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アンチとは
当項目では日本語内の外来語としての 1, 2 を簡単に解説した後に 3, 4 を扱う。
アンチという英単語由来の接頭辞は日本語の中でも「アンチ○○」のようによく使われている言葉である。主に「反~、対~、抗~」などと略される事が多い。
この接頭辞としての使い方は現在でもされているが、現在では以下のような派生の意味でも使われるようになった。
▲1970年代頃から野球用語として「アンチ巨人軍」などという言い方が存在する。
これは「反巨人軍」を意味する単語として使われていたのが始めである。また、巨人軍以外でも「アンチ○○軍」のようにも使われていた。(1983年には畑田国男が「アンチ巨人讀本」という本を出筆。)
この「アンチ巨人軍」「アンチ巨人」は「反巨人軍・反巨人」だけを意味する言葉であったが、1980~1990年代と月日を経過するごとに「巨人ファンに対抗する人」の意味でも使われる事が増えるようになる。
野球愛好家にとっては同じ野球愛好家同士が集まっても、どの球団を自分が応援しているかで対立の対象となる為にこの単語が頻用されていた。
この野球用語としてのアンチは「アンチ+(球団名)」の形で使われるのが主流である。
▲インターネット上では「アンチ」という単語は上記よりさらに異なった使い方をされるようになる。
これは1999年に設立された掲示板サイト2ちゃんねるに大きく由来する。
1999年10月8日に「プロ野球板@2ちゃんねる」は設立し、ここでも「アンチ○○」という単語は頻用されており、さらに2000年3月4日には『アンチ球団板@2ちゃんねる[外部]』という板(スレッド群)が建設された。
このアンチ球団板は自分の嫌いな球団についてなどを語り合う場所として当初から使われていたが、次第にアンチ球団板などでは「アンチ」という単語のみで「○○球団が嫌いな人」のような意味で使われるようになる(ここで接頭語として使われなくなり、「アンチ○○」と表現しなくなるようになる)。
さらに、他の板でも通称「アンチスレ」というスレッドが立つようになり(ここでのアンチスレの意味は特定の対象物に対し嫌いな人が集まる場所として利用されていた)、さらに2ちゃんねる全体に広まるようになった。
2ちゃんねる用語としての「アンチ」は人物を表す名詞のように使われる事も多く、特に「激しく対象物に対し嫌悪感を抱く人」のような意味で使われる。
さらには漫画やアニメといった作品のファン(愛好家)の対義語のような使い方をされる事も多く、逆にその作品ファン自体が全て「○○(作品名)厨」「信者」などと括られる事も増え、厨(信者)とアンチで分類の二極化が進んでいる。
以下、この記事ではアンチという単語を「対象に激しく嫌悪感を抱く人」「反発者」の意味で解説する。
例えば、そこに「自分の嫌いなもの」「攻撃したいもの」があるとするならば、誰でもアンチになる事ができる。そして、なんとしても「自分の嫌いなもの」の発展を阻止する過激な反応を見せるまでに至る。
「自分の嫌いなもの」で楽しむのが許せないと言った感情を持ち、「自分の嫌いなもの」を楽しむ人間を更に嫌うため、荒らしに行ったり、「自分の嫌いなもの」に対してその対象について扱っている掲示板やサイトのコメントスペースなどの公共コミュニティで批判的な書き込みをするなどの行動などが挙げられる。
主だったものとしては
といった過激かつ悪意の篭った言動でその対象や相手を否定および非難するものがほとんどである。たとえ具体的にそれを嫌い、叩く理由を述べていたとしても、極めて個人的な感情に基づいていたり、被害妄想の混じった難癖だったり、良くてもその言い方に問題があったりするととても他者から“論理的な批判”とは見られない。「オワコン(終わったコンテンツ)」や「黒歴史(無かった事にすべきもの)」等、その作品や人物の存在意義を真っ向から否定するようなネットスラングを多用する事もある。
当然それに反論する者も多く出るが、それに対してもアンチはその反論してきた人間を「信者」あるいは「厨」扱いして聞く耳を持たなかったり、あまつさえ「ここでは批判を許さないのか」と誤った用法に基づく“言論の自由と権利”を振りかざして自身の主張を押し通そうとしたり、“非難”を"批判"と言い換えて中傷かつ揶揄同然のコメントや発言をしながらそれが削除されたり咎められたりすると“言論統制”とか“火消し”といった言葉を使って非を認めようとしない傾向がある。
何よりそんなアンチが多数派になってくると、さらに自分達の方に理があると増長して「ここまで叩かれているんだからこの作品(や人物)は否定されて当然」「こんなのにファンが付くワケがない。擁護しているのは極一部」とより積極的に対象へのバッシングと普通のファンの排斥を行うようになる。
加えて普通に批判しているだけの場においてもアンチがそれに便乗する形で感情的な非難を行う事もある。(批判意見自体をアンチ行為と見なす者もいる事から、批判か非難かの区別には慎重さが必要である)
なお、特定のアンチにはその作品内の粗や矛盾などの突っ込み所を基準にして攻撃して来る者がおり、一部の中にはそこを追求していった結果“その作品のファンも知らないor気付かない細かい部分も知っている”というヘタなファン以上にその対象の事に詳しくなってしまった者もいたりする。しかしそれらもあくまで攻撃のための理屈に基づくものである事は言うまでもない。
今やネット上に溢れるほど増加して余りある存在となってしまったアンチだが、数が増え、言葉の定義が曖昧化するほどとなったが故にアンチにも複数の種類分けをする事ができるようになっている。
単純に愉快犯だったり嫌いだから反発者になる人間ばかりではない。愛好家や別の反発者、あるいは各種メディア等の執拗な趣味の押し付けを受け続けた挙句、生理的嫌悪感と過剰な精神的ストレスから新たな反発者が生まれてしまう場合も少なくはない。
特に人気の物に付きがちないわゆる“厨”と呼ばれる過激なファンが他の作品関係の場所で行った主張および工作によって何らかの不愉快な思いをした人間が「○○は俺たちに迷惑をかけた!」などと言ってその“厨”を生み出した対象そのものを目の敵にしてアンチ行為に走るという例も増えているが、そのアンチ自身が“厨”同然の存在になってしまい、そういった人間が他の場所で問題を起こす場合もあり、往々にして自らの迷惑行為について都合良く正当化するための口実に使われる理屈でもある。
愛好家(ファン)の中には設定や展開が自分が(勝手に)期待していたものと違ったと感じた時に作品や作者に対して裏切られたと感じる者がいる。そのように感じてしまうと作品や作者に対する感情が180度切り替わり、反発者となってしまう事がある。このような場合、その作品の関係者(アニメ、ドラマ、ゲームの場合は制作スタッフや役者)にも非難の矛先が向き、そんな一部の人間を“責任者=戦犯”と見なしてアンチ行為がより一層激しくなる事が多い。
しかも、その人間は例え自分がアンチ方向に転向してどんなに過激な言動を取ろうとも「自分達ファンを裏切った制作側が悪い」「これはファンからの真摯な意見、批判である」と自分がアンチ側になっている事を意識しない、あるいはそれを認めようとしない傾向も強く、個人的な作品への愛や正義感から“自分はファンだからこそ叩いている”と、自覚無自覚問わず批評家感覚でアンチ同然の行為を行う者も少なくない。
また、数多くの続編および派生作が出ている息の長い人気シリーズの場合、コアなファンを得るに連れて自身がその作品とそれに登場するキャラクターに持つイメージの乖離に敏感になる者も増えてくるため、一度そのシリーズの関連作でそういう“自分達が納得出来ないと感じる展開”があると一気にこの手のタイプが大量発生する事となり、場合によってはそのシリーズを扱っているコミュニティ内やその周辺で“炎上”に近い事態に発展する事もある。
その中にはそういった出来事を経てシリーズそのもののファンでありながらそのシリーズの中でも一部の続編や派生作品、あるいは一キャラクターに対してのみ「この作品はシリーズ全体の汚点」「こんなの認める奴はシリーズのファンではない」と否定に走るような限定的なアンチ(いわゆるキャラアンチ・原作厨・懐古厨などもこれに含まれる)が生まれたりして今度はそのシリーズのファン同士の対立が起こる事もあるなど、この辺もそのシリーズのコミュニティの内部事情をさらに複雑なものにしている。
究極的にはこのまま風化させてしまえば俺の気に入った作品の雰囲気が固定されるから風化してしまえばいい。というヤンデレ的な動機でファンがアンチ化する事がある。主にメディアへの露出、新たなジャンルへの開拓時に発生しやすい。
逆に特定の作品とそれに出てくるキャラクターに執着している“厨”傾向の人間が他の何かのアンチと化している場合もあり、こういうタイプのアンチは同じ作品の別キャラ、さらには全く関係のない他の作品およびそれのキャラを勝手にライバル視して「こっちの方が可愛いorカッコいい」「こっちの作品の方が面白い」と比較論を持ちだしてその対象を相対的に貶してくるケースもよく見られる。
インターネット上で「アンチ」という言葉が普及すると共に、次第に異なる意味合いが付加されるようになり、ヘイト主義者的な、もはや原義としての「アンチ」とは異なる意味合いではあるが、特定の物を激しく嫌悪・攻撃を行う層の呼称としても扱われるようになっていく。元々はあくまで「反発」の結果発生する物であった「攻撃」自体が先鋭化した事をクローズアップされた形になる。
これらの層は「とにかく叩ければいい」とばかりに反発・攻撃自体を目的とする場合が存在し、上記の動機からエスカレートした場合や、完全に行為自体が娯楽化している場合などが含まれている。(→ネットイナゴ)
彼らは攻撃自体を目的としているため、物や作品を叩くために見続け、興味の無い作品すらも作者以上に熟読し、斟酌を加えず一刀両断、というか身も蓋も無い評価を下す。暴言を多用していたり、またそれに反応する人達の相互作用などから際限なく場が荒れる要員にもなるため、真摯に問題視し真っ当に批判を向けようとしている層にとっても迷惑な存在である。
このような状態に至るまでにもまた複数の要因が存在しており、攻撃を娯楽行為としている層であったり、評論家的に自己顕示欲を満たす手段にしていたりと、人によって様々である。
こちらは上記と比べるとさほど確固たる信念のもとに攻撃を行っているわけではないが、逆にむしろカジュアルな「消費」としてアンチ活動をしている層である。上記がヘイト主義者ならこちらはヘイト消費を行うヘイト消費者とも表現できる。
行動自体はほとんど変わらないが、日常の一部として自然と攻撃を行っており、攻撃行為自体が普遍化しているのが特徴である。ネット中では「特別憎いわけではないが、皆が叩いてるから叩いて楽しむ」「〇〇が炎上しているから、煽りツイートをしてRTを稼いでみる」などの消費構造が連鎖している。
現在まとめブログやツイッターなどの急成長で大量に増加し、現在最も大きく目立ちつつある種類である。
必ずもこの分類にあてはまらず複合的な要素を含むアンチもいるがアンチする対象に関わりや知識があるか、ヘイト度合いの深さで分類できる。