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62 ななしのよっしん
2011/01/17(月) 21:58:14 ID: EHroJD7eLL
まあぶっちゃけ、当時の人間の正体を知るなんて不可能
陳寿というか、時代そのものが信用できんから
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63 ななしのよっしん
2011/01/18(火) 20:27:20 ID: vTVf+FIuEK
死ぬほど簡単に言うと
諸葛亮死後の政争で義に負けて
謀反人扱いになった人でよくね?
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64 ななしのよっしん
2011/02/09(水) 11:38:10 ID: 7rcneCdMn6
武官としての実はあるが、人間的に問題があって扱いづらいって感じかな。

関羽にしろ張飛にしろそういった問題児をうまく扱えるのが劉備の長所の)一つだったとは思う。
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65 ななしのよっしん
2011/02/14(月) 22:41:31 ID: lvKx3F7CTM
ID: qEwfsK5i+kはなんでそんなに必死なんだ


とりあえず魏延の解釈は
・武官対文官の政争の犠牲者
・というか諸葛亮亡き後は功績第一の魏延に権が集まりすぎる
という感じ

あと魏延の墓はしっかりとしたのがあるぞ
http://www.tf-travel.com/guanguang/i_gien.htmlexit
つーかこのHPを読む限り結構人望もあったみたいなんだが・・・
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66 ななしのよっしん
2011/02/15(火) 06:48:21 ID: EHroJD7eLL
何だその記述
魏延墓と言われてるけど、実際は確定してないぞ
それなりに地位のある人物だろうから、魏延じゃね? ってなってるだけで
そんな具体的なエピソードを伝える物は発見されてないはずだけど
地元の伝承か何かと混ざってるんじゃ
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67 ななしのよっしん
2011/02/16(水) 20:51:33 ID: 66ui/vxVGc
発見から6年ぐらい立ってるのに正式に魏延墓と認定されてないからねぇ。
あと人望の逸話うんぬんは地元の学者く「地元にある古い史料には載ってる」らしいから。胡散臭いぞ。
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68 ななしのよっしん
2011/02/20(日) 01:34:51 ID: GasMh6mLEb
天地を喰らうⅡ 赤壁の戦い
へのリンクか追加しといてくれ
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69 ななしのよっしん
2011/04/01(金) 15:36:10 ID: amXC8NyXi4
どこか関羽と似たところがあったんじゃないかと感じる今日この頃
もうちょっと他人と折り合いがつけれる人物なら、軍の魏延、文の孔明というドリームチームが誕生してたやも…なんとも惜しい
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70 ななしのよっしん
2011/04/07(木) 23:32:05 ID: o/Z5mDJxuk
の中では人相の悪い人(横版での顔が好き)
関羽のように美しいでもあればまた評価変わったかも
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71 ななしのよっしん
2011/04/08(金) 17:09:34 ID: XmRJzPahHr
>>70
ちなみに、劇(実際のも人形劇も)ではプチ関羽的な人物造形だったりする。
ら顔とか明らかに似せてる。
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72 ななしのよっしん
2011/05/01(日) 22:27:44 ID: Il7hNYpjl1
>>60とかみると>>12とか>>35の言うことが分るなあ。
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73 ななしのよっしん
2011/05/02(月) 19:32:24 ID: 3pHhbKonIL
魏延謀反を起こしたとはいえ可哀想な最期を遂げたもんだ。
南征や北伐であれほどのために尽くしたのに。
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74 ななしのよっしん
2011/06/11(土) 08:48:20 ID: rFthIUCyhK
謀叛というか内ゲバなんだけどね
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75 ななしのよっしん
2011/06/19(日) 12:24:05 ID: qQ7inPntgV
魏延が五虎将軍だと思ってた。
天地を喰らう2が一番魏延を印づけたゲームじゃないか?
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76 ななしのよっしん
2011/07/26(火) 09:35:16 ID: G7gi0IWGhV
べらぼうに強い・それなりに作戦も考えれる
そんな感じがする
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77 ななしのよっしん
2011/07/26(火) 09:49:14 ID: teGcWZbYNn
>>60を読んだら
諸葛亮石田三成にしか見えなくなった
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78 ななしのよっしん
2011/07/30(土) 00:39:51 ID: aDNXPOqdMa
官僚的な才しかない石田三成じゃ諸葛亮の足元にも及ばん。
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79 ななしのよっしん
2011/07/30(土) 00:43:47 ID: wGOuaJxdyy
>>78
諸葛亮はまさに官僚的な才の人だろ。
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80 ななしのよっしん
2011/07/30(土) 13:13:10 ID: 5vPPJUETsB
官僚的と法は別物だろう
武断との内紛騒動を起し
西軍内の統率を取ることも出来なかった三成と
諸葛亮ではさすがに格が違う
てか、>>60みたいな演義と正史をごちゃまぜにしている阿呆の言を
まともに取るなよ
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81 ななしのよっしん
2011/08/24(水) 22:03:15 ID: noB4Ard/Wo
今更だが三国志大戦の欄にR魏延の極意)がいな
詳しくはググってくれとしか言えんが、とりあえずこれもあるよ程度でもいいから追加頼む
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82 ななしのよっしん
2011/08/28(日) 10:51:02 ID: vTVf+FIuEK
>>69
正史にはとくに孔明と仲違いしているとは書かれてないのだから
むしろ孔明死ぬまでがドリームチームだった、と思うます。
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83 ななしのよっしん
2011/09/04(日) 08:27:48 ID: Q7hdDLiEIn
生まれた時代も君から期待された役割も違う孔明と三成を較してどうするんだ

正史を読むと孔明魏延の功績を高く評価してるし、魏延作戦前に意見の食い違いはあっても作戦では孔明戦略戦術に従ってるし、
曲解しなければ問題ない間柄だよな
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84 ななしのよっしん
2011/09/06(火) 23:24:02 ID: o/Z5mDJxuk
というのは飼いが頼りないと自分がリーダーだと勘違いするというが
魏延は典的な人間っぽい

劉備がいた時代なら何の問題もなかったがその後の孔明人間の扱い方を把握してなかったのではないか
強いリーダーシップをみせることがを飼うには重要なんだが孔明は君の座を固辞して臣下にとどまるような人
魏延からすれば物足りない上だったのでは

魏延に人望が薄かったのは間違いなさそうだし脳筋らしい短絡的な行動立つし人の上に立つには足りないものが多かっただろう
の人材不足から魏延が自らリーダーシップを発揮しようとした時点で彼の運命はほぼ決まり
死ぬまで劉備に仕えていたら忠義の武人として名を残してたかも

ちなみに魏延には頭にが生えるの話があるが山羊でもザクでも立リーダー
導者になりたいという魏延の願望の表れかもしれない
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85 ななしのよっしん
2011/09/06(火) 23:40:13 ID: o1USdT0UuA
>>84
確かに
でも、人間っていうと感じ悪いけど
どちらかというと、自分を使い振るってくれる人を望んでたんじゃないかな

孔明の消極的な戦いは自分の役じゃない。自分じゃなくてもできる。って思ったんじゃなかろうか
もっと自分にしかできない事をやりたい。命されたい。って、たぶんでもそういう欲求はあると思うけど、魏延は特にそういう欲求が強かったんじゃないかな
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86 ななしのよっしん
2011/09/14(水) 13:28:34 ID: dXmmvlC/mm
魏延将軍として孔明に次ぐ立場と言っても過言じゃないから
作戦会議で意見くらいするだろうし、献策もしてるってだけだと思う
ただ、孔明配下として、決まった作戦には従い、成果を上げるため全で戦ってる
実際命違反はとくにしてないしね
悲劇的な最後を迎えた最大の原因は、孔明なきあと魏延以上の功績のある将軍が居なかったことだろう
と事を構える以上、北伐は続くのだから自分が軍を背負うのはべきだと考えたのは理からぬこと
まあ人望が張飛並にかったのと、大柱を失って厭戦ムードの空気を読めなかったのは致命的だった
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87 ななしのよっしん
2011/10/02(日) 02:03:35 ID: eB7Fl4qqa6
6猛将伝では「不器用な忠臣」に昇格した模様
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88  
2011/10/09(日) 09:49:45 ID: 6gcKLEpa+S
4からそうだったろ
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89 ななしのよっしん
2011/10/10(月) 11:11:35 ID: pfCrUMDc61
司馬師「もはや貴様を助ける者などもおるまい」
馬岱ここにいるよ!」

史実通りの救えない話も見たかったけど(夏侯覇とかは絶望的なラストだし)、コレはコレで良かった
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90 ななしのよっしん
2011/10/20(木) 01:37:56 ID: 9sBFvLkc1R
ちくま訳では「内心不満を抱いていた」という記述だが、原文では明確に「周囲に諸葛亮は臆病だと不満をぶちまけていた」と書かれているのよね。全く確執がないのは流石にあり得ないな。

そもそも本来北伐は純な軍部のトップである魏延が総揮を執るべきもので、多分魏延もそのつもりで計画を進めていたのだろう。そこに頭越しで軍人としての実績のない諸葛亮総司令官になられて、不満を抱かない訳がないよね。まして士大夫と軍人は本来相容れない存在だし(楊儀張飛に対するが良い例)。

諸葛亮は軍を握する意味でも魏延を最大限に尊重していたが、北伐官を奪われたとする根的な不満に、諸葛亮の消極的に見える作戦への不満、諸葛亮の配慮に対する『儂が居なければ諸葛丞相は軍をまともに動かせぬ』とする驕りが、次第にKY傲慢な態度を取らせる様になっていったのだろうと思う。
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