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基本データ | |
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正式名称 | ウクライナ Україна |
国旗 | ![]() |
国歌 | ウクライナは滅びず[動] Ще не вмерла України і Слава, і Воля |
公用語 | ウクライナ語 |
首都 | キエフ(Kiev) |
面積 | 603,700km²(世界第43位) |
人口 | 約4600万人(世界第27位) |
通貨 | フリヴニャ(грн. UAH) ※1フリヴニャ = 約10円前後 |
ウクライナ(英語"Ukraine" - ウクライナ語"Україна")とは東欧の国家である。旧ソ連圏の国家としてはロシア、カザフスタンに次ぐ面積を誇る。原発事故で有名なチェルノブイリもこの国の地名である。
首都は外務省の表記に従うならキエフ。よって本項でも表記はキエフで統一する。英語でもKievと表記されるが、これはロシア語の表記である"Киев"(キィーイェフと発音)をラテン文字転写した物であり、ウクライナ語では"Київ"と表記され、ウクライナ政府の公式発表では"Kyiv"とラテン文字転写される。当然ウクライナ語では発音も異なり"クィーイィウ"というように聞こえる発音となる。それに合わせて、ウクライナ語を学習している者の中には日本語表記を"キーウ"と記すべきと主張し、そう表記している者も多いが、外務省のウェブサイトでは"キエフ"と表記されている為、これが日本政府としての公式表記であると思われる。
位置的にロシアとEU圏の中間に位置する為、この二大勢力間で揉め事がおこると微妙な立ち位置に立たされる事が多い。加えて、ウクライナはロシア帝国以前から続く根強い反露感情を持ち、かつEUへの加入を目指していながらもその歴史故にロシアとも完全に決別する事が出来無い、という点が更に状況を複雑化している。
"ロシア"の物と思われがちなコサックであるが、ウクライナにもコサックが存在する。歴史的にはウクライナ・コサックの方が古く、現ウクライナ領内に存在した移動する村とでも言うような遊牧集団であった。その為現在でもウクライナ人は自身がコサックの子孫であるという意識を持ち、国歌の中にもコサックの子孫である事に言及している部分が存在する。
国旗はウクライナの青空と豊かな穀物に覆われた大地を表わすという説と、水と火を表わすという二説がある。
▲実は現在のウクライナと呼ばれる土地に国家が成立したのはロシアの成立よりも古く、西暦800年代末期に成立したキエフ大公国(英語"Kievan Rus'" ウクライナ語"Київська Русь")が最初である。キエフ大公国は繁栄を謳歌するも、1300年代中盤のモンゴル帝国の侵入により瓦解。西側をリトアニア/ポーランド等に、そして東側をキプチャク・ハン国の領土とされる。1600年代中盤に一部のコサックがモスクワ大公国と同盟を組みポーランドの支配から逃れようとし、事実部分的な成功を収める物の、数年後にモスクワ大公国に裏切られ再び保護国となる。これをもってウクライナ人の反露感情の源泉と見る事もできる。その後事ある度に独立を果たさんとするも上手く行かず、第一次世界大戦中にロシア革命のどさくさとドイツの支援を得て、あと一歩という所までこぎつけたウクライナ人民共和国もドイツの敗戦で失敗。内戦状態へと突入し、最終的には赤化されウクライナ社会主義ソビエト共和国としてソビエト連邦の構成国となる。このソビエト期に拙速な集団農場化等が推進された結果、ウクライナでは400万から1000万人の人名が失なわれ、反露感情を強くした。
1991年にソビエト連邦が崩壊するとウクライナは念願の独立を達成し、ウクライナとして独立した。しかしソビエト時代の傷跡は大きく、ソ連時代に推進された言語政策とウクライナ語/ロシア語の類似性の為にウクライナの東側ではウクライナ語の喋れないウクライナ人やロシア語とのクレオール言語が発生してしまっている事が問題となっている。さらに、2014年には独立派(ロシア軍が背後にいるとされる)の手引きによりクリミア半島と軍港・セヴァストポリを併合されるという事態に至り、反露感情は頂点に達した。その結果、「共産主義とファシズムの除去」を謳って法律によりロシア語の地名を無理やり変更する、☭の使用と掲揚を禁止するなど、両国の対立は一向に収まる気配がない。
ちなみにキエフ大公国の崩壊後に成立したモスクワ大公国がロシア帝国の母体である。後にモスクワ大公国が勢力を拡大するに従い、自身をキエフ大公国の後継と自認するようになった。現在ウクライナは自身こそがキエフ大公国の後継であると自認しているが、上記の通りリトアニアやポーランドも旧キエフ大公国の領土を保持していた歴史があり、またモスクワ大公国の後継であるロシア帝国も当然その歴史故に無縁ではない。その為、どこか一国がキエフ大公国の"正当な"後継であると主張するのはナンセンスである。
2019年現在の大統領はペトロ・ポロシェンコ、首相はヴォロディーミル・フロイスマン。共に親欧派と評される。
第9・12代首相はヴィクトル・ヤヌコーヴィチ(元大統領)。親露派と見られていたが就任演説ではウクライナを欧州の一部で且つ旧ソヴィエト連邦構成国と表現し、EU・ロシア間での第三の勢力となる事を宣言した。しかし、その後EUへの加盟はウクライナの外交方針の支柱として変わらないなどと発言しており、主張は二転三転している。
第10・13代首相はユリア・ティモシェンコ。金髪の三つ編みを巻いた髪型をトレードマークとしているが、地毛の色は黒。この髪型はウクライナ人女性の伝統的なスタイルとの事。本人のウェブサイトには2009年6月18日時点で9852枚の写真が掲載されている。
ロシア料理として有名なボルシチや、カナダ料理ペローギの母体となったワレニキといった料理は本来ウクライナ料理である。肉魚両方の料理が存在し油っぽい食べ物が多いが、それを打ち消す為にサワークリームが付け合わせて出される事が多い。総じて日本人の口に合う食べ物が多く、楽しめる。基本的にはシンプルな味付けが多く、じゃが芋やキャベツといった物を使った料理が多い。ボルシチを筆頭とするスープ類は美味で且つ種類も多く、ソリャンカ(Солянка)のような温かい物、ロシアにも共通して見られるオクロシュカ(Окрошка)など冷い物とバリエーションに富む。比較的新しい料理としては鶏肉を薄く叩き伸ばしガーリックバターを包み、衣をつけて油で上げたキエフ風カツレツ(Котлета по-київськи)も広く知られる。だが、何と言ってもウクライナを代表する料理/食品と言えばサーロ(Сало)である。豚の脂身の塩漬けであり、大量の胡椒を使って表面を覆っている場合も多い。豚の脂身のこってりとした味と香辛料、そして胡椒のコンビネーションは非常に独特な味であり、人により酷く好き嫌いが別れる。例えば同じウクライナ系の伝統を受け継いでいるとは言え、ウクライナ系カナダ人、特に三世などはサーロを嫌いな人々も多い。脂身とは言え豚を使った食品としては珍しい事に、加熱などの加工を行なっていない単純な塩漬のタイプが大多数であり(燻製にした物もある)、煮たり焼いたりせず冷凍した物をスライスしてパン等と共に食べる。リヴィウ市街中央部、ミツケビッチ広場のすぐ近くにはこのサーロについての博物館もある。
首都キエフはキエフ・ルーシ以来連綿と続く東欧最古の都市であり、第二次大戦において大包囲戦の舞台ともなった非常にコスモポリタンな大都市である。東部にはロシアの影響を非常に強く受けた大工業都市ハルキウ(ハリコフ)が存在している。これら二都市では基本的にロシア語の勢力が強い。対照的に西部ポーランド国境近くにはその世界遺産にも登録された旧市街地で知られるリヴィウ(リボフ/レンベルグ)が存在し、ここではロシア語の影響は非常に小さい。又、リヴィウは「ウクライナ」文化の根拠地である、との自負が強く、又長らくオーストリア・ハンガリー帝国やポーランド領であった為に、所謂中・西ヨーロッパ的な(余り東ヨーロッパ的でない)雰囲気を持つ。
別段危険な国ではないが、旧ソ連圏の国家の常として、中・西欧のEU諸国や北米と比較すると治安は一段劣る。交通マナーも日本基準で言うと非常に悪く、車が最優先。狭い路地を結構なスピードで飛ばし、堂々と路駐するので通りを渡る時は注意。美女の産地としても知られるが、それ故に性犯罪やそれに関係した人身売買的な犯罪も多い。矢張り自分の身は自分で守るのが鉄則である。日本大使館はキエフに存在する。渡航する際は連絡先を調べておこう。何かして貰う時に賄賂を要求される事も多いが、逆に賄賂でルールが捻じ曲げらる国であるとも言える。
物価は2011年現在非常に安い。リヴィウの街中を走る路面電車はチケットが1.5フリヴニャで僅か15円程となる。マクドナルドのビッグマックセットが30フリヴニャ程度(=300円程)であり、一昔前の日本におけるスターバックスのように「少し値段は高いがお洒落なお店」として考えられている事からもそれが解るだろう。街にある外国人向けのレストランでも100フリヴニャ(=1000円程)払えばまず満腹になれるが、ボッタクリには注意。言葉とコミュニケーション能力に自身があれば、屋台で買い物をしたりして10~20フリヴニャ程で一食を済ませる事もできる。対照的に嗜好品の値段は体感できる程差はなく、パソコン等は数千フリヴニャから数万フリヴニャで販売されている。その為か街中にはネットカフェが多い。
▲ロシア語と同じ東スラヴ語郡に属するウクライナ語を公用語とする。しかし、キエフを含む東ウクライナでは基本的にロシア語が使用され、特に首都たるキエフではロシア語さえ出来ればウクライナ語を知らずとも生活出来る程度にはロシア語が浸透してきている。よって、東から西に向かうに連れてウクライナ語の勢力が強まっていき、逆に東に向かうとロシア語の勢力が強まって行くと考えれば解りやすいだろう。尚、1930年代の大飢饉前後に移民したウクライナ人によってコミュニティの基礎が構築されたカナダでは、年配のウクライナ人やウクライナ系二世等が現代のウクライナ語を「ロシア語的に過ぎる」と評する事もある。又、言い回し等についても若干現代のウクライナにおけるウクライナ語との差が生じているようである。言語についての詳細はウクライナ語の項目を参照されたし。
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