1 ななしのよっしん
2010/08/20(金) 21:36:36 ID: 9G6KmOFk4e
甄氏の記事に書かれてる曹叡の出生のなんかはこちらの記事に書いたほうがいいんじゃないだろうか
👍
高評価
0
👎
低評価
0
2 ななしのよっしん
2010/08/21(土) 03:46:57 ID: ngTooTgWiE
甄氏の記事制作者と曹叡の記事制作者が異なるので
すぐに連絡は取れないかもですが、どうしましょう。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
3 ななしのよっしん
2010/08/22(日) 02:24:05 ID: 9I2SWE2oiP
上策 自分なりの文章で出生のを書く
中策 概要の最後に「出生のについては甄氏の記事を参考」と書き足す
下策 向こうのスレ転載許可もらって転載する
👍
高評価
0
👎
低評価
0
4 ななしのよっしん
2010/09/11(土) 00:09:08 ID: OIpN5PwZt3
青木 朋先生の「ふしぎ士伝 八卦の」という漫画では
素敵な皇帝姿の中年曹叡主人公の上として登場します
ちなみに作者サイトでは曹叡の両の若き頃の漫画もあった
👍
高評価
0
👎
低評価
0
5 ななしのよっしん
2010/12/19(日) 22:11:10 ID: bfXVS5/8AC
曹丕が出るならこの人も三国無双に出て欲しい
👍
高評価
0
👎
低評価
0
6 ななしのよっしん
2011/01/13(木) 05:03:23 ID: IuqwfM0sww
>>5
モブとしてなら出てる気がする
ただし4のは「勝てそうですぜ!」とか「がぶっ飛ばしてやる!」とか
チンピラでとんでもないこと言うけどw
👍
高評価
1
👎
低評価
0
7 ななしのよっしん
2011/02/18(金) 13:34:57 ID: OIpN5PwZt3
5では更生して若軍師グラで上、叔父上と言うよw
👍
高評価
0
👎
低評価
0
8 ななしのよっしん
2011/06/01(水) 07:25:29 ID: znhoLsERRN
軍事への興味を失ったというか、曹叡治世後半はリスクを冒して戦う必要がないざます。
陳寿が罵ってる宮殿造営(公共工事の説も)の圧政の下でも、からに人口流出してるんだもんww
親父戦争下手のに色気出して失敗してるしな…。
何にせよ第一次北伐が泡に帰し、の優位が外患によって覆される心配はほぼくなったのだと考えてOK。

この人の治世って皇帝強化と士大夫層の既得権益の轢が中心ではないか。
陳寿裴松之の言もフィルターかかってる気がしてならぬ。
西も、法律オタクだったの頃の制度を踏まえて成立してるというし、傑物だったのは間違いないはず。

後漢末~南北朝初期だと、やっぱ文・明の頃が一番面い。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
9 ななしのよっしん
2011/06/01(水) 07:40:15 ID: znhoLsERRN
司馬懿を一時的に失脚させてしまうが、諸葛亮の幾度にわたる北伐で再び司馬懿に軍権を戻し、

司馬懿孟達ってるから、の離間策が効いていたのはごく短期間。
この記述だとなんか五丈原辺りで戦に復帰したようにも読めるがどうか。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
10 ななしのよっしん
2011/10/18(火) 23:52:32 ID: DiNHA2O2z+
>>8
いわゆる九品中正は旧来の名士層の格の追認システムのようなもんだったし、有名な「画餅エピソード

>この人の治世って皇帝強化と士大夫層の既得権益

このへんに背景があるのかなあ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
11 ななしのよっしん
2011/10/21(金) 10:31:15 ID: IuqwfM0sww
字に「仲」とあるだけに、やっぱり次男なんだろうか

>>10
侯玄や諸葛誕その他有な人物を牽制する意味でも
「四聡八達?そんな上っ面の名などクソの役にも立たん!」と言ったのかもな
茂才とか儒教的な内容に足を突っ込むともっと根深い話になるんだろうけど
👍
高評価
0
👎
低評価
0
12 ななしのよっしん
2011/11/14(月) 02:06:45 ID: OIpN5PwZt3
>>11
後継者だったから長男じゃないか?
曹叡兄弟では曹髦の曹霖以外はあまり知らないなあ…
👍
高評価
0
👎
低評価
0
13 ななしのよっしん
2012/01/05(木) 05:11:04 ID: rS/0Wl5yhc
>>11
字って全に当てになる訳じゃないから決めてかかったら危ないです。
まあ、何か見落としてる点があるかも分からんですがね。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
14 ななしのよっしん
2012/06/01(金) 01:49:22 ID: tKJJs//KdK
皇太子になる前は武徳→斉平原王って感じらしいんだが
後継者になる可性があるやつ(するつもりのやつ)を〇〇名するっけ?
ちなみに武徳になったのは母親が殺される前の話
👍
高評価
0
👎
低評価
0
15 ななしのよっしん
2012/10/31(水) 16:28:09 ID: gX78Qfexr0
晩年の暴政からして、こいつが長生きしても滅亡は回避できなさそうだね。
曹芳が有能に成長してれば話が変わるけど。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
16 ななしのよっしん
2012/11/16(金) 22:30:05 ID: UWjYjLCdHb
暴政ってほどのことかねぇ。歴代のシナ皇帝がやってきた経済活動・示威行動の一環くらいにしか思えないけど、(敢えて悪く言わせてもらうと)益州や揚州に皇帝を名乗る軍閥どもが割拠している時代にはやっちゃダメなのかな、やっぱり。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
17 ななしのよっしん
2012/12/06(木) 22:28:44 ID: bfXVS5/8AC
容姿を褒められてるあたり、チビだったと思しき曹操の血統ではなく、偉丈夫だったとされている袁紹の血統なんじゃないかなぁと思ってる。

あと、無双に出てくれ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
18 ななしのよっしん
2012/12/17(月) 18:27:08 ID: DiNHA2O2z+
>>16
まあ、その是非はおいといても、の動向でが滅びるなんて
性はほぼないからなあ。
少なくとも、ああもあっさり司馬氏に取って代わられることは
なかったんじゃないか

>>17
は、母親に似たんだよ(震え声)
👍
高評価
0
👎
低評価
0
19 ななしのよっしん
2012/12/17(月) 18:33:20 ID: ldeLfF15PI
おおっ、>>17 を捕らえたか。れっ!
👍
高評価
0
👎
低評価
0
20 ななしのよっしん
2013/01/18(金) 21:28:50 ID: vu9yKT4V8u
三國志12でのイケメンぶりみてワロタ
ロン毛でうざい感じがしないイケメンとか久々に見たわ
無双に出たらご両キャラ付けが捗るんだろうけど
またイケメンが増えることになるのか
👍
高評価
0
👎
低評価
0
21 ななしのよっしん
2013/03/20(水) 01:56:11 ID: IKS4mO2BlD
>>16
まだ実質は乱世が続いてるようなものだからねえ
特にはちょくちょく侵攻もしてきてるのに皇帝がこの有様だと見放す人物がいてもおかしくはないとは思う
👍
高評価
0
👎
低評価
0
22 ななしのよっしん
2013/06/11(火) 08:36:16 ID: wBLHZc0zC/
儒教思想には大分あとになるまで「インフラ整備」って概念がないから、大規模土木工事=悪みたいな発想がある。大抵の権を握った人物ならそういったインフラ整備や権威を示すための建築なんかは必須だから、その人を悪く書きたいときには大抵使われる、一種の定句。

 曹叡の場合も、ディスることがまず前提にあって、そのための材料として女や建築あたりが使われた、というべきだろう。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
23 ななしのよっしん
2013/06/28(金) 01:01:11 ID: 2PPeepF+XD
>>22
殿増築ってのは、皇帝として当然の行為なんでしょうね、本当は。
実際にが疲弊したかどうかは、不明と見るべきでしょうか。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
24 ななしのよっしん
2013/06/28(金) 01:07:36 ID: ldeLfF15PI
に徳があれば災など起きるはずがない(キリッ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
25 ななしのよっしん
2013/06/30(日) 17:44:10 ID: wBLHZc0zC/
>>23
 曹叡は、諸葛亮生前から既に大規模な宮殿行政府)や運河などの造営を大々的にやってる。それでも順調には伸び続けて、どんどんとの差は開いていったわけだから、それでが疲弊したということは全然ないと思う。

 ただし士大夫層からみて「土木工事は民を苦しめる悪政である」という潮があったのも確かだし、そういう連中に批判材料を与えちゃったのもまた確か。曹丕は自分で帝王論を書いてフォローしたり、立つような手な造作は控えたりと、そういうところの処理が実にうまかったけど、曹叡はよくもわるくも、いろんな所でちょっと直線的だよね。

  
👍
高評価
0
👎
低評価
0
26 ななしのよっしん
2013/07/01(月) 16:00:45 ID: QFugEpGPM0
曹叡って、郝昭諸葛亮を撤退させた時のはしゃぎっぷりとか、諌言する陳羣に対して皇帝とはこうあるべきってビジョンで対抗したりとか、良くも悪くも性格がっ直ぐな気がする
一番気質が近いのは曹髦だろうか
👍
高評価
0
👎
低評価
0
27 ななしのよっしん
2013/07/15(月) 10:31:45 ID: A4RUDOOIO8
北方三国志で、の侵攻に対して曹叡自ら出征して撃退した、という報告を聞いた司馬懿が、まるで曹操のようだ的なことを思うところが、地の文でさらりと触れられるだけのシーンなのだけど妙に好き。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
28 ななしのよっしん
2013/08/01(木) 12:09:18 ID: v2nUYf33JF
曹操の代は戦乱の世で戦が絶えず、曹丕無計画な対征を7年の治世の間に3度も行った。の民衆は疲弊していたはずである。
諸葛亮が死んでやっと一息つけると思ったところに、過剰な宮殿造営を行えば、の民ははこちらのことを考えてくれているのかと疑問に思ったであろう。
が人心を失ったのは当然である。
それにべ、内政の充実を遺言した諸葛亮と、それに堪えたエン、費イのなんと人心を得ていたことか。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
29 ななしのよっしん
2013/08/01(木) 21:55:01 ID: znhoLsERRN
一方の民は食いつめてへと脱出していた
👍
高評価
0
👎
低評価
0
30 ななしのよっしん
2013/08/05(月) 17:23:35 ID: QFugEpGPM0
後漢~三時代で戸籍上の人口が減してるのは、戦乱が続いたとか戸籍管理がいい加減だったとかだけでなく、辺地域へ脱出した人たちが大勢いたってこともありそうだなぁ。
民族人が混じるようになったのも、以前からあったとは言え三時代に盛んになったらしいし。
👍
高評価
0
👎
低評価
0