1 ななしのよっしん
2015/07/05(日) 03:11:20 ID: da2BSRSoJy
大河ドラマ太平記」を今更見てるんだけど正成のキャラクターはかなりバランスよく作ってあるな。兵庫辺りは「後醍醐天皇に忠義立てするのも結局は世の人々の暮らしのため」って事を強調してて戦前教育を受けた人も左寄りの人も泣かせるように作劇してあるし。
上記から現代でも人気を得られる人物にすることは充分できるように思うんだが南北朝物に手を出す人の少なさが重ね重ね残念
👍
高評価
0
👎
低評価
0
2 ななしのよっしん
2015/08/08(土) 09:15:27 ID: oTBofrr9gm
足利尊氏戦略天才だとしたら楠木は戦術の天才タイプだわな
👍
高評価
0
👎
低評価
0
3 ななしのよっしん
2015/08/14(金) 01:52:02 ID: D1AS/+YLm+
>>2
いや、それはちょっと違うと思う。尊氏本人は戦略性があるのかないのか分からんような人で、ただわけの分からないカリスマによって尊氏の周りでは自然と物事がうまく進むという劉邦タイプ
正成は戦術と思われがちだが、実際は戦術にも優れた戦略千早城なんかは少数で大群を止めたことが凄いんじゃなくて、その状態に持っていけば鎌倉が自壊することを読んでいたのが凄い。他にも補給を重視する思想など戦闘行為の意味付けが同時代でずば抜けてる。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
4 ななしのよっしん
2015/08/30(日) 23:53:29 ID: SLwkhNzrTX
舞台に出てくるまでの出自や経歴がよく分からない人だけど、どうも河内周辺の商工業者や運送業者に独自のコネがあったらしい形跡あるから、後の戦略としての才はここらへんで磨かれたものかもしれないね。
河内の片田舎にありながら下の時流や各勢の情勢を的確に把握してたところを見るに、情報の重要性をよく知ってた人だと思う。足利尊氏の再起→反攻についていちく掴んで対応具申してるし。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
5 ななしのよっしん
2015/09/01(火) 18:22:56 ID: RGOFY0VTbA
なんというか古代中国によくいる
は物凄いのに君や周囲に
恵まれなかったため悲劇的な最期を
遂げてしまった人物」て感じだな。

醍醐は正成の忠は疑わなかったし
新田義貞脳筋で戦術問題ありとはいえ
正成を蹴落とそうとはしなかったが。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
6 ななしのよっしん
2015/09/04(金) 20:57:01 ID: E15grJSPG/
古代中国の思想だと非子(法)がその典かね
👍
高評価
0
👎
低評価
0
7 ななしのよっしん
2015/10/16(金) 21:49:12 ID: ggh5JE0Jp5
近年のどの作品を読んでも「不器用な悪党」って感じの描かれ方をしている人だよな
戦前のような美化をしなくとも何となくしみやすさを感じる人ではある

>>1
鎌倉滅亡~南北朝初期は人間関係が死ぬほど複雑な上に悲劇ばかりだからなあ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
8 ななしのよっしん
2015/10/30(金) 21:44:48 ID: eMkjT6VOI+
確かに戦国とかだとその手の悲劇的な人多いなぁ
正成に似てるとなると斉の司馬穰苴辺りかね
君に忠を誓った名将で最後は悲劇的、後に「司馬法」が遺される辺りとか
👍
高評価
0
👎
低評価
0
9 ななしのよっしん
2015/11/03(火) 13:18:19 ID: D1AS/+YLm+
ただ最後を単純に忠と見ていいのかはちょっと怪しいと思うんだよね。南北朝期の情勢を後醍醐中心に捉えると後醍醐を見捨てなかったという構図になるけど、逆に悪党体の反乱に後醍醐が乗っかっただけという見方もできる。
そうすると、輿の命という現実の制約がの悲劇を産みはしたけど、闘争の中心にいた正成が最後まで投降しなかった事自体は別に驚くに当たらない。「ここで逃げたら全部終わる」というのが正成の持じゃないかと思う。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
10 ななしのよっしん
2015/11/22(日) 03:33:09 ID: ggh5JE0Jp5
身分が低いとはいえ驚くほどにマイナス方面のエピソードのない人物だし
にしろ持にしろ、良い意味で一本気な人物だったんだろうという印はあるな

同じように時勢の最前線に立ちつつも、同時に世渡り上手な印赤松円心あたりとの対が面
👍
高評価
0
👎
低評価
0
11 ななしのよっしん
2015/12/10(木) 21:00:22 ID: RAnFIUAAB5
よぉ、兄弟。そうは言うが赤松は単なるひねくれ者の集団だと思うぞと
赤松政則の末裔が言ってみる。

世渡り上手なら応仁の乱を起こす以前に都から逃げるわさ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
12 ななしのよっしん
2016/02/02(火) 20:33:55 ID: vuomfjr5i+
楠木正成がなぜ敗残の後醍醐と南に最後まで尽くしたのかは不思議で、最後の後醍醐への諫言を信じるならば南が最終的には北に勝てないこともわかっていたようだ。
正当論なんてものが当時としてどれだけ説得を持っていたのか怪しいものだけど、もし敗北覚悟しても後醍醐に忠を尽くしたのだとすれば、正成はリアリストではなくイデオロギストだったわけで、御家人帳にすら載ってない田舎武士がなんでそんなイデオロギーを持っていたのか、本当にだ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
13 ななしのよっしん
2016/03/03(木) 21:28:31 ID: VJQX4xepVb
案外現実は「世間の流れにうまく乗れなくて(南に承認してもらわんとだめな脆弱な権基盤だったりいろいろな要因で)ズブズブいくまでいってしまった結果」だったりしてな
根拠は特にないけど
👍
高評価
0
👎
低評価
0
14 ななしのよっしん
2016/04/11(月) 23:39:37 ID: vDYZnnunVl
>>12
音寺潮五郎の武将列伝だと『朱子学の素養があったのではないか?』と推察してたな
👍
高評価
0
👎
低評価
0
15 削除しました
削除しました ID: 390UvgJ8a/
削除しました
16 ななしのよっしん
2016/05/10(火) 22:14:10 ID: 4SEPiXGyeR
「暗君だからこそ忠義が際立つ」っていうタイプの武人だと自分は考えている。
個人的なイメージ銀英伝アンスバッハ(田中芳樹モデルにしたかまでは知らないけど)。
名君ならみんな付いてくるのは当たり前。人心離れる暗君相手に最後まで忠義を尽くしたからカッコイイ、と思う。
まぁ「後醍醐天皇を持ち上げてしまったから、退くに引けなくなって敗北確定状態でも最後までズルズルいってしまった」パターンかもしれないけど、歴史見たっていいじゃない。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
17 ななしのよっしん
2016/07/12(火) 13:32:04 ID: VwS9w4VGnO
電気を呼んだ時からずっと好きな人で、今でも彼が役の大河ドラマが作られることを切に願ってるよ。マジ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
18 ななしのよっしん
2016/09/24(土) 20:29:38 ID: lGCJwPZseN
君がアホでもボンクラでも貫き通す忠義」てのは現代人には受け入れられにくいし、後醍醐天皇は美化することが不可能だし
大河は難しかろう
👍
高評価
0
👎
低評価
0
19 ななしのよっしん
2016/10/04(火) 05:34:05 ID: TZdremb3HT
北方小説では「志に気持ちを蝕まれた」と表現されてたな。
ハードボイルドというジャンルと非常に親和性の高い生き方と死に方をした武将というイメージ

あと、後醍醐天皇は不屈という一面においてだけは日本史上随一だと思うw
👍
高評価
0
👎
低評価
0
20 ななしのよっしん
2016/12/18(日) 18:05:33 ID: XwRdrh8kjU
でもこの人って当時の武士の戦い方無視できるようなゲリラ戦以外
時の人間にど悪く言われてるようなところがいから

ぐう聖だった可性も結構高いとも思うけどな。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
21 ななしのよっしん
2017/03/03(金) 19:33:23 ID: S5b+W6AldG
>>12
足利尊氏が勝ったら建武政権による恩賞を否定され、楠木は全てを失う事になるんだから、そもそも正成に選択肢は存在しなかったと思う。武の当は一族郎党の生活に対して責任を負う義務がある。
「どうせ戦っても尊氏には勝てっこないからやーめた」
と投げだしたら一族の人間が路頭に迷う。後醍醐への忠義だとか清和源氏の名門足利に対する河内の悪党の意地だとか、そういう正成一人の感情の問題ではかったのでは。
👍
高評価
1
👎
低評価
0
22 ななしのよっしん
2017/03/24(金) 20:10:01 ID: GMHDOLOKhn
>>21
その意見に賛成します。

一介の武士だった正成を河内和泉摂津
三カの守護に任じてくれたのは他ならぬ後醍醐天皇
足利尊氏に与したところで領地と身分の保はどこにもありません。

元弘の乱の結果成立した建武の新政楠木一族は三木と呼ばれる屈勝ち組でした。
だからこそそれを否定する足利と戦う他にはなかったのだと思います。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
23 ななしのよっしん
2017/05/09(火) 04:48:11 ID: BqmrcrIHTW
>>18
後醍醐天皇アホって・・・
鎌倉幕府はしょっちゅう粛清やら小競り合いやら起こしてるし、武士の政権が滅だから討幕はうまくいった
当時の朝廷柄ですべて決まる
室町幕府だって尊氏が生きてる時から既に権闘争がひどかった

後醍醐天皇は時代が悪すぎた。クソみたいな時代と人を理にでも変えようとしたのがあの結果。まともに中央集権ができるのは明治維新まで待つことになる
👍
高評価
0
👎
低評価
0
24 ななしのよっしん
2017/05/09(火) 05:45:36 ID: ThJgaFJEob
醍醐が考えるべきは新たにまともな武政権を作る(というか作れる人間を任命する)ことであって、武政権に変わる新政(実際には復古政治だが)なんぞを始めることじゃなかったんだよね
自分にとっての理想にくらん現実が見えていなかったと言われても仕方ないと思う
それでさえ意味に足搔いて日本っ二つに割った罪業にべたら軽いものだが
まあ結果を知っているから言えるという面もあるけど、少なくとも当時の政治経済のほぼ全てを担っていたのが武士であり、武士抜きの治世なぞ考慮に値しなかったという事ぐらいは、政治家としては当然弁えていなければならない事だったと思うわ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
25 ななしのよっしん
2017/05/10(水) 12:52:57 ID: XAv4ET9yj5
後醍醐天皇武士抜きの治世なんてやってないぞ
楠木も名和も武士、後で背いた佐々木導誉土岐頼遠だって後醍醐政権で重用されてる
地方に送り込まれた皇族と公家も現地武を排除したわけではなく彼らの輿になったのだし
子供時代に受けた教育小説ドラマで刷り込まれたイメージに囚われてないか?
👍
高評価
0
👎
低評価
0
26 ななしのよっしん
2017/05/12(金) 19:14:49 ID: cLrMulIg7a
むしろ昨今の研究だと建武政権では楠木新田どころか足利尊氏すら別に警も冷遇もされていないというからなあ
つーか逆に公家の方が「武士厚遇し過ぎ!連中にホイホイ官位与えんな!」と不満を漏らしているぐらいだし
👍
高評価
0
👎
低評価
0
27 ななしのよっしん
2017/05/13(土) 03:58:19 ID: ggh5JE0Jp5
後醍醐天皇は確固とした思想のもとに動いたというよりはひたすらに独尊だったんじゃないかって気もする
した政治が良い悪い以前に視野が異様に狭い印
👍
高評価
0
👎
低評価
0
28 ななしのよっしん
2017/06/11(日) 19:22:44 ID: NrKt7lhf3B
>>23
財政無視して大内裏の造営をやって各地に重税を課して人心の離反を招いた事はどう正当化するんでしょうかねえ…
👍
高評価
0
👎
低評価
0
29 名無し募集中。。。
2017/07/20(木) 22:40:51 ID: 5meHNU7CTw
名君には皆が黙って付き従う
暗君だとしても付き従っているから忠臣と呼ばれるのだ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
30 ななしのよっしん
2017/10/03(火) 00:23:53 ID: lGCJwPZseN
>>29
その通りだし、それこそが楠木正成が賞賛される理由ではあるけど、話にすると現代じゃないし理解されにくいんだよな
君君たらずといえども臣臣たらざるべからず なんてもう一般人知ってる言葉じゃないし
👍
高評価
0
👎
低評価
0