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「もう、ゴールしていいよね」とは、AIRの登場人物、神尾観鈴の台詞である。
→ あかん
AIRのオープニングは「the 1000th Summer ―――――」のフレーズから始まり、
「最後は…どうか、幸せな記憶を。――――― さようなら」のフレーズで終わる。
また、作品は三部構成となっており、舞台のモチーフは和歌山県の山間~海岸である。
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◎第1部 “DREAM” 編・・・・現代に生きる主人公「国崎往人」と少女たちの出会い。
流れるように過ぎゆく夏の日々と、一方で夢(記憶)をめぐって悩み、それを打開しようとする彼らを描く。
◎第2部 “SUMMER” 編・・・・すべての発端となった、1000年前(西暦994年)の夏の祖先たちの旅路。
“DREAM”編での「夢」とは何かが語られる。
◎第3部 “AIR” 編・・・・上記二部を含め、遠い過去から遙か未来まで包括する総集編。
シナリオが美しく裏付けされてゆき、ひとつの結末へ収束する。
「もう、ゴールしていいよね」のフレーズの意味するところを理解するには、何より作品そのものをプレイするに限る。しかし、そこまで没入していない方に向けて、ネタバレ全開で詳細を記述する。
--------------------【以下ネタバレ】--------------------
まず物語の前提として、背中に大きな羽をもつ「翼人」という存在があった。
彼女らは、星(≒惑星)の誕生と共に生まれ、星で起こるすべての事象を見聞きして、祝詞によって、母から子へと無限の星の記憶を受け継ぐ使命を帯びていた。
翼人達は、かつて空を自由に駆け巡っていた。そして時が経っても、かつて空を飛んだ記憶を背中の羽に込めることで羽ばたくことができたのである。
我々の暮らす地球は、今でこそ平和に見え、空に大地に海に、森羅万象に恵みをもたらしている。しかし、世界が争いや憎しみで覆われたとき、そのすべてを忌んで自壊し、無に帰す運命にあるのだ。
だからこそ、星の記憶を紡いでゆく(いわば星の記憶そのものである)翼人たちは、自らはいつでも幸せでありつづけようと考えていた。幸せの記憶を繋げていこうと誓っていた。
そして1000年前の日本には、その末裔である母「八百比丘尼」(やおびくに)と、娘「神奈備命」(かんなびのみこと・通称かんな)が暮らしていた。
特別な使命を帯びる翼人には優れた能力が備わり、天・地・人、多くのものを操ることができた。
また、あらゆる知識をもつ翼人たちは、各地の民に叡智を授けたとされる。
しかし、いつの時代も、自らの理解できない存在を、人は恐れ排斥しようとするものである。彼女らも同様に、人々から崇められると同時に、一部の者からは強く疎まれていた。
翼人母娘の接触をきらった当時の権力者は二人を引き離そうとしたため、八百比丘尼はその身が穢れることを承知で兵たちを攻撃し、あるいは殺めたが、反撃に遭い、彼女は高野山に幽閉され、神奈は社殿での軟禁を余儀なくされた。
以上の経緯から幼少期に世間から引き離され、親しくなるどころか話す相手すらおらず、独り寂しい生活を送ってきた神奈であるが、離反・敬遠する者が大多数を占めるなか、侍女の「裏葉」(一説にはヒロイン「遠野美凪」の祖先)だけは彼女を心から憂い、そして慕っていた。
自らの殻に閉じこもっていた神奈も、裏葉にだけは素の自分を打ち明ける関係を築いていた。
裏葉は、彼女と真摯に向き合うだけでなく、「気配を悟らせずに背後を取ることもでき、社殿が焼き討ちにあう当夜に逃亡を企てる、野宿の見張りができる、市(いち)の立地条件が不自然であることを見抜く、忍び寄る敵に気づき、それでいて平静でいられる、名前に『裏』の字が付いている、など、ただの女官としては不可解な点も多い」(「」内はWikipedia“AIR”内【裏葉】の項[外部]より引用)ことから、他人にはない特殊な力を秘めた女性として描かれている。
そんな二人のもとに、神奈の警備隊長---実質は看守---として派遣されたのが、柳也(同じく主人公「国崎往人」の祖先)である。
温厚ながらも時に厳しく神奈のあるべき姿を教えてくれる裏葉、そして茶化しながらも裏表なく真っ直ぐに接してくれる柳也。短い時間であっても、彼らと接するうちに、翼人という宿命を忘れ、過去の孤独から徐々に脱け出していく神奈であった。
二人の存在から、人として、あるいはひとりの少女としての心を取り戻した神奈は、物心つく前に離ればなれになってしまった母親のことを想っていた。
とはいえ、軟禁される身であり、なおかつ世間との接点もなかった神奈は、社殿の外の世界を知る手段もなければ、知る機会も勇気も持てずにいた。
しかして、いよいよ政権争いが激化し、翼人へのとどめが刺されると予感されたこともあり、神奈は二人と共に母親へ会いに行く気持ちを固め、社殿を脱出することを決意した。
神奈にとっては、母と一緒にいることこそが一番の幸せなのである。
母との再会を志した神奈であるが、かたや母親の八百比丘尼としては、娘に会い心を交わしたいと願う傍ら、(神通力を戦いの道具にされ)すでに人々を傷つけ、悪意にさらされていることもあり、その呪いを神奈に引き継ぐことを何としても避けたいと考えていた。
八百比丘尼の「幸せの記憶を受け継ぐという大義をよそに、陰謀に巻き込まれ、親子の暮らしも許されぬ運命ならば、私の代で翼人を断絶したい。“この世に神など無いのだ”。」という想いは、“神奈”(神無)として娘に託されている。
なお、記事冒頭に示したように、「恨み辛みの記憶のまま翼人が星に還る」ことは「万物の滅亡」と同義である。
社殿を抜け出し、追っ手に怯えつつも、柳也・裏葉と共に道中を行く神奈は、まだ見ぬ世界に驚き喜び、ひと時の安らぎを感じていた。
さて、運命のいたずらか、三人が高野山に辿り着いたとき、翼人抹消を企てる朝廷の矛先も、八百比丘尼の眼前に迫っていた。
傭兵団に囲まれた、母と娘。前述のとおり自らの命を投げうってでも娘を守ろうとした八百比丘尼は、神奈との再会を喜びつつも、悲しい運命を娘に授けぬために、自ら文字通り矢面に立ち、そして翼人たる力を解放して兵士たちを一掃した。
長い間、離ればなれになっていた母娘。すでに危篤の母と、ようやく辿り着いた娘。
「この身に触れてはなりません」と距離を置こうとする八百比丘尼であるが、それを押してでも母に触れたい神奈。
思惑の交錯するなか、ほんのわずかな時間、二人は抱擁しむせび泣いた。
そして同時に、幸せにならねば星に還れない翼人としての運命と、他者を寄せつけない呪いのふたつが、神奈へと引き継がれてしまった。
やがて母が息を引き取り、取り残されてしまった神奈は、せめて柳也と裏葉を逃がそうと考える。
多勢に無勢きわまる状況のなか、神奈は母から継いだ能力を解放し、空へ舞い上がり大旋風を起こして兵たちを退けた。
単純な力では太刀打ちできないと悟った朝廷は、武士たちの弓矢によって攻撃を加え、陰陽師の封術によって神奈を空に封じ、高野山の僧たちは神奈を呪殺するためのまじないを唱えた。
封術によって地上に降り立てない(土に還れない)ことで永く輪廻を禁じられ、まじないによって自身の最も辛い出来事(柳也が目の前で死ぬ光景)の夢を繰り返すようになった神奈は、八百比丘尼から続く「他者を拒む呪い」を制御できなくなり、その意中の相手である柳也の心身を冒すようになった。
―――――身も蓋もないことを言えば、登場人物の全員が「自分だけの心の枷」をもっているAIRという物語は、「翼人を徒に恐れ、歩み寄らなかった人々」の過ちを発端とする。―――――
神奈の決死の行動に救われた柳也と裏葉は、その恩に報い神奈を本質的に救うため、名のある「方術」師を尋ねて西国へと向かう。
導かれるように辿り着いたとある寺で、二人は「知徳」という高僧に出会う。
その寺では、過去幾度となく翼人を迎え入れ、知恵や知識を享受してきたという。
知徳は「本来、翼人とは無垢な魂を持つもの」、「人の身であればたやすく朽ちる呪いも、翼人の御身にはただ蓄えられるばかりとなりましょう」と達観する。
つまり、純粋すぎる翼人の魂がゆえに呪いも正面から浴びてしまうのだという。
その言葉から柳也は、「(少なからず穢れのなかで生きる)人間にこそ転生できれば、呪いも緩まり癒される」と悟る。
しかしながら、呪いは消えても、幸せの記憶を継承すべき翼人の使命は変わることなく続いていくものである。
また、外的要因の呪いのほか、最愛の人の死を見つづけている神奈の魂は、人と触れ合ったゆえに引き起こされた悪夢と知り、転生後の魂に「人と仲良くなれない」試練を与えた。果てない孤独が約束され、これが遠い未来に、観鈴を苦しめることとなる。
前述のとおり霊力の強かった裏葉は、神奈が傷ついた末に露と消えたのちも彼女の声を聞くことができ、その求める声に応えるため、「知徳」から教えを授かり、修行の末、方術を身につける。
一方、身体を蝕まれ歩くことができなくなりながらも、世の情勢に明るく、神奈の死に一時は半狂乱になるほど彼女を想っていた柳也は、残りわずかな人生を『翼人伝』の執筆と裏葉への恩返しに充てた。
そして二人は、いずれ未来で神奈の魂を救ってくれると信じ、子をもうけ、「方術」と『翼人伝』を授けた。
様々な角度から考察される“AIR”において、その根幹にあるのは「親子(母娘)のつながり」であろう。
始まりとして初代の翼人とその娘、悠久の時を超えたのちの八百比丘尼と神奈、次いで裏葉とその娘、そして1000年後の現代における神尾晴子と観鈴である。
AIRの冒頭に登場するシルエットこそ「翼人の母と娘」であり、物語の終盤である観鈴のゴールシーンにもその意味合いが落とし込まれている。
ここで一度まとめると、1000年続く悲しみの輪廻とは、
1. 翼人としての膨大な記憶は翼人のみが持ち得るもので、人間には重荷となり、記憶の継承を終えたとき、肉体も精神も耐え切れずに死を迎え、次の転生の時を待つ。
2. 柳也と裏葉の子孫と、神奈の生まれ変わりが出会うと、記憶の継承が始まり、二人とも病んでしまうため、最終的に(不本意ながら)別れの道を選び、彼女は独りで死んでしまう。
3. 幸せの記憶を星に届けない限り地球そのものが滅んでしまうことから、未来に託して転生を繰り返すしか手段がない。
この三つの難題を解くことができずに、1000年のあいだ、彼らは出会い、別れてきたのである。
幸せを成就させようとすれば傍にいる他に方法はないが、結果として袂を分かつ。
呪いに負けて距離を置けば、人と交われない彼女は幸せになれずに死にゆく。
彼女(神奈の魂)が救われる条件としては、
1. 人間として輪廻転生すること
2. 大好きな人と過ごし呪いに打ち勝つこと
3. 命の終わるときに幸せな記憶を星に還すこと
である。
往人の母も例外ではなく、神奈の生まれ変わりの子に出会い、幸せにしてあげようと心を尽くしたが、やさしくて強いその子が「わたしから離れて」と言ったことから、泣く泣く背を向けた。
(八百比丘尼と同様に、)自分と同じ道を我が子に強いたくないとの想いから、往人には自由に生きるよう諭した。いつか導き合い、そして彼女を救ってくれるよう心で祈りながら。
そして往人の母の体は白く輝き、1000年の想いが詰まった人形へと消えていった。同時に往人は、ひとり取り残された。この文脈については後述する。