項羽

331 ななしのよっしん
2018/11/16(金) 18:21:30 ID: abwst6RiAP
続いて、彭

通常ならば、補給も危うくなった以上、田横の追撃を覚悟しつつ、全軍で南下して戻り、彭劉邦決戦するところだろう。

しかし、そこはあえて三万に絞り、劉邦軍が待ち構えていたと思われる彭の北や東を避け、西の蕭県に進んでから攻撃している。

三万といっても大軍なので、それが劉邦軍に気づかれなかったということは、相当な進軍速度と周到な手配があったものと思われる。実際に、史記の記述は、彭決戦は、同年四月中に行われたものとされている。

全な奇襲成功とすれば、劉邦軍は張良韓信も従軍していたと思われるのに、これは感嘆に値する。劉邦は自身の失敗も余り隠さないから、二人が進言しているなら、功績として残っている方が自然である。も進言した記録がないということは、劉邦軍首全てが予期していなかった可性がある。

これだけで、項羽が武勇だけの人物ではないという説明は充分ではないかな。
332 ななしのよっしん
2018/11/16(金) 20:47:59 ID: tibjKD1HDb
つくづく項羽が著したという兵法書が気になるなあ
何で項羽の兵法書は喪失しちゃったんだろう
333 削除しました
削除しました ID: 4dv/k1XvbU
削除しました
334 ななしのよっしん
2018/11/18(日) 11:12:52 ID: abwst6RiAP
元々、それは後世の仮託で、項羽の兵法書はないのではないか。
わざわざ、敵や謀反人に渡ったら、軍機の手の内を明かすようなことをするとは思えないし、心の何人かに秘伝を伝えればいいだけだろう。

韓信が手の内を部下にっているのは、お人よしか、教えたがりの性格だったのだろうね。

孫子が「基本的なことしか書いていない」は批判はあるけど、具体的な内容は普通は書けないだろう。
335 ななしのよっしん
2018/11/19(月) 17:23:08 ID: 8DTl4FAkJM
鹿の戦いで項羽が使った兵法は「破釜沈舟」の計だな。死地に身を置くという点では、韓信背水の陣や『兵法三十六計』にある上屋抽梯と似ているね

しかし、敵に渡った時の事も考えると兵法書を書き残しておけないのは解るけど、後世の人間としては読んでみたかったという気持ちもあるな
336 削除しました
削除しました ID: 4dv/k1XvbU
削除しました
337 ななしのよっしん
2018/11/19(月) 20:50:08 ID: NW5581l00m
戦術戦略もそうだが、統率の影がより強い時代だしな。璧な戦術戦略でも将兵が思ったように動かなきゃ意味だし、璧な布でも士気が低ければすぐ崩壊する
カリスマにしろ、恐怖にしろどうやって配下を統制してたか、という部分が兵法の根幹だったんじゃないかな。多分に直感とか個人のパーソナリティに依るものだったかもしれんけど
338 ななしのよっしん
2018/11/19(月) 21:54:41 ID: abwst6RiAP
項羽が兵法に興味を示したけど、極めまではしなかったというのは、諳んじるまでの勉強は不要で、基礎や概略だけで十分で後は天才の直感や自分を慕い、ついてきてくれる強い兵の養成の方が大事って判断だろうね。

の随何に「項羽は斉討伐で版築を背負って兵士の先頭に立っている」と言われているし、手な野戦の時だけ前に出ていたわけではないことが分かる。兵士には相当なカリスマ性があったと思うな。
339 ななしのよっしん
2018/11/19(月) 23:18:49 ID: QXUETWVvJl
兵「には」なら、その通りだろうな
兵に将たり将に敵するのが項羽限界で、将に将たるとやれば勝てないのは当然としか言えない
340 削除しました
削除しました ID: 4dv/k1XvbU
削除しました
341 ななしのよっしん
2018/11/20(火) 07:55:00 ID: tibjKD1HDb
そもそもその頃のなら項羽は挙兵してない
全盛期に挑んで勝てないのは劉邦も同じだと思う
342 削除しました
削除しました ID: 4dv/k1XvbU
削除しました
343 ななしのよっしん
2018/11/20(火) 22:22:40 ID: abwst6RiAP
>>339
項羽は兵に将たる器かな? 自で軍部を従わせているから、将に将たる器だと思うが。皇帝の器ではないというだけで。下をとったという意見に従うなら曹操よりも偉大と言えるかもしれんしね。

>>342
始皇帝が率いる全盛期ならば、項羽はあっさり負けたはずだよ。

あなたはまだそんなことを言っているのか。そんな仮定の話をしてもどうなったかは分かるはずはない。項羽の祖項燕だって善戦しているのに、そんなことが断言できるものか。

項羽が飛躍したのは始皇帝の独裁政治と彼の逝による反動だから、普通はあり得ない。

これも、光武帝だって王莽のおかげ、唐だって煬帝のおかげと言えばいくらでも言えるぞ。
344 ななしのよっしん
2018/11/20(火) 22:36:52 ID: YSnRYz88XW
>あなたはまだそんなことを言っているのか。
その荒らしをいつまでもまっとうな議論相手と思ってレスするのがそもそもの間違いだと思うけどな

4dv/k1XvbUは何を言っても項羽叩きにしか持っていけないアンチボットだぞ
過去レスちょっとたどればろくな事言ってないのは分かるだろうに。
345 ななしのよっしん
2018/11/20(火) 23:00:01 ID: abwst6RiAP
>>344
それはそうなのだが、反論できなかった後はディスというほどではなかったので、少しは理解できているかと思っていたが、他に項羽低評価の意見があるとすぐにただのアンチに戻ってしまうようだな。他の人の意見も聞きたいから、話題を広げるために返事しているだけだけど。

始皇帝20年生きて、長男スムーズに委譲していたら200年は普通に続いてた。

始皇帝享年49歳だから、69歳? あの過労ぶりでは理ではないか?
普通に」というが、がはじめての統一王だから全然普通じゃないぞw 劉邦が逃亡するほど賦役が辛い状態が後20年も続いて、扶が継いでもすぐに収まるわけもないので、六の復活を望むも多いだろうに、200年続く保がどこにあるのだろうか。
346 削除しました
削除しました ID: 4dv/k1XvbU
削除しました
347 ななしのよっしん
2018/11/22(木) 19:08:36 ID: PEJUMzGrAv
その諸悪の根源である高を寵愛してその馬鹿なことをさせる土台を与えたのが始皇帝で、宰相斯までが結託して扶恬を謀殺したことを忘れるな
348 削除しました
削除しました ID: 4dv/k1XvbU
削除しました
349 ななしのよっしん
2018/11/22(木) 23:27:39 ID: abwst6RiAP
>『始皇帝の』悪政はバカ息子の『二世皇帝高』がやらかしたこと
意味が分からないな。

>>347
実は斯は滅亡の前年2088月ごろまで丞相だったからな。始皇帝が死んだことと政争で国家は低下していただろうが、路線は同じだったのだろう。逆にいえば、その程度のことで反乱が頻発するほどは危うい国家体制だったということ。

皇帝一人が代わったところで、大きな変化は期待できないだろうな。
350 ななしのよっしん
2018/11/23(金) 01:24:10 ID: PEJUMzGrAv
場末の掲示板なんだからifについていくら話そうが自由だが、4dv/k1XvbUはそれが過ぎる
定陶での項梁の戦死はひとえに章の軍略によるもので、項梁が生きるとしたら連戦連勝で調子に乗っていた時期に義の諫言を聞き入れることぐらいになるが、そういうifは項梁の人格自体をめる事になる
仮に項梁が死地から脱し、楚軍の総大将の地位を保持したとしても(4dv/k1XvbUの書き方だとそう見える)、敗残の楚軍と別働隊の項羽劉邦軍を率いる項梁が大兵を擁して勢いに乗る章と相対するという存亡の危機に陥る事になり、とても項羽が『導者』としてじっくりと成長する機会なんかない
351 ななしのよっしん
2018/11/24(土) 17:40:23 ID: abwst6RiAP
項羽の美点の話が途中で終わっていたけど、項羽って人の意見にはを傾けるよな。

義の意見も一理はあるように見えた段階では慢していた。亜とまで言って范増を尊重していたし、鴻門の会の時は、年長者の項伯の意見を聞き入れて范増の進言を退けただけ。また、項伯の進言で中まで劉邦に与えている。

地位が低いものの意見も、陳韓信の意見を聞くと地位を与えるのを惜しんだだけで、その進言は聞き入れていたようにも読めるし、外少年もそうだし、范増たちを疑ったのも范増たちを讒言する連中の言葉にを傾けたためともいえる。

お人よしの非難はともかく、項羽が己の才を過信して、他人の言葉にを傾けていない、ということはないだろう。

項羽が范増たちを疑ったのは、劉邦側が四万斤ものを使って工作した結果。これは信陵君を陥れた工作の四倍もの額。項羽の使者を范増の使者と間違えた件は、その一例に過ぎず、項羽の一族や側近に多くの賄賂がばらまかれ、讒言が吹き込まれた結果だろう。
352 ななしのよっしん
2018/11/28(水) 07:08:42 ID: QXUETWVvJl
その点は韓信の評で済ませていいと思うよ
礼儀正しく態度も柔らかくて慈と慈悲があり病気の人なんかには優しいけど、これが封爵となると途端にケチくさい婦人の仁
そのせいで有能から順に逃げて無能には慕われる
353 ななしのよっしん
2018/11/29(木) 18:37:27 ID: 8DTl4FAkJM
楚の子胥や屈原、項羽のように苛な生き様だった人物がいる事で有名だよな。三人とも最期は自決しているし
三人とも最後の勝者や成功者にはなれなかったけど、自分には真似出来ないしい生涯が人を惹き付ける魅なのかもしれない
354 ななしのよっしん
2018/11/29(木) 21:25:52 ID: abwst6RiAP
>>352
韓信・陳の評価って、縦横の常套文句だしな。敵を少し持ち上げた上で、味方の有利を強調するために敵を大いにこき下ろすような。

韓信の言葉にも真実は含まれているだろうが、項羽から離反して劉邦のもとに来た人物の発言を全てみはできんよ。そりゃ、項羽を悪く言うに決まっている。韓信や陳は色々と劉邦営でも問題があったし、有能でも扱いづらい人物。組織を崩壊させかねない人物を扱えないなら、冷遇してもおかしくはない。劉邦ほど人材登用がうまい人物は中国史全体もどれだけいるか。

それにあなたの文には「誇りを重んじる人物には慕われる」が抜けている。季布や鍾離昩、二十八騎は到底、「無能」とは程遠い。

有能から順に逃げて無能には慕われる
このあなたの発言には組みしえない。
355 ななしのよっしん
2018/11/29(木) 22:16:35 ID: 2/vxFlEEfp
項羽を知らない人に対して評するんならまだしも劉邦項羽とは
同僚だった時期もあるから安易な扱き下ろしをしたら逆に劉邦から
縦横としての重要なスキルである「人物評」の才がないとして
みそっかすにされるだろうに。劉邦だって「儒者を罵る」として
在野の儒者を招くも拒否されてた、なんて逸話が残っていたわけだし
単純に「敵営でるんだから信用できない」とも言い切れんでしょ
356 ななしのよっしん
2018/11/29(木) 23:11:14 ID: KSkAPFkcm0
韓信が婦人の仁といってるのは、項羽べーよどうしようなってる時に「いやいや項羽は弱点多いから勝てますよ」という文脈だからそもそも私で侮っていいタイミングではないだろう。
357 ななしのよっしん
2018/11/30(金) 22:01:15 ID: hshLjhWFTo
>>329 >>330 >>331
大変遅くなりましたが、
丁寧な説明レスをどうもありがとうございました
そのように考慮しますれば、確かに項羽は非常に優れた名将、
という事になりそうですね。
項羽の兵法書がの時代には(それが仮託であれ、
あるいは、項羽本人が書いたものであれ、)存在していた、
という事や、項羽の戦績による強さが後世に至るまで
(人格的評価はともあれ、)
評価されていた事などを考慮しまするに、
やはり項羽戦争関係に関しましては、
優れた名将、と評価する事も可なようには思われますかね。
358 ななしのよっしん
2018/11/30(金) 23:22:00 ID: hshLjhWFTo
ゲームの話で恐縮なのではございますが、
最近になってFGOというゲーム項羽が登場したようなので、
確認をしてみたのですが、感情な機械のような人造人間
という感じで少々拍子抜けをしてしまいましたかね。
史実解釈の異なりによっての、「猛将・項羽像」であれ、
「名将・項羽像」であれ、良くも悪くもこれ程情動的な英雄は、
世界史的にも稀なようには思うのですけれどね。
359 ななしのよっしん
2018/12/01(土) 01:09:32 ID: abwst6RiAP
>>355>>356
そうかな。儀ら縦横って的のために、味方の長所と短所を過大に言うのが常だと思うが。ここは劉邦を奮起させるのが的だから、同じ傾向にはあるだろう。

項羽を悪く言うに決まっている」と書き方は悪かったが、
韓信項羽評価は冷静な分析で真実の一面は突いており、短所は正確に言えるが、どうやっても項羽に好意的でないもの同士で励ますのだから、項羽の長所に対しては厳しくなる立場。范増や周殷ぐらい重用されていたなら、また、違った評価になっただろう。

全に韓信の言葉通りだったら、彭の時点で項羽は詰んでいるだろうし、やはり、割り引いて考えるべきではないか。
360 ななしのよっしん
2018/12/01(土) 01:17:32 ID: abwst6RiAP
>>357
いえいえ、こちらこそ丁寧にありがとうございます
少なくとも、武勇だけの猛将というのはないでしょう。

人格的評価というのは、その時代において略奪がどこまで非難されることかも考えないといけません。結局、始皇帝陵は破壊されていませんし。

戦略性はいと言われますが、どちらかと言えば、政治と謀略というところで負けている印です。
「戦い方が悪かったわけではない」という項羽の言い分もある程度は理解できます。

急上昇ワード

2020/01/18(土)20時更新