31 ななしのよっしん
2018/01/21(日) 23:58:20 ID: JjxL1l6/QH
取り敢えず日本海軍扶桑伊勢を設計したのちに連装6基配置についてどう考えていたか、
という一端を知り得る資料がある

1920年八八艦隊後期計画艦(悼尾六艦・改紀伊戦艦)の性選定において幾つもの設計案が出ており
この中で41を12門搭載する案が5つあったが、そのうちD案が連装6基となっている。
で、これがどんな配置になっていたかと言うと、少なくとも伊勢とは明らかアプローチが違い、
扶桑の配置から3番と煙突を入れ替えたような配置になっている。
(つまり3、4番が背負い式ではない)

これを見る限り、少なくとも日本海軍
「連装6基の場合、伊勢ワイオミングの配置が最良ではない」と考えていた事になるね
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32 ななしのよっしん
2018/12/10(月) 14:21:25 ID: rODIfjIP3y
扶桑工時の各最新鋭戦艦較(その扶桑戦力で上回った戦艦の登場時期)
日本  1915扶桑型      主砲35.6cm*12
英連邦 1915Q・エリザベス 38.1cm* 8 (既に越)
独逸  1914ケーニヒ    主砲30.5cm*10 (1916バイエルン)
  1914ニューヨーク型  35.6cm*12 (1920テネシー)
仏蘭西 1914クール    主砲30.5cm*12 (1940リシュリュー
伊太利 1915K・デュリオ  砲30.5cm*13 (1940リットリオ)
露西亜 1915ガングー  砲30.5cm*12 (1944アルハンゲリスク:貸与)

当時戦で扶桑に勝てるのは世界最強クイーンエリザベス級位なもので
上回った、と言える艦を作るのに条約明けまで待つ必要があり、露ソは結局扶桑越出来なかった。
当時日本力が列強最後尾であった事を考えれば、扶桑はとんでもない戦艦だったと言える
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33 ななしのよっしん
2020/01/30(木) 23:28:33 ID: Y1+x4gWbbW
某所でやたら欠陥戦艦不幸軍艦イメージゴリ押しされがちだけど、実際調べてみるとそこまでひどくはないな むしろ風評被害で怒ってもいいレベル
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34 ななしのよっしん
2020/07/02(木) 23:49:36 ID: Y+VOKTZ6Vt
大和とかもそうだけど、基本、日本って「使った連中が馬鹿だった」せいで必要以上に悪く言われていると思うわ。
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35 センカンスキー(´・ω・`)
2020/11/12(木) 13:01:14 ID: t37ThHZZuR
扶桑金剛戦艦版…などではなく、前級河内金剛の技術をぶちこんだ別物。
あの機関部で分断された3、4番配置も舷側に互い違いにを置く梯配置を中心線上に再配置したもので、手探りだったので仕方がない事だ

断面図的には旧い河内に酷似した装甲配置となっていて、装甲端部が斜めになった例の構造は持っていない。

が、二番艦山は正直山として独立させるべきな位には内部構造が異なっており、金剛のように一部の周りの装甲が金剛のように装甲の端が斜めになっている。


扶桑機関部を更新して速度で25ノット近く出せるようにするなど割と金を掛けているが、装甲は装甲関連を強化したのみ。一応、遠距離戦において不十分なから防御可とは判定されているが、舷側は本当に安全距離がない。
底なのは、改装スケジュール的に他のフネほど手を入れる時間がなかったのも大きい。

改装で他のフネが身動き出来ないなか、一時的に扶桑の二隻で日本を守っていたのだから、余り悪く言うものでもない
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36 ななしがようし
2023/04/22(土) 08:47:25 ID: 1YQKz6gPUm
艦体は河内の流用
扶桑(新造時)
タイトル:扶桑(新造時)
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37 ななしのよっしん
2025/06/09(月) 19:27:44 ID: M8Z7zbZgzO
浮き台同然の置物だったが艦内は地獄と言われる程の訓練と扱きだったらしいな。まぁ訓練と根性で埋めれるような程度のいい戦艦ではないから軍からもいつ沈んでもいい扱いだったし最後は愚将西村の洋上万歳突撃で何の戦果も上げんまま沈で日本海軍の根性猛訓練義がクソの役にも立たなかった明にしかならんかったが。
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