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インド


ヨミ: インド
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基本データ
正式名称 インド共和国
भारत गणराज्य
Republic of India
国旗 国旗
国歌 ジャナ・ガナ・マナ(人民の意志)[動]
ハス
インドクジャク
公用語 ヒンディー語
英語(準公用語
および各州の公用語
首都 デリー(Delhi)
※New Delhi地区
面積 3,287,590k世界第7位)
人口 約13億5千万人(世界2位
通貨 インド・ルピー(Rs, INR)
政治体制 共和制
時間帯 UTC +5:30IST)

インドとは南アジアにある大である。

概要

漢字では「印度」と書かれる。略称は印。面積日本の9倍弱、人口は10倍強。

日本でのイメージは「カレー」「カースト制度」「ターバンを巻いた男性」「サリーを着た女性」「人口多すぎ」「ダルシム」「インド」「踊る」「映画」など様々だが、1990年代以降情報産業で著しい成長を遂げるITとしても知られる。

民の約8割がヒンドゥー教徒で、今もカースト制度の思想が残るなどその影は大きい。但し、イスラム教(約13%=約1億5千万人)、シク教(約2%)、キリスト教(約2%)なども宗教としてあげられる。
仏教発祥の地として知られるが、4世紀頃からヒンドゥー教に押され、現在仏教徒の割合は民の0.8%程度と少ない。

ちなみに、インド人のステレオタイプとしてよく見かける「ターバンを巻いた男性」はシク教徒であり、ヒンドゥー教イスラム教などを信仰するインド人はターバンを巻いていない。インドの元首相であるマンモーハンシンや、ニコニコ動画において「トゥルトゥルダダダ」で有名なダレル・メヘンディはシク教徒であり、ターバンを巻いている。

仏教発祥の地とされ、中国経由でもたらされた日本仏教の原点である。仏教は12世紀にイスラームの進出で弾圧され、現在ヒンドゥー教に勢を取って変わられている。ヒンドゥー教やシク教のイメージが強いだが、インド人口の14%、約1億7500万人はムスリムである。よく絨毯と一緒に登場する大理石の建造物、タージ・マハールイスラム時代に建設された。1億7500万人のマイノリティが、ヒンディー至上政党のインド人民党と対立する原因となっている。人口構成上、どうしてもヒンドゥー教が多数になる。その中で不満を持つムスリムもおり、何度か過激派テロを起こしている。

は更に多様で、公用語であるヒンディー語と準公用語英語のほかに22の言が「的に認定された言」として憲法定されている。

パキスタン中国とは紛争を原因として関係が悪い。1974年、インドは核兵器を保有した。これは中国パキスタンに対抗する的があったとされる。それが原因で、1998年パキスタン核兵器を保有する。なおインド・パキスタンは核拡散防止条約(NPT)にも署名していない。
逆にロシアは戦略的パートナーとされており、戦闘機航空母艦等、最新鋭の兵器を(中国よりも)優先的に入手できる関係にある。

スバス・チャンドラ・ボースマハトマ・ガンジー、初代首相ネルーの三人はインド独立・建として、絶大な人気を誇る。戦時中、ボースの活動を日本支援していた事もあり、インドの対日感情は良好なものとなっている。2007年には安倍総理が訪印し、チャンドラ・ボース記念館に来訪。ボースの遺族とも面会している。

韓国との関係はある事件をきっかけに急速に冷え込んだ(#後述)。
その代わり、と言っては何だが日本との関係は良好で、2008年10月22日麻生太郎首相シン首相によって「日本国とインドとの間の安全保障協に関する共同宣言(日印安全保障宣言)」が締結された。これは日本にとってに続く3例の安全保障協である。2014年5月、新たに首相となったモディ氏はチャンドラ・ボース復権を掲げ、経済的な関係だけでなく地理的・精的にも日本との関係を強める方針を立てた。

インドの言語

別の正式
en Republic of India
hi भारत गणराज्य
as ভাৰত গণৰাজ্য
bn ভারতীয় প্রজাতন্ত্র
gu ભારતીય ગણરાજ્ય
kn ಭಾರತ ಗಣರಾಜ್ಯ
ks جمہوٗرِیت بًارت
ml ഭാരത ഗണരാജ്യം
mr भारतीय प्रजासत्ताक
or ଭାରତ ଗଣରାଜ୍ୟ
pa ਭਾਰਤ ਗਣਰਾਜ
sa भारतमहाराज्यम्
ta இந்தியக் குடியரசு
te భారత గణతంత్ర రాజ్యము
ur جمہوریہ بھارت

公用語ヒンディー語。「連邦公用語」と位置付けられている。

旧宗である英語は準公用語扱いである。ただし実際は、公用語として差し支えない。連結の役割はヒンディー語以上に果たしている。ただインド英語は訛りが強く、英語ネイティブでも聞き取りにくい場合もあるようだ。

インド内の公共交通機関空港)では、英語ヒンディー語・現地の言葉で案内されている場合が多い。

当初はヒンディー語への統一をしていた。しかし、ヒンドゥー第一義への反発や多種多様な言/文化がある中で、計画は頓挫。建後15年で、英語を準公用語から除外するとしていた。それも公用語法を成立/施行し、停止されている。現在憲法には「的に認定された言」として22定されている。

東部のベンガル語アッサム西部マラティ・グジャラー
南部ドラヴィダ系)のカンナテルグ語タミル語較的知られている。

方言を一言とすると、1683言ある。そのうち850言日常的に使用されている。サンスクリットは、歴史経緯から重要な古典とされ、22公用語の一つに定されている。ただし死語ではなく、話者も1万4000人ほど存在する。字ではなく、 デーヴァナーガリーを中心に表記されている。

ベンガル語パンジャブウルドゥー語タミル語など、話者が隣に跨る言も多い。

インドのルピー札には、15言で記載されている。右表は紙幣表記に使用されている言による「インド共和国」である。

インドの経済

インドのGDPは購買価換算では、2012年日本微妙に追い越し、世界3位・シェア5%以上を占める。
額にすると4兆ドルをえることになる。

かつてのインドは閉鎖的な経済運営の下で長期経済停滞に甘んじていた貧困であった。未だに3億人近い多数の絶対的貧困を抱えてはいるが、21世紀の世界経済を牽引する勢として中国ロシアブラジルと共にBRICsの有な一を形成している。インド経済は既に1980年代より拡大基調を示していたが、1991年経済革が導入され、経済自由化と対外の政策がしめされるようになった。とりわけ2003~04年度以降、均年率9近い世界有数の高レベル経済成長を実現させてきた。

絶対的貧困=年間所得370ドル以下、1日1ドル以下で暮らす人々。現在およそ12億人がこれに当てはまると見られている。


開発体制


混合経済体制の時代―事実上の公共部門主導による社会主義的経済の時代

1947年にイギリスから独立を果たした後、貧困の除去と経済自立の達成が標とされた。
17世紀初めに東インド会社が進出して以来、インドは長期にわたる植民地支配のもとにあったが、独立以前の段階から民族資本の台頭、産品運動(スワーデシ運動)等、経済自立志向が強かった。

独立後自立色の強い経済開発が進んだが、ネル首相時代の混合経済体制がその内容を決めた。
インドの経済開発の前提条件として、言宗教カーストなど文化の多岐に渡る相違があるため、国家的統合維持が至上命題であり、ターゲットが多元的にならざるを得ない。その為に雇用確保、小規模単位の保護、地域間の均衡的発展という政策標に高い重要性があった。

小規模単位=固定資産(プラント、機械類)が一定規模以下の小規模企業の事。手工業、カーディ(手紡・手織物部門)、手織機械部門等農村内工業と異なる。小規模単位では租税面、融資面で優遇措置が講じられる。また留保措置が適用される事で中小企業との競争から保護されてきた。

さらに連邦制のインドでは、言等地域的特性を持った28州(また州とは別に連邦直轄地がある)の州政府は州内の経済活動に対して広範な管轄権があり、中央政府同様、果たす役割が重要であった。

混合経済体制を構成した政策的組みとして3つ重要なものがある。

  1. 共部門拡大優先の原則。「産業政策決議」に基づき基礎的、戦略的重要性を有する分野での新規事業の設立は共部門が経済の「管制高地」として当たった。
    その後インディラ・ガンディーの時代、大手商業銀行や石炭産業の有化、経営不振産業(繊維産業)の民間部門接収、企業の消費財、サービス分野への進出で共部門は肥大化した。
  2. 産業許認可制度を軸とした民間部門に対する広範な経済統制。「産業開発・規制法」に基づき、一定規模以上の民間企業であれば、生産品、生産設備、工場立地の変更に関わるものは全て産業許可を必要とした。この狙いは5カ年計画の標値を達成すべく、民間部門を対にその資配分を誘導する事にあった。これ以外にも「重要物資法」に基づき、鋼、石炭、肥料、綿織物など重要物資の価格、流通、供給その他が統制下におかれた。
  3. 経済自立の達成をしての大々的な輸入代替工業化。輸入政策に対しては、「重要性」と「産品入手不可能性」の二大原則を基に、重要品に該当しない品、それに内生産可な品の輸入は厳しく規制された。
    輸入代替工業化の採用は海外直接投資の流入拡大を招くが、インドでは外貨流入に対しては抑圧的な威勢があり、「外為替規制法」に基づいて、直接投資における外貨出資率の上限4、外企業の生産活動には部品の段階的産化が課された。

産業許可特定産業での生産開始の許可を得られるもの、と同時に希少原材料の割当、土地取得、機械類・原材料輸入時の各種認可の面で特典が得られる。有効期限は2年。

ネルー時代は産業基盤の育成に注し、工業部門の順調さと裏農業部門の脆弱性が顕になり、65年の印パ戦争、および同年から翌年にかけての魃が原因となり1980年まで停滞期に突入した。この時期は工業成長が減速を余儀なくされ、インディラ・ガンディー政権の下で統制義的な経済運営がなされた。

1960年代後半、小規模単位を保護する留保政策が施行され、800をえる品大企業の参入が厳しく制限された。従業員100人以上の企業に対しては、容易に解雇倒産を認めない立法上措置が講じられた。競争原理が封じ込まれた中で、やがて企業現状維持経営姿勢に甘んじ、産業活動は停滞、経済全体の効率性が低下した。同期間中、世界経済におけるインドのウェイトは下降の一途を辿った。

だが、農業重視の姿勢が打ち出されたところもあり、革命が進展、80年代を迎える頃には、コメ・小麦等の穀物自給が事実上達成された。1950年代初めから1970年代末までの期間は年均3.5とやや低めの「ヒンドゥー成長率」となった。

経済改革の時代

1980年代になり、第二次インディラ・ガンディー政権(1980~84年)、ラジーヴ・ガンディー政権(198489年)の下で生産性向上や生産拡大が強調され、規制緩和が導入されるようになった。そのため穀物自給の達成と同時に経済成長率は5へ上昇した。がしかし混合経済体制の組みは残ったため、経済自由化はアドホック的にしかなされず、財政支出の拡大、汚職の蔓延等で経済運営も緩みを見せた。
さらに要貿易相手であったソ連崩壊、湾危機の勃発に伴なう中東からの海外減等内外の要因が重なり、財政・経常収支赤字拡大のマクロ経済不均衡が先鋭化した。

1991年4月総選挙で、会議のナラシンハ・ラオ政権が成立、同7月経済革が導入された。マクロ経済不均衡の是正を図り、既存の混合経済体制の政策的組みから大胆な経済自由化を実施するところとなった。
共部門のみに留保されていた分野への民間部門参入がほぼ全面的に認可共部門優位政策は撤回され、民間企業活動を束縛していた産業許認可制度が事実上撤された。また閉鎖的、内向的だった対外政策は対外に転換され、貿易、外貨流入面で漸進的自由化が図られた。関税率は1991/92年の77.2%から1997/98年には30.62007/08年には9.2%に低下、輸入数量制限も事実上撤された。


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最終更新日: 19/10/21 21:24
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