張飛

151 ななしのよっしん
2017/05/02(火) 16:12:32 ID: P5XNweRMdG
脳筋イメージ強いけど
普通に軍指揮官として関羽より優秀だからな
そら死ななきゃ軍閥築いて権持ってたろう
152 ななしのよっしん
2017/05/31(水) 15:57:05 ID: //mDIMLnju
益州攻略戦でも攻略戦でもそうなんだけど、あの時代に数万の軍を率いてちゃんと的通りの場所に着いてそこで戦略的軍事行動できるって、並のじゃ務まらんのよな。相当に知的作業も要されるし、具体的には一日に何十本も命書書いてそれを伝で伝達して、もちろん予定通りに行かないこと多いから予定を修正して。
最近ネット三国志ファン張飛の実像に迫ろうといろいろ努してるけど、武勇が人並み外れてて、規に恐ろしく厳格で、事務にも優れてた、ってとこなんだよな。
ただ、あまりにも苛な秩序維持にサディスティック虐待癖が加わったのがあの最後になったと。

だから、創作での陽性な張飛像とは結構対的と言うか、歴史物の創作で例えようとしてもあまり適当な有名キャラがいないような人物像っぽい?
153 ななしのよっしん
2017/06/28(水) 21:04:44 ID: LbKh+UPxL1
どうしてもゲッターの印
154 ななしのよっしん
2017/07/08(土) 00:13:07 ID: bUCmqQPVpR
長坂曹操軍相手に仁王立ちでかかって来いやァ!とか暫く演義の創作かと思ってた
155 ななしのよっしん
2017/10/05(木) 04:39:54 ID: bCmd09l50s
>>149
菅沼太じゃあるまいし信長が知略50以下とか理やろ


>>146
三国志話はむしろ張飛の活躍が々しいくらいだからね
まあ話は張遼が知勇兼備で軍師も兼ねるような史実視だけど
演義で呂布関羽張飛がほぼ横並びにされたのは関信仰もあったのかもな
そういえば話では諸葛亮も頼りない。演義の諸葛亮とは対照的だ
156 ななしのよっしん
2017/10/11(水) 13:11:21 ID: EqKJBHPuw7
諸葛亮花関索伝でも頼りないな
まぁあれは張飛だろうが関羽だろうが関索以外の登場人物がみんな頼りないが…
157 ななしのよっしん
2018/02/18(日) 12:22:24 ID: J9j5AvIOLD
実際、長生きしてたら諸葛亮と上手くやれてたのかな?
足を引っりあってたのか?足並みえて北伐に励んでいたのか?
158 ななしのよっしん
2018/03/20(火) 07:59:38 ID: eA18jgghVK
無双8で初めて死亡シーンが直接描かれたけどやっぱり残念な最期だな
夷陵で暴れまくった結果の壮な戦死とかなら格好付いたんだけど
159 ななしのよっしん
2018/03/24(土) 22:45:41 ID: EPRp+uYVQT
長生き々で思い出したが、張飛って実は演義のイメージより若いんじゃないかって言われてるよな
正史の見せ場の初登場は、呂布劉備曹操と一緒に破った時だから198年以降。
若くして劉備に仕えてる割に、最初に出てくるのが198年ってのはおかしいんじゃないか?って
演義では黄巾の乱や虎関の戦いから出てきてるが、正史ではそんなのはない。
関羽張飛はいったいいつから劉備に仕えていたのか?
160 ななしのよっしん
2018/04/25(水) 16:27:50 ID: EqKJBHPuw7
関羽と同タイミング巾討伐(184)の際に劉備に仕えて身辺警護役になってる、且つ既に亡命者になって姓名変えてた関羽張飛より「幾つか年上」ってことからするに、その時点で若くても十代後半ってところじゃないか
161 ななしのよっしん
2018/05/19(土) 11:38:30 ID: a0x235h8zc
正史関羽の功績が出てくるのは劉備平原相になってからで
劉備平原相になるのは劉備公孫瓚を頼ってからなんだよね。
これが191年。関羽の初出が191年で、張飛の初出が198年、
あと、の演義五虎将軍一生年がわかっている馬超の初出が192年。
馬超176年の生まれだから、正史の記述を含めても、
関羽張飛の生年はこの前後なんじゃないかと疑ってる
162 ななしのよっしん
2018/06/05(火) 14:35:35 ID: EqKJBHPuw7
流石に170年代生まれってことはいんじゃないか、募兵に応じた時点での年齢が若すぎる
161年生まれの劉備兄弟の様にされ、張飛関羽の二人で護衛として就いたってことはその時既に18~20代前半だろう
163 ななしのよっしん
2018/06/07(木) 21:44:44 ID: lwpmFyKCzn
>>157
「君子を敬愛して小人を憐れまず」という張飛の性格から考えて、諸葛亮とは上手くやれていたと思う。
164 ななしのよっしん
2018/06/11(月) 23:22:09 ID: dp4vRsOMFR
何死んでんだ、お前
って初めて三國志読んだとき思ったわ
165 ななしのよっしん
2018/06/20(水) 19:26:12 ID: a0x235h8zc
>>162
「先平原相,以羽、飛為別部司馬,分統部曲。
二人寢則同床,恩若兄弟稠人坐,立終日」とあるから、
関羽劉備の護衛をしつつ、兄弟のようにされたのは劉備公孫瓚
部下として活動していた時期だと思う。ここから逆算すると、
191年当時関羽は大体20歳と仮定して、生まれが171年なのは褄としてはあうんじゃね?と思う。

あと、正直、関羽張飛のその後の扱いがひっかかる。正史ではの誓の類は特に記述がない。
にもかかわらず、張飛の子孫は劉備息子、すなわち皇帝劉禅の室となり外戚化した。
そして関羽の子孫は、息子である関興の子、関統が氏を娶り、これまた劉禅と親族化している。
関羽張飛が演義くらいの年齢だったら、なぜここまで重用されたのかが残る。
翻って、関羽張飛較的若く、その生涯のどは劉備弼にげられ、
なればこそ兄弟家族のような関係を劉備と築けたのではないか?と想定する
166 ななしのよっしん
2018/08/19(日) 18:01:42 ID: bUCmqQPVpR
>>163
張飛主観では上手くやれている認識になるだろうけど、諸葛亮視点ではわりと頭痛の種な気がするぞ
同じ性格・性のの三下がいたら絶対に重用はしないだろうし、なんなら殺しても不思議じゃない
167 ななしのよっしん
2018/10/10(水) 20:13:58 ID: Ax/38pnVEk
張飛は士大夫には頭を下げてるんで、
諸葛亮とはうまくやっていけたと思うよ。
むしろ、関羽の方が諸葛亮と仲違いしそう。
168 ななしのよっしん
2018/10/11(木) 08:12:12 ID: dvEY7KZS2q
>>165
んー、彼らの勤続年数を考えれば実年齢にそこまでの関連はいのでは?
諸葛亮子供劉禅を娶ってるし、有能な重臣にがせるのは普通だしね
ましてや外戚の層の薄い劉備ならなおさら
169 ななしのよっしん
2018/10/16(火) 04:11:28 ID: jURhr8aE6M
張飛ハルヒって言う毛利元就オクラって言うと同じレベルで臭い
170 ななしのよっしん
2018/12/13(木) 17:58:22 ID: o33P63YPiu
どうあがいても絶望という状況からの
頑張れ!張飛が参った!」ほんとすき
171 ななしのよっしん
2019/01/04(金) 23:20:56 ID: yBjnaemuUH
挙兵の時点(たぶん黄巾の乱)で護衛として仕えてるんだから
171年生まれはないよな
172 ななしのよっしん
2019/01/21(月) 23:11:41 ID: OMLvxGSqoc
>>152
張飛=敏腕用兵像は最近ネットで見かけたけど、部下に過酷だったって評への印が変わったな。
というか張飛って、最初から軍叩き込まれた兵士を統率させたら、っ当な名将と呼ばれたんじゃないかな。
173 ななしのよっしん
2019/01/22(火) 16:47:50 ID: a6ACKApN73
>>172
そもそも「人敵」という評価の時点で当時の方が名将扱いですね

これが当時の故事に詳しい軍師からの評価である事を考えれば一騎当千の凄い版みたいに解釈するのはむしろ不自然
項羽が兵法を学ぶ故事に準えてる以外の解釈は有り得ないんですよ(呂布への「飛将」という評価も似た様なもの)

張飛の実態については
に厳し過ぎる酷吏に近いものだったんじゃないかと想像してます
張飛子供が文官になったのもそういった父親の側面を継いでいるからなのではと思ったりもします
174 ななしのよっしん
2019/01/24(木) 10:55:47 ID: +kUXqNgd6W
横山三国志を読むに最期裏切られて殺されたのが全な自業自得としか思えんのだが……
正史や他の媒体だともうちょっと同情できる末路だったのかね?
というかあんな討ちに燃える劉備……

の際、厳顔を破って味方につけた張飛は格好良かったが
175 ななしのよっしん
2019/02/01(金) 23:12:08 ID: bUCmqQPVpR
張飛自業自得的行動はほぼフィクションで、正史ではほんとにいきなり死んでる
記載が簡素すぎて同情しにくい
部下の扱いにいきすぎがあるのを劉備が日ごろから注意していた記載はあるけど、達たちに何かした記載はいからそれとこれが関係あるのか分からない

フィクションの類では気のいい脳筋馬鹿だが、馬鹿という点をおいても正史を読むと性質も逆の寡黙な鬼軍曹が見えてくる
176 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 14:36:03 ID: bUCmqQPVpR
とは言えあれだ
>>173の「一騎当千の凄い版みたいに解釈するのはむしろ不自然で」てとらえ方もズレてる
正史リアル無双してるのはたった二十騎で「是张益德也,可来共死!」なんてやらかした張飛の他は張遼くらいだし、>>173の言ってるのとは違う意味(死に際の大暴れ)で項羽を連想させる
177 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 17:39:17 ID: a6ACKApN73
>>176
>>173だけど、別に張飛に個人の武勇がいなんて一言も言ってないよ。「人敵」という評価の理解について書いているのであって、当時から単なる脳筋扱いじゃない左としているだけだから。
張遼を例に挙げてるなら、正史無双したその張遼脳筋イメージが薄い事からも私の言いたい事が分かると思うんだけどねえ。
178 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 18:13:40 ID: a6ACKApN73
調べるまでもなく
中国史において同じく「人敵」の評価を受けているのはまさに名将と呼ぶに相応しい世忠ですからね
言葉の意味を大切にする中国において故事の持つ意味合いは大きいと思います
179 ななしのよっしん
2019/06/21(金) 02:51:37 ID: Vtq5Lfr58N
>>171
黄巾の乱自体が長期化していること
董卓連合との戦いに参加していないことを考えても
184年の黄巾の乱ではなく192年の州刺史である劉岱
戦死した巾党との戦いの時期というのが若年説の根拠
当時劉備が身を寄せていた公孫瓚がこれを撃退している

つまり184年の時点で護衛していたのではなく
192年の時点で劉備の護衛をしていたのが関羽張飛
逆算すると175年生まれまで遡れる
180 ななしのよっしん
2019/06/21(金) 06:16:07 ID: XKKtcSqLlE
正史関羽伝にこうある
「先郷里合徒衆、張飛為之禦侮。先平原相、以羽・飛為別部司馬
劉備が郷里で徒衆を糾合した時、関羽張飛と禦侮(護衛)をした。劉備平原相になると、関羽張飛を別部司馬とした)

劉備平原相になったのは191年。つまり192年には護衛どころかとっくに次の段階まで出世してるわけ
つまり>>179の説は大間違いと言わざるをえない