浅井三姉妹

1 ななしのよっしん
2011/04/11(月) 10:59:29 ID: dZUV3uVOe1
関連項目戦国鍋TVも入れてくれwww
>>sm13324139exit_nicovideo
2 ななしのよっしん
2011/04/25(月) 12:33:45 ID: JCNh/utusA
明正天皇独身だったんだから皇室に江の血筋は残ってないんじゃねーの?

明正天皇の跡を継いだ後光天皇は東福門院和子の子供じゃないし
3 ななしのよっしん
2011/05/21(土) 18:01:30 ID: F3qyw5RbVz
>>2
昭和天皇以降と書いてありますね
4 ななしのよっしん
2011/05/24(火) 20:03:29 ID: HMMpySeEdc
大正天皇の妻がお江の子孫なんだな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8Eexit
5 ななしのよっしん
2011/06/27(月) 11:45:46 ID: Tey7TzV+eh
>>2
明正天皇の子孫じゃなくて、
江の第1子のの子孫が貞明皇后なのよ。
6 ななしのよっしん
2011/10/16(日) 18:11:24 ID: QBGxzpybvC
時慶記でも北野日記でも旧記でも徳実紀でも、淀殿高台院と大の仲良し
二人で一緒にあちこちの寺や神社をお参りしたり宿泊してる
後ろのない淀殿は困ったことが起きるとすぐに高台院を頼り、高台院はすぐに飛んできて問題解決に協

淀殿秀吉の側室たちとも仲良しで互いの親戚や女の面倒を見てる
秀次とも手紙の遣り取りが残っていて、仲が良かった
内容は一緒に秀吉の心配をしたり、子供同士の婚姻の相談をする約束だったり

淀殿は逆に三成とは交流があまりなかった
そのためか関ヶ原では、淀殿高台院と一緒に日和って三成を落胆させている
三成は高台院を崇敬して、親子のように互いを心配する手紙が沢山残ってるけど…高台院淀殿の親戚はほとんど東軍に味方してしまった

大野治長とは幼馴染で生きてる時から密通していると噂立てられたが、その噂をきっぱり否定した資料は沢山ある
治長は信長時代から出世街道を走る若きエリートで、さんは信長説がある
7 ななしのよっしん
2011/10/23(日) 22:49:10 ID: rjy2Nx3nZc
細川護煕は、細川玉(ガラシャ)の血筋でもある
細川本家は途中で側室の系統に変わったので
ガラシャとの血縁はなかったはずだが…
8 ななしのよっしん
2011/11/08(火) 01:02:53 ID: 5bjrvua+us
スペック茶々と江が逆になっている。
SR茶々SS
R初 ≒ SS
SR江 ≒ SS茶々
だから2人じゃなくて3人のスペック入れ替わりだな。
9 ななしのよっしん
2011/11/30(水) 23:36:31 ID: 5yUCNzgWpR
秀頼はのため・みんなのためと討ち死に覚悟で討って出ようとする。
それを見て淀殿は秀頼の身を案じて秀頼を引き止める。

・・そして仲良く滅ぶ・・

はっきり言って秀頼淀殿親子はバカ親子だよな。だがそれがいい
10 ななしのよっしん
2011/12/02(金) 20:13:35 ID: E34DmkpPhi
ガラシャ夫人の血筋の人は政治評論家細川珠生
細川首相は違うぞ
11 ななしのよっしん
2011/12/03(土) 02:59:56 ID: 5yUCNzgWpR
>10
細川珠生女史の顔は明智玉に似てるのだろうか?ガラシャって書くと珠生女史のこともしてしまうから注意。
そもそもここは浅井三姉妹の記事だが、采配のゆくえ等はともかく、明智玉と浅井三姉妹って記事の細川首相以外に何か関連があったっけ?

あと、淀殿生存説でも書いたらどうかな?上野こと群馬にあったり。
12 ななしのよっしん
2012/05/03(木) 17:22:37 ID: QBGxzpybvC
>>9
その「秀頼が討ってでようとした」がどのタイミングすかによるが、
真田信繁たちが進言したとされる京都への進撃策
進言が行われたことを示す確かな資料がない
また朝廷から豊臣の姓を賜り関係が深かった豊臣京都戦場にすることは、自の存在意義の消滅に等しかった

が講和を匂わせていた。開戦前から滅亡まで一貫して徳への帰順だったの方が反対したのは当然と言える。高台院も同じだった
しかし開戦については当時の資料では秀頼の決断であることが示されている
ここで問題なのは、と異なるを選んだ秀頼が、そのの嘆願で出撃を思い止まる理由がないこと
そもそもこの時期も秀頼出撃の進言が行われたことを示す確かな資料はない
13 ななしのよっしん
2012/05/03(木) 17:23:47 ID: QBGxzpybvC
さらに秀頼が出撃しても、諸大名の軍勢が寝返る理由はない
また秀頼が出撃しなくても、大坂方の士気は十分に高かったことは従軍した諸大名の日記等に記されている
(忠義心の他に、大坂方の兵士の多くは失業者だった。この時代の人間はどんな人であろうとプライドが極めて高く、また勇敢だった)

もう一つ、大坂方は将兵や女の保護や再就職先をめて交渉に奔走していた
これには秀頼と同じく強硬なだった大野治長も交渉を行なっているので、秀頼の意志も反映されていたと考えられる
の方と同じく恭順だった織田一門はから逃げ出した後で、特に最終日は秀頼・治長が頼りにしていた後藤基次もすでに亡くなっていたことが影したかもしれない)
これらの交渉は落ギリギリまで行われ、おかげで多くの人々が助かった
(それでも落後の乱取りで大坂方の多数の町民・逃亡兵や女たちが殺・乱暴されている。その悲惨な有様は屏に描かれて現代まで伝えられている)
14 ななしのよっしん
2012/07/29(日) 22:37:20 ID: bRghitOpBT
ドラマでよく描かれる性格は明らかに後世の脚色なんだよね。
大坂の陣真田幸村達の献策を悉く退けたとかいうのも信憑性が薄いし。

>>6
三成と北政所が険悪というのは後世の創作
北政所は三成の三女を養女として育てた話は知ってた
頻繁にやり取りした書状が残ってるっていうのは初めて聞いたわw
三成の場合、敗者の宿命からか真田信之とのやり取りみたいな
プライベートな書状が残ってる方が奇跡なんだよね。
あと、浅野は東軍だったけど木下は秀以外全員西軍で
北政所周辺も大津の交渉に行ったり一部協してくれた部分もあったかと。
15 ななしのよっしん
2014/01/15(水) 23:07:54 ID: nYUbLVrVtP
>>13
今日のヒストリア女の日記の話だったが、
まさにそういった話もされていたな。
16 ななしのよっしん
2014/01/20(月) 18:44:38 ID: +f5FkxtkRM
大阪の陣は、家康から下を取り戻したい秀頼、豊臣を残したい淀君、死にを咲かせたいだけの浪人衆の間に齬があったよなあ
あと本人の実像がどうであれ淀君悪女や厄病扱いされるのは仕方がない気がする
豊臣政権に致命的な打撃を与えた秀次事件の原因は淀君が秀頼を産んだことにあるわけだし
17 ななしのよっしん
2014/02/19(水) 01:12:16 ID: D6DJIvyeWE
>>16のような考えは好きじゃないな。
淀殿がそうしろと願ったのなら言われてもしょうがないが、子を産んだだけだろ。
打撃を与えたのは実子しか見えなくなってトチ狂った秀吉のほうだ。
そんな事しなきゃ次代も豊臣政権だったかもしれない。
・・・まぁ、狂う理由だったかもしれないが。
18 ななしのよっしん
2014/03/06(木) 11:27:11 ID: +f5FkxtkRM
でも結果的に淀殿って豊臣の内部事情を全く知らないの他人から見れば、秀吉を誑かして豊臣を滅亡へと追いやった悪女、という極論でも何ら間違っていない気がする
19 ななしのよっしん
2014/03/06(木) 13:25:03 ID: +f5FkxtkRM
それに秀次事件で立場を悪くした豊臣臣や、文治に隅に追いやられていた武断の結構な部分が淀君をそう思っていたのではないのか
淀君が関ヶ原の後に高台院たちと協して豊臣の存続のために一生懸命尽したことや豊臣滅亡の原因のほとんどを秀吉が作ったことを鑑みれば、このような見解は個人的な思い込みや偏見に基づいた言いがかり同然の誤解・曲解以外の何物でもない
だがこのような思い込みにも、淀君が秀頼の母親である、淀君石田小西ら文治と親しい、淀君秀吉が滅亡・衰退させた浅井織田の血族であるなどのもっともらしい理由があったのもまた事実
20 ななしのよっしん
2014/03/17(月) 14:09:19 ID: 2Mt/70Mta3
「面倒くさいからとりあえず全部女(権者の妻)の所為にしておこう」
って中国古代歴史書じゃないんだから・・・
困った時の女禍論なんて芸がさ過ぎる
21 ななしのよっしん
2014/04/26(土) 20:47:34 ID: 2urnFrX0Bx
みんな秀吉と秀頼が全部悪いってわかっている
でもまがりなりにも下人でかつての人で多かれ少なかれ恩義もあるこの二人を非難し過ぎるのは気が引けるってことだろう
それに淀君って悲惨な最期を遂げ、死後数年に渡り理不尽な誹謗中傷を受けているのにかかわらずなぜかちっとも同情できないんだよなあ
22 ななしのよっしん
2014/04/26(土) 20:56:19 ID: aUMz8IUYyB
同情しようにもそれが出来る材料がないし
持ち上げるほどの人でもないしね
23 ななしのよっしん
2014/04/28(月) 22:30:25 ID: qSlMoXLvo5
優柔不断だったらしいね
今までの時代劇イメージとか違うのかもしれませんね、実際
24 ななしのよっしん
2014/05/02(金) 21:55:01 ID: 2urnFrX0Bx
あまりにも権に近づき過ぎてそれに魅入られ、多くの人の運命を弄んだ者の末路と思えば、淀君残な最期を遂げた挙句死後も心ない人から誹謗中傷され続けられるのも自業自得な気がする
ていうか淀君不幸の大体は本人のせいだろう
25 ななしのよっしん
2014/05/26(月) 16:31:27 ID: a3t/BMSZ6/
>>24
一度上がった生活準を落とすのは難しいさw
普通荒木にはなれん
ましてや曲がりなりにも下の表舞台に立ったのだから
26 ななしのよっしん
2014/05/26(月) 23:49:28 ID: MadpvLLZWs
徳川家康天下統一の正当性と豊臣を守ろうとした英雄石田三成であり、真田幸村であり)のヒロイズムのどちらからも悪役でなければならない位置になってしまった悲劇(小早川秀秋福島正則もそうだが)
武田勝頼北条氏政もだいぶ再評価されてきたんだからこっちもそろそろいいんじゃんえのと思う(秀吉は再評価の結果大分ボロが出てきたけど、こっちは隣との関係上悪人扱いするとネット上が荒れてきそう)
27 ななしのよっしん
2014/07/20(日) 10:29:07 ID: aUdqawkJmv
とはいえ、が悪いかといえば秀頼や淀殿幸村や三成よりも末期秀吉が一番悪いのは皆知っている
28 ななしのよっしん
2014/08/13(水) 18:04:55 ID: O8ccUtK2fU
>>26
>>22が言ったように、再評価の大前提はその人物に褒めるに値する美質があることなんだよな
って人に褒められるようなことは何にもしてないから、たとえ江戸幕府がったレッテルを全部はがしたとしても愚図で浅慮で身の程知らずのくせに欲だけは極めて強い女という実像が出てくるだけ
豊臣中において秀次事件で一番得したのはと秀頼なのは事実だし、これによって下の実権を一時とはいえ握ったのだから、悪女とするにはこのことだけで十分
下の実権を握るというのはそれほど重大なことだし、秀次事件は最秀吉一人だけが悪いで済む話じゃないし、はこのことで責められてもしょうがない
それに秀次事件や関ヶ原での態度を見る限り、は秀次や三成や秀を破滅に追い込んで豊臣を独占して下の実権を一手に握らんと企んでたと見られても仕方ない
つまり、どんなに再評価しても悪女だし、悪女じゃないという資格があるのはそれを最上義光田中吉政らの前で堂々と言い、説得させられるだけの自信がある者だけよ
評価がプラスになることはあり得ない
29 削除しました
削除しました ID: g0If7k1so7
削除しました
30 ななしのよっしん
2014/08/23(土) 12:09:45 ID: O7Rf4uLTam
を夫とし、その子を産んだあげく
と権に魅せられた人間がロクな最期を迎えないのは理にかなったことだ。