足利義政

1 ななしのよっしん
2014/09/04(木) 19:19:21 ID: 7JU15JEM6r
政治無能だけど芸術に優れているって偉人多いね
2 本当は必要だろ
2014/09/11(木) 19:47:38 ID: 1AgVTaDbtB
足利義政実装する方法。漫画「Eから弾きな」の神谷三歳を使うだけ。
EX日野富子は・・・君は美女を使う方法しか考えなかった!いいね?
3 ななしのよっしん
2014/11/29(土) 12:35:45 ID: Ygx3h7lJWv
>>1
類似の人物は多いけど特にイメージが重なるのは北の徽宗皇帝かな。
政治家としては微妙な一方で芸術としては高く評価されている点や、が若死にした事により将軍位(皇位)を(どういう偶然かどちらも8代)継がなければならなかった点、楽趣味に没頭した揚句の衰亡を招き幕府(王)の統治を喪失した点などど生まれ変わりなんじゃないかと思えるレベル
4 ななしのよっしん
2015/01/18(日) 09:42:09 ID: +yHHRGKFPb
>>2は一体何の話をしているんだ
5 ななしのよっしん
2015/04/08(水) 21:11:58 ID: IN8DOPc3gn
室町幕府自体が将軍が余程しっかりしてないと維持できない体制だっただけに
無能無気力責任の三拍子そろった将軍になったら
そらになりますわ、おまけするし
6 ななしのよっしん
2015/04/08(水) 21:23:20 ID: XJgtE+GBwc
なんというか生まれる時代を間違えた感が
幕府なりなんなり統治体制がある程度しっかりした時代に為政者として生まれれば芸術満開の時代を作り出したんじゃないかと思う

ようするに政治面で優秀な頭と実務者がついていてくれれば
7 ななしのよっしん
2015/07/04(土) 20:50:10 ID: F5Duljwp+e
どっちかっていうとキチンとした実者がいない時代に足利将軍として産まれてしまった不運なんだよなぁ
足利幕府って基本的に手元に軍事を残しつつも政治的には積極的に実者に乗っかって輿になりにいくシステム
義政より前の時点で、実者が数人も出て籤引きで将軍決めたりしてるところで既に破綻している
そして次の代で自前の軍事がアボンして全にハリボテになった
8 ななしのよっしん
2015/07/04(土) 21:14:03 ID: Zb8JBUOdb2
室町幕府の解釈は微妙に違うけど、生まれる時代を間違えた不運ってのは同意

尊氏から義持までは、有守護の均衡と協調に乗っかるスタイルなんだよね
細川頼之みたいな有能な守護が現れれば非常に強だし、
守護同士が牽制しあうから、いくら優秀でも将軍に代わって独裁者になることはできない仕組み

籤引きで将軍を決めたってのは、子に先立たれた義持の丸投げといえば丸投げだけど、
守護の政争をえた次元将軍が選ばれたという利点もあって、義教時代前半も幕府の安定は継続している

ただ、その義教が、精妙に動いていた守護の相互けん制システムを破壊して独裁者になっちゃったんだよね
義教自身なら独裁者でも問題なかったんだけど、義政には独裁者理でした
9 ななしのよっしん
2015/07/22(水) 13:11:02 ID: zESvpYhhv7
日本というか今の世の中というか、仕事で成功を収めた人でしか評価されない潮があって
例えば絵を描くのが趣味の人がいたとして、すごく上手な絵を描く才があってもそれだけじゃ評価されない
その絵を描くことをビジネスにして成功するか、絵を描く以外に本業があってそれで成功を収めていたとか、
そういう背景いと成功者、人生勝ち組として評価されない気がしている
義政は仕事将軍であり、趣味芸術であった、だから評価が微妙なんだろう、この辺は某ルーピーとかぶる
ただ義政は自分が将軍に向いてないことを々に理解していて、さっさと引退しようとしていた(そこでまたやらかしちゃったけど)、
一方ルーピーは、政治家であり続けることに固執して、今でも内外に混乱を振り撒き続けている、そこは全く違うけどね
10 ななしのよっしん
2015/12/11(金) 03:14:00 ID: +hHt2VCHrB
この人がいなかったらと仮定すると、日本文化がどうなってたか分からないから、全否定する事は出来ない
将軍としてのとそれは別だと言いたいけれど、現実的には繋がっているから単純には割り切れない
11 ななしのよっしん
2015/12/22(火) 19:01:59 ID: A72ciF0ISd
日本人の新たな感性「玄の美」を創出した。将軍だが、審美眼と美的感覚が抜群だった。
応仁の乱の2年前、寛正6年の花見の際、「咲き満ちてより外の色もし」と自ら詠んだわけだが、平安時代に栄を極めた長の「この世をば」の歌と好一対を成してると思う。
12 ななしのよっしん
2016/01/12(火) 14:53:05 ID: GOg9ovQMNg
義政時代の守護大名たちは、義教時代に将軍が猛威を振るって守護大名が抑え付けられたことを教訓にして、義政を支持する忠臣たちを排除したのかもしれんね
13 ななしのよっしん
2016/04/19(火) 19:20:29 ID: feoRLLoUmq
義政は偉大なる曾祖義満、義教と違って、肝心要の時に間の悪い大事件(享徳の乱が起こった時に武衛騒動が発生するなど)が発生して守護同士のしい暗闘が生じ、収拾不可能になる、という事案が多く生じたように思う。

赤松問題をダシにして山名宗全を一時的に失脚させたり、庶子義(後の義就)の相続承認を条件に畠山を与党に引き込んだりと、要所で才の片鱗は見せているのだが……。
14 ななしのよっしん
2017/01/23(月) 21:18:25 ID: IN8DOPc3gn
暗君な上に芸術趣味を崩壊させたのは北の徽宗もそうだけど、
皇帝将軍に生まれたのがそもそもの間違い。
持ちの貴族か商人にでも生まれてば良かった。
15 ななしのよっしん
2017/09/02(土) 22:47:50 ID: e3KtmVy+9E
当時の公家は荘園を押領されて不知行のクソ貧乏だったから公家に生まれていたら芸術を究められなかった。将軍だったからこそ東山山荘を造れた。

この人巷間ではニートだとか世捨て人だとかいう説が流布していて>>9でもさっさと引退しようとしていたと思われているが
実際は逆で、義尚が将軍に就任しても、義尚が死んで義視・義材子が上しても、中卒中)で倒れて半身麻痺になっても、最後の最期まで権の座にしがみ続けた権の亡者なんだわ。

なんでかって言うと各種事業の許認可権を持っていたり、裁判の仲裁を行う権者の所には謝礼などが集まるようになっており、そうしたお金こそが東山山荘造営の原資になっていた。

つまり義政は政治を投げ捨てて芸術に没頭したのではなく、芸術のために政治家・権者であり続けなければならなかった。
この辺の事情は「足利義稙-戦国に生きた不屈の大将軍-」という本に詳しく載っているので、義政の本当の姿を知りたいのならオススメ。
16 ななしのよっしん
2017/11/01(水) 02:08:48 ID: 5OAFatwxPQ
最近話題の書を読み進めてるが、これが本当なら政治放棄してたようには見えんな
流されやすいとか回りしてたとかなら分かるんだが
17 ななしのよっしん
2018/04/11(水) 20:18:53 ID: 4URni5+mRQ
運が悪かったとしか

南北朝時代から積み重なってきた歪みのせいで思うように政治ができなかった上にあちこちで同時に跡争いが勃発とか戦国時代よりもすげー時代だぞ
18  
2018/05/19(土) 20:57:25 ID: rAvoGKUAL7
悲しいかな
本当は義視とも仲がいい兄弟だったんだよな
19 ななしのよっしん
2018/06/24(日) 21:17:18 ID: 5qFvbgUdk9
最近放送してる銀河英雄伝説というアニメの登場キャラフリードリヒ4世という銀河帝国皇帝がいるんだけど

政治関心だが趣味には熱意を注ぐ
政治は専ら臣下が行っている
貴族の専横がしい
・後継者を明確にしなかったため、後日大きな争いへと発展した
・彼の代で王が実質最後となる

と、足利義政と結構似通った部分があるんだよね
20 ななしのよっしん
2018/07/08(日) 17:11:44 ID: e3KtmVy+9E
>>19
銀英伝原作)出版当時の義政のイメージに近いですね。
近年の研究で義政はむしろ将軍政を志向していた事が明らかにされているから、フリードリヒ4世とは全然違いますけど。

応仁の乱が起こった原因は畠山政長と義就との争いであって義視と義尚の争いではないので、
後継者を明確にしなかったから争いが々というのも当てはまらないですし。

室町幕府応仁の乱以降もしぶとく生き残り続けた事に特色があるので
応仁の乱で幕府が実質滅んだかのようにるのは室町時代本質を見失うかと。
21 ななしのよっしん
2018/07/13(金) 14:48:45 ID: MaTd2L7ll8
義満・義教も他の問題に介入して引っかき回すことで自分の権を強化しようとしたことでは一緒なんだよね。
それが義政ではなぜ失敗したかというと、単に運がなかったか微妙政治センスが足りなかったかは分からないが。
22 ななしのよっしん
2018/09/19(水) 21:01:05 ID: GOg9ovQMNg
京都が焼け野原になるのは止めないが、ドサクサに山や西近江人たちの被官化を進めた将軍
若い頃に挫折した権強化を、随分遠回りな方法でだがまた始めたわけで
世捨て人のイメージあるけど実際は相当執念深い人だったんじゃないかな
政策引き継いだ義尚が近江で同じことしていた六角と衝突する一因になってしまったが
23 ななしのよっしん
2018/12/11(火) 12:23:30 ID: Zb8JBUOdb2
戦国の世では、将軍と言えど生き残るには手近な武士団を奉公衆にまとめ上げねば武も財も手に入らぬからな
義政の趣味は、世捨て人になるにはちとカネがかかりすぎるしw

まあひょっとすると本人はニートするつもりはなく、ずっと政の意欲があったのかもしれんね
ただ若い頃は今参局や伊勢みたいな優れた心がいたから独裁が出来たけど、
文正の政変後は独裁を支えるような部下がいなかったのかもしれん。伊勢も晩年は重用しなかったみたいだし
24 ななしのよっしん
2018/12/15(土) 23:23:20 ID: Wpsyk2PNZL
義尚が死んだ後に「富子・貞宗に任せた。知らね」と言えたのに、病身の中で事態打開に乗り出しているんだから、とことん責任人間じゃなかったのは間違いないよね。

……と言いたいところだが、実際には義政側の奉行衆が決してそう言わせなかったのかもしれないし、その可性の方が高いと考える。幼少期から死ぬまで、緩み続ける体制の中で将軍としての役割を理矢理担わされてきたわけよ。辛いね。
25 ななしのよっしん
2019/01/29(火) 22:12:40 ID: Zqj/MrvTsW
なんか、あまり親父と似てないよな、性格的に
まあ別にしくもないが...
26 ななしのよっしん
2019/02/04(月) 13:31:51 ID: 2eBmxh4lh8
応仁の乱をはさんで30年間享徳の乱を戦い続けたとこといい、
日野富子や、息子義尚など相手に晩年まで権闘争してたとことか見ると、
なんか今まで持ってた「政治には無気力芸術に逃避」という義政像とは違うよなと思う。
名君かどうかはともかく、実は政治には相当積極的だったのでは。
27 ななしのよっしん
2019/04/26(金) 08:50:12 ID: 5qFvbgUdk9
実際義政は死ぬまで、義尚には最低限の権限を手放さなかったわけだから、政治関心だったわけではない気もしてきた

まだ若輩の義尚に権限渡すと暴走してヘタしたら妻の子やその一族、有守護大名達が更に増長する隙を与えてしまうからなぁ(まぁそれがきっかけで妻や息子の関係が冷え切ってしまうんだが)
28 ななしのよっしん
2019/07/07(日) 13:47:32 ID: bqepR63DvC
最近、義政は室町幕府が戦時体制から生まれた機構故に
その権が守護に依存してたという一点を分かっていなかっただけで、
無能ではなく、有能だからこそ応仁の乱を起こせたのではないかと思い始めた。
文政の政変までは、守護大名弱体化は成功し続けてるんだから。
29 ななしのよっしん
2019/10/01(火) 18:45:29 ID: NmSsuLU9pD
富子がクソすぎて反吐が出る
30 ななしのよっしん
2019/10/05(土) 20:15:59 ID: bQIx/0E98v
意見はこちらを見てからどうぞ
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31571119exit_nicovideo
近年いろいろ見解が変わってるからこの辺のシリーズ見るのオススメ