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アルゼンチン


ヨミ: アルゼンチン
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基本データ
正式名称 アルゼンチン共和国
República Argentina
国旗 絶賛募集中 
国歌 アルゼンチン国歌[動]
アメリカディゴ
カイコウズ)
アカカマドド
スズメカマドドリ科)
公用語 スペイン語
首都 ブエノスアイレス(Buenos Aires)
面積 2,766,890k世界第6位)
人口 40,276,000人(世界第32位
通貨 アルゼンチン・ペソARS為替[外部]

アルゼンチン[外部]とは、南アメリカの大である。

漢字表記は亜尓然丁、亜爾然丁、根廷。

チリと共にコーノ・スール(南アメリカ最南端を意味する言葉)の域内に収まる。

文化

ではしく、西洋文化の影が濃いで、ルーツをたどればヨーロッパというものが多い。

建築物もヨーロッパのものが多く、首都ブエノスアイレスは「パリ」と称されている。内には至る所にカフェがある。

一方でパンパや北西部アンデスでの伝統的な田園生活(最終的にはインディヘナの伝統的な文化)からも影を受けており、この二つの柱が相しながら現在のアルゼンチン文化が出来上がっている。

国名

名の由来は「」である。1516年にスペイン人探検があるの近くに上陸したとき、現地人がの首飾りを身につけていた。このため「このの上流にはの山があるに違いない」と思い、このを「リオ・デ・ラ・プラタ」と呼ぶことにした。リオ・デ・ラ・プラタとはスペイン語という意味。

独立直後はリオ・デ・ラ・プラタ連合州」という名だった。ところが、旧宗スペイン記憶消し去りたい、という意見が大勢を占めたので、スペイン語表記をやめてラテン語表記にめた。ラテン語表記「Argentum」に、地名を表す「tina」を付けた「Argentina」という名とした。

また、独立したのは1810年頃であり、そのころはナポレオン戦争っ盛りで、フランス軍がスペインに進駐して現地スペイン軍を掃討していた時期だった。忌々しい旧宗スペインを圧倒しているフランスに対して憧れを抱き、フランスに「Argentine」とって「アルジャンティーヌ」とフランスに読んだ時期もある。この呼び方は次第にれて、やはり「Argentina」で行こう、となったのが1825年である。

「アルゼンチン連合」「アルゼンチン」という名だった時期もあるが、1860年10月8日にサンティアゴ・デルキ大統領が「アルゼンチン共和国」という名を使用すると宣言。

とはいえ、今でも憲法上は「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」「アルゼンチン連合」「アルゼンチン」も正式な号として扱っている。使用していないが、正式号。

イギリス人はArgentinaを「アルジェンティーナ」と英語に読んでいた。また、アルゼンチン共和国を「Argentine Republic」と書いて(なぜかArgentinaArgentineに変化させている)「アルジェンティン・リパブリック」と読んでいた。この英語読み世界中で流行り、日本にもこの英語の名前が伝来して定着した。

しかしArgentinaは現地の言葉(スペイン語)では「アルヘンティーナ」と発音される。

日本人の、特にサッカーファンは現地人が「アルヘンティーナ」と呼ぶことを知っているのでそれを真似て呼ぶ人も多い。「アルヘン」と短縮する人もいる。

公用語

公用語スペイン語で、首都ブエノスアイレス周辺はイタリアナポリ方言の影が強い。

19世紀以降、アルゼンチンはイタリアから大量の移民を受け入れた。特に多かったのがイタリアの中でも貧しい地域である南部ナポリ地方からで、このためナポリ方言が色濃く残った。

アルゼンチンは人口・産業ともに首都ブエノスアイレスに集中する首都一極集中のなので、ブエノスアイレスの特色がそのままアルゼンチンの特色を代表することになる。

アルゼンチンやチリボリビアなどの民は、自分たちが話すスペイン語をEspañolエスパニョール)と
は呼ばず、Castellano(カスティジャーノ)と呼ぶ。Castellanoとは、スペインの中央部を占めてスペインの中心となっているカスティーリャ地方のこと。スペインの中心部のカスティーリャ地方からしっかり受け継いだ言葉」という意味合いである。心の根底に、スペイン中心部のカスティーリャ地方に対して憧れがあるのだと推察される。

パンパ

アルゼンチンにはパンパという途方もない広さの平野があり、そこには草が生い茂っている。[外部]地形図[外部]を見ても関東平野60ヶ分というパンパの広さがよく分かる。

入植者がを持ち込んでパンパの大草原に離したら、その牛が大繁殖してしまった。[外部]それから大畜産として世界に名をとどろかすようになった。現在も人口よりずっと多くのが放牧されており、現地人の食は牛肉になっている。

放牧されたを追っかけつつ飼育していた人たちをガウチョという。アルゼンチン版カウボーイ。ガウチョたちの生き様はアルゼンチン人にとって1つの見本となっていて、「寛大で、他人のために自己犠牲を惜しまない」「勇敢」といった好ましいイメージがある。このため、アルゼンチン人にとってガウチョ精は心の支柱である。日本人武士道に対して好ましいイメージを持っているのと同じ。

経済

19世紀初頭頃はパンパの牛肉漬けにしてヨーロッパに輸出していた。このころから輸出港はブエノスアイレスであり、ブエノスアイレスは大いに栄えた。

1870年頃にフランスで発明された冷凍船はアルゼンチン経済の発展を大きく後押しした。冷凍船発明前はヨーロッパに行くまで暑いを越えねばならず、が傷みやすかった。冷凍船のおかげでパンパの牛肉を冷凍して新鮮なまま輸出できるようになり、アルゼンチンは経済発展。南随一の近代国家として台頭することになった。全土に鉄道を建設、識字率も一気に向上、均6%経済成長率を30年連続記録、民一人あたりのGDP世界第4位、と屈の富裕になった。

ところが第二次世界大戦が終わるころあたりから斜陽になりはじめ、1949年には外貨を使い果たした。農業は堅調なのだが工業の発展が今ひとつで、世界中の交通が発達して農業が競争にさらされてくると頼みの綱の農業の競争が落ちてしまう。1960年代には日本にもGDPを逆転された。

そして外銀行政府からを借りては返済しきれず債務不履行デフォルト)というのを1927年1951年1956年1982年1989年2001年2014年2019年2020年に起こしている。まさに踏み倒し常習犯。こういうことをすると国債を発行しても全く売れなくなり、市場から資を調達できなくなる。つまりは外銀行を貸してくれなくなる。そうなると交通などのインフラへの大規模投資ができず、商工業の発展がさらに遅れてしまう。現在も工業化の遅れがあり、なかなか上手くいっていない。

2000年代以降著しい経済発展を遂げているブラジルロシアインド中国南アフリカの5ヶをまとめてBRICSというが、アルゼンチンはその仲間に入れていない。それどころか知識層が海外に流出する事態も起きており、課題が多い。詳しくは下の動画を。


■sm36150600[ニコ動]

政治

第二次世界大戦以降のアルゼンチンは軍部によるクーデターが続いた。建以来軍部のが強く、政局が混乱するとすぐにクーデターが起こり、軍人が大統領になった。

特に有名なのが1976年から1982年の軍部政治で、1978年サッカーワールドカップをアルゼンチンで開催して見事にアルゼンチンが初優勝を果たすのだが、このとき観戦に訪れた観光客や記者たちにより「アルゼンチンは軍部が仕切る怖い」という評価が世界的に知れ渡った。

また、1982年には民の不満をそらすため軍部がイギリスフォークランド紛争マルビナス戦争)を起こした。結果はもちろん敗で、しかもアルゼンチン人にとって心の故郷であるヨーロッパがこぞって英国を支持、アルゼンチン人は強いショックを覚えることになり、やっと軍部政治から脱却するようになった。

1983年から選挙で選ばれた政治家大統領になる例がずっと続いており、また軍縮も進んで文民統制が行われるようになっていて、かつての軍部政治イメージはだいぶ薄れてきている。

国際関係

イタリアと仲が良い

19世紀以降、アルゼンチンはヨーロッパからの移民を大量に受け入れた。特にイタリアからの移民が多く、アルゼンチンとイタリアの友好関係の基礎になっている。「母をたずねて三千里」もイタリアのジェノヴァからアルゼンチンのブエノスアイレスへ出稼ぎに行った母親を探しに行く少年物語である。

このためイタリア人のアルゼンチン人への感情は家族に向けるようなものになっている。セリエAイタリアサッカーリーグ)の各クラブはアルゼンチン人選手を優先的に雇う傾向がある。これは1980年代から現在までずっと続いていて、たびたび日本サッカー雑誌で「アルゼンチンは第二のイタリアだから両戚同士」と説明されていた。

イタリア系のアルゼンチン人が同においては最大勢である。他にスペイン系、ドイツ系なども多い。

イギリスと仲が悪い

1982年に勃発したフォークランド紛争(アルゼンチン側はマルビナス戦争と呼ぶ)で、イギリスと戦火を交えた。現在フォークランド諸島(アルゼンチンはマルビナス諸島と呼ぶ)の領有権をお互いに外交関係は冷え込んでいる。詳しくはフォークランド紛争フォークランド諸島の記事を参照のこと。

ブラジルは永遠のライバル

大陸の両雄であるブラジルとは永遠のライバルで、両とも「南一の」と自認していて、ライバル意識が非常に強い。サッカーワールドカップコパ・アメリカサッカーの南大会)等では強い対抗意識を持って試合に臨む。ブラジル人に田舎はどこかと聞くと「アルゼンチン」となり、アルゼンチン人に田舎はどこかと聞くと「ブラジル」と答えが返ってくるという。

なお、ブラジル経済現在急成長しており、南開催のオリンピックリオデジャネイロに先を越されてしまったため、両者の均衡は崩れつつある。

チリと仲が悪い

ビーグル領土問題を抱えていたチリとは伝統的に仲が悪い。ローマ法王の仲裁等がかったら冗談抜きで戦争が起こりかねないほど。2004年にも事前に連絡なくチリへの天然ガスの輸送を停止するなど、仲の悪さは全く善されていない。まあ隣なんてそんなもんである。

スペインと仲が良い

旧宗で同じスペイン語にするスペインとは仲がよい。独立戦争を伴った喧嘩別れだったので
独立直後は反スペイン感情が根強かったが、現在ではその感情は解消されている。スペインにはスペイン語圏にネットワークり巡らすような企業がいくつもあり、ラテンアメリカスペイン語国家とはどこも仲がよい。

アメリカ合衆国とは親しくない

アメリカ合衆国とはそんなに密な関係があるわけではない。1823年にアメリカ大統領のモンローが議会において「ヨーロッパは南北アメリカ大陸に対して干渉すべきでない」と提言し、それ以降の米国はモンロー義を採用、ヨーロッパとは関係を持たない立場を鮮明にした。このモンロー義はもう1つの意味があり、「南北アメリカ大陸米国の勢圏にする」という意味合いで実際にカリブ米国の勢圏に組み入れている。アルゼンチンはこの米国外交姿勢に反発、「々は今まで通りヨーロッパと仲良くする」と宣言、その通りにヨーロッパとの密な外交を続け、米国とは距離を置いた。現在米国とは一定の距離を置く関係である。

ナチス・ドイツとの関係

第二次大戦中に実権を握ったフアン・ペロンナチスだったこともあり、戦争に敗れドイツでの居場所を失ったナチス要人を多く匿ったことでも知られる。かのアドルフ・アイヒマンもその1人である。1970年代の軍部政権時に行われた「汚い戦争」も、戦時中のドイツの偽札計画に関連した人間が偽イギリスポンドを作って流通させた利益が使われたとも言われている。

日本との関係


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最終更新日: 21/08/04 18:37
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