61 ななしのよっしん
2017/06/07(水) 10:40:59 ID: TXOc8l5SJb
>>59
昔は資料不足だったから深い意味はないと思う
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62 ななしのよっしん
2017/10/29(日) 09:28:10 ID: FmUGXy499H
>>55
そのへんは曹丕もそんな感じだからな
よく「三立以降は消化試合」「統一なんて必要ない」なんて言ってるがいるが
曹丕曹叡の事績たどれば本人達がどれだけ統一に意欲があったか
まるわかりだよ。も、ただの賊徒とは訳が違う。皇帝名乗ってるんだから
雍闓の「に二日なく、地に二王なしとは言うが、三人も王がいるとはわけがわからないよ」というのは言い得て妙
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63 ななしのよっしん
2017/11/04(土) 22:36:57 ID: 5qub0fJzyw
同姓かつ同性の曹肇とアッーな関係だったというのは本当なのか。
いくらでそっちが盛んとはいえ、同姓なら近親相姦扱いでまずいだろうに。
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64 ななしのよっしん
2017/11/19(日) 11:37:46 ID: G1QXEWh/RH
いくら曹叡が好色だったとしてもンなわけねーだろと思いつつちくまの曹肇の出てくる個所(明紀と程伝)引っり出して読んだが、それらしい記述一切いんだが
>>63の頭から沸いた妄想か?
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65 ななしのよっしん
2017/11/20(月) 17:17:44 ID: wBLHZc0zC/
曹叡と曹肇がアッーだったのは割と有名な逸話と言うか伝承というか、まあそんなのだよ。

元々の出どころは唐代の「芸文類集」33巻曹肇伝で、

「曹肇は美形だった。曹叡はこれを愛し、いつも一緒に寝ていた。ある時曹叡ゲームの報酬として自分の御衣を賭けたが、曹肇は(負けたので)これを得られなかった。この為曹叡は寝室で二人きりの時、曹肇に特別に自分の衣を与えた。これほどに曹叡は曹肇を愛していた」

って書いてある。たまげたなぁ・・・

その後も中国において男色文化に関する文献では、曹叡×曹肇は結構な確率で出てくるよ。
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66 ななしのよっしん
2018/04/18(水) 17:57:43 ID: KHBe+1Myb7
の血の可性あるのよね
殿造りも自分が曹皇帝であるアピールだったりして
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67 ななしのよっしん
2018/05/31(木) 17:11:32 ID: G1QXEWh/RH
曹叡袁煕の種説は裴松之も否定していることだが、何より袁煕が刺史に任じられたのに伴って州に赴いているのに対し文昭皇后はその後も鄴に残って袁紹夫人の世話をしてる
恐らくただのゴシップだろう
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68 ななしのよっしん
2018/07/10(火) 08:45:42 ID: gALY72JRP+
曹叡軍事判断に関しては非常に優秀だが内政手腕は???だから
殿作りもただなんとなくやっただけだと思う。
陳羣からもその手腕は酷評されてるくらいだし。
内政優秀軍事???の曹丕合体したら曹操がもう1人できそう
もう一方は夏侯楙になるけど
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69 ななしのよっしん
2018/07/24(火) 19:08:17 ID: YaWx+hcLJJ
曹叡にも確固たる信念があったはずなのに世したせいで、ただの浪費と片付けられてしまったのが悲しい…。
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70 ななしのよっしん
2018/10/09(火) 05:37:43 ID: aqaKW4OnYD
殿造営は実際農繁期に農民を徴用したり財政が傾くレベルでやってたんだから公共事業で済まん程に浪費が過ぎてたのは事実だろう
同士の婚姻政策も人身売買の温床になってるし
自身が重臣達の反対を押しのけて進めた政策の結果がこれなんだから信念以前の問題だよ
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71 ななしのよっしん
2018/10/13(土) 08:30:52 ID: /7URyTB2pm
 晩年の行動って、名士に対して君の優位性を確立しようとした結果ではいだろうか?
 「いくら諫言してきても最終的に従うかどうか決めるのはこちらだ」みたいな感じで。
 

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72 ななしのよっしん
2018/10/17(水) 21:34:25 ID: G1QXEWh/RH
もし曹叡の狙いがそこにあったとしても結果としてその後名士達からの司馬氏の支持が上がり続けたんじゃ逆効果じゃねーか
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73 ななしのよっしん
2018/10/17(水) 21:41:04 ID: pvbQYvlTiW
まあ、軍事〇内政×をひっくり返すような良内政の逸話ははっきり言っていな
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74 ななしのよっしん
2019/03/26(火) 03:21:13 ID: Xmb8XO91Xu
あんまり言われないけど孫権にあまりにも似てるよね。
諸葛亮陸遜という敵がいなくなったら終わった君

敵がいる間は強いんだけどなぁ
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75 ななしのよっしん
2019/05/03(金) 09:15:01 ID: wBLHZc0zC/
>>73
(新)を制定させる
・自ら大きな裁判に臨席する
刑法を整理し、刑の乱用を詔勅でめ、再審制を強化する
・思わずブチ切れるほど非礼な上奏文が出されても、決して提出者を処罰しない
・宗族の待遇
制の整理
・浮の禁。また人材登用も頻繁に出し、しかも上奏させて自分で人物を判断する
速な天才への対応

など、内政面でも評価すべきことは十分にある。
特に皇帝自ら裁判及び再審審に臨席する制度は、曹叡以降の南北朝時代でも継承されるほどに重大な変革だった。
その内政政策を見ても彼の方向性は一貫しており、ちゃんとしたビジョンを持ったうえで行動できる人だったことがうかがえる。
大規模な宮殿の造営は批判の対となることが多いが、「壮麗な建築物によって国家の権威を明らかにする」というのはきちんと政治的意義があることであり、必ずしもマイナスばかりではない。
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76 劉楓義真
2019/07/18(木) 03:35:23 ID: EoWXder0/+
曹叡の惜しいところは自身の世もだけど男子が相次いで逝してるところだと思う。4人くらい男子いたけど皆産まれてすぐに亡くなってる。もう呪われてるんじゃないか曹叡
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77 ななしのよっしん
2019/07/25(木) 20:36:05 ID: fqBi3audP3
曹叡が本当にやらなければいけなかったのは宮殿の造営でも裁判に自ら臨席する事でもなく、可及的速やかに『位を僭称する南方の逆賊ども』を誅する事だった。
にも関わらず諸葛亮が死んでもに対する攻勢を強めるでもなく、それどころか宮殿造営や後宮の充実などにを注ぐような有様では、到底名君とは言えない。仮にもかつての統一王たるの後継者なのに、天下統一に意欲すら見せないのでは話にならない。曹丕はどうにかして皇帝の義務を果たそうと何度も遠征しているのに(全て失敗しかえって武威と徳を損なう結果になったが)。
曹叡の事業が同時代の人間にさえ冷やかに見られていたという記述がされるのは、司馬氏に対する配慮以上に「賊相手に何の成果もないくせに一丁前に宮殿だけこしらえようってか」という当時の空気が確実に存在したからではないのだろうか。
に二日なく、地に二王なしと聞いているが、いま下は立しては三つもあり、田舎者は戸惑ってに帰したら良いのか解らないのだ」
この雍闓コメントは当時の中華圏内に属する人間の率直な想いだと思う。
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78 ななしのよっしん
2019/09/14(土) 17:16:59 ID: XnfOIfCtTa
>>74
晩年に擁護不能なことやらかしたという意味では似ているかも知れないけど
トップに立った時のの基盤や寿命、内政の功績を考えると違う所の方が大きいと思う
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79 ななしのよっしん
2019/10/30(水) 20:45:07 ID: wBLHZc0zC/
>>77
「やらなければならない」ことは「やれること」とイコールではない。
速やかに討伐する戦があるのならともかく、当時のには鎧袖一触にできるような圧倒的な戦はない。

たとえ大小国に対する場合であっても長距離侵攻というのは決して簡単なことではなく、実際曹真は何ら戦果を上げることなく失敗したし、その後の曹爽もまた然り。

外征による短期的解決が難しいのだから、内政を充実させて命(好機)を待つというのはそれはそれで十分に正しい判断だと言わざるを得ない。

そして当時の(というかいつでもだけど)士大夫というのは民への労役にも厳しいが、同じぐらい外征にも厳しい。
子午の役時におけるキンらの言などを見ても、世論の大方が軍事による即時統一を望んでいる、なんてことは決してない。
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80 ななしのよっしん
2019/11/04(月) 15:35:30 ID: TvdRu3sM1i
ジイさん共が持ってた志なんて代が変われば知ったこっちゃねーよって事でしょ。
曹叡も結局曹操が見限ったような王室のような停滞と腐敗の徴に堕落しちゃったと。
自分が三国志創作物でよくある英雄たちの理想論(武勲はまだしも)にイマイチ乗り切れないのは、子孫すら決意や想いを受け継げてないのに回りや世界がそれに倣ってくれるわけがないよねと。先代たちは精一杯やってるだろうし、こちらは歴史から見て簡単に断じるのは卑怯かもしれんけどさ。
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81 ななしのよっしん
2019/11/25(月) 11:44:30 ID: Z1Y6BWq+NK
確実に袁紹の血はひいていない
でも定番なネタだということは無視できない
一体いつからこの噂がたったのか
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82 ななしのよっしん
2019/12/15(日) 18:35:10 ID: EjxwtwegzH
現代じゃ必ず腐される巨大な物で国家の権威を示す政策だが
歴史的に批判されてた人物にはいや必要な政策だったと再評価試みられるんだから妙なもんだな
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83 ななしのよっしん
2019/12/21(土) 23:20:52 ID: wBLHZc0zC/
そりゃ時代も場所も違うんだから、同じ行為でも評価が違うのは当たり前だ。

例えば奈良時代聖武天皇費で大仏を作るのと、現在日本国が同じことをやるのでは意味も意義も、もちろん評価だって全然別物になるでしょ。
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84 ななしのよっしん
2020/04/04(土) 15:32:14 ID: dECFbNRtBi
>>79
そもそもこの時代より更に後の
もはやの息な軍相手にすら、南征失敗しかけたのを見ると
トライしても、普通に南征失敗してた可性のが高いのでは…?
もし南征して大失敗なんてしたら、後世で曹丕並の戦下手とかボロクソかれそうだなあ
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85 ななしのよっしん
2020/04/25(土) 19:29:53 ID: sMOY1eVAIm
名君と手放しで言うのは難しいかもしれないが、それでも三時代第二世代以降の皇帝では一番有能なのは確か
以降の皇帝孫休が多少ましなレベルであり、他は…
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86 ななしのよっしん
2020/06/13(土) 13:58:14 ID: DjnTXPLt9i
曹叡曹操と同じ65歳まで生きて、亡くなるころに男子
壮年に達していれば中国歴史はそうとう変わったものになっていたよね。
)の統一が遅れたのは曹叡死後のゴタゴタ(司馬一族との権闘争など)が原因って摘されているし
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87 ななしのよっしん
2020/07/08(水) 07:13:59 ID: NSnxo23zHh
曹叡が長生きしても晩年孫権化してそうなんだよなあ・・・
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88 ななしのよっしん
2020/07/15(水) 00:20:59 ID: H2mt/MW2N0
書を読んでるとこの皇帝様、諫言受けてばっかだな
分かったとか納得したみたいな事書いてるけど、実際にその諫言通りの行動に移さなかったりな事が多い
もしかして聞き流してただけなのでは…
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89 ななしのよっしん
2020/07/17(金) 19:18:05 ID: wBLHZc0zC/
曹叡に対する諫言の記録が多いのは、曹叡が発言者を全く処罰しなかったという点も大きい。

士大夫にとって「君の不を顧みず、正を唱えて諫める行い」というのは最高クラスに評価される行為なのだが、当たり前だがハイリスクなためそうそうやれるものではない。
だが曹叡はどんな諫言を受けても(怒りはするけど)絶対に処罰しないので、当然名を得たいだけの連中もホイホイと諫言を寄せてくる。

これは民族的に言えば君としての美点なのだが、しかしマキャヴェリも「こちらから望みもしないのに進言をする部下は殺せ」と言ってるように、純に権威と統制という点からみると問題は残る。

例えば董尋の場合なんか、こんなアピール臭丸出しのドヤ顔諫言とかやられたら曹操曹丕だったら確実にぶっ殺してる。
それを「殺してほしいのかコイツは!」で済ませた曹叡は、広量大度であると知らしめた一方で、同時にナメられもすることになってしまった。
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90 ななしのよっしん
2020/08/06(木) 11:30:31 ID: bCYag/GR47
>>89
でも「浮の徒」として処分され官史の資格を剥奪、曹叡在位中は再仕官も出来なくなった人達が(処分には軽重あり)いるから、やっぱり口先だけの人物は嫌ってはいたのでは?
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