241 ななしのよっしん
2017/11/02(木) 02:14:36 ID: qvNxHWwtdU
収監後の逃亡はかなりヤバイ行為だと思うぞ
仮にも馬謖諸葛亮の側近の一人だったんだし、逃げ込まれでもしたら国家機密が敵に駄々洩れなってただろうし
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242 ななしのよっしん
2017/11/04(土) 14:25:19 ID: CMiL/Lmxv0
いや行為の罪の軽重の話ではなくて、脱獄が罪に問われたんなら当然脱獄犯である馬謖だけに責任があるはずでしょ。

亭の失敗で処分されたのは馬謖だけじゃなくて、部下の休や盛が死罪、その下も髡刑や兵権収などの重い処罰が下されてるんだよ。

これは馬謖の個人的な脱獄に対する処置では説明がつかないってこと。
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243 ななしのよっしん
2017/11/05(日) 02:16:24 ID: NCo7wM10uy
まあどっちもありえない話ではないんだよなあ
軍全体がボッコボコにされるほど惨敗する原因を作り、戦場から勝手に逃亡した馬謖が処刑された
負ける原因を作って収監されていた馬謖が、左右の人間の讒言もあり逃亡を実行するが失敗して処刑された

ただ、後々同じように大敗北を喫して諸葛亮を模倣する形で責任取った姜維の「段の戦い」で
敗戦原因となった胡済は特に処罰されないまま終わっている。当時と事情、権が違うといえば
それまでだが、姜維の処置にべて諸葛亮の処置は、一見すると非常に重い

上の方に「裏切ってに行こうとした」ってあるけど、あながち間違いではないのでは?
孟達のように、軍勢ごとに投降しようと考えたとかなら、それが露見して厳しい処断を受けるのは
実に違和感のない流れ。馬謖は荊州襄陽の出で、当時襄陽はの支配地だった。
馬謖の縁族がにいて、それを頼りにに降・・・という可性も
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244 ななしのよっしん
2017/11/06(月) 16:58:49 ID: CMiL/Lmxv0
軍団ごと逃げるような大規模な逃亡、というか反逆行為だったら逆に処罰が軽すぎる。
そんなことまでやらかした場合、多分魏延劉封同様に志十巻に立伝させられてるし、周辺から擁護の意見が出ているのも不自然

よって馬謖の逃亡は戦後に処罰から逃げたのではなく、亭で負けた後(あるいはその最中)に、揮を放棄して幕僚団ごと先に逃亡してしまった可性が高い。
その拠に、亭の敗戦の直後に起きた(と思われる)列の戦いでは、本来揮をとるべき馬謖名前がない。多分この頃には一散に中、あるいは諸葛亮の元まで逃げ出してしまっていたのだろう。

つまり「逃げた」のは味方の処罰からの脱走ではなく、敵の攻撃からの戦線放棄だとするのが自然だと思う。
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245 ななしのよっしん
2018/02/26(月) 12:51:42 ID: zXFEbMUIV2
無双も最後にやらかした系も増えてきてるから
参戦する余地はありそうだな
王平とかが先だろうけど
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246 ななしのよっしんた
2018/04/18(水) 09:21:58 ID: MjhqFgehGP
無双なら綺麗な馬謖が見られる可性が?
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247 ななしのよっしん
2018/05/26(土) 23:41:00 ID: /q88Sd36yC
全に無能かと言われると、そうではないと思う。
ただし、亭では的を把握するがなかった。
「勝とうとせず、守りにする」という広い視野があればなあ...
孔明は、馬謖姜維でかつての自分とホウ統のようになるのを期待してたんじゃないかなあ。
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248 ななしのよっしん
2018/06/01(金) 15:56:56 ID: Py28THVtHU
孔明もいつまでも自分が何から何までしていては駄で、
後継者を育てなければならないという考えはあったのだろう。

馬謖ハズレだったが。
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249 ななしのよっしん
2018/06/18(月) 21:51:45 ID: hCZ4htf5Go
南中の政策とか孔明の相談役としては満点だけどね。
孔明本質(書生出身)から来る人物眼も原因だったりすると思う。
実際、魏延(武官出身)と本質から来る価値観で不仲になったり、趙雲は慎重な人柄で二つの本質人間から好かれてた。
孔明劉備が違う価値観で組んでたからこそ馬謖の様な失敗がなかったと思う。
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250 ななしのよっしん
2018/10/20(土) 08:23:04 ID: K9XdGldBj7
無双名なの有名な故事を気で竄するから(負けて降したはずの于禁が樊の戦いでに寝返って軍に襲いかかったりする)、馬謖を出すなら一定の竄が入るかもな
泣いて馬謖を斬るはオミットされて々しく戦死したりするかも
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251 ななしのよっしん
2018/11/01(木) 02:10:42 ID: YslIBmAp8T
戦後地から逃亡するステージプレイしたいね
泣きながらビーム連射してくる諸葛亮を迎撃、みたいな
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252 ななしのよっしん
2018/12/15(土) 22:37:54 ID: sIdgIOgBr/
>>247 >>249
幕僚団の一人でいるのが組織にも本人にも良かったんだろうね

劇的な敗北ボロクソ言われてるけど、
ドラマだと「口先だけの男と言われたくない」「認めてくれた丞相の期待に応えたい」という
ひた向きさが暴走してしまった悲劇として描かれていたな
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253 ななしのよっしん
2019/01/05(土) 17:39:31 ID: Lq3T7iF1e5
次世代のホープ(38)ではなぁ。
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254 ななしのよっしん
2019/05/12(日) 11:22:26 ID: CMiL/Lmxv0
なんか記事内容が変わってるけども、史書には「馬謖逃げたことを向寵が黙っていたので処罰された」とあるだけで、「敗戦後」「処罰を恐れて」などといった記述はない。

また同様に、「馬謖は命に反した」とはされているが、「諸葛亮筋を抑えるように命じた」という記述もない。

そして馬謖亭の山上に布した理由もまた史書にはなく、
「戦いの的は~」という部分も想像でしかない。

そして38歳だから当時としてはベテラン、というのも少し違う。
当時においても国家の枢要にあたる職につくのはだいたい40代以降であり、馬謖年齢と言うのは丁度下積みから重職ルートへ上るあたりの年齢で、つまり「(高級官僚の)ホープ」と言える。
陸遜も39歳で夷陵の戦い揮をとった時、周囲に侮られて「自分は確かに(経験の少ない)書生だが、主命を受けている」という論法でねじせている。
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255 ななしのよっしん
2019/05/12(日) 13:03:10 ID: eSa2WuxQJE
横山光輝三国志では亭でのスタンドプレーから撤退後の申し開きまで
ずっと「お前は何を言ってるんだ」状態の言動だったのが不快だったなあ。
弁解も子供の言い訳レベルだったし、個人的には董卓に次いで嫌いだった
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256 ななしのよっしん
2019/10/03(木) 03:05:30 ID: pzW5dIPGq5
>>252
それも難しいと感じる。馬謖は、適性と人格性向が乖離している。
適正はスタッフ向きなのに、性向は息荒い、ライン傾向。
功名心強い馬謖には、大人しく「幕僚団の一人でいる」ことができない。
一参謀として協調性なく、参謀総長として幕僚団の英知を集約することもできない。
スタッフでもラインでもなく「個人秘書」として上に献策する手もあるが……
組織の論理からすれば、統制を乱す越権。

廖立は「刑死しなかった馬謖」で、使いどころが難しい。
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257 ななしのよっしん
2020/02/27(木) 22:56:06 ID: cd1FaTwR0y
ただ実際のところ亭の戦い含む第一次北伐自体がかなり短期間で集結しているので
そもそも馬謖が山に登らなければは勝てたみたいな潮がまず間違いの気もするけどな
諸葛亮電撃作戦張郃電撃作戦で突っぱねたというのが
かんたんに言ってしまえばこの北伐の概要なわけで

言い方悪いが「曹叡期に決断して張郃が大軍で素くやってきた」
時点で戦略的勝敗は既に決着していたんじゃないのかな

山崎の戦い明智光秀天王山部隊を登らせる)や、
大坂の陣後藤又兵衛小松山に自分が布)と、
(両者ともに大軍を寡兵で防ぐべく隘路と山を利用)
馬謖の類例は日本でも結構あるんだよな・・・
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258 ななしのよっしん
2020/03/02(月) 21:38:42 ID: K9XdGldBj7
あそこなら勝てた」じゃなくて「もう後がないしあそこで死んでも勝たなければならなかった」じゃないかい
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259 ななしのよっしん
2020/04/03(金) 19:04:54 ID: 56ZE85T+Ub
結局は張郃が来るまでに諸葛亮の本隊が山を落とせるかが全てだったということになるのかね?
亭で戦ってる時点で張郃の軍は山越え終わってる様にみえるんだけど、どうするのが正解だったんだ?先に言われてる様にひたすらで籠して他の部隊を待てばよかったのかな
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260 ななしのよっしん
2020/04/03(金) 23:40:51 ID: CMiL/Lmxv0
実は史書には「第1次北伐において、諸葛亮の本隊が何をしていたか」という点がほとんど書かれていない。
またその戦略意図も当然書いてないので、その辺は基本後世の考察になる。

諸葛亮は本隊で南北でを足止めしている間に山・上邦を制圧したかったのかもしれないし、あるいは山において本隊で郭淮や後続を足止めしつつ、州方面の攻略を進めたかったのかもしれない。
ただそのどちらにせよ、馬謖軍に課せられた的は「敵の援軍が州方面に向かうのを阻止すること」であることはほぼ確実で、基本的には守りが任務だっただろう。

しかしそれが「じゃあどうすればよかったのか」という話になると、そもそも「(諸葛亮が)実戦経験がない馬謖に1方面なんか任せなければよかった」という結論にまあなる
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261 ななしのよっしん
2020/04/11(土) 11:57:41 ID: keF68D/OD5
>>260
が次代を担うはずの将をごっそり消滅させちゃったからねぇ。期待してた若手の関興等は死にして孔明が嘆いてるし。
大将劉備諸葛亮 別働軍:関羽馬謖 直轄部隊張飛魏延 みたいな感じにしたかったんじゃないかな。
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262 ななしのよっしん
2020/04/19(日) 11:34:15 ID: CMiL/Lmxv0
育成の意図があったからといって、実戦経験がない人間に、しかもこの重要も重要な局面で、1方面を任せてしまうということ自体どうかしてると思うよ。

南の趙雲や北の州方面軍があっさり負けてることを考えても、どうもこの時点での諸葛亮は実戦、特に「優秀な現場指揮官とはどんな人間か」という点が根本にわかってなかったと見える。
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263 ななしのよっしん
2020/04/19(日) 22:55:13 ID: iJPNs0hE3e
キャンペーン記念。天地を喰らうⅡ(諸葛孔明伝)より。
得意地形は山。いじられっぱなしw
最近、盛り上がっているのでサラッと。
YAMAのススメ
タイトル:YAMAのススメ
Twitterで紹介する

264 ななしのよっしん
2020/04/21(火) 08:31:33 ID: ODmMCGU7fg
同時期に郭淮が高の列を襲撃し渭に転じた勢の鎮圧+曹真州鎮圧に数万単位で郭淮支援に向かった?(郭淮伝)
上邦は渭沿かつの南西。無視はできないし放置したら郭淮たちに挟撃されるから、そっちの方に魏延やら呉懿やら配置の必要がある(敵は曽)→亭はあくまで「万が一」で敵が来るかこのとき不明→守備役いてたのが馬謖しか手札がなかった(その時はまだ歴戦の将が必須という認識ではなかった)なら説明つくのかな。対の構想にも大きく関わってたから信用してたろうし
当時投入できる手札は袁綝?魏延呉懿馬謖しかいないし楊儀とかはそもそも文官だし。
敗因は馬謖にもあるけど山を突破できなかったのも大きかったのかな→第一次北伐の敗因
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265 ななしのよっしん
2020/05/07(木) 07:34:38 ID: 7rdxWYNwJt
>>259
諸葛亮山を落とせても結局軍が張郃率いる大軍を来させた時点で相当苦しいな。
このあと趙雲敗北しているから、グズグズしてると曹真中に
攻めてきて、逆に軍が隴右一帯に孤立させられるという状況に陥る。

どちらにせよ中、安定方面を睨む曹真軍と、隴西、亭方面を睨む張郃軍の
どっちかは最低でも撃滅しないといけなかった。逆に言えば
同年に孟達孫権軍と戦っていたはずの張郃が、亭方面に
大軍を率いてやってきたこと自体、既に軍の暗が漂っていたと見ていい。

魏延の長安奇襲でも触れられているが、長安の官が無能
夏侯楙であること前提に成功する作戦であり、夏侯楙が栄転(左遷)されて
中央に戻り、曹叡自ら中央から長安にやってきた時点でこの作戦馬謖関係なく失敗しただろう
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266 畝傍正
2020/05/24(日) 21:13:41 ID: pMeC1oyNsd
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267 ななしのよっしん
2020/05/25(月) 00:03:03 ID: xMSrj5kQUy
>>265
流石敗北したとはいえ物資の回収は成功してる辺り趙雲軍は機してるだろうし曹真も強行軍で対応してる以上趙雲破ってそのまま嶺山脈越えはできないんじゃないかな…
游楚は隴西は1ヶ限界って見解だったし亭が持ちこたえさえすれば長安は取れないだろうけど州は奪えたんじゃないか
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268 ななしのよっしん
2020/05/25(月) 21:12:51 ID: CMiL/Lmxv0
趙雲の敗走で斜防備になってしまったという事実だけで、戦局全体への悪は十分だと思うよ。

郿から中を直接つなぐルートいて、しかもその郿に曹真軍がいるという時点で「来るか来ないか」の可々より「来たら終わりだぞ!」という事実に対応せざるを得ない。
軍事というものはそういうものだし、底して冒険的作戦を嫌う諸葛亮の場合は特にそうだろう。

実際馬謖の処刑ばかりが取りざたされるが、趙雲戦後しっかり降格を喰らってるし、諸葛亮の報告書でもそのミスについて名しされている。
当時の感覚的には、趙雲の敗走も馬謖同様、戦役の敗因の一つとみられていたのは間違いないと思う。
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269 ななしのよっしん
2020/06/02(火) 21:13:44 ID: 7rdxWYNwJt
逆に言うと負けて帰ってきた趙雲ですら降格で済んでるのに
速攻処刑された馬謖は何をやったんだって話にもなるわなあ
まあ馬謖いなくてもは結局隴西を放棄する可性は高かったと思うけど
もうちょい負け方としてはマシな展開になったと思う。

中は益州を守る前線基地ではあるけれども、逆にこの中を
守るという点では、のちの曹真の南勢などでも分かる通り相当にしんどい。
長安、郿、五丈原、陳倉、武都、上庸から来る軍全てに対処せねばならず、
どこか1つに時間をかけると別方面から軍が攻勢を仕掛けて中失陥の
危機に陥るという状況に陥る。姜維がのちにある程度州で自由に動けたのは
曹爽の南征大失敗の胡の反感情が強かったからだろう
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270 ななしのよっしん
2020/06/03(水) 01:59:30 ID: 5dZfT7aYBq
>>263
まともに山で戦うことも出来なかったのに得意地形とは何たる皮
「自分を山が得意な英雄だと思い込んでいる一般武将」かな
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