1 ななしのよっしん
2012/11/20(火) 02:18:52 ID: cb2MCGkgWv
綱吉もそうだったような。>後継で揉める
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2 ななしのよっしん
2014/03/21(金) 23:58:18 ID: SzHdFu33W4
名古屋城写真かわいすぎだろ
度が絶妙で萌え
もふもふしたい
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3 ななしのよっしん
2014/03/21(金) 11:20:19 ID: tw3tSKv3ER
皇帝が即位するたびに兄弟族一門をぶち殺しまくってたオスマンとはかなり対照的な制度だよね>御三家・御三卿
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4 ななしのよっしん
2014/04/10(木) 10:28:29 ID: B2thuG5Lnd
一方同時代のダイチン・グルン(清朝)は皇帝が後継者を書いたを予め用意してそれを隠し、死後に臣下がそれを見ることで皇帝が決まるという制度があり、意味な後継者争いは防がれた。

やっぱ満洲人って優秀だわ。
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5 ななしのよっしん
2014/06/11(水) 23:31:11 ID: ZGTAicEbGR
>>4
それでも後継者争いやってたんだけどね。皇帝が生きている間から
最終的に溥儀家庭教師だったジョントン卿の進言を採用して色々善したので後継者争いは起きようがなくなったけど
清国が滅ぼされ満州国も一代で滅ぼされたのが惜しまれる

オスマンはとにかく正妃の他に側室が多くて皇帝は子沢山だったからというのがある
後継者争いからさっさと逃げ出して諸外の要人になった皇子が大勢いる

御三家・御三卿は結局のところ初代家康なみに側室いないと男子男子だけじゃ続かないということ
江戸時代を通じて医学の発達と共に幼児の生存率も上昇したはずだけど、そもそも男子が生まれないケースがあったしね
実際のところ親藩でも家康秀忠ガンガン取り潰していて、御三家が安泰になったと考えられているのは秀忠政権の末期から
秀忠男子恵まれていたけど、いつか男子直系が絶える可性を考えて、御三家を温存する方針に切り替えたのかもしれないね
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6 ななしのよっしん
2023/08/27(日) 23:28:39 ID: ggef6aGJ8K
貴族院議長13代8人57年のうち9代4人40年(斉の男系孫の蜂須賀茂韶含めれば10代5人45年)が
親藩(血筋的には全部親藩と言えなくもないが)から出てるってのも地味すごい
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7 ななしのよっしん
2023/09/07(木) 06:05:44 ID: xLTQqr8qOI
>>3
あっちは遺訓として「血筋を絶やさないように子供は沢山つくれ。でも敵国の離間策を防ぐ為に即位したら兄弟を族滅しろ」というのがあるから……。
むしろ一人っ子でその遺訓に縛られなかったスレイマンが、帝国最盛期を築きながら衰退の芽もいている。
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