331   
2019/10/29(火) 18:03:53 ID: dhz0Dc/DoT
実権を握ってからは北伐を何度も行い、それで被害が少ないならまだしも大敗を2度もし、国家の防衛ラインも壊し、その結果の侵攻を抑えきれなかった人間をこれだけ擁護する人間が多いのは演戯のの高さが垣間見える。
例え他のの官や将を批判してもそれで姜維を擁護できるほど招いた結果や立場は軽いものではないだろうに。
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332 ななしのよっしん
2019/11/19(火) 02:49:13 ID: k0fyGeiXBC
との差が開く一方な以上姜維の北伐関係なしにの本格侵攻が起きてたの間違いないだろうけどね
末期の北伐も自に攻め込まれるよりは攻め込んだ方がマシっていう発想だろうし
明確な罪と言えるのは状況の打開をめる余り危険すぎる賭けに出て尚且つ再起が出来ないレベルボロ負けをしたことだな
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333 ななしのよっしん
2019/11/28(木) 23:21:47 ID: h2aMgMzjoY
「こちらから攻めなければ向こうから攻めてきたはず」って前提が正しいのなら、北伐が中断されてた時期は何度もあったのに、なんでその間は攻めてこなかったのかって話になるでしょ。

の本格的な逆侵攻は、最初期の曹真の時を除けば、
司馬懿への対抗として軍事的功績を欲しがった244年の曹爽
皇帝弑逆という大失態をかき消す功績を欲しがった263年の司馬昭
の2回のみで、いずれも内問題の解決方法として外征の成功がめられた時で、側の動向が理由となったわけではない。

そして外征というのは攻撃側の方が防御側よりも圧倒的に消耗がしいもので、それが戦果なく引き上げているのであればなおさらのこと。
「攻め込んだ方がマシ」ってのも現実的に考えたらまずありえない。
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334 ななしのよっしん
2019/12/21(土) 10:35:03 ID: AxZy8MRsrM
視点だと温存に努めて少しでも長生きさせるくらいしかやりようないよな
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335   
2019/12/28(土) 00:48:24 ID: dhz0Dc/DoT
そもそも差が広がり続けるってのもどうかと思う。
は内部抗争や反乱が多く皇帝まで弑逆される状態にまで陥るし。
姜維が初期に戦争で成果をあげられたのも夏侯覇のようなでの繋がりが多く内情もよく知る男が政争から降ってきた上、王経のような軍事的実績も持たない人間方面を任せなければいけなくなっていたからってのがある。
よりはそりゃでかいだが安泰していたかと言われると全くそんなことはない。
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336 ななしのよっしん
2020/02/02(日) 21:14:33 ID: f2wh6bzCH1
最後に鍾会たぶからし滅亡の連れにしたのはあんまり評価されてないよな
最後の最後にやらかしやがったって感じ意地を感じて好きなんだが
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337 ななしのよっしん
2020/02/08(土) 11:02:42 ID: h2aMgMzjoY
>>334
別に視点を持ち出さなくても、孫子や六韜といった当時の兵書にも

「せめて上で10割勝てる算が立たないのなら、そもそも戦うな」
「強い相手とは正面から戦わず、外交や謀略を駆使して弱体化を図り、時期を待て」

などといった、「強敵にこちらから仕掛ける愚」を説く論はいっぱいあった。

まあ君劉禅、録尚書姜維という良政する気0%の組み合わせを考えれば、時期を待ってるとこちらから内部崩壊する可性も十分に高かった(というか実際した)ので、それを考えると結果的にはむしろマシだったかもしれんが。
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338 ななしのよっしん
2020/03/12(木) 16:37:10 ID: R0IjLOKXH+
も言ってるけど、君でもないのに一人でを支えてるような状態では、そりゃ限界あるよね

この人の不幸はおそらく、同僚に恵まれなかった事
欠点があっても補ってくれる人がいれば良かった
若い頃はそれができてた
段々と減って減って減って、一人になってしまった
……いや、そうなれば結局、運命とは言えるのか
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339 ななしのよっしん
2020/03/12(木) 17:30:25 ID: ACn7DK+kJk
劉備が外から連れてきた人材が老衰したら元の山のド田舎だし人材不足はしかたないね
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340 ななしのよっしん
2020/04/10(金) 09:59:12 ID: dF0PrU36in
>>337
まあ北伐で疲弊させたのは姜維だけど滅亡時にの戦を玉砕壊滅させたのは諸葛瞻だしギリギリ最低評価は免れてる感あるよな
しかし姜維鍾会からの評価が妙に高いのは皮なのかそれとも本気で姜維を評価してたのかわからんな
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341 ななしのよっしん
2020/04/11(土) 02:58:25 ID: CYA1CTWrNy
攻め込んでる側で兵糧に余裕がないから仕方ないんだろうけど、捕虜に取った兵卒を基本埋めにしてる印がある
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342 ななしのよっしん
2020/04/14(火) 21:50:08 ID: KvJhRN2O1S
>>339
何人「老衰できた」かと言えば、正直ものの数ではないけどね
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343 ななしのよっしん
2020/05/07(木) 08:22:32 ID: WpK7Di1Czu
はもはや姜維1人を頼みにしていると司馬昭にも言われてた気がするが
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344 ななしのよっしん
2020/05/13(水) 15:48:20 ID: L0KkrjEuHk
鍾会鄧艾諸葛緒に討伐命じた詔だな
が頼みとするのは姜維だけ
その姜維成都留守にしてるんだからなんて簡単に滅ぼせるだろ
今こそを討てってやつ
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345 ななしのよっしん
2020/05/13(水) 16:48:28 ID: 9B1FIdCCB8
>>337
もそうなんだけど、どちらの前線の将と後方の内政の連携が取れなくなっていく
集められる税から、どれだけの兵士を出せるかが解るはずだし、翌年の税がいきなり増えるわけでもないから兵が足りないなら守りやすい要に兵を集めるなどで工夫するしかないはず
あるいは貢物と形ばかりの臣従で、内乱を繰り返して疲弊するまで待つとか
ところがどちらも以上の外征への兵を出し続けてしまう

人材が不足というより、どうも策をまとめ、重臣たちの意見を集約する仕組みの作り方に失敗しているように見える
あと、先代が皇帝を称してしまったため、孫権がやったように一時的に臣従して、時間を稼ぐこともできなくなってる
勝利したを乗っ取った晋王朝ですら、滅亡後のわずか10年で八王の乱に突入するわけで、姜維の北伐に問題があるというより、すべてので統治の問題があり、で糊塗できなくなった所から滅んでいったように見える
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346 ななしのよっしん
2020/05/13(水) 23:22:58 ID: CYA1CTWrNy
>>339
費禕循に暗殺された時点での命数は尽きたと思うわ
後任の董允が寸暇を惜しんで仕事しても全く追いつけない位の量の仕事を遊びながら然とこなしてたような内政オバケだったし
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347 ななしのよっしん
2020/05/29(金) 12:58:54 ID: p26hYLv5Sq
>>346
まだ費禕に才買われた陳祗(北伐擁護派)が生きているor劉禅がさっさとくたばってたら滅亡まではいかなかったと思う(ちなみに陳寿の師は北伐反対譙周なので、陳祗に対して批判的なのは当然)
ただ次の代がを保てたかと言われると・・・
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348 ななしのよっしん
2020/05/29(金) 13:10:30 ID: sKyZvAZ+48
荊州を失い夷陵で敗北した時点で詰んでいたからその後はどれだけ延命出来るかだからなぁ、がいても理でしょ
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349 ななしのよっしん
2020/06/15(月) 17:44:29 ID: L0KkrjEuHk
劉備を取ってから姜維軍事トップに立つまで30年経ってる
劉備に付き従い戦ってきた連中のどは老いて死んだか夷陵で死んでるし、生き残りの張翼廖化姜維の北伐に冷やか
司馬氏の挙兵や曹爽失脚があってもは分裂する程の大きな動揺はなかったし姜維は優れた人材とは言え小が大を倒す程の才はかった

シナの長い歴史を見ればが挙一致且つ政治的に混乱してたり分裂してたりすれば戦差をひっくり返せた可性もきにしも非ずだろうが、単純な戦差だけでなく勝てない要因が幾つもあるのが辛い
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削除しました ID: +8pi455i8q
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351 ななしのよっしん
2020/08/16(日) 01:25:14 ID: xmtprPzlNo
時系列的に見ると諸葛誕の乱で命運決まったんだよな
あれは他の反乱と違って諸葛誕が率いた揚州10数万の軍が
丸ごと総出でから反旗を翻した。
側も皇帝曹髦が出てくるくらいにはヤベー戦いだった

しかしは段大敗の直後、そして総司令官孫綝という絶望
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352 ななしのよっしん
2020/09/14(月) 19:52:36 ID: AxZy8MRsrM
劉禅は生きてようが死んでようがほとんど関係ないでしょ
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353 オックセンマン
2020/09/15(火) 21:25:40 ID: 7deHbA3TNO
への加わり方については、もう1人の孟獲なのではないか、とみている
領内から遵と北夷が反乱を起こし、姜維孟獲のように諸葛亮に協を仰いで、定したんだと
…どうせこじ付けとか吹っ飛んでるとか思われるんだろうが
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354 ななしのよっしん
2020/09/15(火) 23:17:26 ID: CYA1CTWrNy
>>353
遵は書だと存在だけを示されてて、名前引用された略にしか出てこない小物だけど反乱を手動するレベルの事を起こしたなら流石書・書にもそうかかれてるかと。実際はの進行に呼応した県の反乱にビビって職務放棄して逃げただけだしな。
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355 ななしのよっしん
2020/10/04(日) 09:52:51 ID: h2aMgMzjoY
>>345
まあ中国の歴代王で「王道>覇」、つまり「軍事に注して積極的な侵攻で領土を拡大するよりも、国家を安定させ人心を感化していくが最終的には勝つ」とされたのは、それが単に儒教的理想だったからではなく、実際に歴史上の前例から得られた事実だったからでもある。

基本的に一度安定したが外部からの攻撃のみによって亡ぶというのはごくまれで、だいたいは「内の反乱勢によって」とか「内の分裂に付け込まれて」とか、要するに原因が内にあることが多い。

実際にも実際まさしくそういう負け方、つまり「軍事に注して積極的な侵攻を繰り返すも成功せず、次第に弱体化していき、ついには内の分裂によって自滅同然に滅ぶ」という負け方をしている。

ただこうした流れは、謀で益な外征を繰り返して大な濫費を続けたことで当然加速されたわけで、そういう意味で姜維(や諸葛亮)の北伐には大いに問題があったと言わざるを得ない。
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356 ななしのよっしん
2020/10/04(日) 10:09:57 ID: 2pqNCA46iR
孔明姜維に関しちゃある種呪いと化してしまったからなぁ。
荊州を取られず関羽が討たれなかったんだったら定軍山のように
に都合のいいタイミングで攻め入ることもできたのに、夷陵での
弱体化が決定づけられた後では攻めルートが限られてしまって
結果として中からと濡須口からの二方向を抑えることで戦略的な
の優位性が確定してしまったからなぁ…
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357 ななしのよっしん
2020/10/27(火) 12:52:25 ID: MqVOorD9ZE
>>355
とは言え、の大義は「を滅ぼして漢王朝を復する」だったから、「北伐をしない」と方針転換したら自ら存在意義を否定するも同然だっただろうからな・・・。
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358 ななしのよっしん
2020/10/27(火) 22:20:08 ID: h2aMgMzjoY
>>257
それをいったら少なくとも形式上は全く文句ない手続きでから譲を受けたよりも、無視して勝手に皇帝を僭称したの方が、の正統たるにとってずっとずっと論理上の敵性度は高い。
というか実際に孫権皇帝僭称時には内部でも批判討伐を望むが上がったが、当の諸葛亮がそれを抑え込んで「祝賀」している。

つまりも「現実>大義」がとりあえずできるであり、「大義のゆえに止むく北伐した」というのはこの場合理由として成立しえない。
さらに言うなら、中国的には「逆賊は武によって覇せねばならない」という論理よりも「王道を敷いていれば外征などしなくてもそのうち賊も帰順してくる」という論理の方が、説得材料はるかに充実している。

なので「は本当は北伐をしたくなかったんだけど、政治的事情によってせざるを得なかった」というような擁護論はネットで割とよく見るが、正直かなり理があると思うね。
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359   
2020/10/29(木) 23:13:48 ID: dhz0Dc/DoT
当初や劉備への義を掲げた諸葛亮はともかく姜維時代のがどこまでを打倒し漢王朝を考えていたんだろうねえ
費イ時代には北伐はかなり抑えられていたしそれで内不満があがっていたわけでもないし
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360 ななしのよっしん
2020/11/22(日) 01:09:46 ID: YwqNLXab75
姜維といい馬超と言いどうも州出身の軍閥には暴力に訴えるだけで、脳筋イメージだわ
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