのよっしん
2012/10/29(月) 22:41:07 ID: hYbcyK18n5
>>36
ありがとう。
自分も手許に正史がなく(実家の本棚)、
断片的な記憶に頼るしかないんだが、その「曹操の三笑」の原話や、
周瑜による劉備抜き&関ゲットの計は、なんとなく憶えてるよ。
の場合、正史と演義と解説書の記憶が、内でゴッチャになってるw)
それとは別に、なんらかの記述(論注釈含む)があったのかな?
もしかすると周瑜外の人の伝に、関羽張飛が従軍した話があるのかも?
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38 ななしのよっしん
2012/10/30(火) 15:12:49 ID: 2yzG7QHpnD
長江で曹操孫権が戦ったのと前後して劉備が荊州南部曹操軍を撃退してる。赤壁の戦いを長江を舞台にした曹操VS孫権劉備との一連の抗争と定義すれば、劉備赤壁の戦いに参加していると言える。逆に赤壁の戦いを詳細不明な水上戦(の史書には疫病が流行ったから曹操は自ら引いた々言われてるヤツ)に限定すれば、おそらく劉備の戦いに参加してないんじゃないかな。
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39 ななしのよっしん
2012/10/30(火) 17:46:09 ID: 9VDuzJ6/AB
>>37
ちょっと調べたらあった
注釈の方で張飛1000を率いて周瑜に従軍? させて私(劉備)に2000の兵をください。みたいな記述がある。これのことじゃないかな。もしかしたら徐晃曹仁分断したのの一環に関わってるのかも。
あと引き抜きは正史本伝だったw
この引き抜きの献策は江陵戦の後っぽいから可性高いね。

>>37
戦に劉備たちは関わってるよ。え~と36で言った通り曹操は相手の追撃で劉備を意識している。逆に孫権軍はそこまで意識してなさそう。

>>35
めんどくさい書き方してごめん。を焼いたというは正史に書かれてるからそこは否定しないけど周瑜たちの追撃を鈍らせるためというのが自分の意見。実際周瑜たちの追撃はあまり意識してないような気がする。当時の消化技術を鑑みれば一度大火が発生したらおさまるまで様子見るしかないだろうし。
ただ自分も実家にあるんで正しいかはわかりません。
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40 ななしのよっしん
2012/11/07(水) 21:56:02 ID: hYbcyK18n5
>>39
何度も調べて頂き、ありがとうございます
あと、その撤退ファイアウォール説は興味深いですね。
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41 ななしのよっしん
2012/11/12(月) 11:16:30 ID: n7lyCe8K2z
周瑜ヤクザ連合孫呉では割としい名門の出だし、文武両な武官ってのは間違ってないんだろうけど、まともな軍功がくらいしかないから評価がしにくいんだよなぁ。
その劉備諸葛亮の手柄ってことに竄されちゃったり、史実的にが論じにくかったりするし。
個人的には曹操を除けば最高レベルの軍略を誇っていたとしてもおかしくないと思ってるけど。
郭嘉対決させてみたかったが、何故天才軍師達は逝なのか…。
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42 ななしのよっしん
2012/11/12(月) 12:44:06 ID: GY6Rowk+TD
逝だから、残されたエピソードが際立つだけじゃない?
死にしてる凡人もいれば、程昱賈詡のように長生きしてる天才軍人もいるよ。
周瑜の最大の功績は、孫策死後に魯粛理矢理内に止めたことで孫権曹操との決別を決心させたことかな(おかげでたくさん人が死ぬことになるけど)。
孫策の頃には軍功多く上げてるけど、どうも曹操営との戦いでは精を欠いてるよねぇ。それだけ中原らげた曹操軍は強かったってことなんだろうけど。
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43 ななしのよっしん
2012/11/14(水) 14:45:31 ID: Mkhk3E6P/T
ここの記事でが簡潔に流されているのは具体的に書くほど何があったかの意見がまっていないから?
まあはおいといて、それ以外の功績を記事に追記してくれる人がいたら助かります
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44 ななしのよっしん
2012/11/22(木) 21:03:16 ID: hYbcyK18n5
>>43
に関しては、正史での具体的な記述が決して多くはなく、
専門の間でも未だに議論が続いており、
それゆえここの記事でも簡潔に流されてしまったのかと。
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45 ななしのよっしん
2012/11/26(月) 18:50:13 ID: 2yzG7QHpnD
荊州南部劉備に荒らされたり曹仁周瑜らに追い詰められたことはの史書にも記述があるけど、で本当に何があったのかは、全くでそれぞれ記述に差があるからねぇ。
だからこそフィクションでは脚色しやすいんだろうけどね。
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46 ななしのよっしん
2012/12/06(木) 10:36:57 ID: s0gvKWwUTA
三国志を代表する英傑の一人なのに、記事が簡素すぎて残念
二世の周御曹司だとか、孫策と共にあった頃の活躍とか、山越討伐とか、武官なのに長昭と共に事務仕事仕切ってたとか、魯粛らとの関係とか、以外にも見所はたくさんあるのに。
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47 ななしのよっしん
2012/12/09(日) 21:38:13 ID: pIzSmA9D1o
周瑜の対劉備対策は底的な強硬路線で
劉備と関を引き離して劉備軍をに吸収させ、関らは自分の配下として使う」という感じだっけ
周瑜指揮官としての資質をだけの一発屋だという意見もあったけど
孫策時代はあの孫策に荊州攻略を一任されてたくらいだし
(むしろ孫策時代は孫策周瑜の二頭支配に近いような気がしないでもなかったり…)
孫権の頃も周瑜が出た戦にはほとんど負けがなかった印がある
周瑜が死んでは捨ててでも孫権皇帝にするという考えの魯粛が後任にならなかったら
劉備をとれてたかどうかはかなり怪しいと思うんだけどどうだろうか
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48 ななしのよっしん
2012/12/09(日) 23:12:08 ID: n7lyCe8K2z
魯粛魯粛でめちゃくちゃ有能だったし、立場的に周瑜でもあったが、周瑜と違って劉備だからね。
周瑜が死なずに現役をあと三年続けていたら、劉備営は終わってただろう。
まあどっちにしろには勝てなかっただろうけど。
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49 ななしのよっしん
2012/12/23(日) 00:37:58 ID: Jo7ffdfkUT
あの劉備周瑜の言う程簡単に孫権軍に取り込まれるとは思えないなぁ。最悪の場合、孫権劉備で内紛勃発して曹操の総取りなって事になったかもしれない。
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50 ななしのよっしん
2012/12/26(水) 00:09:19 ID: n7lyCe8K2z
周瑜劉備タイマンなら分からないけど、周瑜が生きてりゃ周瑜魯粛龐統 vs 劉備諸葛亮 って状況。
いかに劉備天才といえど、流石周瑜側が勝つんじゃないか? 立場やの差も考慮すると。
それに、魯粛龐統が「劉備は危険だけど有能だから孫呉の為に利用しよう」って路線に全になったのは、思想の問題以前に、周瑜が死んだことによる孫呉弱体化も要因としてあると思うの。
周瑜が「劉備は危険だから排除」の路線でずっとらせてたら、劉備といえど成り上がることは出来なかったと思うな。
周瑜も取り込み路線で行ってたらどうなったか分からないけども…周瑜劉備利用ってけっこう魯粛に引っられてる部分あったから、そう考えるとなんだかんだで似たような状況になってた可性もあるか。
のあれは周瑜魯粛事前に通じてたのか、魯粛全な独断専行なのか、どっちだろうね。
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51 ななしのよっしん
2012/12/27(木) 22:02:13 ID: mi2FcxL528
曹操から奪った荊州の中で劉備が七割以上占領してるからなあ。簡単には潰せないだろうな。
さらに史実では結構よく曹操が揚州に侵攻してるから、戦うなら2年ぐらいで片付けないとまずい。
それに反曹操の旗印役の劉備期に失うのは政治的に痛手だろう。孫権単独はまだい。
結局は周瑜案の劉備化して単独で戦うか、魯粛案の利用して共闘かの選択になるな。
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52 ななしのよっしん
2013/01/04(金) 18:54:42 ID: s0gvKWwUTA
劉備の役割は「曹操の敵」だからね。
劉備自身もそれによって立場を確立し生き残ってきた。

曹操にとっても、敵としての体は劉備
でも周瑜に負けたではなく劉備に負けたとなるくらいだからな。

献帝を擁立する曹操に対し、「曹操献帝を傀儡にしている逆賊である」というかなり苦しい御題を掲げることでしか孫権曹操に対抗できなかったわけだが、その政治スタンスを掲げることが出来たのは劉備あってこそ。
まあ孫権としては曹操に下ってもよかったんだろうけど、周瑜魯粛はそうではないから、結局は劉備を利用するしかないわけで。
でも、そう思ったから魯粛劉備になったわけで、周瑜が反劉備を唱えてたってことは、周瑜には勝てるビジョンがあったのかも。

何れにしても、周瑜魯粛って危険な軍人だよな。全然孫権配下に収まってないもん。
孫権にちゃんと話してから動いてくれる呂蒙孫権されたのがよく分かるw
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53 ななしのよっしん
2013/01/06(日) 16:28:47 ID: D4pj9H8ZJR
周瑜が生きてても、わりと魯粛みたいに劉備との共存に切り替えたんじゃないかな?
状況の違いってやつで。

周瑜下二分の計は韓遂馬超との同盟が前提だし、急いでたのもそのためだろうけど、周瑜が死んでほどなくその辺はあっさり滅ぼされてる。
その辺がアテにならなくなると周瑜プランは大前提が崩れるから。
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54 ななしのよっしん
2013/01/25(金) 16:37:59 ID: ZDhNzZ140K
周瑜曹操の配下に居れば軍事荀彧とでもいえるような存在になったかもしれない
曹操周瑜のような人材が欲しかっただろうな
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55 ななしのよっしん
2013/01/25(金) 21:34:21 ID: GY6Rowk+TD
名族だしね
周氏の人脈とかは、周瑜個人の才よりも欲しかっただろうと思う
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56 ななしのよっしん
2013/01/28(月) 10:07:01 ID: n7lyCe8K2z
荀氏も江周氏も沛曹氏も三だから凄いことになるが、それでもそういう面に関しては南袁氏には及ばない気がするな
まあに足りなかったのは都督級の人材だから、周瑜クラス天才軍人なら絶対欲しいだろう
以外に曹操が都督を任せることはあまりかったけどね
張郃徐晃と、あと微妙なところで覇くらいかな?
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57 ななしのよっしん
2013/01/28(月) 10:11:25 ID: 3J8op23vee
周瑜諸葛亮が立場を越えて、奇妙な友情を育むタイプ三国志好き
北方とかレッドクリフとか。まぁレッドクリフはそこだけが好きなんだが
演義へのアンチテーゼの結果だとしても悪くないと思える

北方孔明に「もし私が孫策と出会う前に方と会っていたら、私は自分で下を取ろうとしたかもしれない」
みたいな結構衝撃的な発言するのが印に残った
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58 ななしのよっしん
2013/01/28(月) 19:50:48 ID: hYbcyK18n5
>>54
>>56
当代随一の兵法である曹操う存在が、
を「都督が育ちにくい環境」にしてしまったって側面もあるのでは?
と、今ふと思いました。
つまり、配下は意識に曹操が立てた軍略に依存してしまい、
やがて曹操その人に依存してしまい、ある地点で成長が止まってしまう、と。
「部将」としては当時最強クラスだった夏侯淵は、まさしくそんな印
もし仮に、周瑜い時期から曹操に仕えていたとしたら、
彼はその賦の才を掘り起こせたか?
・・・たぶん、良くて五分五分でしょうね。
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59 ななしのよっしん
2013/01/29(火) 19:34:49 ID: n7lyCe8K2z
>>58
でも最初は凡将〜良将に過ぎなかった曹仁が、三国志前半では最強クラス将軍にまで成長したのは、やはり曹操を模倣しその模倣から抜け出すに至ったからでは?
曹操の存在は非常に大きいけども、それを活かせるかどうかは人それぞれだろう
夏侯淵が名将に一歩及ばないのはその辺かなぁ…曹操の忠告もあまり聞いてないし
武功はいけど後方で屋台となった勤勉な夏侯惇の方がよっぽど名将っぽいね
周瑜は…若い頃から既に天才な気がするからどうなってたか分からん
というか、周瑜みたいなのは上があんまり有能だと燻る気がする
孫策との関係はほとんど二頭体制だったわけだし…
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60 ななしのよっしん
2013/01/29(火) 21:27:44 ID: hYbcyK18n5
>>59
そうですね、初期が本当に凡将だったかどうかはともかく、
曹仁曹操チルドレン従弟だけど)としては
一番の成長と言えるかも知れません。
彼がその生涯で負けたのは、周瑜戦と朱桓戦の2度だけですしね。
(ただしどちらの合戦も、彼の見せ場はあった)
しかし彼の場合、いや彼に限らずクラスは皆、
曹操揮での大合戦や、単独揮なら防衛戦での活躍はありますが、
曹仁はこのタイプの典か?)
単独揮での大規模攻戦では、誤解を恐れずに言うとイマイチの印が・・・。
夏侯淵だって、最初は西方の掃討戦でヴイヴイ言わしてたけど)
つまり、戦略規模での独立機動攻撃隊をこなせる人材、それこそ孫呉の4大都督
みたいな人物が不足していたように、自分には思えるのです。
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