ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


アンドレア・ドヴィツィオーゾ


ヨミ: アンドレアドヴィツィオーゾ
掲示板をミル!
1カキコ!

アンドレア・ドヴィツィオーゾ[外部]は、イタリア・フォルリンポーポリ[外部]出身のMotoGPライダーである。

1986年3月23日生まれ。

2002年からMotoGP125ccクラスへのフル参戦を開始した。
2004年125ccクラス世界チャンピオン

2005年からは250ccクラスに移り、いきなりランキング3位。
2006年2007年は2年連続で250ccクラスランキング2位となった。

2008年から最大排気量クラスへの参戦を開始。
2017年2018年は2年連続で最大排気量クラスランキング2位となった。

2019年ドゥカティワークスから最大排気量クラスに参戦する。


略歴



デビュー~125cc・250cc時代


アンドレア・ドヴィツィオーゾは、イタリアエミリア・ロマーニャ州フォルリ=チェゼーナ県フォルリンポーポリにて、1986年3月23日に生まれた。

4歳の時からモトクロスバイクに乗り始め、7歳からミニバイクイタリアレースに参戦するようになった。2000年には125ccクラスのレーシングバイクに本格的に跨ることになり、翌年ヨーロッパ選手権チャンピオンとなる。
2002年からはロードレース世界選手権(MotoGP)の125ccクラスデビュー。3シーズンに同クラスチャンピオンいた。
2005年には250ccクラスにステップアップし、その年にランキング3位でルーキーオブ・ザ・イヤーを獲得。その後も2シーズン継続参戦したが惜しくも連続ランキング2位に終わり、中量級でのチャンピオンは取れなかった。ちなみにこの時に連続250ccチャンピオンを取ったのが、ホルヘ・ロレンソである。


MotoGP~ホンダからヤマハ(テック3)へ


遂に2008年から最高峰のMotoGPクラスホンダサテライトチームであるチームスコットからデビューシーズン終盤にして初表台3位に登り、ランキング5位となった。
翌年はホンダファクトリーチームに抜レプソルホンダファクトリーライダーとなった。当時のチームメイトダニ・ペドロサレースとなった第10戦イギリスGP,スリックタイヤで走るかレインタイヤにするか微妙な判断を迫られるコンディションの中、スリックタイヤのまま走りきり初優勝。この年のランキングは6位だった。
翌年2010年ランキング5位、更に翌年にはランキング3位と成績は良好ながらも、あの後優勝がかったドヴィツィオーゾは、安定性はあるものの決め手に欠ける地味ライダーとの評価が固まりつつあった。
レプソルホンダは、更なる勝利を挙げるためにドゥカティからチャンピオンライダーケーシー・ストーナーを招聘。その体制変更の中で2012年シートを喪ったドヴィツィオーゾはヤマハサテライトチームであるモンスターヤマハ・テック3に移籍。カル・クラッチローコンビを組んでまたも堅実な戦いを見せてランキング4位に入る。しかし、やはりサテライトチームでは優勝はなかなか望める状況ではなかった。


MotoGP~ドゥカティでの苦闘


勝つためにはファクトリーライダーである必要がある。それをめてドヴィツィオーゾはドゥカティに移籍。チャンピオン経験者のニッキー・ヘイデンとコンビを組む。だが、当時のドゥカティはまさにどん底の状態。全盛時代を作ったケーシー・ストーナーの移籍後にイタリアチームでの勝利めてやってきたバレンティーノ・ロッシが2年間の苦戦の末にサジを投げてヤマハへ出戻ってしまったのである。ドヴィツィオーゾには迷走したマシン開発を一から立て直すという重責がかかることになった。この年は表台にも上がれずにランキングは8位に沈んだ。
チームは再び栄を取り戻すために革を断行し、ジジ・ダリーニャをゼネラルマネージャーとして迎え、長年未勝利チームに与えられるシーズン中のエンジン開発などの優遇措置をフル活用しつつマシン開発を進める。こうしてドヴィツィオーゾはコツコツと自らのバイクを作り上げていくのである。

2014年にはテック3時代以来のカル・クラッチローとのコンビとなったが、ジョンブル気質全開のクラッチローはこのチーム空気染めず1年で去る。新たにサテライトチームからの昇格でやって来たアンドレア・イアンノーネはこれまた熱血系イタリアンであり、やはりドヴィツィオーゾはチームメイト較されると地味な印を拭えなかった。こうして、2014年は2度の表台でランキング5位、2015年は5度の表台に登るがシーズン後半に失速してランキング7位。

2016年、開幕戦カタール2位台と幸先良くスタートを切ったが、チームメイトイアンノーネのレースに度々悩まされ、チーム同士討ちなどのアクシデントで取れるポイントを落とすなどもあった。そして、オーストリアGPでチームの数年ぶりの優勝を先にイアンノーネに取られてしまう。この時2位に入ったドヴィツィオーゾはさすがに悔しさを隠せなかった。しかし、シーズンも終盤のマレーシアGPでなんと7年ぶりの優勝を果たした。この年は9人もの優勝が出る稀有のシーズンとなり、彼はその9人だったのである。しかし、これは長年ドゥカティ機を開発し続けてきたドヴィツィオーゾがその苦労へのご祝儀をもらったようなものという雰囲気が強く、翌年にはイアンノーネに代わってヤマハチャンピオンホルヘ・ロレンソの移籍が決まっていた中、彼はやはり話題の中心からは離れた存在だった。


MotoGP~覚醒と躍進


そして2017年、地元イタリアGPで優勝し、何かを掴んだドヴィツィオーゾはそのまま2連勝。一時はランキングトップに浮上した。その後もレプソルホンダマルク・マルケスランキング争いを繰り広げることになる。圧巻はオーストリアGPでの最終ラップ。最終コーナーで強引にインに飛び込んでしいアタックを掛けてきたマルケスを、冷静にストレートへの立ち上がりでかわしての優勝だった。こうして前年までの長い最高峰クラスでのキャリアでたった2勝しかしていなかった男は覚ましい覚醒を見せた。チームメイトのロレンソがある程度予想されていたとは言えマシン特性に苦しみ、勝利を挙げられない中、彼は実に日本GP前までに4勝、堂々のランキング暫定2位となった。
ウィークを通してのに見舞われた日本GP。MotoGPクラスの決勝は強いの中のレースとなった。やや後方からのスタートだったドヴィツィオーゾはい段階でトップグループに加わり、マルケスと一歩も引かないマッチレースを展開。残り数周の間、何度もトップを入れ替えながらリスクも感じさせないドッグファイトを繰り広げた。最終ラップにはマルケス先頭、ドヴィツィオーゾ2位のまま突入。コース途中のマルケスのワンミスをきっかけに追いつき、バックストレートエンドで抜き去るドヴィツィオーゾ。だがマルケスは諦めずにまたも最終コーナーアタックを仕掛ける。やはり冷静なドヴィツィオーゾはドゥカティ機の立ち上がりパワーを最大限に活かして、僅差でマルケスを降しシーズン5勝を挙げた。まさに歴史に残るバトルに観衆は二人への賛辞を惜しまなかった。

結局、ワールドチャンピオンはマルケスのものとなったが、ドヴィツィオーゾはシーズン合計6勝をあげ、過去イメージをひっくり返してみせた。今後のシーズンでの活躍にも期待が集まる。

2018年ドゥカティファンからの期待を背に臨んだが、シーズン序盤に3回の転倒を喫した。
そのうち2回は彼らしくもない単独の転倒で、これによりチャンピオン争いから脱落してしまう。
シーズン後半になって次第に調子を取り戻し、シーズン通算4勝でランキング2位の座を確保した。


ゼッケン、ヘルメット、ライダースーツ、通称


ゼッケンは04を使用している。

2002年125ccクラス初参戦の時から2007年250ccクラスのときまで、ゼッケン34番だった。
1993年最大排気量クラスチャンピオンケヴィン・シュワンツ[外部]を尊敬して彼と同じ34番を選んでいた。

ところが最大排気量クラスでは34番がシュワンツの功労を讃えるために永久欠番になっている。
しょうがないので、2008年に最大排気量クラスに参戦するとき、ゼッケンを4にめた。

2013年ドゥカティワークスへ移籍してから04と表示し始める。
「本当は34と付けたいんだよ」という意思が感じられる。

ヘルメットイタリアのSuomyと契約している[外部]

ライダースーツ星のマークでおなじみのアルパインスターズ[外部]契約している。

通称はドヴィ(Dovi)で、インタビューでもそう呼ばれる。

デスモ・ドヴィ

ヘルメットの後ろ[外部]や、ライダースーツの尻[外部]や、サインボード[外部]に「DESMO DOVI」と書かれている。

ドゥカティマシンデスモドロミック(Desmodromic)[外部]という名前のエンジンを積んでいて、
ドゥカティマシンデスモセディチ(Desmosedici)[外部]と呼ばれる。

デスモドロミックのエンジンを好き好んで採用するのはドゥカティぐらいなので、
デスモドロミックは同社の代名詞である。デスモ(DESMOというともがドゥカティを連想する。

DESMO DOVI」でドゥカティの一員になりきっていることを表している。

白馬・黒馬

2014年から、ヘルメットの左側に白馬、右側に黒馬がデザインされるようになった[外部]

理性・計算・冷静を徴し、は不合理・感情・突猛進を徴する。

MotoGPにはクリニカ・モビレという移動診療が毎戦帯同していて、その総責任者を2014年2月まで
務めたのがクラウディオ・コスタ[外部]という外科医である。

そのコス先生がドヴィにしょっちゅうこう言っていた[外部]
「自分はいつも理性と感情の両方を使って患者に説明をしてきた。ところが君はどうだ。
君はあまりにも理性的であることを重視しすぎている。頭ばかり使って感性を感じ取っておらん!」

コス先生にそう活を入れられたドヴィは、理性)だけでなく(感情)も
大事にするべきと考えるようになり、ヘルメットにそれを描くようになった。

医者さんに気合いを入れられるというのが、いかにもドヴィらしい。


ライディングスタイル



次へ»
最終更新日: 19/01/30 23:05
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ